第一章 蠍雨
ここから第二部がはじまります!
*これは、第一部から三年ほどたっています・・・のはずです。
すこし雰囲気は変わりますし、
ちょっと『彼』がたくさん出てきますので笑
ではどうぞ〜♪
〜カラスノムスメ〜
小さな頃から変わらない。
あれは鴉の娘の屋敷。
産み落とされた鴉の子。
小さな小さな鴉の子。
あたしは知ってるその屋敷。
訪れてくる鴉の娘。
【第一章 蠍雨】
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たしかに、こっちのはず。
はじめての道を、あたしは小走りに急ぐ。
もう空は赤みがかり、すぐに燃えるような夕焼けの到来を告げているようだ。
風はなくて、ただ秋の名残を感じさせる木々が覆い茂っている。
この季節、すぐに闇が訪れるはずだ。
あたしは焦っていた。
今日は弟と久しぶりに山に探索に来たのだ。
いつしか木の実採りに夢中になってしまったあたしは、先に弟を帰してひとりで山をうろうろしていたというわけだ。
怖い、ひとりは怖い。
こんなに奥まで来るつもりはなかったんだ……
――山には噂があったから。
山の奥にいくな。
鴉の子にさらわれる。
暗がりへいくな。
鴉の子に食べられる。
屋敷に近づくな。
鴉の子に殺される。
二度とは戻ってこれなくなるぞ……
恐ろしい、鴉の子の噂。
思い出しただけで、ゾクリと背筋が凍る思いだ。
ふるふると頭を振り、あたしは半ば走るように道を進む。
どれくらい歩いただろう?
すでに暗くなり、辺りの様子などちっともわからず、途方に暮れてしまった。
絶対、迷った。
泣きたくなる。
お化けも獣も鴉の子も出ないでねぇー!
『――ギャッ!!!』
ん?とあたしは小首を傾げる。
今、なんかを踏んでしまった――柔らかい、なにかを。
しかもそれは、『ギャッ』と言ったのだ。
ガラガラした声だった。
恐ろしさのあまり、動けなくなってしまい、あたしは踏んだままの足をどかすことさえしなかった。
『おい、貴様殺されたいのか』
すると、イラッとした感じで、あたしの足の下のなにかは口をきいた。
あわてて足をどけると、ようやっとそのなにかを見とめることができた。
――きれい。
まっくろなどこまでも深く、透き通った瞳に、長い蔭を落とす睫毛、すらりとした鼻、ほっそりした頬……
黒い肩まで伸ばされた髪を揺らし、その《なにか》であった《人》は口を開いた。
『……この姿も、久しいなぁ』
「えっ?!」
よくわかんない。
思わず聞き返したが、彼は面倒くさそうに手を振っただけだった。
『気にするな小娘』
は?という表情になってしまう。
この人はあまりに失礼だ。
「あなたに小娘呼ばわりされる筋合いはないわ」
『アンタに踏まれる筋合いもないけどね』
ちょっと機嫌を損ねたのか、彼は眉をひそめて言う。
なんだか威圧感があって、身体がビクリと反応する。
本能はすぐさま逃げるようにあたしに告げているみたいだった。
「……ふ、踏んでしまったことは謝るから」
『当たり前だ、人間』
男はさも愉快だとでもいうように豪快に笑うと、すっくと立ち上がった。
十八、二十歳くらいだと思う。
なのに、ものすごく偉そうである。
踏まれたことだって自分が寝転がっていたのが悪いのに!
すぐに謝ったことを後悔したが、あたしはもうこの人に関わりたくなかったので、軽く会釈してその場を去ろうとした。
「あたし急いでいるから。さようなら」
踵を返し――その途端、ぐいっと袖をつかまれた。
『小娘、助けてやるから、オレサマをしばしお前の家に置いておけ』
ニカッと笑って彼は言う。
八重歯が出て、なんだか幼さが隙間見える。
それは人にお願いする態度などではなくて、もはや命令に近かった。
びっくりして呆れて物も言えずにいると、彼はなにを勘違いしたのか、さらに深みのある笑みを浮かべた。
『お前は利口だな。おれに助けてもらえるなんて、滅多にないぞ』
助けてもらえる?
なにから助けてもらわなければならないと言うのだろう。
この人は狂ってる。
極力関わりたくなんてない。
悪いが断ろう……
そう思い決断までに至ったので、あたしは口を開いた。
だが、すぐにそれは閉じられた。
やっと、彼の言っていた『助けてもらえる』という意味がわかったから。
あたしたちは五人の男たちに囲まれていた。
彼らは手に刃物や太い木の棒など、武器をもってじりじりと間隔をせめてくる。
気づかなかった。
それくらい、気配がなかったのだ。
『山賊かぁ〜小せぇなぁ』
カカカッと笑って、あたしの隣にいる彼は言う。
こんなときに笑えるなんて、どういう神経しているのよ!
