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ガサガサと鳴っては身体にまとわりつくのがうっとおしい。
ただでさえ薄暗いのに、これでは足元もおぼつかない。
深く息を吐いてから、気を引き締めて再び足を動かす。
……しんどい。
山中を歩くのは、やはり好きではなかった。
そう思うと、自分の目の前を軽々と歩く男がなんだか憎らしく思えてくる。
――と、その男はさっと振り返ると、にっこりと笑って口を開いた。
「夜呂、すこし休もう。そんなに急ぐ必要はないんだろ?」
丸い目を細める彼を見やり、おれは頷く。
「ああ。だけど、そんなにのんびりしたいワケでもないんだよ」
「わかってますよ。こっちは雇われの身。ちゃんと仕事はこなすから、安心しなよ」
男の名は虎徹。
彼に導かれ、切株に腰を下ろした。
ぐっと額の汗をぬぐり、懐から水の入った竹の容器を取り出す。
水はカラカラの喉を潤し、すぐに気持ちも楽になった。
「明日の朝には着くはずだよ。たしか、宮では祭りがあるんだ」
虎徹は何気なく話しかけてくるが、どこか――気配が油断ならなく鋭い。
数日前。
おれは西の国に出かけることに決めた。
もともとの国は滅び、南国に占領されてしまったが、残ったまだ無事な地域で小国をおこし、こうして日々復興に努めている。
あれから、三年が経っていた。
民を説得したのは、ほぼ高安がやってくれた。
いつもそばにいて支えてくれてた……
そんな彼も、今は隣にいない。
それもそうだ。
これはおれが独断で決めたこと。
おれ自身の問題。
……高安、怒っているかな?
勝手に出てきたから。
でも、置き手紙もやってきたし、心配はいらないはずだった。
おれの北国は今、南国とは表向きにはなにもないが、いつ戦をしかけてこられてもおかしくはない状況だった。
勢いを増す南国……
それが逆におかしいと感じはじめたのは、つい最近。
天下無敵の力を誇示する西の国が、そんな南国を黙って見過ごすのはおかしくないだろうか?
それに……父上を裏切った辰迅も、たしか西の国出身。
裏がないとも限らないではないか。
そんなわけで、勝手に国を抜け出し、こうして西の国――幼皇帝の住まう宮に向かっているというわけである。
「今、幼皇帝が傾きかけているって噂、知ってるかい?」
おもむろに、火をつけながら虎徹がそう言った。
「まさか、そんなのはでたらめだろ。だいたい、天下の幼皇帝がそんなことになったら、きっと他国は黙っちゃいないだろうね」
気に止めることなくそう言ってのけたが、彼は丸い眼を悪戯気に細めるだけだった。
それがなんだか府に落ちなくて、食い下がる。
「あるのか――そんな噂が」
「ええ、もちろん。今なら、いつ幼皇帝が死んでもおかしくはない、よ」
にやにやと笑う男に苛立ちを覚えながら、真実かな、とチラと考えた。
幼皇帝が?
でも、そんな連絡は入ってない。
やはりただの悪戯ではないのだろうか。
「縄張りには――」
虎徹が低い声で言った。
「――時に、宝よりも価値のあるものが落ちてくるんだよ」
にっこり笑んで、意味ありげに目をそえ、彼は言い終えた。
信じていいのか、否か。
縄張り?
こいつはやはり、ただ者ではないらしい。
では、なんだ?
じっと見すえていると、虎徹はおもしろそうにニッと笑う。
なんだかそれがしゃくで仕方がない。
「でも、きっとそれもわからない」
肩をすくめ、つづける。
「幼皇帝には、百戦錬磨の魔女がついてるからね」
魔女?
