ホワイトチョコの贈り物@芹沢斎
十二月ともなれば、朝はかなり寒くて布団から中々、出られない。
枕元でピピピと小鳥の甲高い囀りが聞こえてきたけれど、手探りでそれを止めて、もぞもぞと布団の中へ……。
いけない。いけない。こんなことしてるから、いつもギリギリになっちゃうんだよ。
勇気を振り絞って、そっと爪先を出してみる。朝の冷気に爪先を包み込まれ、温もりのある布団の中に逆戻り。
うー、だめだぁ。もうちょっと……ちょっとだけならいいよね。
「歩弥ー、起きてるかー! 二度寝してっと、遅刻するぞー」
早朝から元気な声が、窓を通じて室内に響いた。
小鳥の囀りとは比べ物にならない、絶対的な効果があるモーニングコール。
歩弥は飛び起きて、窓へ足を向けた。 カーテンをシャッと開け、続いて窓を開ける。
外の空気は当然、部屋よりも凍えるほど冷たい。頬がヒリヒリする。
「都筑、朝から声大きいよー」
寒さに身体を震わせながら、眠たい目を擦る。
歩弥の視線の先には、既に制服に着替え完了の都筑が隣家の二階、自室の窓枠に手を掛けて立っていた。
「俺が声かけないと起きないだろ。ほら、早く支度しろよ」
「はーい。……あ、いつもありがとね。都筑」
「おう」
窓とカーテンを閉め、歩弥は覚悟を決めて、バッとパジャマを脱ぐ。少しでも熱を逃がしたくなくて、急いで制服に着替えた。
これが、水野歩弥と溝上都筑のいつもの光景だ。
「ごめん、待たせた?」
朝食を済ませ、高校に行く準備を整えた歩弥は、玄関を出た。
隣家の門前には、先ほど自分を二度寝という魔の誘いから救い出してくれた
都筑が待っていてくれた。
「さっき、出たばっか。行こっか」
「うん」
歩弥と都筑は、所謂幼馴染みだ。その付き合いは幼稚園の時からで、歴史は長い。たまに喧嘩もするが、それなりに仲良くやっている。
変わらない、ふたりの関係は歩弥にとって自然で当たり前で、でも大切なものだ。
「そういえば、母さんが張り切ってた。今年もやるんだと、ホームパーティー」
「毎年恒例だもんね。水野家と溝上家合同クリスマスイベント! うちのお母さんたちも楽しみにしてるみたい」
「帰ってから、準備に付き合わされるこっちは、大変だっての」
「一年に一度なんだし、そう言わずにさ」
通学路を歩きながら、歩弥は両手に息を吹き掛ける。吐く息は氷のように白い。
「あれ、手袋どうした?」
「それが、落としちゃったみたいで……」
「ったく、なにやってんだよ。ほら」
仕方ないなという表情をしながらも、都筑は自分がしていた手袋を外して歩弥に差し出す。
「え、いいよ。都筑が寒いでしょ」
「俺は、平気。霜焼けになったら大変だろ。ほら、しとけよ」
「……ありがと」
歩弥は素直に、都筑の好意に甘えることにした。
学校に到着すると、これもまたいつもの光景。
昇降口前に、人だかりができていた。
「安曇野先輩だよ!」
「あー、はいはい。行ってこい」
「うん」
安曇野渉。歩弥たち先輩であり、モデルをこなす学校一の人気者だ。
「おはようございます。安曇野先輩」
「おはよ、水野」
爽やかな渉の笑顔に、歩弥の心臓はきゅうっとなる。
この笑顔だけで、今日も頑張れるよ!
