Sweet & Bitter
―彼はわらった。
冷たい月の一雫のように。
にがい にがい
チョコレートのように。
コロラン、コロラン。
遠慮がちに鳴る
カウベルの音。
その音に弾かれるようにして明るい元気な声が降り懸かる。
「いらっしゃいませ〜!
…って、なぁーんだ峰岸ちゃんか。」
「申し訳ありません。
連絡も入れず、30以上遅刻してしまって……。
本当にすみませんでした、店長。」私の目の前にいる女性。
彼女はここ、喫茶夕凪の店主だ。
ややピンクがかったボブヘアーで、顔も顔で童顔なので私とさほど変わらないくらいの若さに見える。
しかし、本人は知られたくないようなので、本人のところは分からない。
一つ言えるなら、成人した大人の割に、幾分幼く見えるということだ。
身長も、たいして私と代わり映えしないのだから。
そのこと(+彼女の性格)もあり、来店者からは"ユイちゃん"と呼ばれている。
名前で呼ばれる店主は、全国的に見てもかなり珍しいんじゃないかと思う。ちなみに本名は小園井結菜である。
「いいのよぉ、そんな謝んなくて。
一回の失敗くらい大目に見てあげるわ。遅刻が増えるのは困るけどね?」
ふんわり優しい表情で、クッキーのトレーをガラスケースの中に並べる。焼き上がったばかりなのか、フワリと甘い香りが鼻をくすぐる。
「はい、今後気をつけます。」
「うん。よろしい!
ちゃっちゃと着替えて来なさいね。」
「はい。」
そう言って、私は店の奥の部屋へ歩を進ませる。
小さな喫茶店だが、ちゃんと制服はあるのだ。
深い赤紫色のワンピース。丸襟で、黒い細めのリボンもついている。
私は分からないが、店長が着ている分には非常に可愛らしい制服だ。
「いやー、和やかな茶屋ですねぇーー。」
のんびりお助け屋さんが言う。着替えている私には、律儀に背を向けてくださっている。
「ちょっと意外だったな―。」
「?何がですか。」
「んー、アルバイトやってることと、それがこーゆーいかにも女の子らしいお茶屋さんだってことが、ねぇ。」
――どういう意味なのか。半分困りながら答える。 「アルバイトは、基本、禁止されているのですが、特別に許可してもらったんです。父と母がいないからと言って、ずっと叔父や叔母にお世話になり続けるわけにはいきませんから。
今のうちに少しでもお金を貯めておきたいのだと先生話にしたら了解してくれました。」
今だって、馴染みのこの地で生活したいという私の我が儘を聞いてもらっているし、食材を送ってくれたり、時々手紙や電話をくれたりする。
優しい親戚たちに、できるだけ負担をかけたくない。その一心で始めたのが、喫茶夕凪のアルバイトだ。
「ここは、家からも学校からも近いし、高校生を採用してくれる所としては、いくらか給料も良かったんです。
こちらとしては願ったり叶ったりの店でした。」
「なるほどねぇ。
もう二つの理由としちゃあ、ここは、霊たちがかなり少なくて、比較的安全ってことと、あの店ちょーさんかな?」
クイズ当てをするみたいに言う。
もしかしてまた…
「私の頭の中、よんだんですか。」
細い肩が小刻みにくっくっくっ、と揺れる。
笑っているようだった。
「ちがうちがう。
ただ何とな―く、そうかな―?って。
店ちょーさん優しそうだし、それにここの地区は心地好ーかんじ。
悪いモノの気配が全くないからねぇ。」何がツボだったのか、
まだ小さく肩を揺らすお助け屋さんを不審に思いながら、
「たしかに、それは当たりです。でももう一つ、最も単純な理由があります。」
お助け屋さんがやや不思議そうな顔で振り返った。
着替えはとうに終わっていたので、何も問題はない。
