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Noisy Toy Present!  作者: なろうサンタクロース協会
Noisy Toy Present!
3/30

僕に触れないで雪村さん!@裏山おもて



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



 ――雪村花には、秘密がある――



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



「……ねえ、触ってもいい……?」


 布団にくるまっている俺に、少女が首をかしげてにじり寄ってくる。


「待て雪村……いまだダメだ。いまは、絶対に、ダメだ!」

「ちょっとでいいの。ねえ熱田。ちょっとでいいから……ね?」


 逃げる俺は、ベッドの隅に追い詰められていた。

 小柄な少女――雪村が伸ばしたその手は、無情にも俺の布団をはぎとっていく。抵抗しようにもうまく力が入らない。高熱のせいか、それとも雪村のせいかはわからない。ただ気付いたときには、小さな同級生に押し倒されていた。

 

「ゆ、雪村やめ――」

「えい」


 ぴとっ、と雪村の手が、首筋に触れたその瞬間。


「――――っ!」


 俺はの視界は、ブラックアウトしていった。



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄


 

 雪村(ゆきむら)(はな)は転校生だ。


 半年前にこの街にやってきた。

 転校してきてすぐ、雪村のクラスでの立ち位置は、教室の隅でじっと本を読む小柄な少女で定着した。肌が白く、声は小さい。何か話しかけても、「うん」「わかった」とか無愛想に反応するだけ。


 最初のうちは誰もが雪村のことを気にしていたけど、そういう子だと知ると、みんなすぐに離れていった。転校生の雪村さんは話しかけてもおもしろくない……そんな空気は言葉にしなくても広がっていった。


 俺が雪村とはじめて話したのは、夏休みも直前のころ――雪村が転校してきてから、二ヶ月が経とうとしていたころだ。


 生徒会の書記にいきなり任命されて多忙だった俺は、それまで雪村のことを気にしている余裕なんてなかった。あまりしゃべらない転校生がクラスにいる……そんな認識のまま、夏休みにさしかかろうとしていたときだ。


 体育は、女子がプールで男子がサッカー。


 走っていて足首をひねった俺は、途中で授業を抜けて保健室へ向かった。捻挫にはアイシングと決まっているから、氷を貰おうと思ったのだ。

 あいにく保健の先生は留守にしていた。鍵があいていたからてっきりいるだろうと思っていんだけど、そこにいたのは、小柄なクラスメイトだけだった。ベッドに座って本を読んでいる少女だった。


 雪村花。

 保健室に入ってくと、雪村はちらりと俺をみた。

 視線は一瞬。すぐに本に目を戻す。


 俺は先生がいないことを確認して、雪村に聞いた。


「……サボりか? プールは?」

「休んだ」


 サボりだろう。体調が悪いようには見えないし、見学もしていないようだ。

 初めての会話にしては簡素だったが、お互い名前くらいしか知らない相手だ。いくらクラスメイトだからって仲良くする義務はない。それ以上話しかけることなく、救急箱を取り出して湿布を貼ろうとしたのだが……


「空箱かよ」

 

