姉と妹
望月姉妹の完結。
「高校入学当初から、お姉さんは周囲とうまく付き合えなかった。
友人という友人もできず、勉強と部活だけが、やっていて多少救われるくらいで。とても孤独だった」
「…………」
真っすぐ前を見据えたまま、無言で耳を研ぎ澄ましている。私も黙って先を続ける。
「家は学校よりは落ち着く場所だったけど、勉強しかない自分の情けなさに申し訳ない気持ちでいっぱいだった。特に――」
話してくれた望月梢のあの時の顔を、瞼の裏に思い起こす。伏せられた長い睫毛。歪みを断じて許さない色白の顔。私って、傍からみるとこんな感じなのか。
「特に、望月さんと面と向かい合うのが怖かったって」
はっと顔を上げ、望月さんの怪訝そうな瞳が私を見る。
「言ってたでしょう?璃子はいい子だと。たしかにお姉さんは優秀な成績で、部活ではそれなりの実績を残してたかもしれない。
他者から見ればそれは“いい子”だけど、お姉さんにとってそれらはそんなには価値のあるものではなかった。明るくて人望のある、真っすぐな信念を持つ人のほうが素晴らしいと常に思ってた。だからこそ、自分自身に絶望した」
羽虫が電灯に当たったのだろう。バチッと嫌な音を響かせる。繰り返しその羽をぶつけている。羽がボロボロになるのに、やめない。自らを傷つけ続ける。
「なんだよそれ。あたしが明るくて人望があったって?信念持った素晴らしい人間?あたしが?」
馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てる。剥き出しにならない辛さを匿うみたいな表情をした。
「そう。自然と周りに人が集まってくる望月さんが羨ましくて、誇りでもあって、でもやっぱり後ろ向きな思いのほうが強くて。
自分のだめさをどこまでも掘り下げていってしまった」
淡々と言葉をつないでゆく。黒田くんのこともあり、体はだいぶ怠さを訴えていた。軽く意識が飛んでいきそうだったが、踏ん張らなくては。
「そんなことで死ねるのかよ。勝手に自分を追い込んでさ」
納得のいかない彼女に、私は首を縦に振った。
「死ねるよ。生きていくことは自分の存在意義を確立していくことだから。
たとえ誰かに意義を否定されても、自身が否定さえしなければ問題ない。生きていける。でも、その自分が否定してしまうと心のバランスは狂ってしまう。
通常前向きな考えと後ろ向きな考えができるようになってるのが、一気に後者のほうへ傾く。他人は関係ない。
何をするのにも自分のせいだと考えてしまう。周りに相手にされないのも、友人ができないのも、自分の陰気な性格も、他の誰かの間違いも、全部全部“私のせいだ”って思い込む。
望月梢さんは自分が生きていくことを肯定できなくなった。―拒絶した。
自分で自分を殺したの」
一人ぼっちの闇色の中、彼女はひとり、決心した。
寂しさと苦しみに耐えられず、静かな絶望を携えて、死を選んだ。たった一人で。
「……理屈では、わかった」
ぼそりと一言呟いて、ベンチの背もたれに体を預けた。とっぷりと暗くなった夜空を睨むように見る。
「そっか。それはよかった」
何となく私も、彼女に倣って背から力を抜いた。だいぶ力を入れて話していたのだと知った。
「………泣いてた?」
唐突の問いに、完全に不意打ちをくらった。
「…え?」
「梢姉、あたしの前では一度だって泣かなかった。
元々感情が顔に出ないほうだったけど、あたしくらいには心開いてると思ってた。ここんとこ、表情が暗いなってわかってたし。
そのうち相談してくれんじゃないかって甘く見てた。なぁ、峰岸。
死んでもここに居続けるのは、よくわかんないけど、それってすげーシンドイんじゃないのか?」
“梢姉”その響きに、家族特有の親密さを感じて少し和んだ。
派手な化粧、茶色の巻き髪、乱暴な言葉遣い。これらが彼女の優しさを覆い隠してしまうのを残念に思った。
「霊になったことがないから、私は推測しかできないよ。だけど、今まで会った人達はよく辛いと言ってた。私と話せるだけで嬉しいんだって。
でも、望月さんのお姉さんは泣かないよ」
「……?」
私の言い方に疑問を抱いたとわかった。意図的にそうしたのだ。
ひた、と望月さんを見る。装飾の施された睫毛じゃなく、奥の瞳を真っすぐに。
「望月さんが泣かないんだから、絶対に泣かない」
望月さんは、私とお姉さんが似ていると言った。だとしたら尚更だった。
“大切な人を傷つけた”
その大切な人が、傷ついてもなお痛みに堪えているならば、どうして傷つけた本人が傷つけた痛みに泣くことができるだろうか。
泣くということは、体全体で痛みを感じることだ。そして、傷ついた心を許すことだ。
「望月さん、あの日からずっと自分を許そうとしないでしょう。現場にいながら、お姉さんを死なせたって思っているの?」
あの時屋上で、私は確かに感じたのだ。
空に投げ出された体。
風で舞う私の長い髪。
死ぬのだと思った。
それを必死の形相で引き戻したのは望月さんだった。
“ふっざけんじゃねぇ!!”私を嫌いと言う。その同じ口で彼女は叫んだ。
見えていたのは私じゃなくて、望月梢の姿だったのだ。
「あたしが!こんな馬鹿なあたしが、あんな出来の良い梢姉を傷つけたんだって!笑えるだろ?あたしだって笑っちゃうんだけど、でも、全然忘れらんない。
何度も梢姉はあたしを責めて、何度もあそこから落ちてく。許せるわけないじゃん。泣けるわけないじゃん」
苦しそうに喘ぐ。全然笑っているように見えなかった。
「どうして忘れられないのかな」
何となく、わかった気がした。さほど感情に敏感なわけではないけれど、多分、彼女は。彼女たちは―…
「憎いからにきまってる。あんなやつ、大嫌いなんだよ」
吐き捨てる言葉の裏、そのもっともっと奥を覗いてみてほしい。無理矢理閉じ込めてしまった想いを引っ張り出して。そしてどうか許してほしい。
「本当にそうなのかな。望月さんは、お姉さんのこと嫌いだった?」
過去の思い出は忘れてしまっただろうか。
幸せな夢のような思い出。私は、思い出せるよ。
「嫌いだって言ってんだろ!?しつこい。
もう、わかったから。
帰れよ」
「帰らない」
私は問い続けた。「お姉さんと比べられて、あなたは本当に不幸でしかなかった?
恨めしかった?
こんな姉なんかいらなかったと、ずっと憎み続けてきた?
本当に望月さんはお姉さんが嫌いだった?」
彼女の瞳に迷いの色が浮かび始める。
ジワジワと滲み、苛立ちで力んでいた顔から力が抜ける。
眉が弱々しく下がり、彼女は泣き出した。
「……あんた、本当ウザい…!!
嫌いなわけないじゃん!
家族なんだよ……っ。
好きだったに決まってんじゃんか…!くそ馬鹿!!」
拭うこともせず、手放しで泣いていた。
肩が大きく上下し、そのたびに地面に水玉をつける。
望月梢がそれを見て、いつの間にか静かに涙を流していた。
お助け屋さんがやんわり笑い、彼女に寄り添う。
その口元が“いきましょう”と動いたのがわかった。彼女は泣きながら頷いた。
―――光が満ちる。
柔らかな暖色の光は、本当に泣きたくなるくらい綺麗だった。