「…好き、なんです。
甘いものは、割と。」
更衣室となっている部屋のドアノブを回した。
チョコレートケーキの少し焦げた匂いが、鼻の奥の方にまで広がった。
仕事はいたってシンプルなものが多い。私が任されているのは、レジや店長が作る菓子類をウィンドウに並べたり…あとは、客の対応だ。業務的な仕事より、苦手だ。
十人十色の客に応じて対応を変えたり、笑顔で注文を尋ねたりするのには気力を削られる。
店長曰く、意識してないと仏頂面になっているらしいので、気をつけてはいるのだけど。
コロラン、コロラン。
気の抜けるカウベルの音が、来客の存在を告げた。
「いらっしゃいませ。」
テーブルを拭いていた手を止めて、扉の方を見る。
数名の女子中学生たちがわらわらと入ってきた。
肩にテニスラケット的なものをぶら下げているため、おそらく部活帰りなのだろう。
喫茶夕凪は、メニューの7割程度がお茶やクッキー、ケーキで構成されているが、軽めの食事もできるようにキノコのパスタやクリームグラタンなどもあるから。部活後の女子の腹を膨らませるにはちょうどいい。 「すいませーん。四人席でお願いしまーす!!」
「はい。こちらの席でよろしいですか?」
時間帯も時間帯なので、席はほとんど空いている。
彼女たちには小窓の近くの席に座ってもらい、薄茶色のメニュー表を二枚渡した。
「お決まりになりましたら、声をおかけください。」
丁寧に一礼をし、先程拭いていたテーブルの続きを再開する。
ゆったりとした時間の流れ。
店内は、店長が好んでいるという童話が流れている。優しいピアノ演奏。
「あっ、すいません!
注文したいんですけど。」
案外早く決まったらしい。
「はい。」
片手にメモ用紙を持ち、できるだけ笑顔で向かった。
「アボカドサンド二つに、キノコのクリームパスタ一つ、野菜カレー一つ、お願いします店長。」
カウンターの向こう側、厨房的な所にいる店長に注文品を読み上げ、メモ用紙を壁に貼付けた。
「はい〜!四名様ねっ。
ちょっと大変かな…
峰岸ちゃん手伝ってくれる?」
花のようにふんわり柔らかく笑う店長に、私は直ぐさま「はい」と返事をした。
この店では、ほぼ店長が料理を作り、それを運ぶのが私の仕事となっているが、常にそうであるとは言えない。
小さな喫茶店だけど、当然混む時はある。
よって、厨房は店長一人では賄い切れなくなるのだ。そんな時は私も厨房に回り、手伝うこともしばしば。と言っても、ここで働き始めて約三ヶ月少々。
手伝える料理というのも限りがある。
「アボカドサンドお願いねー。」 「わかりました。」
アボカドサンドは、私がここに来て一番初めに作れるようになったものだから、簡単だった。
ハチミツ色の冷蔵庫からアボカドやカラフルなパプリカ、レタスなどを取り出し、丁度良い大きさに切っている際、ちらりと視線をカウンター席に向けた。
カウンター席は八人が座ることができるようになっていて、お助け屋さんは厨房から見て左側から三番目の席にいた。
ガリガリの右手で頬杖をつき、女子中学生たちの会話に耳を傾けている。
微妙に口角が上がっている。はたから見たらただの変態オヤジだが…
透き通りそうな白い肌に
筋の通った鼻。
懐かしい、ガラス玉みたいな銀の瞳――。
お助け屋さんは、こうして一歩引いて見ると非常に美しい人なのだと思う。
男に"美しい"はどうかと思うが、きっと"格好いい"とかの言葉は似合わない。
優雅で美しい。
「どうかした?」
愛らしい瞳をこちらに向けて、小首を傾げる店長。
はた、と自分の手が止まっていたことに気づく。