 湿布はなく、冷凍庫には氷もない。

 じんじんと腫れる足首をクールダウンする手段が見当たらず、俺が小さくため息をついたときだった。


「……冷やしたいの?」


 雪村が感情の籠っていない目で、俺を眺めていた。

 噂通り、表情のないやつだ。その目で見られてあまり居心地はよくなかったけど、無視するほどでもない。ガサゴソと救急箱を探りながら返事をする。


「ああ。捻挫したんだよ……」

「そうなの」


 雪村はそう小さくうなずいたあと、首をかしげて言った。


「目、閉じててもらえるなら、手伝うけど」

「そうか? んじゃ頼む」


 冷やすものを探してくれるのかと思って言う。もしくは職員室にまで走っていって、保健医を呼んできてくれるものだとばかり。

 ただ雪村は首を振って、


「目、開いてる」

「ああ……」 


 なぜ目を閉じる必要があるのか気になったけど、それよりも足首の痛みが増してきたから、言うとおりにする。

 視界が真っ暗になり、保健室の扉がぴしゃりと閉じられた。職員室に行ったのだろう――と思ったときだ。


 ぴと。


 足首に、なにやら冷たい感触があった。

 氷のような冷たさに身震いしてしまう。

 驚いて目を開くと、俺のすぐそばで雪村がかがんで、手のひらで俺の足首を包んでいた。


 なにをしてるんだ、こいつは――


 冷え症なんてものじゃない。雪村の手の冷たさは異常だった。

 でも冷たい。すこしずつ足首の痛みが和らいでいく。


 しかしそれと同時に、なぜか体が震えてきた。

 歯がガチガチと音を立てる。寒気がする。


「ちょ、雪村っ!」


 思わず、雪村から離れた。

 

「……目、閉じててって言ったのに……」


 とくに残念そうでもなく、雪村はため息をついた。

 不思議なことに足首はすぐに治った。痛みも腫れも、すべて雪村の手が吸い取ってくれたみたいに、あっというまに完治してしまった。

 震える体をさすりながら、俺はグラウンドへと戻った。


 なぜかその夜、俺は風邪をひいて寝込んだ。


 そしてその日から、俺はよく風邪をひいている。



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



『熱田先輩、お兄ちゃんに聞きましたよ。また風邪ですか? 大丈夫?』


 電話から聞こえてきた声に、俺は「あー」とうなずいた。


『いいですか? 毎日ちゃんと栄養とって、はやく寝てくださいね。そろそろ冬も本格的になってくるんですから、このままじゃ風邪で死んじゃいますよ? 冬も越せない病弱な体に育てた覚えはありませんからね!』

「ああ……たしかにおまえに育てられた覚えはないな」


 熱田というのは、俺の苗字だ。

 生徒会書記になったのは六月の末。それまで書記をしていた先輩が病気かなにかで長期入院になるということで、俺が代わりに書記に任命された。生徒会長とは幼馴染だったことと、とくに部活に入っていなかったこともあり、ほとんど無理やりに生徒会の腕章を押し付けられた。

 電話の相手は生徒会長の妹だ。こいつとも、昔からの知り合いだった。


『大根ですら厳しい冬を越すんです。先輩がこんなところで風邪死にしたら、熱田家は末代までうしろ指差されて笑われますよ! あいつの一族は大根以下だ! って』

「死なないから安心しろ。じゃあな、切るぞ」

『そもそも先輩は自己管理を怠りすぎなんですよ! いくら両親が家にいないからって外食で済ませてばっかりで、たまには野菜も食べてください。美味しいですよ、大根。ほら大根たべて下剋上してください! 冬の下剋上!』

「切るぞ」

『いざ、大根を打ち滅ぼしにゆか――』


 ぶつり。


 ずるりと鼻水をすすって、電話を切る。

 心配してくれるのは嬉しい。この半年間でもう十五回は風邪を引いただろう。家の布団にここまで世話になる一年が来るとは思わなかった。

 でも、これが俺の体調管理不足というのは、すこし違う。

 

「……おまえのせいだぞ、雪村」


 俺は、部屋の隅でのんきにジュースを飲んでいる雪村を睨んだ。

 ぼうっとした表情で、首をかしげる雪村。


「……なにが?」

「なにがじゃねえよ。おまえが触るからだろ」


 数か月前、保健室で初めて話してから、なぜかこいつは俺につきまとってくるようになった。

 いつのまにか無表情に俺の後ろに立ち、ときどき「えい」と触れてくる。そのたびに俺の体温は奪われ風邪をひく。


 触れたものの温度を奪う女。


 それが雪村花だった。手は氷のように冷たく、霜のように白い。


 なんとも人間離れした怖ろしい女だが、なぜか邪険にはできなかった。最初に風邪をひいたときから、ちゃんと菓子折をもって見舞いにきてくれているからっていうのもある。

 まあ敵にまわして本格的に体温を奪われたら、風邪じゃ済まないから、ぞんざいに扱えないんだけど。


 とはいえ、意味もなく風邪をひかされるのはたまったもんじゃない。家族はあまり家にいないからいいとしても、そろそろ会長や会長の妹に理由を聞かれるのが面倒になってきた。


