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わたしは感嘆の声をあげ、しげしげと自身の指にきらめいている《それ》を見つめた。
とてもきれいだ。
喜助からもらったピアスと同じくらい、大切なものにしよう。
「夜呂、ありがとう」
指のきらめきをながめながら、わたしは彼に礼を言った。
彼はとても小さな指輪を、わたしの小指にはめたのだ。
それはぴったりで、わたしの指の中できらめいていた。
「これは兄さんの形見なんだ」
小さくほほえむと、夜呂はゆっくりと話した。
「おれを逃がすとき、兄さんがくれたんだ。兄さんは母さんからもらったって言ってたんだ」
なつかしそうに語る彼を見やりながら、すこし不安になる。
「わたしがもらってもよいのか」
「もちろん。それは魔除けなんだ。小指につけるための、特殊な魔除けだよ」
夜呂は邪気のない笑みでそう言うと、わたしの小指で光を放っていた、銀色の指輪に手を走らせた。
「迎えにくるから、それまで持ってて」
どこか大人びたような彼。
固い決意がその眼に宿っている。
本当におもしろい奴だよ、夜呂は。
「夜呂、そろそろ行こう」
高安が声をかけると、夜呂は名残惜しそうに屋敷を見やった。
風が吹き抜けた。
夜呂のまっくろな髪が、サワサワと揺れ、わたしの心をくすぐる。
今や、彼らは別世界の生き物のようだと、ふと思う。
夜呂は農民の格好こそしてはいないが、高安はすっかり鎧を身につけていた。
漆黒に光るその鎧は、はじめて彼に会ったときに着ていたものだ。
まだ夜呂の命を狙う輩がいるかもしれないということで、高安はまたおとりのようになるのだとか。
でも、それだけではないように感じた。
これはきっとケジメなのだ。
この屋敷と出逢い、そして別れを新たな出発にするために。
「すこし歩くが、山を抜ければ馬を準備してあるからな」
高安が夜呂に言う。
高安の部下が、屋敷の領域に入らないところまで迎えにきているらしい。
「姫、世話になった」
鋭いまなざしに、かすかなあたたかさをたたえて高安はわたしに言った。
はじめて、彼から名を呼ばれた。
「お前も元気で」
そっと微笑する。
こいつはよくわからなかったけれど、夜呂に対する敬意の思いだけはよくわかった。
彼は夜呂に必要な人。
「……姫」
ふいに呼ばれ、わたしは彼を見る。
まっくろな瞳がわたしを見つめ返す。
「夜呂、また逢おう」
また会える。
夜呂のことを、もっと知りたいから。
クスリと笑うと、わたしは静かに踵をかえした。
屋敷に戻ろう。
寂しさを噛み締めよう。
小指には約束の印がきらめいているのだから。
後ろで、非常にゆっくりと歩を進めた音がした。
夜呂と高安は、ふたりの世界に帰るのだ。
ふたりの世界はどんなところなのだろうと、わたしはひっそりと考えてみる。
海というものを見てみたい。
城というものを見てみたい。
いつかわたしも目にすることができるのだろうか?
すっかり気配がなくなってから、わたしは振り返った。
もちろんそこには人影などない。
在るのは、静寂のみ。
夜呂の笑顔も、高安の鋭いまなざしも忘れはしない。
きつく目をつむり、そう誓う。
また、逢える。
わたしはまっすぐに屋敷へ足を進めた。
『――マヨナカさま』
はっとして、わたしは辺りを見回した。
自分の耳を疑う。
今……だれかマヨナカさまと言わなかったか?
ずっと気になっていたんだ。
はじめて高安と夜呂が屋敷に足を踏み入れたとき、烏が言った言葉。
――マヨナカさまだ――
マヨナカさまとはだれだ?
わたしはそんな風に呼ばれたことは一度もないし、ましてや夜呂と高安が互いにそう呼んでいたこともなかった。
烏はだれに対してそう言ったのだろうと、頭のすみにひっかかっていた。
「だれかいるのか」
屋敷の手前まできて、目を走らせた。
が、烏の気配はひとつもなく、ひっそりとしていた。
喜助が今日は一日出かけると言っていたから、それに大半の奴らが付き添ったはず。
けれど、残った奴らは屋敷にいるはずなのに……
不気味だった。
ここには屋敷とわたしだけ。
屋敷とわたしはひとつ。
だから、わたしなしでは屋敷は存在できない。
……わかってた。
《最奥の間》で闇を知ったとき、わたしは屋敷と通じあえたのだ。
けれど、本当にそうなのかといつも疑っていた。
もし、屋敷の存在にもわたしが関わっているのだとしたら、最奥の間にもなにか関係があるのではないか。
そっと屋敷に手をのばし、触れてみる。
屋敷がすこし、震えた気がした。
すると――
『マヨナカさまが来る。きっと、く……来る』
一瞬だった。
でもわたしはこの耳で聞き、この目で見た。
か細いその声は、烏のものなどではない――屋敷から発せられたものだった。
まさかと思ったが、屋敷はさらにつづけた。
『彼はきっと連れてくる。彼こそは導き者……尊い人』
彼?
どういうことだ?
『マヨナカさまが来る。マヨナカさまだ……マョ、ナカ……さ……』
そう言うと、その声はゆっくりと眠るように沈んでいった。
わたしは今目の前で起こった出来事に唖然として声もでない。
屋敷が口をきくだって?
そんなのはじめてだ。
ただわかったのは――屋敷が一瞬わたしから離れたということ。
わたしとひとつのはずの屋敷が意志を持ったということ。
……まずい、な。
こんなことははじめてだ。
ドクンと心臓は悲鳴をあげ、喉はカラカラに渇いてきた。
どうやら屋敷は静まったようではあるが、言いようのない胸騒ぎで苦しくなる。
マヨナカさまとは?
屋敷を造った虎狼の人とは?
わたしと屋敷の関係は?
最奥の間の真実は?
……夜呂と高安とわたしは……
出逢う運命だったのかもしれない。
空を仰いだ。
そこはまぎれもない、夕闇の迫りを感じさせながら流れていた。
わたしは夜呂からもらった指輪をしている指に手を重ね、そっと静かに目をつむった。
わたしは――鴉の姫。
*第一部 完*
以上第一部終了しました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます!
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