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専守防衛3

 一方、援軍もなく一人で恐怖に脅える男がいた。1階に残った綾部である。玄関とエントランスには、もう、何百という兵士の群れが押し寄せていた。最初、ガラスを見るのは初めてだった彼らは、そのまま突進して来て激突した。しかし、直ぐに彼らも学習して、槍の石突や刀の柄で叩き始めた。

 それでも、ヒビは入るが、なかなか割ることができない。そのうち、石を投げつけたり兜を脱いでそれで叩いたりし始めた。

 必死で椅子やテーブルを運び続ける綾部を追って、兵士の群れが右へ左へと移動した。玄関の扉の前に椅子を置いて顔をあげると、目の前にいる兵士が血走った眼で彼を見ている。その兵士の足元には、味方の投げた石つぶてが当たったのであろう、男が一人、頭から血を流して倒れている。綾部はなるべく外を見ないようにして、椅子やテーブルを運び続けた。

 しかし、5分と経たないうちに、ガラスは外の様子が見ずらくなるほど、ヒビだらけになってきた。石つぶてが当たったり、石突で突いたりする度に、防犯フィルムが貼られたエントランスのガラスは内側にへこみ、破られるのは時間の問題と思われた。

(もう限界だ)

 そう思った綾部は、上の階に避難すべく、持っていた椅子を放り投げ奥の非常階段に向かって走り出した。

 非常階段のドアを勢い良く開けると、暗闇の中から突然、下半身が血だらけの男が綾部の方に倒れてきた。綾部はその男を抱えたまま尻もちをついた。そして、気味が悪くなり、その男をはねのけて後ろへ飛び退いた。

「助けて、くれ」

 血だらけの男がうつ伏せのまま、消え入るような声で言った。よく見ると、耳たぶのピアスや穴だらけのジーパンには見覚えがある。綾部は、恐る恐る近ずいて行き、その男を抱き起こした。

「吉田!」

 綾部は思わず、声をあげた。気を失っていた吉田が、その声に反応して薄目を開けた。そしてまた、消え入るような声で

「奴が、来る」と言った。

「誰が来るって」

 綾部が聞き返した。すると突然、非常階段の鉄の扉が閉まる音が階段室の中に響き渡った。

(誰かいる、住人か)

 そう思った綾部は、暗い階段室の中をじっと見つめた。すると、シーンと静まり返った闇の中から、コツ、コツと杖を突くような音と、カシャ、カシャと硬いものが擦れ合うような音が響いてきた。

(住人ではない)

 そう直感した綾部は、逃げ込む場所を探した。真っ先に管理室が目に入った。

(できれば、あっちの方には行きたくないな)

 次に、非常階段の向かいにある電気室が目に入った。確かに電気室は距離も近いし、扉は鉄製だから中に入って鍵を掛ければ安全だ。

(よし、ここに決めた)

 綾部は早速、電気室の鍵を開けるため吉田を床に置こうとした。その時、今まで階段室に響いていた音が消えているのに気が付いた。

(何故だ)

 と一瞬思い、階段室の方を見た。半開きの扉から差し込む弱い光によって、目の前の踊り場に槍を構えた鎧武者の姿が映し出されていた。その距離、わずか5メートル。当然、電気室の鍵を開ける暇などない。すぐさま綾部は、気を失っている吉田の両手をつかみ、引きずりながら後ろ向きになって走った。兵士がその後を、カシャカシャと鎧を揺さぶりながら迫って来る。しかし、その鎧が重いせいか、走る速度はそれはど速くはない。

 距離を詰められながらも、なんとか管理室に逃げ込んだ綾部は、すぐさま、ドアに鍵を掛けた。その直後、受付の窓ガラスが粉々に砕け散った。兵士が、槍の石突で叩き割ったのだ。しかも、兵士がそこから侵入しようと、上半身を管理室の中に突っ込んでいる。綾部は慌てて、兵士の野球帽のような形の筋兜と、黒糸縅の袖をつかんで、力任せに押し出した。

 もんどりうって倒れた兵士は、直ぐに立ち上がった。そして、槍を肩に立てかけて、兜の緒を締めなおした後、両手に唾を吐きかけると槍を中段に構えた。綾部は、受付の横に置いてある道具入れの中から、長さ130センチの自在ぼうきを取り出して、2メートル50センチの槍に対抗しようとしていた。

 その時、地響きとともに玄関のほうで何かが壊れるような音がした。その大きな音に驚いて、綾部が玄関の方に目をやると、玄関ドアの鉄枠が内側にくの字に曲がっている。ヒビだらけの網ガラスの向こうに、丸太を綱でぶら下げた大勢の人間が見えた。まるで巨大なムカデのようである。

 彼らは助走をつけるため、えい、おう、えい、おう、と声を合せながら少しずつ玄関から離れて行った。

(玄関が破られるのも、時間の問題だな)