「あ……いえ、何でもないんです。ぼーっとしてすみません。」
店長は「そう?」とだけ言って微笑んだ。
その右手はカレーの大鍋を掻き混ぜるため、忙しく動いている。
食欲を駆り立てる匂いが立ち込める。カレーはもうすぐ出来そうだ。
「お待たせ致しました。」
程なくして、出来上がった食事を木製のおぼんに乗せて、彼女たちのテーブルへ運んだ。
「いらっしゃーい。
よく来てくれる子たちでしょう?いつもありがとう。これ、特別ねっ。」
冷たいレモンティーのグラスを四つ乗せた丸いおぼんを持って、店長は彼女たちに笑いかける。
グラスの中の氷が、カラン、と涼しげな音を立てた。
「わあ!!ありがとーユイちゃん!」
「よかったぁ、喜んでくれて。ゆっくりしていってね。多分、友子ちゃんたちで最後だと思うから。」
「「はーいっ!!!」
店長はそう言うと、ピンクがかったボブヘアーと制服のワンピースをフワフワ揺らしながらカウンターの奥へと姿を消した。
「…では、失礼します。
ごゆっくり――…」
四つの料理をテーブルに全て乗せ、軽く頭を下げ、引っ込む。
背後で楽しそうに雑談する声がし始めた。
「お疲れ〜!峰岸ちゃん。」戻ってきた私を見て、店長が言う。
木椅子に腰掛け、何やら考え込んでいるようだ。
「どうかしましたか。
そんな難しそうな顔をなさって…」
向かいの木椅子を引き寄せ、座る。
くるりと丸い二つの瞳を気難しそうにしかめ、私に顔を近づけて言う。
「ね、峰岸ちゃん。
正直今の仕事、どう思う!?」
「……はい?」
突然の問いに間抜けな声を出してしまった私に、
「ほらぁ、最近お客さん増えてきた気がするでしょう?アルバイトさんで今雇ってるのって、峰岸ちゃんだけだし、負担かけ過ぎてないかなって思ったの。」
私の目をじっと見据える姿は、とても年上の女性には見えない。
そういうことか、と私は納得し、ちょっとだけ微笑んでみせる。
「私のことなら、全然気にしないでください。
お客さんが増えることはいいことですし…でも、店長が私だけでは力不足だと感じたのでしたら、好きにしてくださって結構ですよ。辞めさせるなり、なんなり…」
全てを言い終わらないうちに、いきなりガバッと両肩を捕まれた。
なぜだか泣きそうな顔。
「ちがうっ!ちがうのよ!?峰岸ちゃん!!!
もし峰岸ちゃんが大変なら、もっとアルバイトの子を増やそうかなって!!
それだけなの!
役立たずとか、全く!
これっぽっちも思ってないの!むしろ感謝してるくらいなんだから!!
―っだから、辞めるとか言わないでぇ〜〜〜っ。」
―――辞めるとは言ってませんが……。 「わかりました。だから、とりあえず落ち着いてください店長。」
なだめるように言うと、なんとか冷静を取り戻したらしい。
肩から手が外された。
「そう…なら、よかった。…私ね、峰岸ちゃんがいてくれて本当よかったって思ってるのよ。」
花が綻んだような表情。
それだけで、パッと周りが華やぐ。
「ありがとうございます。」
お助け屋さんがこっちを見てニヤニヤしているのを視界に入れ、私は店長に言った。
8時までのバイトを終え着替えた私は、喫茶夕凪の扉を押す。
むわりと暑い風が頬を撫で、一瞬顔をしかめずにはいられなかった。
右手には、透明な袋に包まれたクッキー。
これは毎度「余りまの」と言って店長がくれるものだ。
たしか、チョコクッキーだと言っていた。
なんだか温かい気持ちになる。
「小羽ちゃんってさ。」
隣を歩いているお助け屋さんが口を開く。
何だろうと思ってそちらを向くと、真っ直ぐな眼光にひた、と当てられた。
逃げられない。
「えっと、モーリーくんだっけか、それにさっきの店長さんにも。
