とある無意識の話
とある無意識の殺戮兵器の話。
春は出会いの季節である。
一期一会や合縁奇縁とはよく言ったもので、思いがけないような出会いも春には起こることが多かったりする。もちろん、統計学的な確証が持てるような出=多などは存在しない。強いて言えば、ジンクスのようなものだからだ。まあ、一般論を言えば、入学などで新しい人が入ってくるからだろう。
良くも悪くもいろいろな人物と出会える季節、それが春である。
さて、そんな話はさておき。早速物語を始めよう。
例えば、まだ春先であるにもかかわらず額から大粒の汗を流し、息を切らせながら、もうすでに日が沈み街灯の明かりだけが頼りになっているような時間帯に、ビルとビルの間のいわゆる路地裏と言われるような細い道を、大よそ運動には向いていないと思われるスーツと革靴をはいて、一も二もなく走っている女性の話だ。
よく表情を観察してみれば、必死で何かに恐怖しながら走っていることがわかる。
と、後ろからその女性の後を追うように複数人の男たちが走ってきた。いや、追うようにではなく、実際に追っているのだろう。女生とは違ってその表情には余裕があるが、それでもただならぬ状態で走っていることは誰にでもわかった。もちろん、誰にでもわかるといっても、この狭い路地裏にはその女性と男たち以外誰もいないのだが。
どうやら、スーツの女性はこの男体に追われているようだ。
男たちは、パーカーやジャケットを着たラフな服装のものが多く、年齢も比較的若いため恐らくこのあたりで屯っている不良たちだと容易に想像できる。
女性は、どうやら身体能力がそれなりに高い方で、革靴ではあるがどうにか男たちに追いつかれないような距離を保って逃げていた。
しかし、やはり男女の身体能力の差は大きいので、完全に振り切ることができず、あとは時間の問題であった。男たちを振り切り逃げることができるのが先か。はたまた女性の体力が尽き、男たちに追いつかれるのが先か。
直線距離では走力で分がある男たちに追いつかれることは目に見えているため、女性は敢えて何度も角を曲がっていく。当然、暗い夜道で足元はあまり見えず障害物も避けることができないような狭い路地だが、どうにかして躱して進んでいく。
もし、つまずいてしまえばすぐさま男たちに追いつかれるだろう。
それ故に、女性には不安の表情が浮かんでいた。
しかし、女性は確証をもって道を進んでいるのではなく、行き当たりばったりがむしゃらに前へと進んでいるため、この先になにがあるのかなど分かっているわけがなかった。
その為、女性は墓穴を掘った。
「――ッ!しまった、行き止まり!!」
女性の目の前にはフェンスがありこれまでの道を遮っていた。
男たちの足音と何やら叫んでいる声が聞こえてくる。
道を戻ることは当然できない。
「ええい、ままよ!」
と、そうやって覚悟を決めた後その女性は、フェンスに足をかけてどうにかよじ登ろうとした。高さは二メートル前後。越えられないわけではない。
しかし、音男たちが近づいてくる恐怖からか、はたまたこれまで走ってきた疲れからか、女性はフェンスにかけた足の革靴が抜けてしまった。
「っ!」
声を上げる暇もなく、バランスを崩し、フェンスから落下した。フェンスをよじ登ろうとした体勢で後ろ向きに落ちたためほとんど受け身も取れずに地面へと叩き付けられる。
「いっつ~!!」
苦悶の声をあげ背中をさする。生憎そこまでの高さではなかったため、大したケガにはなっていない。
と、そこではっとしたかのように、女性は顔を上げる。
そこには、五~六人程度の男たちが女性を囲むようにして立っていた。
「……最悪」
女性はさっきとは違う苦悶の声をあげる。
絶体絶命という言葉を用いるのに最も適したシチュエーションが完成していた。
こうなってしまってはもう女性にはどうにもすることはできない。下手に抵抗して殺されるぐらいなら諦めた方がましだった。
もしくは誰かに助けを求めるか。
もちろんこんな時間帯にこんな路地裏を歩いている人など皆無であると女性も理解はしていたが。
『目標を補足。任務を開始する』
と、そんな緊迫した状況であまりにも冷静で静かな声が響いた。聞き取れるか聞き取れない微妙な大きさの声である。
「誰だ!」
男たちの中でその声に気付いた一人が声を上げる。どうやら、男たちの中でその声に気付いたのは、声を上げた男を含めて三人ほどまだ二人ほどはその声に気付かず呆然としている。声を上げた男は、急いで周りを確認するが人影はない。曲がり角にでも身を潜めているのか一向に出てくる気配はなかった。
「どこにいる!出てこい!」
この状況で不用意に飛び出してくる奴などいるはずもないが。男たちはいきなり声が聞こえ、その声を出した人物の姿が見えないことに混乱しているようだった。
それは女性に対しても同じことが言える。
この場に誰かがいることで少しだけ希望が見たが、やはり不安は募るばかりで、その声の主が確認できないことは混乱に陥る原因だった。
「ぎゃああぁ!!」
突然悲鳴が上がった。女性のではなく、男たちからのものだ。見れば男たちの内三人程が肩や太ももなどを抑えて蹲っている。それぞれの肩や太ももには小型のナイフが突き刺さっており、血が流れ服を赤く染めていた。
トスンと、気づけば目の前に少年が上から飛び降り、ほとんど衝撃を感じないような着地を決めていた。ナイフが男たちに突き刺さっているのも恐らくはこの少年の仕業だろう。そのナイフに気を取られてしまったため男たちはこの少年が飛び降りてきたことに気が付くのが少し遅れた。少年は曲がり角に隠れていたわけではなく、男たちの真上あたりにある建物の上に身を潜めていたのだ。ナイフを投げつけたのも恐らくはその建物の上からだろう。少年はナイフを投げるとほとんど同時に飛び降りたために男たちに気付かれず、囲まれることなく着地をすることができたのだ。
