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あれ?恋?いや、なんだろうねぇ?笑
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「夜呂……」
びっくりするぐらい、弱々しい声だ。
わたしは自身の声に違和感を覚え、口をつぐんで夜呂と高安を見つめた。
まっくろな深い瞳を揺らし、夜呂は飛び上がってわたしの顔をのぞき込む。
「ひ、姫?大丈夫?!」
そのあわてようさえ、愛おしく思う。
もう一度彼らと口をきけるなんて、夢にも思わなかったから。
「すまない、心配をかけたな」
わたしがほほえんでそう言うと、高安はぶっきらぼうに、
「まったくだ」
とつぶやいた。
身体を起こし、夜呂に目を向ける。
「わたしは……傷はどうして癒えたのだろう」
痛みの感じない背を不思議に思って問うと、夜呂はゆっくりと話してくれた。
――喜助が話しかけたあとには、すでに傷は跡形もなくなっていたということだ。
「なるほど、ね」
彼らの話を聞いたあとでも、やはり冷静になれる自分に感心しながら、わたしは再び黙り込む。
「姫……」
心配そうな夜呂。
どうしてこんなに心配してくれるのだろう。
わたしはめったに死なないと知ったではないか。
おかしなヤツだ。
それにしても、どうしたものかと思案する。
喜助はきっと、簡単には教えてくれないだろう。
今はまだ、真実を聞いてはいけない気がした。
時がくれば――きっとそれがさだめならば、わたしはいずれ知るだろう。
それでも、今はまだ我慢時だ。
直感で、そう感じた。
「わたしはもうすこし、屋敷の主を努めようと思う」
微笑を浮かべ、わたしは彼らにそう告げた。
高安は信じられないという表情をして叫んだ。
「なにを馬鹿な!おまえは人間だ。わかっているんだろう?ここに残ったって、
裏切られるばかりだ」
そう、目に見えている。
わたしは無力な人間で、烏たちを牛耳るなどできないのだ。
けれど――
「わたしにはまだ喜助がいる。それになんだか、まだやることが残っている気がするんだ」
後悔なんてない。
ただ、まっすぐに思っただけだ。
わたしはまだ、主でなくちゃならないと。
「わたしは人間かもしれない。それでも普通の人間ではない」
そっとほほえむと、高安は顔を伏せて黙りこんだ。
「……わかった」
夜呂の声が静かに響く。
どこかさみしそうな表情をしている。
「でも、姫。これだけはわかって。姫は特別な人なんだ」
彼の言葉に失笑する。
「わかってるよ。わたしは普通の人間ではないことくらい。今言ったではないか」
致命傷があっという間に消え失せるなど、普通の生き物ではあるまい。
しかし、夜呂はムキになって、半ば怒鳴るように言った。
「ちがうよ!おれや高安にとって、姫は特別だって言ってるんだ!」
荒い息を整え、つづける。
「姫はおれたちにとって、大切な人だってことだ。友達だろ?」
「とも、だち……?」
はじめて意味を持った単語。
わたしはただ口を開け、出ない言葉にもどかしさを募らせるばかり。
特別な、人。
それは彼らの心にとって、大切だということ。
よくわからない、わたしにははじめての感情。
それが胸の内に広がりをみせる。
ああ、うれしいのかと気づいたころには、すでに顔はほほえんでいた。
「ありがとう」
心から言えた言葉。
夜呂は顔を赤く染め、目をそらした。
おもしろい、奴。
そして、そう思った瞬間に悲しくなった。
彼らとの別れが、ひしひしと身に染みるように感じられ、心臓がぎゅっと縮み込んだのだ。
苦しくて、顔が険しくなる。
なにか言いたいのに、なにも言えない。
彼らと離れたくはないが、それはできぬ相談である。
彼らを拘束することなど、わたしにはできないから。
「夜呂、帰るだろ?」
わたしは意地悪だ。
彼を困らせる。
わざと尋ねたのだ。
彼はちょっと眉をひそめただけで、なにも言わない。
わたしは彼の手に自らの手を重ねた。
「ひ、め……?」
目を大きく見開き、仰天したように顔を上げる夜呂。
わたしはクスリと笑った。
「ごめん、わかってるよ。夜呂と高安は帰るんだ」
そう、わかっていること。
だからどうか、この胸の締めつけは忘れたくない。
きっとこれが寂しさという感情。
「世話になったな」
夜呂の後ろで座っていた高安が、おもむろに立ち上がってそばまできた。
「おれたちは国を再興させてみせるよ。夜呂なら、きっとすばらしい王になれるはずだから」
やさしそうにほほえむ高安をはじめて見た。
この人も、こんな風に笑うのだ。
「姫……おれ……」
夜呂はどこか思いつめた表情をしていたが、やがて唇を噛み締めて顔をあげた。
その眼には、闇も迷いもなくて、わたしにはきらきらと光が放っているように見えた。
「おれ、国を平和にしたら、必ずあなたを迎えにくるから」
はっきりと響く、彼の声。
自分の耳を疑う。
また、会えるということなの?
