クリスマスの夜に@ren
「カースミッ! 何ボーってしてるの?」
「え、いや……別に」
小百合に突然肩を叩かれ、私はハッと我に返る。今日は12月20日……終業式だ。先ほどから先生が一人一人通知簿を配っていっている。私の名前は浦野でア行だからとっくの昔に呼ばれていて、今はただみんなが貰い終わるのを待っているだけなのだけど……。
「どーせ杉本のこと考えてたんでしょっ!」
「なっ……!」
小百合の鋭い指摘に、私はおもわず言葉に詰まってしまう。慌てて否定するものの、小百合は散々からかった後で先生に呼ばれて教壇へと向かった。
「……そんなんじゃないのに……」
私は一人そっと呟くと、机に突っ伏した。
私が杉本高志に惹かれたのはいつの頃からだったんだろう。秋にリョウに振られてから……特に接点などあるはずも無かったのに、いつの間にか私の目は杉本を追いかけるようになっていた。
それまでの私の中の杉本のイメージは最低で……顔は良いのに無表情で誰とも付き合いがなく、クラスでしゃべったこと無い人№1に輝く何を考えているのか分からないやつ。そんなとこだったろうか。
それなのに、気づいたら杉本のことを気にしている自分がいた。無意識でやってしまっているだけに、こういうことにかけては目ざとい女友達にはバレバレで……。今までは杉本のことを散々意味が分からないと言っていたくせに、今ではイケメンでミステリアスで、しかも競争相手がいない理想の彼氏だよ、というようになっていた。
勿論彼女達に悪意がないことは分かっている。……前回の失恋の時に随分と引きずっていたのを知っているからこそ、新しい恋に踏み込むのを恐れている私の背中を押してくれているのだ。それをありがたく思いながらも私は――。
「カスミー。助けてよ……やっぱり英語駄目だったよ……」
小百合がずーんと沈んだ表情で、通知簿を持って帰ってきた。はいはい、と慰めながらも私はまた杉本のことを考えている。……だってこの後、二人で会うんだから。
今年最後のホームルームが終わり、私は鞄を持って急いで教室を出た。あいつは足が速いから……ぼさっとしていたら本当に私のことを放って帰りかねない。だから挨拶もそこそこに、私は出来る限りの速足で靴を履きかえ校門を出る。そこでやっと、あいつの背中が見えた。
「ちょっと、速いって」
「そう」
こいつは――杉本は我関せず、といった表情で文庫本片手に読書を続行している。……どうしてこんなやつが毎日見失ってしまう程の速さで歩けるのか、私は常々不思議に思っているのだが……。
「じゃあ、行こうか」
杉本は本を鞄にしまうと、やっと私を見て言った。
「……うん!」
私たちは連れだって、夕方の街へと繰り出した……。
そして着いたのはとある病院の前である。
「みんな、喜んでくれるかな……」
「どうだろうな」
「もー。そこは喜ぶ、って言ってよね!」
「……」
私たちはそんな会話とも言えないような会話をどうにか続けながら、ロビーを通過し階段を上り、2階にある小児科病棟を訪れる。
「こんにちはー‼︎」
「あら、よく来てくれたわね」
ナースステーションで看護師さんに挨拶して、打ち合わせ通りに控室に案内して貰う。
「本当にありがとうね、浦野さん、杉本君。子供たちも今日を楽しみにしているのよ」
「いえいえそんな」
「……それはどうも」
優しそうな看護師さんの笑顔に、私は自然とほほ笑む。隣で杉本も……無表情だけど笑っている、気がする。
実は私と杉本は、ボランティアで入院している子供たちに絵本の読み聞かせを行っている。事の発端は先月……。私が属している放送部の部長からいきなりこの話を紹介され、どうだやってみないかと言われた私はあまりよく理解していないまま承諾し……大丈夫、強力な助っ人を用意したから、と言われてやって来たのが杉本で本当にびっくりした。……杉本と子供って、最悪の組み合わせの様な気がするのは私だけでしょうか……。
しかし、杉本は確かに強力な助っ人だった。なんでも杉本の家には絵本が、それもカラフルで見ただけでもお話の世界に引き込まれるような絵本が沢山あるらしく、ここに来る度に一冊ずつ持ってきてくれていた。それを私が子供たちに読み聞かせる、というわけだ。
私も絵本は結構読んでいたと思っていたのだけれど、杉本の持ってくる絵本はどれも知らないものばかりで……。子供たちと一緒に、今日はどんな絵本が読めるのかなあと楽しみにしていた。
今日は年内最後の読み聞かせ会ということで、絵本のテーマは勿論「クリスマス」。さて、杉本はどんな絵本を持ってきてくれるのだろう……。
「はーいみんな、絵本を読む時間だよー!」
私の声で、病棟の談話室でめいめい遊んでいた子供たちがわーっと集まってくる。
「お姉ちゃん早くー!」
「今日はどんな絵本持ってきてくれたの?」
「今日はね……」
と言いながら、私は杉本が今しがた取り出した絵本の表紙をみんなに向ける。
「――クリスマスの夜に」
しっかりとした赤色の紙に金色の文字で表記されたそれはいかにもクリスマスらしく、自然と子供たちのわくわく感も高まっていく。私も期待に胸を膨らませながら、そっと一ページ目をめくった。