人気者の渉が歩弥の名前を覚えてくれているのには、ちゃんと理由がある。ふたりは同じ図書委員で、昼休みや放課後、何度か一緒に当番したことがあるからだ。
歩弥は渉に会釈すると、昇降口で上履きに履き替えて教室へ向かった。
「おはよー」
「おはよう」
歩弥は、すれ違うクラスメイトたちと挨拶を交わす。
自席へつく前に、
「都筑、手袋ありがとね」
借りたままだったと、手袋を都筑に返す。
家が隣なら、クラスも同じで席は後ろ。どこまで、縁は深いのだろう。
「あー、それ持ってていいよ。寒いだろ」
「でも……」
「いいから。な?」
「うん」
「おっはよー!」
『痛っ!』
バンッと歩弥たちの背中を勢いよく叩いて挨拶してきたのは、松樹千佐だ。
歩弥とは高校生になってからの友達で、自然と都筑とも仲が良い。
「ごめん、ごめん。ちょっと、力入りすぎちゃった。安曇野先輩、今日も大人気だねー。下、まだ人だかりできてるよ」
「こいつは、その人だかりに参加してたな」
「だって、安曇野先輩、かっこいいもん」
「まあねー。確かに先輩、かっこいいし優しいから。そこが、女子に人気なわけだわ」
「そういう松樹は、興味なさそうだよな」
「すべての女子が安曇野先輩好きだったら、人類崩壊の危機ってもんだよ」
チッチッチッと人差し指を振って、至極当然というように千佐は言った。
チャイムが鳴って、廊下に出ていた生徒たちも教室に入って来る。ほどなくして、担任が扉を開けて教室内に。
一日の始まりを告げた――。
放課後、歩弥と千佐は隣町にあるショッピングモールを訪れていた。
「どれにしよっかなー。これもいいな。あ、こっちも良さそう。ね、どっちがいいかな?」
両手に持ったマフラーを見比べて、千佐に意見を乞う。
歩弥が持っているのはメンズもののマフラーだ。
「左手のストライプのやつが、似合いそう」
「そうだよね! うん、こっちにしよう」
自分でも納得して、レジに持っていく。
会計を済ませ、クリスマス仕様にプレゼント包装してもらって、千佐の所に戻った。
「ありがと。付き合ってくれて」
「いえいえ。歩弥の恋愛成就の為ならいくらでも」
「え……誰と誰の?」
「歩弥と溝上くんに決まってるじゃない」
「ちがっ……! 都筑のことは、好きは好きだけど、恋愛のじゃないから」
パタパタと手を振って、全力否定。
「じゃ、安曇野先輩?」
「それも違うってば。先輩はかっこいいけど憧れの存在。都筑は大事な幼馴染み。ね。お茶でもして帰ろうよ」
「そうかなぁ?」
「そうだよ」
納得できていない千佐を引っ張るようにして、カフェに向かった。
翌日の昼休み。
今日は久しぶりに、安曇野先輩と図書委員当番。
あの横顔眺めてるだけで、幸せなんだよね。
図書室の扉を開ける。ここの空気は好きだ。独特な静けさが室内を包んでいる。この雰囲気に少し緊張もするが、それもまた心地いい。
「よろしく。水野」
「よろしくお願いします」
カウンターの椅子に腰掛け、挨拶を交わす。
「水野と当番、久しぶりだな。あ、この本オススメ。面白いよ」
「ファンタジーですか。好きなんです。早速、借りますね」
渉とは本の趣味も合う。当番が一緒になった時、互いに面白と感じた本について語る。こんな時でもないと、話せないのが残念なくらいだ。当然、場所が場所なだけに、遠慮がちになってしまうけれど。
「先輩、モデルのお仕事どうですか?」
「順調だよ。それなりに面白いし」
「クラスの女子が、先輩が載ってる雑誌見てますよ」
「そうなんだ。な、水野さ。クリスマスって用事ある?」
「え?」
「もし、都合よかったら放課後、一緒に映画でもどうかなって」
「えっと……あの」
突然のお誘いに、頭の中が真っ白になる。上手く思考が紡げない。
「考えといて。明日、返事くれたらいいからさ」