わたしはあなたに、再び会えるの?
心臓がさらにぎゅっとなり、悲鳴をあげた。
これは、歓び。
わたしはカラカラの喉から声を絞りだす。
「……ありがとう」
チラリと高安を盗み見たが、彼も微笑を浮かべていた。
彼なら、夜呂がわたしを迎えにいくと言えば必ず止めるだろうと思っていたのに。
そんな危険で面倒なこと、させないと思ったのに。
意外だった。
それに気づいたのか、フッと高安は笑って言った。
「おれはこの屋敷を不気味だとは思うが、あんたのことはちがうよ。」
夜呂はそれを聞いて、顔に笑みを広げた。
別れはさみしいけれど、またいつか会える。
それがどれだけ大きいことなのか、はじめて知った気がした。
まだまだ屋敷の謎はあるが、それでもきっとなるようになるんだ。
ただ覚悟を決めて、来るべきときが来るのを待っていればいい。
そう思った。
『ダメだ』
その夜、喜助は不機嫌そうに唸った。
わたしははじめて彼に怒りにも似た感情を覚える。
「どうして夜呂と高安を解放してくれないの?」
わたしの問いに、喜助はせせら笑って答える。
『元はと言えば、そいつらがこの屋敷に近づいたことが悪い。姫、よく考えろ』
喜助は今にも飛びたとうとしている。
だめだ。
喜助を説得しなきゃ、夜呂と高安はこの屋敷から出られない……
「どうしても、だめなの?」
『ああ、ダメだ』
喜助は束縛されない、自由な鳥。
自分の言うことしかきかない、自尊心の高い鳥。
脅しなんてきかないのだろうとわかっていたけれど、そのときのわたしには他に手段がなかった。
「ならば、わたしはこの屋敷から出ていきます」
静かに響き渡る声に、ゆっくりと烏は振り返った。
その眼が痛いほどわたしを射る。
知っている。
その視線には怒りと恐怖が入り混じっていることを。
朱楽の言葉が正しければ、わたしなしでは屋敷は存在できない。
そして――
喜助の反応から、彼は屋敷にひどく執着している。
『姫――おれを脅すのか?』
冷たい声が言う。
『おれを裏切るのか?』
はじめて感じる、殺意にもとれる怒りと恐怖。
けれどわたしはひるむことなく言ってのける。
「裏切りは裏切りしか生まない。わたしはあなたを裏切ることはない」
ごくりと生唾を飲み込む。
そのとき、はじめて喜助の顔に変化が表れた。
目を大きく開き、その目は驚きに揺れていた。
「喜助、わたし、あなたを慕っているわ」
たとえ裏になにがあろうとも、この十数年、わたしを守ってくれたのは喜助だから。
「夜呂と高安を解放してあげて」
わたしの言葉に、烏はゆっくりと頷いた。
次で第一部は終了します。
あとひとつ、がんばってください!^^