 雪村は小さく口を開いて、ぼそぼそとつぶやいた。


「……ねえ熱田……もういっかい触ってもいい?」

「ダメだ! いまはとくにダメだ死ぬ!」


 なんだろう、こいつは。

 ちゃんと見舞いに来るのは、まあいいだろう。そもそもこいつのせいで風邪をひいていることを考えたらむしろ良くないのだが、そこには目をつむってやる。

 だが、なぜこうも俺を苦しめるんだ。

 わけがわからない。


「……やっぱり、触ってもいい……?」

「なにがやっぱりなんだ⁉︎ やめろ雪村! その手で触るな! これ以上触られたら大根以下になっちまうんだ! やめ、やめろ雪む――――」


 じりじりと迫りくる雪村。その無表情が恐ろしい。

 ただ高熱の俺に、雪村の進撃は止められるはずもなく。


 つまり、冒頭に、戻る。



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



「熱田先輩!」

 

 二学期も最後の授業日だった。

 午前で授業を終え、翌日に終業式を迎えるその日の放課後、帰り道で会長の妹にでくわした。


「あのですねっ」


 なぜか声はうわずっていた。顔が赤い。風邪でもひいたのだろうか。


「……あの、しあさって、予定あいてますか?」


 三日後といえば、終業式の日だ。

 当然午前ですべて終わるから、午後からはフリー。

 もともとそれほど仲の良い友達がいるわけじゃない。遊びに行く約束もなければ、冬休みなんて基本はヒマだ。


「宿題以外の予定はないな」

「じゃあ、あ、遊びませんか⁉︎」


 まあいいぞ、とうなずきそうになって……思い出す。


「あ、ダメだ」

「予定あるんですか⁉︎」


 泣きそうになった会長の妹。


「いや。その日はたぶん……風邪ひいてるから」

「え?」


 そりゃ驚くだろう。

 風邪をひく予定なんて、スケジュール帳に書くものじゃないからな。

 でも確実に風邪をひく。間違いなく風邪をひく。


「……なんでですか?」


 だって、その前の日は雪村と出かける約束がるのだ。

 出かけるというより、バイトを手伝ってくれと頼まれただけだけど。

 しかしバイトとはいえ一日中雪村と一緒にいるから、あの雪村が触れてこないとは思わない。触れられたら風邪をひく。だから遊びの約束なんて、できるはずもなかった。


 ……とはいえるはずもなく。


「そんな気がするんだ。だから、すまんな」

「……そうですか」


 しょぼんとうなだれた会長の妹。

 なぜかすこしだけ、罪悪感だった。






 という感じで、雪村花とバイトに出かけたのは、二十三日のことだ。


 遊園地で働くと言われていたから、てっきり着ぐるみを着たり、ショーに出る悪役の雑魚でも演じるのかと思っていたが、雪村に連れて行かれたのはお化け屋敷だった。


 裏からお化け屋敷の建物にはいった。

 事務所のようなところで、雪村は慣れた手つきでロッカーから衣装をふたつ出すと、ひとつを俺に投げて、ひとつを持って更衣室に向かった。これに着替えろということだろう。タバコ臭い男子更衣室で、ボロ布のような衣装を羽織ってみた。衣装もタバコ臭かった。