男たちはいきなり飛び降りてきたその少年を観察する。
少年の体つきはそこまでがっちりとしたものではないが、背が高く弱弱しさは感じさせない体格をしていた。服装はジャケットとジーンズでどこにでもいそうな姿であったが、その右手に握られているものが異常さを滲み出していた。少年の背丈よりも長い鉄のような金属でできた棒。まるで破壊力を増した棍のような鈍器だ。
男たちは息をのむ。
およそ普通と呼ばれるような装備ではない。
ナイフを投げつけてきたのも恐らくは少年の仕業であることにも男たちは薄々気づきはじめた。
しかし、そんなことは関係なしに、目の前の少年の姿見ればある程度の察しが付く。
ああ、この少年は危険だ、と。
「……一応確認しておきますが。抵抗の意思がなく、反抗をしないのならば手を後ろに組んで壁際に立ち僕へ背中を向けて下さい。もし抵抗するようならばこちらも容赦はしません」
少年は男たちの方を向いて静かにそう告げる。その目線には一切の感情がこもっていないように見え、その声には優しさを全く入ってないように聞こえた。もちろん、男たちにはそのように聞こえただけなのだが。
「……んだと、ガキは引っ込んでろ!!」
男のうちの一人がそう叫んで少年へと襲い掛かった。
男たち全員で襲い掛かれば有利ではあったのだろうが、ナイフで刺されたものはいまだに蹲っており、他の者は少年の雰囲気に怖気づいていて迂闊に動けずにいたため、結果として一人で襲い掛かることになってしまった。
男は右手にバタフライナイフを握り、少年めがけてそのバタフライナイフを突き刺そうと飛びかかる。
少年はバタフライナイフを見ても少しも動じず、全く緊張した様子を見せない。ただ冷静に観察をするような目線でそのナイフが迫るのをじっと見つめていた。
そして、そこで唐突に少年は一歩前に出た。ちょうどナイフの軌道から外れる、男の目の前に空いた空間。そこに少年は飛び込む。
ほとんどゼロ距離であるため少年自身も右手に握られている金属製の棍を振るうことはできない。
だから少年は右手のその棍を使わなかった。
少年はポケットから先ほど男たちに投擲したモノと思われる、同じ形状をしたナイフを取り出して左手に握り、何の躊躇いも容赦もなく、襲い掛かってきた男の胸へとそのナイフを突き刺した。
「がっ!」
男から声が漏れる。
それを気にすることもなく少年は突き刺したナイフを引き抜いた。
ナイフが抜かれた男の胸から紅い血が勢いよく流れ出る。
少年はその血飛沫を巧くかわし、慣れた手つきで血糊を払ってからナイフをポッケトに戻す。
ドサリ、という音とともに少年へと襲い掛かったその男は力尽きて倒れた。すでに意識はなく、助かる見込みはほとんどないだろう。
男たちは誰もが動くどころかしゃべることさえできずにいた。少年のそのあまりにも冷静で異常な行為に完全に呆気にとられてしまったのだ。
場には沈黙が流れる。
スーツの女性も、今さっき起こったことがいまだに信じられずただ茫然としていた。
少年は特に何かを起こすわけでもなく状況の観察を行う。
不意に少年の目線が先ほど死んだ男へと移る。少年は死体を投げ捨てられている空き缶を見つめるような目で見つめる。そこには殺してしまったことへの罪悪などは一切見られず、ひどく無感情な乾いた瞳があった。すると、少年は殺した男の首筋に何か刺青が彫ってあることを見つけた。赤と黒で彩られた蜘蛛の入れ墨が彫られていた。
「ああ、ブラッド・スパイダーの方々でしたか。ならば容赦はますます必要ないですね。……これより、殲滅を開始します」
その刺青を見た少年は残酷にそう言い放った。
男たちにはもう少年の姿など見えていなかった。彼らの瞳に映るのは冷酷に人へ死を与える――死神そのものであった。
■■■
スーツの女性は淡々と不良たちを殺していく少年の姿を何もできずに漠然と見つめていた。
何かかが違う。
そう思った。
確かに、女性は助けを求めていたが何もこんな虐殺を願っていたわけではない。
そう、虐殺。あまりにも一方的すぎるほどに、少年は男たちを虐殺していた。
それは、男とたちと少年の力量差が天と地ほど離れていて、全くもって戦闘にならなかったというのももちろんある。しかし、それ以前に少年は全く意志をもって男たちを殺していなかったように見えた。
全くの意思がない。
無の意思。
無意識。
「ああ、心配しないでください。俺はあなたを殺しません。あなたを保護するように依頼を受けているので」
その場にいたすべての不良どもを殺し終えた少年は淡々と言い放った。
武器についた血糊を丁寧に拭き取り、ナイフの刃こぼれを確認し、服装の汚れをできる限り落としながら。
先ほど、不良たちに向けた言葉とは違う、実に柔らかな感情が残っている声で。
しかし、その声は、どう聴いても機械音のようにしか聞こえない。
人間の肉声であることは確かに解っている。
だが、その事実を脳が。
――いや、彼女の人間としての本能が否定する。
目の前にいるこの少年は、
彼は、
化物だと。
「俺の名前は小布施陽と言います。どうぞよろしくおねがいします」
春は出会いの季節である。
しかし、何に出遭うかは遭ってからのお楽しみということで。
強いて言うのなら、
彼女のように、
化物にだけは遭わないように。
お粗末です。