そう言い残し、渉は返却された本を棚に戻しに席を立った。
憧れの先輩からのデート? のお誘い。でも、クリスマスは……。
「いいんじゃねーの。こっちは上手くやっとくから、先輩と映画見てくれば? その代わり、夜のパーティーには間に合うようにしろよ」
思いがけない都筑の回答に、少し戸惑ってしまう。てっきり、反対されると思っていた。だって、クリスマスは昔からの恒例行事、大切な日だから。
「うん。夕食までには、戻るね。ありがと、都筑」
そう言いながら、胸中に湧いたモヤモヤがとれないでいた。
なんだろ。この変な感じ………。
止めて欲しかったのかな。
クリスマス当日。
今日は、いつも以上に寒い。
ピピピと小鳥の囀りのような目覚ましがいつものように鳴り響く。
歩弥は手を伸ばし、目覚ましを止めた。珍しく、布団から出る。冷気が身体を覆うが、余り気にならない。
眠れなかった……。
憧れの先輩と映画に行けるというのに、歩弥の心は晴れない。
「歩弥ー、起きてるかー!」
いつものように、都筑のモーニングコール。
ガラガラっと窓を開けて、都筑の顔を見た。彼は、いつもと同じ笑顔を浮かべている。
「おはよー」
「おはよ。二度寝すんなよ。じゃ、また後でな」
「はーい」
重い気持ちで、歩弥は制服に着替えた。
朝御飯を食べて、学校までの道程を都筑と歩く。
「今年は、歩弥のお母さんがケーキ担当だっけ」
「ブッシュドノエルに挑戦するって言ってた」
「楽しみだな。母さんも朝からはりきってる」
都筑は普段と変わらない。
今年は、クリスマスの準備を手伝えないかもしれないのに。今まで、一度も途切れたことがなかったのに――
昼休み。いつもは、お弁当なのだが今日は、朝から母がパーティーの準備で忙しい為学食だ。
「千佐。どうしたらいいかな」
「どしたの?」
「実は昨日、安曇野先輩から映画に誘われちゃって。まだ返事してないんだけど」
小声で事情を話す。誰かに聞かれるのは、まずい。渉は人気モデルだ。その彼が特定の女の子とデートだなんて知れたら、大騒ぎになってしまう。
クリスマス限定ランチを食べながら千佐は、
「簡単に考えたら?」
「どっちと一緒にいたいのか……ってこと」
クリスマス……隣にいて欲しいのは、都筑? それとも安曇野先輩?
「……ありがと、千佐。デザート食べていいよ。図書室行ってくる!」
「はいよ」
限定ランチ付きのティラミスを千佐にプレゼントして、図書室に急いだ。
まだ、昼食時間ということもあり、図書室に生徒たちの姿はなかった。
カウンターにいたのは、渉だけだ。
「水野? 早いな」
「……先輩、ごめんないさい。今日の映画、一緒に行けないです。クリスマスは、家族と……じゃなくて、一緒に過ごしたい人がいるから」
「……そっか。残念だけどしかたないな」
苦笑する渉に、ペコリと頭を下げて歩弥は図書室を後にした。
「よかったのか? 安曇野先輩からの誘い断って」
歩弥たちは、息を凍らせながらも庭に出ていた。
家の中では、両親たちがワイン片手に談笑している。
「いいの。だって、今日一緒にいたいって思うのは、都筑だから」
「え……」
「違うよ! そういうのじゃないからって、あれ否定するのも違うかな。と、とにかく、これ。クリスマスプレゼント!」
「お、おう。俺からも……クリスマスプレゼント」
包装をほどいてみると、ホワイトチョコ色の手袋があった。
「あったかそう。都筑、大事に使うね」
「俺も。早速、使うわ」
そう言って、都筑はストライプのマフラーを首に巻いた。
「正直、ホッとした。今年も一緒にクリスマス過ごせて、嬉しいよ」
「わたしも……。来年も一緒に過ごそうね」
紺色の夜空から、ふわりふわり……雪が舞い降り始める。
ふたりをつつむクリスマスは、あたたかい。