 更衣室を出ると、事務所に『リーダー』と名札を胸につけた背の高い男が立っていた。鏡を見ながら眠そうにあくびをして、カバンを机の上に放り投げた。

 ボロ布を身にまとったまま出勤してきたのだろうか。俺と同じような衣装を着たまま、椅子に座りこんだ。


「……ん? おまえ誰だ?」


 そこでようやく俺に気付いたのか、睨むような視線で声をかけてくる。

 俺が口を開こうとすると『リーダー』の男は先に納得した。


「ああ、臨時のバイトか。今日はよろしくな」

「あ……はい。熱田といいます」


 無愛想に手を差し出してきた男に応じる。


「そうか熱田。俺はリーダーだ」

「え?」

「だから、俺はリーダーだ。よろしくな」

「……わ、わかりました。リーダーさん……」


 自己紹介はそれで済まされた。

 リーダーは満足したようで、「じゃあ化粧すっぞ」と俺の手をひいて『化粧部屋』と書かれた、やたら鏡が並んでいる部屋に入った。

 パイプ椅子に座らされて、俺は化粧をさせられる。まずは化粧水と乳液をつけ、その上からベビーパウダーをつける。その上から顔全体にまんべんなく白粉(おしろい)を塗る。真っ白になった顔に、黒やら緑やら赤やらのよくわからない染料をぬりたくり、ゾンビのような表情にさせられた。


「ん、なかなかいいじゃねえか。素質あるぜお前」


 リーダーはうんうんとうなずいて、自分の化粧を始めた。喜んでいいのかダメなのかいまいちわからない言葉だな。

 ただ、それでようやく、俺はお化け役のバイトに誘われたことを確信した。


「……雪村のやつ、最初から言えよな」


 ぼやきつつ、事務所へと戻る。


「あ」


 視界に飛び込んできたのは、白だった。


 白襦袢の少女が、部屋の隅にぽつんと立っていた。

 銀色にも見える真っ白な長い髪に、細い腰に巻きついた白い服。不健康なまでに白い肌。ただ唇だけはやたらと赤い。

 まるで本物の雪女のようなその姿に、一瞬、見惚れかけて、


「……熱田、似合う……」


 抑揚のない平坦な声。

 雪女が雪村だと気付いて、俺は頭をぶんぶんと振った。


「それ、褒めてないから」


 俺は苦笑して、そう返しておいた。






 バイトは思ったよりも重労働だった。

 俺に割り振られたのは〝棺桶の間〟で、客がくるたびに棺桶の蓋をあけて身を乗り出す。その蓋っていうのがリアルに作られていてけっこう重くて、午後になるころには腕がパンパンに膨れていた。

 お化けの化粧をしたまま、遊園地の従業員食堂で飯を食う。

 なんとも妙な心地がしたけど、いつもの光景らしく、周囲の従業員はまったく意に介していなかった。


「……雪村、おまえこんなバイトやってたんだな」

「うん」


 こくりとうなずく雪村は、熱そうにしながらもうどんを食べていた。俺はハンバーガーセットだ。どちらも三百五十円と、かなり安い。


「休日はいつもバイト。わたし、親いないし自分で学費稼がないとだから」

「……そうなのか」

「うん」


 さらりと言った雪村に、俺は閉口する。

 初めてのバイトがこれだったことに文句を言ってやろうと思ったが、とてもじゃないが言いだせなくなってしまった。

 とはいえ雪村は気にすることなく、


「ここに引っ越してきたのも、親戚同士がわたしを押し付け合った結果。いまは父方の叔父の家にいるけど、またいつ引っ越すかもわからないし」


 なんとも思ってないような顔だった。


 ……いや、違う。

 雪村は転校してきたその日から、そんな顔しか見せていない。なにも気にすることがないような、どこか一歩引いた、澄んだ表情。


 ただそのときは、その目のなかになにか言い知れぬ感情がかすかに揺らいだのを、見た気がした。気のせいかもしれないけど、俺はとっさに聞いていた。


「おまえは、それで嫌じゃないのか?」

「ううん」


 雪村は首を振った。


「わたし、触れたらなんでも凍らせちゃう雪女だもの。邪魔者扱いで当然じゃない?」

「…………。」


 俺はその問いに答えることはできなかった。

 午後は、あまり集中できなかった。



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



 バイトが終わると、俺たちはそのまま帰路についた。

 思ったよりも給料は良くて、臨時収入としてはかなり嬉しい。

 こんな時期にいきなりバイトに入ってくれたお礼に、とリーダーがさらに遊園地のチケットをくれた。裏の有効期限を見てみると今年いっぱい――つまりあと一週間だったけれど。