あたしは足がガクガク震えてきた。
金目の物なんて持ってない。
きっと山賊たちに、あたしは着ているものをはぎとられるのだ。
それしか金にできないだろうから。
『なぁ、アンタの名は?』
彼は山賊など目に入っていないかのように問う。
本当にびっくりしてしまう。
『おれは喜助だ』
――キスケ。
彼、喜助は笑みを浮かべながらそう言った。
あたしは怖くて口も開けないのに、死ぬかもしれないのに、喜助ときたらこれから祭がはじまるかのように、ワクワクしている。
「おとりこみ中悪いが、あんたら怪我したくなかったら、その着物をすべて脱いでもらおうか」
はっとする。
山賊のひとりが、低い声でそう言った。
刃物がキラリと不気味に光る。
「娘は奴隷でもすればいいんじゃないか?」
なんてとんでもない会話も聞こえてきた。
さらにあたしたちとの距離を詰め、山賊たちの会話は喜々としてきた。
「女はおれたちでいただこうぜ」
「男は着物脱がして殺すか?」
「あいつの着物、かなり上等じゃねぇか!」
「もしかして、どこぞの貴族サンなのかもなぁ〜」
貴族?
あたしはびっくりして喜助を見やった。
たしかに、濃紺に金色の星の刺繍のある、とても上品なものを身につけている。
山賊たちの持つ松明に照らし出された喜助は、とても気高く見えてしまった。
『おれを脱がす?』
喜助は低い唸るような声を出す。
『馬鹿言うな。失笑。貴様らは身のほどしらずだ』
邪気の混じったような笑みを浮かべ、彼はため息をついた。
「おいおい坊や?丸腰でかなうのかな?」
山賊の言葉を受けて彼を見ると、たしかに武器らしきものはひとつも持ってなかった。
まさか、ハッタリじゃないでしょうね?
急に心配さが倍増してきた。
奴隷もいや!
服を取られて真っ裸になるのもいや!
死にたくもない!
ただあたしは彼の様子をうかがうしかなかった。
が、当の彼はくるりと振り向くと、
『なぁ、ところでアンタの名はぁ?』
とにっこりしながら尋ねてきた。
よくわからない。
この人、もしかして人間じゃないのではないかと思う。
だって尋常じゃないもの。
『名は?』
重ねて尋ねてくる喜助に、あたしは脱力しきって言う。
「――加世」
それを聞いてにっこり笑った喜助と、山賊の頭らしき人がしゃべったのは、ほぼ同時だった。
『……いい名』
「殺れ!」
ばっと襲いかかってきた男たち。
手には揺らめく不気味な光。
あたしは悲鳴もあげず、ただ仰天してしまった。
喜助はニッと笑うと、ぴょんと身軽に跳ねて攻撃をかわす。
次に振りかざされた刃をものともせずによけ、男の顔面にするどい拳をお見舞いした。
そのまま後ろにいた男に蹴りをやり、いっきにひとりを巻き込んで三人が倒れてしまった。
その姿はまるで――まるで天狗。
うめく彼らを跨ぎ、喜助は余裕の笑みを浮かべて口を開く。
『まだやる?おれ今機嫌いいから、許してやってもいいよ』
グッと詰まる残りふたりの山賊に、喜助は高らかに笑った。
『もちろん半殺しだけどッ』
その黒い笑みに圧倒され、黙っていた山賊の頭らしき男が口を開いた。
「まいったよ。アンタ腕いいなあ」
恐れているわけではなく、宝を見つけた喜びなのかもしれない。
その山賊の頭はおもしろそうにつづけた。
「アンタの着ているものは、とても高価なものだ。だけどアンタはただの貴族ではないと見える」
男は松明をかざした。
そこではじめて彼の顔が見えた。
色の抜けた茶色がかった髪、こんがり焼けた肌、丸い眼に薄い唇、線が細くて、とてもじゃないが山賊には見えなかった。
「ボクは虎徹」
なにを企んでいるのか、山賊はにっこり笑って名乗った。
今から半殺しにするぞと言われて、うれしそうに名乗るなんて、こいつも普通じゃない。
虎徹の後ろにいた残りの山賊が、そのときはじめて口をきいた。
ごつごつした筋肉流々の身体に、気味悪く落ち窪んだ顔のその男の声は、低くしわがれていた。
「お頭、こいつきっと狐か狸だ。こいつの強さはただモンじゃねぇ気がする」
虎徹はそれを聞いて軽く笑う。
「ボクはカラス天狗みたいだと思ったよ」
カラステング?
やっぱり喜助は天狗みたいだ。
『フン。お前気に入った。おれは疲れた。早く寝たい』
「半殺しはお預けか。こちらとしてはありがたいね」
軽く笑うと、虎徹は倒れている仲間を担ぎはじめる。
喜助もニヤッと笑い、あたしの手をとった。
この人は、いつの間に山賊の頭と打ち解けたりしたのよ。
本当によくわからないんだから。
見回すと、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
『さ、アンタの家に帰ろうぜ。ものすごく眠りたいんだ』
喜助はなおも愉快そうに笑った。