よくわからなかったが、それを悟られたくなくて、知ったふりをする。
虎徹に馬鹿にされたくはなかった。
一応、おれだって一国の主となるのだから。
聞きたくなったら、明日聞けばいい。
そう思って、おれは無意識のうちに眠ってしまった。
翌日。
心底自分がいやになる。
目覚めると、一枚の紙切れがそばに置かれていた。
見るとそれは地図のようで、幼皇の宮を指している。
寝惚け眼で辺りを見回したが、虎徹の姿はなく、ただ冷たい風だけが吹いていた。
まったく。
せっかく雇ったのに、仕事を放り出す奴だったなんて思わなかった。
ため息をこぼし、ふと懐が軽いことに気がついた。
サーッと血の気が失せ、代わりに愕然とした怒りと情けなさでいっぱいになる。
……金を盗まれた!
あいつは盗賊だったのか!
自分のふがいなさに呆れ果てる。
馬鹿だ。
おれは、人を見る目がないのかもしれないな。
それにしても、おかしな盗賊だ。
ちゃんと宮までの道筋を書き残していくなんて、怒る気にもれなくなる。
「いいか、夜呂。人間はどうしたって、親切心だけでできているとは限らないんだ」
耳にタコができるくらい、高安にそう言われたにも関わらず、こうしておれは騙されてしまった。
心底奴を信用してたわけじゃない。
ただ、油断したんだ。
そんなふうに自身に言い訳をするのも馬鹿らしく、幼く思えた。
重たい頭を抱えながら立ち上がる。
日の沈まないうちに、宮に行きたい。
足場のよいところをなるたけ選んで歩き出す。
こんな山奥にくると、ついふっと思い出してしまうことがある。
――姫。
あの鴉の姫は、どうしているだろう。
喜助たちと、いつものように屋敷に身を沈めているだろうか。
真っ暗い暗闇のなかで、闇に埋もれながら……それでもどこか、静かに輝きながら。
指輪をしてくれているだろうか。
あのときはまだ、おれも幼くて……
今思うと、猛烈に恥ずかしい。
よくもまあ素直に渡せたものだな、と思う。
ガササッと葉をこする音がして、一羽の烏が飛んでいった。
姫は、どうしているだろう?
おれは、成長したかな。
背ものびたし、声も低くなった。
姫、いつか迎えに行くから……。
「よし」
カツを入れて、再び足をはやめる。
金がないのは不安だが、かえって捨て身になれそうだ。
はやいとこ宮の領域に入り込んで、なんとかあちらの国人として混じりたい。
――西の国、天下の幼皇帝の住まう場所。
無意識に、唇を舐めた。
日も暮れかかったころ、ようやっと目的のものが見えた。
地図は正確で、思わず舌を巻いてしまう。
宮の場所はすぐにわかった。
明るすぎる灯りがそこいら中にぎらぎらと光り、にぎやかな楽器の音色やら、人々の楽しそうな笑い声やらで活気づいていたのだ。
たしか虎徹が、祭りがあるとか言っていたな。
これは好都合。
紛れ込みやすいではないか。
それにしても、やはり西の国の様子はどこかおかしかった。
国の境界の門番はだらしがなく、すぐに侵入できてしまったし、なんだか警戒が緩い気がする。
だが――原因は知れた。
宮の祭りの場に近づくにつれ、警備が厳重になっていたのだ。
あからさまなほどに。
これでは逆に、幼皇の居場所をさらけだしているようなものではないか。
――魔女がいるんですよ。
そう言った虎徹を思い出す。
魔女、か。
まやかしの呪術を使う女。
だから幼皇に怖いものなどない、と?
