専守防衛2
マンションの周りは、騎馬武者やその従者、そして、槍足軽たちでひしめき合っていた。ただ、北岸にいる敵の襲撃を警戒してか、北面のベランダから侵入しようとする者は誰一人いない。
また、マンションの西面と東面は、玄関を省けばほとんど開口部は無く、1階まわりも、すべての窓に防犯のために鉄柵が取り付けられており、侵入するのは困難であった。必然、彼らの侵入経路は、南面のベランダに集中した。
兵士たちは、まず梯子を使ったり、馬の背中から飛び移って2階に侵入して来た。幸い、2階の住人は総攻撃が始まった時、地上から近い分危険と判断し、誘い合わせて上の階に避難していた。彼らは、部屋を出る際、律儀にも玄関の鍵をかけて行ったのだが、それが良かった。なぜなら、部屋に侵入した兵士たちが、玄関ドアが開けられず、廊下に出ることができなかったのだ。そのお陰で、内と外の両方から攻められるという、最悪の事態は避けられた。
現代の我々は、サムターンを回せばドアは開くということを知っている。しかし、はじめて現代の扉を見た彼らにとって、その仕組みは、極めて難解なパズルのように思えたであろう。
一方、3階にも長梯子が次々と掛けられていった。梯子の長さは、3階までが限界のようである。したがって、住人たちにとっての防衛ラインは、この3階南側ベランダと言うことになる。
このA棟は、2階がら5階までが居住空間で、各階に6戸ずつ入っていた。戸割りは、真ん中を通る廊下を挟んで、南と北に3戸ずつ配置されていた。建物の大きさは、東西25メートル、南北24メートル、高さは14メートルである。
現代では、この程度の大きさの建物など珍しくもないが、この時代の人々、特に坂東の片田舎の兵士にとっては、想像を絶するはど巨大な建物に見えたはずである。しかし、彼らは、そんな怪物に対しても臆することなく、まるで、アリがケーキに群がるように、ぞろぞろとマンションを這い上がっていった。
3階の南側に住んでいる野田元は、両隣の住人、田中和也と草野勇治と協力して戦うことに決めた。相手が誰でであろうと、自分の縄張りを蹂躙されるのは男のプライドが許さなかった。
そこでまず、成人男子以外は皆、廊下に避難させた。それから、ベランダを仕切っているプラスティク製の防火壁を蹴り破り、自由に横移動ができるようにし、手摺には、弓矢を避けるために布団や毛布を掛けていった。また、木刀、傘、包丁、フライパンなど武器になりそうなものを持ってきて、彼らの襲撃に備えた。
「翔太君、大したもんだ。子供の頃の俺にそっくりだ」
野田に声を掛けられた草野翔太は、複雑な表情をしている。彼は、まだ12歳の小学6年生であったが、自ら進んでここに残った。父親の勇治も、彼の勇気ある決断を尊重して共に闘うことを許した。
「田中、いい大人が何震えてんだ」
そう言って、野田が田中の尻をぴしゃりと叩いて気合を入れた。
「来ましたよ」
草野が、二人に声をかけた。津波のように人馬が押し寄せてくる。そして、その中から蛇が鎌首をもたげるように梯子が次々と立ち上がってきた。梯子の先端には、毒蛇の牙のように鎌が2本付いている。野田たちは、布団や毛布に身を隠し、敵の襲来を待ち構えた。
どん、どん、という鈍い音がして、次々とベランダに梯子が掛けられていく。野田たちは、鎌が手摺に食い付く前に横に滑らすように倒していった。
しかし、敵もさる者、下で梯子を抑える人数を増やしてきた。そうなると、もう梯子はびくともしない。25メートル幅のベランダに、5本、6本と立ち始め、兵士が数珠つなぎになって登って来た。
野田が、刀を口にくわえて登って来た兵士の兜を、金属バットで思いっきり引っ叩いた。火花が散って、兵士は自分の下にいた兵士たちを巻き込みながら転げ落ちていった。
「くぅー、痺れるねー」
野田は、その手を癒す間もなく、隣の梯子を登って来た兵士を殴りつけた。田中は木刀、草野はフライパンを手に戦っていた。
翔太も父の隣で、ビニール傘を持って待ち構えていた。心臓の鼓動が、傘を持つ手にまで伝わってくる。そこへ、梯子を登って来た兵士が、手摺の上に顔を出した。髭面の兵士は、翔太を睨むと、いきなり唾を吐きかけてきた。
額に、ねっとりとした汚物が張り付いた。急に怒りが込み上げてきた翔太は、それを拭おうともせず、傘の先端を兵士めがけて力任せに突き出した。しかし、その渾身の一撃は紙一重でかわされ、逆に伸びきった左腕を掴まれてしまった。
兵士は、翔太の二の腕を掴んだまま、もう一方の右手でビニール傘を払い落すと、腰の脇差を抜いた。翔太は必死で逃げようともがいたが、兵士の上体の重みが左腕にかかっているため動くことができない。そこへ、脇差が、翔太の顔めがけて下から突き上げられてきた。
ボーン
翔太の二の腕から、兵士の手が離れた。翔太はベランダに、兵士は地面に転落した。倒れた彼が見上げた先に、フライパンを持った父の姿があった。間一髪だった。脇差が翔太の顔を貫く寸前、父のフライパンが兵士の頭をうち砕いていた。
「大丈夫か、無理するなよ」
勇治は、一瞬、父の顔を覗かせたが、直ぐに厳しい表情になり踵を返して正面を向いた。その時、「あっ」と言って勇治が顔を抑えて前屈みになった。流れ矢が米神を掠めたのだ。
その一瞬の隙に、登って来た兵士が手摺に片足を掛けた。そして、背負っていた刀を抜いて勇治に斬りかかって来た。
「お父さん、危ない」
翔太が叫んだ。
キーンという金属音が木霊した。兵士と勇治の間に、アルミ製の物干し竿がぶら下がっている。
「よいしょー」
と言う掛け声とともに、その物干し竿が兵士の体を外へ押し出した。兵士はバランスを失い、真っ逆さまに転落していった。
「大丈夫ですか」
上の階から 声がした。草野がベランダから顔だけちょこんと出して上を見ると、物干し竿を持った下里がいた。そして、次々と他の住人も、物干し竿を持って顔を出した。
「草野と申します、ありがとうございます」
とだけ言って、直ぐに顔を引っ込めた。
「5階もいるぞー」
誰かが叫んだ。その直後、上からロープで結ばれた鉄アレイが落ちてきて、梯子を登る兵士の頭を直撃した。続けて今度は、紐の付いた中華鍋が落ちてきた。
「5階の皆さん、お手数掛けさせてすいませーん」
野田が嬉しそうに叫んだ。
こうして援軍を得た3階の住人たちは、次々と襲い来る敵の刃を、へとへとに成りながらも、何とか跳ね返し続ける事ができた。