屈辱
住民たちは、兵士に連れられて雑木林を抜け、元来た道から脇道にそれた。1メートルほどの道幅で、両脇に大人の背丈ほどのススキが生えていて、薄暗くじめじめした道である。
綾部は、縦1列になれ、という意味がこの狭い道を通ることが分かっていたからだろうと考えた。私語の禁止については良く分らなかった。
(たぶん、戦国時代だから、敵がどこに潜んでいるか分からないので慎重になっているのだろう)
などと勝手な想像を巡らせていた。
先頭を行く馬上の若武者は、兜こそ付けていないが赤糸縅の見事な腹巻や、堂々とした立ち振る舞いから高い身分である事が分かる。
一方、他の歩兵たちはと言うと、着ている鎧の脅し糸がくすんでいて、元々、何色であるか分からないほど古びていて貧弱な物を身に付けている。おそらく彼らは、よくて足軽、もしかしたらそれ以下の身分かもしれない。
そんな一行が、すすき野を抜けると大きな窪地に出た。来る時にも通った多摩川の旧流路である。
ここに来て綾部は首を捻った。このまま、この方向に進むと多摩川に出てしまう。つまり、危険な国境に近付く事になる。
(安全な場所に避難するんじゃないのか)
そう思った彼は、後ろで祖父の巌を負ぶって歩いている野田の顔を見た。
すると、野田が慌てて首を横に振った。
はっとして綾部が前を向くと、兵士の一人が刀の柄に手を掛けてこちらを睨んでいる。綾部は身の危険を感じ、慌てて何度も頭を下げた。そして、その後はひたすら無言で歩き続けた。
窪地を登り切ると、またススキの中の狭い道に入った。日が落ちかけて辺りは薄暗くなっている。綾部がデジタル腕時計を見ると16時になっている。彼は、魚が水面から口を出して呼吸をするように、少し背伸びをした。揺れるススキの間から、暮れなずむ紫色の空が見えた。
泉龍寺を出てから30分、やっとすすき野から解放されたと思ったら、多摩川の河原に出た。
「あっ」
住人たちが思わず声を上げた。目の前にマンションが在ったからだ。彼らは元の場所に連れて来られたのだ。
主の居なくなったマンションは、相変わらず軍隊によって守られていた。その周りを取り囲むように柵が急ピッチで造られている。
(なるほど、マンションに城壁を造って、兵士に守られながらあそこで暮らすのか)
綾部はそう思っていた。しかし、彼の期待はあっさりと裏切られた。
「今日から、ここがお主らの住処だ」
馬上の若武者がそう言いながら、河原にある6件の朽ち果てた小屋を指差した。
寺を出てからずっと黙っていた住人たちは、それを聞いて堰を切ったように不平を口にした。
「冗談じゃない、こんな危険な所では暮らせないよ」
「そうそう、何時、戦に巻き込まれるか分かったもんじゃない」
「だいたい、あんたたち、何者なんだ」
それを聞いた若武者は馬上から飛び降りて、住人たちの前に進み出た。
馬上に居る時は、馬が小さいせいもあり大きく見えたが、身長は165センチほどである。この時代では大柄な方であるが、現代人と比べると小柄な部類に入る。
風貌はと言うと、目は小粒だがまん丸で魚の目のようである。また、えらが張り口は輔口で、偏屈な内面が顔ににじみ出ていた。
「わしはこの郷の若頭、志村である、よく憶えておけ。それから、今日よりお主らはこの郷の者となった。それ故、これからは駒井の掟に従ってもらう。勝手な言動、行動は許さん」
「話が違う、藤堂さんに会わせてくれ」
野田が志村の前に進み出て、彼を見下ろした。それを見た兵士たちが騒ぎだしたが、志村は彼らを手で制した。
「会ってなんとする」
「どういう事なのか、事情が知りたい」
「事情なら、わしが話してやろう」
そう言って、志村は野田から視線を外し、その真横をゆっくりとすり抜けた。そして、野田の後ろに居た住人たちに向かって話し始めた。
「お主らは、その藤堂様よりこの駒井郷に、払い下げられたのだ」
住人たちの間から憤怒の声が漏れた。しかし藤堂はそれを気にすることなく、いや、むしろ楽しむかのように口元に笑みを浮かべながら話を続けた。
「聞くところによるとお主ら、南蛮の国で政を乱すような大罪を犯し、処刑されそうになった所をこちらへ逃げて来たそうな」
「出鱈目だ」
それまで、背中越しに黙って聞いていた野田が、振り向きざまに、志村の背中にその言葉を浴びせかけた。
「俺たちは、南蛮人でもなければ罪人でもない」
野田が続けざまにそう言うと、志村は左の踵を軸に素早く反転した。
その直後、「うっ」と言う呻き声とともに、野田がその場にうずくまった。志村は、突き出した刀の鞘をゆっくりと元の位置に戻した。
彼は振り向きざまに、野田の鳩尾に刀の柄を突き立てたのだ。不意を突かれた野田は一溜まりもなかった。
さらに志村は刀を抜いて、膝を抱えてうずくまっている野田の首元に刀を当てた。そして、上から野田を見下ろすと
「貴様のその無礼な振る舞い、政を乱したという話も頷けるわい。そんな輩を生かしておいては郷のためにならん」
そう言って、その刀を頭上に振り上げた。