なにか、ある。
絶対に、この国にはなにかがある。
おそらく、おれが想像していたよりもずっと、深くて暗い、陰謀にも似たなにかが。
腰布のなかに隠していた小刀をなぞる。
ひとつ深呼吸し、生唾を飲み込み、そうしておれは、祭りに身を溶かしていった。
容易く忍びこめた幼皇の屋敷。
めまぐるしいほどの人々。
でかい敷地。
あっと息を呑む。
これが、力か。
さすがといったところか。
池に小舟を浮かべてみたり、橙色の提灯をつるしてみたり、色とりどりの踊り子に、武術の型見せの男たち、食べ物の屋台……
まったく、金が余っているとしか思えない贅沢ようだった。
空が暗くなるにつれ、人々のにぎわいも増すようだ。
「さて、幼皇帝はどこに――」
ふいに、なにかが目に入ってきた。
本当に偶然だった。
まさか、チラと目を移した先で仰天するような光景を見るとは思いもよらなかった。
よくもこんな遠くから見つけられたものだと、自分でも感心する。
思わず走り出す。
奥の離宮らしきところに、ちょうど祭りを眺める形で部屋が設置されていた。
その開け放たれた窓からは、部屋の様子はよく見えた。
けれどそれがあまり目立たないのは、きっと祭りの熱気のせいだ。
あんな部屋には目をくれず、人々は笑いあってる。
まさか、その部屋で刀が光っていることも知らずに。
白い布で顔を隠した女のそばには男がいて、刀を手に、目の前に座る少女にそれを向けていた。
キラッと不気味に光って、それは今にもふりおろされようとしている。
そばには小さな子供までいるのに……
あそこで殺しをする気なのか?
力を込め、地面をけって駆ける。
――だれかが傷つくのは、もういやなんだ。
見たくない。
衝動的だった。
かなり近づいたが、部屋のなかの人々はちっとも気がつかなかった。
「さよなら、毒サソリ」
そして、その声とともに、憎き刃がめいっぱい力を込めふりおろされ……
――間に合わない!
「――ちッ」
舌うちして、小刀を取りだし、投げた。
少女に向けられた刀に向かって。
――ガキィンと音をたてて、刀は動きを止め、おれの投げた小刀は宙を舞って、畳に突き刺さった。
いっせいに部屋の人々がこちらを見たとき、すでにおれは窓から部屋のなかに侵入していた。
「何者です!」
女がかん高い声を発して、荒々しくこちらを見た。
子供のそばにいる男も、刀を持っていた男も、黒い覆面をしている。
顔が見えるのは、なにが起きたのかよくわかっていない子供と、ただ呆然としている少女だけだった。
彼女は目を見開き、涙で目を濡らしていた。
「捕えよ!」
鋭い声とともに、ふたりの男が刀をもって襲いかかってきた。
すぐに手元にあった木の窓枠を壊し、棒がわりにして迎えうつ。
身をかわし、銀に煌めく刃をよける。
こいつらは強いけれど――
高安の方が、強い。
姫の方が……
「はやくしなさい!」
どうやら命令しているのは、女のようだ。
しゃがみこみ、ひとりを蹴り飛ばし、刀を奪ってすばやい動きで、白い布をした女の首もとにそれをあてがう。
途端、男たちは動きを失った。
「勝手に入ってしまって悪い。ただ、こんな幼い子供のまえで、殺生は控えるべきだろう」
冷たく言い放つと、今度は女がフンと笑って言った。
「この女は罪人です。たとえ幼皇さまの目の前であろうと、生かしてはおけません。それにあなたはこの罪人を助けた。よってあなたも同罪――」
女の言葉に仰天する。
では、目の前の幼い男子が、天下の幼皇帝だっていうのか?
まさか――
――幼皇帝には、魔女がいる――
この女が、魔女、か?
「罪人になりたくなかったら、放しなさい」
気が緩み、強い力で腕を払われ、思わずよろけた拍子……女の白い布がずれた。
真っ黒い瞳、そして漆黒の髪……。
何度も夢にみて、忘れたことなんてなかった。
そこに現れた顔は、いつかと同じ記憶の欠片。
その断片。
「――姫?」
気の抜けた声を出した、おれはまじまじと女の顔を見つめた。
実は、鴉の娘からのお話は、
鴉の姫から三年後になってるんですよ。
最初は三部作で、それぞれ一年後くらい〜だったんですけれどね。
夜呂にははやく、立派な青年になってほしくて!笑
では、また次回をよろしくです☆★