「ねえ熱田……触っていい?」


 横を歩く雪村が、いつものように聞いてきた。

 予想してたとおりの言葉に「嫌だ」と条件反射で口を開きそうになる。嫌といったところで雪村は止まらないんだけど、それでも抵抗を示すくらいはしておいたほうがいい。自分から風邪を引こうなんて思えないし。


 けど、開きかけた口を閉じて、俺は雪村の頭をくしゃりと撫でた。


「ん」


 小さな声でうめく雪村。

 雪村の髪に触れたとたん、みるみる自分の体温が下がっていくのがわかる。抵抗力が落ち、体がぶるぶると小刻みに震えてくる。この数カ月で何度も経験した感覚。

 雪女に体温を奪われる感覚。


 でも、まだ離さない。


「……熱田?」


 親戚にたらいまわしにされていた。

 転校だって初めてじゃなかっただろう。


 それだけで同情しようとは思わない。こいつに触れただけで風邪をひくのだ。そんな危険な子ども、預かりたい大人なんていないだろう。

 雪村もそれをわかってるし、俺だってそれくらい想像できた。


「…………熱田」


 寒い。

 どんよりと曇った冬の夜。ただでさえ寒いのに、今日はマフラーを家に忘れてしまった。


 でも。

 雪村はもっと寒かっただろう。

 いや、いまでもずっと、寒いのだろう。


「……熱田、もういい……それ以上は、熱田が死んじゃう……」


 頭が重たくなってきた。

 足も痺れてくる。

 なんだか眠たくなってきたのも、たぶん気のせいじゃない。


「……死にたいの? はやく離さないと、死んじゃうよ?」


 雪村は、ほんの少しだけ不安そうな顔をしていた。

 もしかして、雪村が初めて見せた表情だったのかもしれない。


「……なんでなの? わかんないよ熱田……わたしのこと、気味悪くないの? どうして一緒にいてくれるの? なんで……わたしが触っても怒らないの? 嫌いにならないの……? おかしいよ熱田……わたしみたいな雪女、嫌いになるのがふつうだよ。それがふつうなのに、どうして熱田は……………………わたしに、触れるの?」

「ちがうんだ雪村」

 

 俺はへろへろと笑った。


「力入んねえんだ。おまえが離してくれ」

「…………バカ」


 雪村は俺に直接触れないように体を離すと、倒れかかった俺を支えて、歩き出した。

 小さな体で俺を支える雪村。自業自得だとはいえ、さすがに寒すぎる。はやく風呂に入らないとヤバいのはわかる。


「……もう、嫌いになった?」

「なに言ってるんだおまえ。あしたも見舞い、来てくれるんだろ?」

「……同情なんかしないで」

「アホか」


 同情なんかじゃない。

 俺はたぶん、この雪女のことを気に入ってしまっていたんだ。


 数か月前の保健室で、嫌われるかもしれないとわかっていながら俺の足首を治してくれたこいつのことを、嫌いになるなんてできなかった。



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



 終業式の日は、やっぱり、風邪で寝込んだ。


 体がだるいのはいつもどおりだ。それだけじゃなくて、今日は頭が痛い。さすがに体温を下げすぎたのが良くなかったのか、手足がうまく動かない。凍傷の一歩手前だと医者が言っていた。さすがは雪村、十数秒触れるだけでこうなるとは予想以上だった。