「とある田舎の病院に、小さな男の子がいました――。」
男の子はずっと病院で暮らしていて、外の世界のことをあまり知りませんでした。だからいつか、世界を旅したいと思っていました。
男の子のいる病院に初雪が降った頃……クリスマスがやって来ました。男の子が朝目覚めると、ベッドに吊り下げた靴下の中にプレゼントが入っていたのです。それはなんとサンタさんからの、ソリに乗って世界を旅しようというお誘いの手紙だったのです。
私はまたページをめくりながら、子供たちの方を見た。どの子も絵本に吸い込まれそうなほどにこちらを見ていて……。
看護師さんも言ってくれたけど、本当に絵本の読み聞かせを楽しみにしてくれていたのだと。私たちが来るのを楽しみにしてくれていたのだと伝わってくる。……勿体無いぐらいの期待だな。そう思いながらも、私は喜んでくれるのが嬉しくて――。
「……男の子とサンタさんはソリに乗って世界中を見て回りました。南極でアイスを食べながら白熊と踊ったり、パリでエッフェル塔にクリスマスの飾り付けをしてみんなを驚かせたり、富士山でソリすべりをしたり……」
夜も深くなった頃、二人はソリで街の上空を飛んでいました。サンタさんとの別れの時間が近づいていたのです。――もっと一緒にいたいよ、淋しいよ。男の子がそう言うと、サンタさんはにっこり笑ってこう言いました。――君が淋しくないように、とっておきの魔法を見せてあげよう。そう言ってサンタさんが手を叩くと――。
色とりどりの光が街に溢れ、二人を歓迎しました。
「「「「「うわあ~‼︎」」」」」
子供たちがいっせいに歓声をあげた。それは絵本の中の話のはずなのに、その場にいるみながその光景をありありと思い浮かべることが出来たのだ。勿論私も……。
――すごい、綺麗……。
私も絵本を持ちながら、脳裡によぎる光の洪水に見とれていた。自分が絵本の男の子になったかのように、隣には優しげなサンタさんがいて……。
「来年また来るからね。それまで元気でいるんだよ」
そう言ってサンタさんはふかふかの手袋で包まれた手で私の頭を撫ぜてくれた。
「メリークリスマス、カスミ」
「メリークリスマス、サンタさん」
私は思いっきりサンタさんに抱きついて、それで――。
「……朝目が覚めると、男の子は病室のベッドにいました。『なんだあ、夢だったのか……』男の子はそう呟きますが、不思議と良い気分でした。昨日見た光は、しっかり男の子の中で輝き続けていたからです。さあ今日はクリスマス、これから楽しい楽しいパーティーが始まります。ほら、扉が開いて男の子のお父さんとお母さんがたくさんのプレゼントを持って遊びに来ましたよ……」
私が絵本を読み終わっても、みんなはしばらくの間ボーっと物語の余韻に浸っていた。それは私も同じで……。
そんな幸せな時間にそっと終わりを告げたのは、いつも通り杉本だった。
「お話はこれでお仕舞だよ」
その声でみんなはっと夢から覚めたように、一斉に話始める。
「今日のお話楽しかったよー‼︎」
「サンタさんと一緒に色んなところに行ったよ‼︎」
「うんうん‼︎ また来てね、おねえちゃん、おにいちゃん‼︎」
子供たちの笑顔に見送られながら、私たちは病院を後にした。
「いつもだけど……杉本の持ってくる絵本って凄いね。みんなどんどん絵本の世界に入っちゃうみたい」
帰り道……。私と杉本は一緒に駅に向かって歩いていた。並木通りは電飾で飾り付けられ……絵本の中程ではないけれど、幸せな雰囲気が漂っていた。
「……浦野の読み方が上手いだけだろ」
杉本は相変わらずの無表情で、ぼそっとそんなことを言う。でもちょっとだけ口元が緩んでいた、様な気がした。
「――みんな喜んでくれて良かったね」
「ああ」
杉本との会話が一方的なのは毎度のこと。いまさら気にもしていないが……。私はふと、前から気になっていることを聞いてみようと思った。
「……あのさ、杉本ってなんでこの仕事を引き受けようと思ったの……?」
「……」
杉本は黙ったまま、言うかどうか迷っているようだったが、その挙句――。
「……夢を配るのが俺の仕事だから」
と言った。
「……!」
予想外な返答に、私は言葉に詰まってしまった。まさか……まさか杉本がそんなメルヘンな言葉を口にするなんて。
普段だったら、何言ってるのよ! と笑い飛ばしていたかもしれない。格好付けて……と引いていたかもしれない。でも杉本の口調は余りも真剣で、誠実で、そこに嘘なんか混じっているわけがなくて……。
目の前で杉本は、自分で自分の発言に驚いたかのように手で口元を押さえているが……。そんな様子を見ていると私は自然と笑顔になって、こう言った。
「じゃあ私は、夢を配るお手伝いをしてたんだね」
「……!」
そういうと杉本は、初めて表情を崩し――驚いた顔になった。その顔が余りに新鮮で、私は今度こそ堪えきれずに笑ってしまった。
「……」
途端に無表情に戻ってしまった杉本はさっさと帰るぞ、と言って急に早足で歩いていってしまう。慌ててそれを追いかける私。
――いつか、杉本のこともっと知れると良いな。
そう思いながら私は、息を弾ませてその名前を呼ぶのだった――。