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屋敷では、烏たちがざわめいていた。
凛は嘴をとがらせて、あきらかに気に食わないという表情をした。
『人間だ!』
『人間がいる……』
『――だ』
「チッ。気味悪い烏だ」
高安は舌うちをして言った。
「言葉を解しているだけだ。烏は利口だよ」
わたしは冷たくにらみつける。
『姫!』
廊下を歩いていると凛がやってきた。
『なぜ人間を入れた?』
なぜ――?
軽く笑う。
「おもしろいと思ったから」
凛はぎょっとしたようだった。
わたしは騒ぎたてる烏たちに向き直り、声をはりあげた。
「この者たちの命はわたしが持つ。お前たちは手だし無用――」
それから、にやりと笑う。
なんと幸運なこと。
新たな人間たちがやってくる気配がした。
「侵入者がきた。食べるなり、殺すなり、好きにしていい――この人間を追って、餌はやってくるんだ。嫌な話じゃないでしょう」
凛は渋々認めたように、ひと声鳴いた。
他の烏もみんな凛に従い、新たな侵入者に向かって飛び立っていった。
屋敷はわたしたち三人だけになった。
「お前たち、ひどく狙われているね」
高安に向かってちょっとせせら笑う。
彼は無表情のまま、わたしを見つめかえしてきた。
……まぁいいわ。
その真相を握っているのは彼じゃないでしょうから。
握っているのは――夜呂の方。
「傷の手当てをするといい。なにか薬草くらいならあるだろう」
そう言って、わたしは廊下の端から二番目の部屋に高安を案内した。
薄暗い部屋には、たくさんの薬草が保存されていた。
「手当てくらい自分でできる」
と言うので、わたしは彼をひとりそこに残した。
そして――
「――夜呂、ちょっといいかな」
夜呂はすぐに応じた。
わたしは彼を引き連れて、奥の間にやってきた。
ここなら、だれからも話を聞かれる心配はない。
「……あの白い馬はうつくしいか?」
わたしはゆっくりと口を開いた。
夜呂は顔をゆるめて、にこりと笑った。
「とてもいい馬なんだ!毛並もきれいだし」
わたしは一度見ていた馬を思い出す。
疲れ果ててはいたが、あれはうつくしいものの部類に入るのだろう。
「明日にでも、放してやろう。ここではあの馬は生きれない」
「え?!」
夜呂はあわててわたしの顔を見た。
「馬の面倒はみれない。それに、いつか烏に食われるよ」
夜呂はしばらくうちのめされたかのような表情になった。
「でも……あの馬がいなければ帰れないよ」
――帰れない?
わたしは不適に笑って言った。
「勘違いしないで。わたしが許すまで、あなたたちは決してこの屋敷から出られない……」
ゴクンと少年が生唾を飲んだ音が聞こえたような気がした。
夜呂はしばし沈黙したのち、目を伏せたまま言った。
「……彼を返してやってくれ」
それはもはや――命令だった。
けれどわたしは動じない。
打って変わった彼の口調も態度も品格も、予想内。
ここはわたしの屋敷。
人間に口出しは無用。
主導権はない。
「高安はおれの従者」
あきらめたかのように、夜呂は話しはじめた。
ゆっくりと、自分に言い聞かせるように。
「おれは北国の王の息子。だけど次男だった……」
――夜呂は次男だった。
彼には五つ年上の兄・砌がいた。
知識もあり、武力にもたけて、それはいずれ理想の王になる予定だった。
あきらかに人とはちがう才覚に、人々は感嘆の息を呑むのだった。
しかし、丁度四年前のことだ。
南の国との対立が激しくなり、砌はやむなく戦争にいかなければならなくなった。
彼はいちばん信頼のおける家来――高安を夜呂のそばに残した。
「夜呂、お前は立派になるよ」
兄はそう言った。
それから一年後、兄は戦死した。
それからは夜呂が次代の王になることになった。
しかし、やはり南の国との対立は激しさを増すばかりで、ついに父は影武者を高安に命じさせた。
夜呂が死ねば、跡継ぎがなくなるから……
いつも砌の栄光の陰に隠れていた夜呂の情報は、幸いなことに、敵にはほとんど漏れていなかった。
名前も年齢も姿かたちも敵にはわからない。
高安が影になることは容易かった。
高安は夜呂にあらゆることを教えはじめた。
武道、学問、政治、心構え、自分の持っているすべてを彼に与えつづけた。
夜呂は必死だった。
兄の最後の言葉を現実にするために。
――お前は立派になるよ――
やがて、北の国と南の国の戦争は本格化した。
そして五日前、とうとう攻められた。
それから二日後、北の国は滅亡状態になった。
父は夜呂だけはどうにか逃がそうとした。
「またいつか、お前が平和な国をつくるんだ」
そう言われた。
それまで兄より頼られたことはなかった。
それまで兄より期待されたこともなかった。
しかし、そのときは確実に、夜呂はだれよりも必要とされた。
高安は立派な鎧兜に身を包んだ。
夜呂は農民の姿に変えられた。
危ないかけではあるが、鎧をまとえばすぐに王の息子だとばれて殺される。
夜呂は武器を持たず、高安を連れて逃げた。
なにかのときは、最悪高安が身代わりになる。
高安がおとりになる。
高安が夜呂を守るようにと。
しばらくして、敵の追っ手がかかった。
逃げて、逃げて、逃げて……
やみくもに逃げて……
高安は夜呂をかばい、たくさんの怪我をした。
それでも逃げることだけはやめない。
――生きるために。
容易なことではないけれど。
辛く苦しいことだけれど。
約束を果たすために、ふたりは逃げた。
そして、《鴉の屋敷》の領域に迷い込んだというわけである。
「おれは、高安を兄のように尊敬している」
夜呂はゆっくりとわたしを見つめてきた。
その眼がきらりと光ったように見えた。
「……高安を逃がしてやって。ここに縛られるのはおれひとりで充分――」
「それはどうかしら」
わたしは彼の言葉を遮った。
ちがうのよ。
夜呂はまったくわかってない。
人間っておもしろい。
「高安は夜呂といたいと思ってる」
きっぱりとわたしは言い切る。
さきほどから、屋敷の中を動き回る気配がしていた。
たぶん、夜呂を心配して探しまわっているのだろう。
だが、これは気に入らない。
わたしの屋敷を勝手に歩くことは許さない。
「早く高安のところへ戻りなさい――高安がひとりになれば、わたしはあいつを殺すかもしれない」
夜呂は目を見開く。
これは脅しでも冗談でもない。
高安は強い目をしている。
強い意思をもっている。
だが、その分わたしの機嫌を損ねやすい。
夜呂に免じている部分がかなりある。
「……高安から目を離さないことね。屋敷を勝手に歩くことを禁じるわ」
黙りこくっている少年にそう告げると、わたしは絹ずれの音を響かせて、さらに奥の間に足を進めた。
後ろでは、夜呂が困惑と恐怖に捕えられている気配がした。
――肝に命じておくといい。
わたしは姫。
勝手は許さない。
えっと、かなり付け足してしまってすいません。
ごちゃごちゃになってしまいました。。
次からは気をつけますので、今回はあたたかい目で見守ってください笑