 布団のなかでぬくぬく寝ていると、いつのまにか時計の針が正午を回っていた。

 そろそろ雪村が成績表を持ってきてくれるだろう。約束通りなら、見舞い品は学校近くの和菓子屋の団子のはず。あそこのお婆さんがつくる和菓子は、めちゃくちゃウマいのだ。


 そう思って待ってると、ピンポーンとチャイムが鳴った。

 家には俺しかいないのをわかってるのか、そのまま玄関の扉があいて、部屋まであがってくる。部屋のドアを開けて入ってきたのは――――雪村じゃなかった。


「先輩、やっぱり風邪ですか?」


 会長の妹だった。

 いきなりのことに驚いたが、手にゼリーが大量に入ったコンビニ袋を提げているのを見て、見舞いだとわかった。そういや会長には連絡していたから、こいつが知っているのも無理はない。

 でも、いままで見舞いに来たことなかったのに、珍しい。


「ああ……ただの風邪だ。見てわかるだろ」

「知ってますか? ただの風邪だと見るだけで見抜けるなんて、どんな名医にもできないんですよ」


 袋とカバンを放り投げて、会長の妹は俺の額に手をあてる。

 すこしだけ冷たい手のひら。心地いい。


「あらま……高熱ですね。温泉のぬるま湯とおなじくらいですかね? あ、なんか温泉入りたくなってきました。こんどお兄ちゃんも誘って、三人で温泉街にでも行きませんか? 箱根は近いから飽きたので、たまにはちょっと足を延ばして富士山の近くにでも行きましょう。静岡か山梨にでもいって美味しいものも食べましょう。そういえば山中湖のほとりにいい温泉があるらしいんですよね。学生なら五百円だって友達が言ってました。バスと電車でいきません? ねえ、先輩ってば」

「……用がないなら寝ていいか」

「用があるから来たんじゃないですか。バカなんですか先輩。あ、いやバカは風邪ひかないんでしたっけ? なら、バカっぽいんじゃないんですか先輩? ですね」


 会長の妹が呆れたように言う。

 用があるならさっさとしてほしいものだ。こちとら病人。おしゃべりに付き合ってるような体調じゃないんだが。


「はい、これ」


 と、出してきたのは成績表だった。それ以外にも、冬休みの注意書きやら、三学期の予定表、あとは地域のチラシなどなど。

 雪村に頼んでいたものだった。


「……おまえ、これ……」

「背の低い先輩に渡されました。ほら、熱田先輩とよく一緒にいるあのひと。……家に来るように頼むなんて、ずいぶん仲良いんですね」

「……雪村が? なんで?」

「知りませんよ。なんか家の車が迎えにきてたっぽくて、大きな荷物抱えてましたよ? どこか旅行にでも行くんじゃないですか?」


 旅行?

 親戚との仲はそんなに良くないはずだ。一緒に旅行にいくなんてありえないだろう。

 どうして……と首をひねりながら、成績表を開いた。


 そのなかに、一枚の紙が挟まっていた。

 簡素な白い紙だった。手のひらサイズのメモ帳を破いたような紙。

 そこに走り書きで、雪村の字が書かれてあった。



『ありがとう熱田。ばいばい』


 

「先輩っ⁉︎」


 俺は、毛布を抱えたまま、部屋を飛び出した。


 旅行じゃない。

 また、どこかへ引っ越すのだ。


 あいつは親戚のうちをたらいまわしにされている。次に行く場所が決まったのだろう。昨日の今日でそうなるとは考えてなかったけど、可能性はあったのだ。ずっと、その可能性のなかを生きている。あしたはどこにいるのかわからない。また知らない場所で過ごさないとならない。知らないひとに囲まれて過ごさなければならない。

 

