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専守防衛1

「うっ」

 と言う呻き声が、走っている綾部たちにも聞こえてきた。その直後、南側の軍勢から

「うぉ~」

 と言う、低い地鳴りのような歓声が上がった。

 放たれた3本の矢は、吉田たち3人を襲っていた。吉田は、崩れるようにその場に倒れた。彼は自分の身に、何が起こったのか直ぐには理解できなかった。しかし、その直後に襲ってきた足の激痛によって、それが何であるかを理解した。

 無意識のうちに、痛みのする場所を手で押さえた彼は、そこから硬いものが突き出ているのに気付いた。はっとして見ると、手摺の柵の隙間をすり抜けてきた槍が、右太ももの内側に突き刺さっている。

 驚いた彼は一瞬、そこから手を離したが、直ぐにその槍を激痛に耐えながら引き抜いた。太ももがジワリと温かくなり、ジーパンに赤黒い染みが広がった。起き上がろうとして顔をあげた吉田の目に、辺りを真っ赤に染めて倒れている、2人の後輩の姿が映った。

 1人は槍を胸に受け、そんれを抱え込んだまま、壁を背もたれにして座った姿勢で息絶えている。もう一人は、ベランダからリビングに掛けて、くの字になって倒れている。槍が喉から項に掛けて突き抜けており、息が有るのか無いのか体のあちこちが痙攣している。

 この悲劇を招いたのは、彼らが酩酊状態で逃げ遅れたからではなかった。この時代、合戦の前に矢合わせという風流な儀式がしばしば行われた。その際、矢を射るのはその軍の主将か弓の名手が行った。そのために吉田たちは、1番槍を競い合う騎馬武者に、それなりの身分のものと勘違いされ格好の標的となったのである。

 3人の騎馬武者は、馬の背中から次々と吉田のいる2階のベランダに飛び移り侵入して来た。そして、背中に刺した旗が天井に当たって邪魔なため、一旦それを抜いてベランダに立てかけた。吉田はその隙に、激痛に耐えながら這ってリビングから玄関に向かって逃げ出した。

 侵入した兵士のうち2人は、自分の仕留めた獲物から槍を抜き取ると、脇差を抜いて、その首元に宛がった。そして、顔中に返り血を浴びながらも、それを全く気にすること無く作業に没頭した。

 やがて切り離された首は、自陣に向かって高々と掲げられた。陣中から、大きな歓声が沸き起こった。

 一方、功名争いで、二人に先を越されたもう一人の兵士は、自分の獲物に止めを刺すべく、腰に差した打刀を抜いてその背中を追った。

 また、南側の軍勢には、本陣から総攻撃の命令が下された。まず、槍隊の左右に陣取っていた弓隊が、盾を前に押し立てて前進して来た。そして、川を渡りきった所で止まると、マンションめがけて矢の雨を降らせてきた。しかし、矢はことごとくコンクリートの壁や窓ガラスに跳ね返された。

 それを見た指揮官は、一旦、弓を射るのを止めさせ、槍隊と騎馬隊に突撃を命じた。彼らを前へ前へと急き立てるように、太鼓と鐘がけたたましく鳴りだした。

 玄関から、その様子を覗っていた綾部は、急いで玄関の扉を閉めて鍵をかけた。今、1階に残っているのは彼1人である。他の住人は皆、家族を守るため部屋に戻って行った。

 彼は大急ぎで、エントランスの椅子やテーブルを玄関に運んだ。1階で一番侵入されやすいのは、恐らく玄関であろうと彼は考えた。玄関のガラスには、防火と防犯のためにすべて金網が入っている。しかし、扉の両脇もガラス張りのため、強度的には一番弱いと思われた。そこで、もし突破された際、少しでも侵入しずらくしようと思ったのだ。

 また、エントランスも心配だった。ここには、縦1,5メートル、横2メートルの窓が、西面と北面に3か所ずつ付いていた。一応、ガラスには防犯フィルムが貼ってあるが、果たしてこれが彼らの攻撃にどれほどの時間耐えうるのかは未知数であった。

兵士たちの怒声と、迫り来る地鳴りが大きくなってきた。鼓膜と足の裏が振動で震えた。綾部は、体のあちこちが、自分の意思ではコントロールできないほどガタガタと震えた。それでも綾部には、逃げ場が残されている分、吉田の置かれている状況と比べれば、まだましであった。

 吉田は、騎馬武者が侵入すると、すぐさま這ってリビングから玄関の方に逃げた。廊下に出て、誰かに助けを求めようとしたのだ。しかし、直ぐに兵士が迫ってきたために、やもうえず、リビングと玄関の中間に位置するトイレに逃げ込んで内鍵をかけた。しかし、本当の恐怖はその時から始まった。

 兵士はまず、打刀の柄で扉を叩いて強度を確かめた。そして、それを左の腰に収めると、右の腰に巻き付けてある巾着袋から、25センチほど小型の斧を取り出してトイレの扉を切りつけ始めた。

 ドスン、ドスンという音がトイレの中に響く度に、便器に座った格好の吉田の体は痙攣を起こした。太ももに負った刺し傷の痛みなど、遠に忘れている。彼は扉が破られた時のために、何か自分の身を守るための縦になるものが無いか、広さ1畳、高さ200センチの空間を見渡した。しかし、適当なものは見当たらない。

 その時、鈍い音がして斧の刃がトイレの中に侵入してきた。吉田は咄嗟に、足元に敷いてあるマットを拾い上げ盾の代わりにして身構えた。

 兵士は斧を巾着袋に収めると、扉のちょうど真ん中あたりにできた、縦5センチほどの隙間からトイレの中の様子を窺った。そして、獲物の位置を確認すると、打刀を腰から抜いて、その穴に思いっきり突き通した。手応えを感じた兵士は、おもむろに打刀を引き抜き、その穴から、また中を覗き込んだ。兵士の瞳孔が開いた。仕留めたはずの獲物が、まだ、生きていたのだ。便器の後ろのタンクの上に、穴の開いたマットを持って腰かけている。兵士は舌打ちをしたが、その後に、にやりと笑って打刀を腰に収めると、足早にベランダの方に向かった。

 ベランダに戻ってみると、一番槍を競い合った他の二人はもう居ない。おそらく二人とも、首を持って本陣に手柄の報告に戻ったのであろう。もしかしたら、どちらが一番手柄かで揉めているかもしれない。そう思いながら、彼はベランダに落ちている自分の槍を拾い上げた。この槍ならば確実に仕留められる。

 ちょうどその時、梯子がベランダに掛けられた。手摺から顔を出して下を見ると、兵士がぞろぞろと登って来る。彼は、獲物を他の奴らに渡すまいと、急いでトイレに引き返した。

 戻ってみると、トイレの扉が開いている。慌てて中を見ると、もう、獲物はいない。彼は舌打ちをして、扉を蹴飛ばした。大きな音を立てて閉まった扉の向こうに、血の跡が点々と玄関の方へ続いている。槍を肩に立てかけ、兜の緒を締め直した兵士は、赤い血を道しるべに、獲物の後を追った。

  

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