 そう思った綾部は、急に足が震えだした。

(玄関が破られれば、管理室に雪崩込んで来た兵士たちに、執拗に切り刻まれるだろう)

 激痛に苦しみながら死んでいく自分の姿が、頭をよぎった。

(今すぐ、仮眠室に逃げ込んで、自ら命を絶った方が楽なのかもしれない)

 とさえ思っていた。

 一方、兵士も焦っていた。なぜなら、ほかの二人に功名争いで先を越され、面目を失っていたからだ。それを挽回するには、是が非でも身分の高い武将の首がほしかった。そして、2度仕留め損なったものの、鏑矢を射た身分の高い男をこの部屋の中に追い込んだのだ。邪魔ものが雪崩れ込んでくる前に、是が非でもその首を挙げたかった。

 そのためにはまず、目の前のこの男を始末しなければならない。そこで彼は一計を案じ、槍を長めに持って狙いを定めて突き出した。

 綾部は自在ぼうきを持ったまま、槍の届かない所まで退いた。戦うより、この方が安全である。しかしそれは兵士の思う壺であった。綾部が後ろへ退いた隙に、また受付から侵入しようと上半身を突っ込んできた。

 綾部はそれを阻止するため、自在ぼうきを放り投げ、慌てて兵士の所え駆け寄った。しかし、それもまた兵士の計略であった。侵入する振りをして、受付に腹ばいになっていた兵士は、素早く身を引いて立ち上がった。そして、受付に置いていた槍を素早く手元に引き寄せると、近付いてきた綾部の腹部めがけて突き出した。

 綾部はくの字になって槍を抱え込んだ。痛みに耐える彼の耳に、鬨の声が聞こえてきた。薄目を開けると、それまで静観していた北側の軍政が押し寄せてくるのが、前屈みになった兵士の肩越しに見えた。

(もうこれで、何もかもお終いだ)

 と彼は思った。北の軍勢も、獲物を横取りするために攻めに出たのであろう。インパラを仕留めた雌ライオンたちの周りを、包囲するように徘徊するハイエナの群れ、という弱肉強食の映像が綾部の脳裏をよぎった。

兵士が槍を抜いた瞬間、綾部はその場に崩れ落ちた。それを見た兵士は、ゆっくりと受付から侵入してきて、うずくまっている綾部を、軽々と持ち上げてひっくり返し、その上に馬乗りになった。

 その時、玄関の方で何かが爆発した。受付に背を向ける格好の兵士は、一瞬、動きを止めたが、直ぐに気を取り直し、左手で綾部の顔を床に押し付けた。綾部も、腹部の痛みをこらえて必死で抵抗したが、鎧を着た兵士は事のほか重く、押しのけることはおろか自分の体を動かすことすらできない。

 そんな彼に、唯一、残された道は、両手を無茶苦茶に振り回すことだけであった。しかし、それすらも、鉄と革でできた鎧にいとも簡単に跳ね返された。

 兵士は、綾部のささやかな抵抗をうっとうしいと思ったのか、アイアンクロウのように、綾部の顔に爪を立てた。あまりの痛さに綾部は、兵士のその手を両手でつかんで、顔から引き離そうとした。兵士は、綾部のささやかな抵抗がやんだその隙に、腰から右手で脇差を素早く抜いて、無防備になった綾部の喉元に押し当てた。

 綾部の喉元に、生温かい液体が流れた。何故か、彼の顔を鷲掴みにしていた兵士の手が緩んだ。すぐさま、その手を払いのけた綾部の上に、兵士がどさりと倒れてきた。驚いた綾部は覆いかぶさった兵士の下から、体を引き抜くようにして上体を起こした。

 綾部の腹部に、顔をうずめている兵士の項から血が湧き出している。生温かい液体は、この兵士の物だった。彼は、咄嗟に、自分の首を手で触ってみたが、切り傷はどこにも無い。思い出したように、腹部も触ってみた。先ほどまでの痛みは嘘のように消えている。兵士の頭をずらして見てみると、布ベルトのバックルに穴が開いている。しかし、貫通はしていない。

 綾部は生れて初めて、うれしくて泣きそうになった。つい先ほどまで、死の恐怖に脅えていた男がである。この感覚は、生と死が乖離した現代社会では、到底、味わうことのできない鮮烈さであった。

 しかし受付を見たとたん、彼の歓喜は吹き飛んでしまう。そこには、体を斜にして槍を構えている兵士が立っていた。しかも、エントランスには、もう、10数人の兵士が侵入している。

(この男が殺ったのか)

 とすれば、この男、命の恩人ということになる。しかし以前、下里から、この時代は手柄を横取りするために、味方でも平気で殺害した、という話を聞いたことがあった。それを思い出した綾部は、自分の膝の上で息絶えている兵士を押しのけて、奥の仮眠室へ走って逃げた。管理室の入り口で、気を失っている吉田のことなど、もう、どうでもよかった。

 



 

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