 雪村はそうやって生きてきたのだろう。


 外は寒かった。

 空は灰色に曇っている。いまにも雨が降り出しそうだ。毛布だけ抱えて飛びだした風邪っぴきの俺には、ちょっと辛い気温。

 だけど、躊躇っているヒマはない。

 俺は雪村のことなんてよく知らない。どこに住んでいたのか、これからどこに行くのか。あいつがなにを思っていたのか、なにを考えていたのか。


 これを逃したら、一生会えないような気がした。


 それだけは嫌だった。


 重たい体に鞭を打って走る。

 親戚が車で迎えに来たと言っていた。けど、そのまま次のところまで車で送るとは思えない。雪村とはやく離れたいのなら、できるかぎり一緒にいる時間を短くしたいだろう。触れるだけで体調が悪化するなんて、社会で働く大人にとって、学生にくらべるとはるかに危険な存在だ。車という密室にはすこしでもいたくないに違いない。


 俺の足は、自然と駅に向かっていた。


 幸い、駅は俺の家からそう遠くない。

 まだ間に合うかもしれない。


「雪村……っ!」


 駅にはすぐについた。


 小さな街にある、小さな駅。

 改札がひとつしかない海辺の駅。タクシーの乗り場にタクシーが止まっているほうが珍しい駅だ。


 毛布を背負ったまま、俺は改札を飛び越えてなかに入った。


「…………はっ」


 ホームは無人だった。

 雪村の姿はない。


 ……そりゃそうか。


 とっくに学校は終わっていた。雪村がそのまま車でここに来たとすれば、もう一時間以上は経っているだろう。小さな街とはいえ、電車の本数はすくなくない。まだここにいる理由なんて……ない。


 ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。

 俺は濡れないように、屋根の下へ移動する。






「……熱田……?」






 聞き慣れた、感情のこもらない声。

 俺はハッと顔をあげる。


「……雪村……」


 大きな荷物を抱えた雪村が、後ろに立っていた。


「熱田、どうして……?」


 いつものように首をかしげる雪村。

 不安なのかわからない。

 喜んでいるのかわからない。


 ただ、その頬に涙のあとが浮かんでいた。長い時間どこかで泣いていたのだろうか。くっきりと浮かんでいた。


 よかった。まだいた。

 俺は息をついた。


「……さすがに、別れの挨拶くらい、させてくれ」

「…………。」


 なにかを言いたかったわけじゃない。

 ただ、そのまま別れるのは嫌だと思っただけだ。

 

 なのに、言葉はすんなりと口から出てきた。

 

「また引っ越すんだろ? どこかに行くんだろ?」

「…………うん」


 雪村はコクンとうなずいた。


「短い間だったけど、楽しかったぞ」

「……うん」

「風邪、それまで引かないようにするからな」

「……うん」

「おまえも体調には気をつけろよ」

「……うん」

「また会おうな」

「……うん」


 下を向く雪村が、いつもより小さく見えた。


「じゃあ、最後に聞いていいか雪村」

「……うん」

「どうして、俺に触れたかったんだ?」

「……あ、あの、ね……」


 雪村は、顔を逸らしたまま、震える声で答えた。


「……嬉しかったから。わたしが触れても、気味悪いって思わなかったから……何回風邪ひいても、怒らなかったから……避けようとしなかったから、誰かに言ったりしなかったから……熱田はわたしのこと、友達だって思ってくれたから……それと、それとね……熱田の肌が……」


 雪村は、小さく息を吸って――


「……あったかかったから。だから、もっと触れたいって、思ったの」


 ――微笑んだ。

 初めてみた雪村の笑顔。

 すこしだけぎこちない表情だった。あまり慣れていないのだろう。笑うことなんてないのだろう。俺も雪村を笑わせようと思ったことはなかった。

 だけどその笑みは、とても綺麗だった。


「……そうか」

「じゃあ、わたしも別れの挨拶、するね……?」


 微笑んだ雪村は、空を仰いだ。

 小粒の雨を落とすその空を見上げて、両手を広げた。


「――ありがとう――」


 すこしだけ、気温が下がった気がした。


 すぅっと、雨が白む。


 まっすぐに落ちてくる雨粒が、白くなって、そしてゆっくりになっていく。それがなにを意味するのかは、すぐにわかった。


 ……雪だ。


 雨が雪に変わっていく。

 透明で冷たい粒が、銀色の胞子になって降り注ぐ。

 