すごーく大事にされてるよねぇ。」
ゆったり流れる小川みたいに言う。
ゆっくりだけど、確実に流れ続ける、そんなリズム。
「――はい。そう、ですね。幸せなことに、私の周りには心から優しくしてくれる人たちばかりで、本当―恵まれてると思います。
幸せです。」
少し、ほんの少しだけ、
心が震えた。
どうか気づかないで。
気づかないでください。
「ははは、嘘だねぇ。」
乾いた笑いが暗い路地に響く。
口元は笑っている。
けれど、目は笑ってない。哀れむような、
厳しいような。
「嘘はいけない。
お前さんは心底そう思っちゃいないよ。」
「そんなことは――」
「ないってかい?では何故あなたの胸の内は、そんなに虚しいのでしょうね?」
意地の悪い風が、私の髪を何処かへ持って行こうとしている。
目の前にいる男は、一体ダレだ。私はこんな男は知らない。
「3階から落ちた あなた、 を
心配して走ってきた少年。 少年は
一つも動じていないあなたを見て 怒った。
"ごめん"と謝ったあなたを見て
今までにない顔で
"わらった"。
とても とても
カナシイ顔。
泣いてしまいそうな顔。
その理由、
あなたは
わからないでしょう?」
鋭い三日月みたいに口の端を上げて、わらう。
ぞっとした。
「―――っ、それは、
守屋くんがとても優しい人だからです。
私が悪いのに、守屋くん自身にも非があると思ってしまったのだと思います。」
口が渇く。
唾を飲み込む音が、異常に大きく響いた。
お助け屋さんが首を横にふる。
目を細めて、静かに
「わかってないねぇ。
もっと簡単なことだよ。」
電灯の光がお助け屋さんの着物を照らし、金色の刺繍が途切れ途切れに浮かび上がって、ちろちろと輝く。
夢のように儚くて、消えてしまいそうだ。
「すみません…
私には難しいです。」
いくら数学の問題が解けても、テストで優秀な成績をとっても、人の感情はわからない。
わかるはずがないんだ。
所詮は他人なのだから。
「うーん、難しいかぁー…。じゃあさ、小羽ちゃんは数学で解けない問題が出てきたら、どうする?」
「…できるところまでは自分で考えます。
あとは調べて、それでもわからなかったら先生に聞きますが…」
にぃっ、と、先程とは全く別の顔で「それだ!」と言う。
「聞いてみればいい。
それほど確かな答えはないよ。」 「……え?お助け屋さんに、ですか?」
「ちがうちがう。
本人に、だよ。モーリー君に聞いてみればいいんだ。」
「守屋くんに……」
そこまでして、わからなければいけない問題なのだろうか。
「小羽ちゃんは、知った方がいいことだよ。
じゃなきゃ、周りの人たちを今よりずっと、傷つけることになるからねぇ。」
どういうことなのか、今の私にはわからなかったけど、明日、守屋くんに聞いてみよう。そうすれば、わかるかもしれないから。
「少し、風が冷えてきましたね。
帰りましょ―か。」
お助け屋さんが下駄をカラカラ鳴らして歩き始める。
一瞬にして、今まで通りの雰囲気に戻った。
私は、彼の細長い後ろ姿から三歩ほど身を引いて歩く。
上を見上げると、いつからあったのだろう、満月よりも少し欠けたまぁるい月。
月明かりに照らされて、この世界のものたちは影を作る。
私の影も横に伸びていたのだけれど、
お助け屋さんの細長い影は、この世のどこにも
存在していなかった。
よどんだ空に、
今日も小さな金平糖は煌めく。
お助け屋さんの、ちょっと黒い部分。伝わったでしょうか。
彼は単純そうに見えて
意外に小羽よりもややこしいかもです。
次、この二人がメインのお話にする予定です。
よろしくお願いします。




