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笑い声がする。
あれはわらべ歌。
なつかしい、においがする。
あたたかくて、ふわふわしている感触は、なんだか安心する。
きれいな、落ち着いた声がする。
あれは子守唄。
なつかしく、愛しい(カナシイ)、唄……
声がする。
響く、深い声音。
ああ、なつかしいね。
会いたかったよ……
川のせせらぎも、海のソウダイさも知らない。
ただただ、山の深い静けさと、羽音に耳をすませていた。
ねぇ、貴方はだれ?
ずっとわたしから離れない、記憶の欠片の貴方はだれ――?
ふふっと、思わず笑みがもれそうになった。
夜呂の気配がする。
わたしを包んで離さない、あたたかな気配が。
悔しいことに、目が開かないし、耳もよく機能していないようだ。
口を開くこともしんどい上に、言葉は出てこようとしない。
こんなに体力と精神力を使うなら、いっそ息をすることさえ止めてしまいたいと思ってしまう。
意識――というか、感覚だけは妙に冴えていた。
気配が驚くほどはっきりと読み取れるのだ。
すこしだけ、生きている実感がした。
ややあって、夜呂の声が聞こえてきた。
「なあ、これはなんなんだ?姫は不死身なのか?」
朱楽はおかしそうに笑い、小ばかにしたように言う。
『ばかだね、人間は本当に馬鹿。不死身なんてものは、人間にはありゃしないさ』
「じゃあ、どうして姫の傷は癒えたんだ?」
食い下がり、彼は声を大きくする。
『詳しくは言えない。知らないと言ったほうがいいかもしれないけれどね』
朱楽はなおもからかうように羽をばたつかせ、一向に夜呂の満足する答えを言おうとしない。
見かねた様子の高安が、ゆっくりと探るように目を走らせた。
「ここはなんなんだ?この屋敷、人間の造ったものだろう」
まっくらな屋敷。
しかし、とてもていねいな、頑丈な、優雅ですばらしい大きな屋敷。
烏に造れるはずもなかった。
「不気味だ。虫唾が走るね……」
「高安!かくまってもらっているんだから、そんな言い方はやめろ」
夜呂は高安を制止した。
彼はフンと鼻を鳴らし、黙り込んで朱楽を睨むことに専念しはじめた。
睨まれている烏は嘴をカチカチ鳴らし、うれしそうに笑った。
『気に入ったよ、高安とやら。お前は勘がいいね』
突然の言葉に、夜呂も驚いて烏を見やる。
『いいさ、教えてあげるよ。アタシもこの屋敷は気味悪いのさ』
朱楽はケラケラと笑った。
『この屋敷を建てたのは虎狼の人間。姫はそいつの呪いを受けているってワケ』
「呪い?」
『そう。この屋敷は姫なしじゃ存在できない。姫はかわいそうな人間の生け贄』
烏の声は、無常にも響き渡った。
彼女はもうなにも言おうとしなかったし、夜呂も高安も言葉を失ったように口をつぐんでいた。
やがて、消え入るような声で夜呂が問う。
「……どういう、ことだ?姫は……わけがわからない」
しばらく、朱楽は少年の黒々とした眼を見つめていた。
『もう、教えられない』
そう言うと、意地の悪い笑みを浮かべ、烏は飛び立った。
夜呂は力が抜けたようにその場に座り込み、高安はただじっとして動こうとしない。
それぞれに自身の思うことを考えているようだ。
わたしはただ、その成り行きを感覚として、見て、聞いていた。
どうしろというのだ?
虎狼の人間の呪い。
わたしは呪われているのか?
ただ、現実として厳しかったのは――
やはりわたしは、人間なのだということ。
わたしは、人間の生け贄なのだ。
昔から、ずっと孤立していた気はあった。
喜助も母も父もやさしかったけれど、それはきっとわたしが烏じゃないからだ。
なにか、『特別』がわたしにはあるからだ。
朱楽の話からすると、わたしが屋敷の主になったことにもなにかの意味があるように思われる。
これは偶然なんかじゃなかった。
わたしは屋敷の主になる運命だったのを、喜助がさも偶然のように仕向けたのかもしれない。
本来ならば、主は喜助。
譲ってくれたのは情けからではないかもしれないのだ。
喜助はなにを知っているのだろう。
なにを知り、なにを解り、わたしをどうしようというのだろう。
わたしは屋敷の主だけれども、大勢の烏たちはきっと認めていない。
彼らは喜助の命令は絶対でも、わたしの命令には従わない。
簡単に、裏切るだろう。
ならば、どうしてわたしが主になる必要があった?
屋敷はわたしがいないと存在しないと朱楽は言っていた。
つまり、そんな『大切』なわたしの命令に逆らうやつらは、きっとなにも知らないのだということ。
情けで主になった、かわいそうな人間だと思っているということ。
わたしも今までそう思っていた……
真実を知るのはだれなのだろう。
喜助か?
朱楽か?
まだわからない……
わかりたくないのかもしれない。
「でも、姫は姫だよ……」
ふと、夜呂の声が耳に届いた。
わたしは目をつむりながら、彼のほほえみを思い出す。
「ああ、そうだな」
高安が静かに答えた。
姫は姫。
わたしはわたし。
ぎゅっと拳を握りしめ、身体の自由がきくようになったことを確認する。
大丈夫、真実は怖くない。
そう自分に言い聞かせ、わたしはそっと目を開けた――。
姫ってきっと、すごい人なんだなぁ笑
恋愛も入ってくるといいよね、このハナシ。