 雪の花が、この街の空に咲き渡った。




「わたしね、熱田のこと……好――きゃっ!」


 毛布があって、よかった。


 俺は自分と雪村の体に毛布を巻きつけた。肌と肌で触れ合わないように、体温を失わないように。

 ……でも、温かさは共有できるように。


「雪村。俺、おまえのことが好きだ」

「……ほんと?」

「ああ」

「……ほんとに?」

「ああ」


 雪村は嬉しそうに頬を染めて――ハッと、なにかに気付いて、顔を伏せた。


「……でも……ダメ」

「なんで?」

「だって、だってわたし――」


 雪女だから。


 彼女の口から漏れそうになったその言葉は。


「ん」


 俺の唇が、ふさいでいた。


「ん……んんっ!」


 雪村は一瞬、目を閉じかけて、慌てて離れようとする。

 俺の体温を奪わないように、離れようとする。


 大丈夫。

 大丈夫なんだ。

 雪村の体を離さないように、ぎゅっと力を込めた。


 おまえが口をつけたものは、温かいままだった。飲み物も、食べ物も、おまえが熱そうに食べていたことを知っている。俺はそう知っている。

 だから逃げなくていい。


 雪村の唇は、冷たくなんかなかったから。

 逃げなくていいんだ。


「…………ん」


 雪村はいままでそれを気付いてなかったのだろう。

 でも、ようやく悟って、体重を俺に預けてきた。


 柔らかい唇。甘い匂い。



 押し付け合うキスは、すぐにやめた。



 雪村は俺の背中に手をまわして、唇をついばんできた。いままで誰とも触れ合えなかった寂しさを埋めるように、必死に俺の唇を求めてきた。

 湿った唇が、気持ちよかった。


「ぷはっ」


 一度唇を離す。

 緊張してお互い息を止めていた。息継ぎをすると、こんどは雪村が俺の唇を吸った。

 頬が赤くなっている。甘えるように薄く目を開けて、より求めてくる。

 俺も雪村の腰に手をまわし、抱き寄せた。密着しながら唇を合わせる。ときどき、歯と歯がかすりあってカチカチと音を立てる。不器用なキスだったけど、気にならない。

 

 吸ったり、舐めたり、お互いの唇を弄ぶ。

 体温が下がるどころか、暑いほどにあがっていくのがわかった。

 雪村が歯の間から舌をすべりこませてきた。ぬめっとした、いままでで感じたことのない柔らかさが、俺の口の中に侵入してくる。少しだけ吸ってやると、雪村が「んんっ」と喘いだ。口を離すと唾液が糸を引いて落ち、毛布を汚した。それを見てふたりして笑って、また重なりあう。


 舌を絡みあわせて、唾液を混ぜあわせて、呼吸を溶けあわせて。



 雪が舞うなか、俺たちは互いを求め続けた。



 ❄ ❄ ❄ ❄ ❄ ❄



「……ねえ熱田……触ってもいい?」


 雪村花には秘密がある。


 新しい学校でも、雪村はやっぱり孤立しているらしい。

 友達はつくらない。教室の隅で本を読んでいるだけの静かな少女。触れたものの温度を奪ってしまう、小柄で無感情な雪女。

 ときどき会いにいくけど、やっぱり表情はすこし乏しい。


「ダメだ。また風邪ひくだろ」

「わかった。じゃあそのかわり……えい」


 雪村花には触れてはいけない。


 だけど、そんな彼女の唇があたたかいことは……俺しか知らない。


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