良い子・悪い子
お待たせしました!
マンションの最上階に着いた。
エレベーターでは屋上まで行けないため、ここからは階段を上らなければならない。ノロノロと速度を上げないエレベーターに相当苛立っていたあたしは、弾かれたように走り出す。
耳にまで聞こえる心臓の音が、嫌な予感を余計増幅させる。
けれど悲しくはなかった。だって、確かめなければわからない。ここじゃないかもしれないし。
祈る気持ちで、目の前に現れた扉を見つめる。
どうか、なにもかもが嘘であってほしい。
今、自分がこんなにも焦燥に駆られているのも、
姉が遺書めいた手紙を書いたことも。
―――「ごめんなさい」
やめろよ。
――「私なんか死んだほうがいいの」
そんなこと、誰も思ってないじゃん。
誰かが言ったってのか?
梢姉。
―――「さようなら」
唇を噛み締めて、ドアノブに手をかける。冷たい金属に触れて、初めて手の平に汗をかいているのに気づいた。
ぐっと、一気に右に回す。
――ヒュオォォオ。
いつの間に吹雪き出したのだろう。冷ややかな風と共に、大粒の雪がヒタヒタとあたしの頬を撫でる。
雪が吹き荒れる中、
頼りなさげに揺れる背中が見えた。
真っ白い世界で異常に目立つ、漆黒の長い髪。
毎日のように目にした、紺色のセーラー服。
そのすべてが揺れている。
「――――梢姉、なに、やってんの?」
恐ろしく青ざめた顔が、あたしを振り返った。
「………璃子………?」
か細い声で、確かにそう言った。ひどく驚いたように表情が固い。
「なんで……部活……」
胸元辺りの高さの鉄柵を握りしめたまま、あたしの問いには答えず言った。
寒さで強張っているのか、普段から小さい姉の声が更に小さくなっている。
「―部活さ、この天候だから早く終わったよ。
梢姉こそ、塾は……?」あたしはかなり混乱していたけれど、なんとか会話は続けなければと、必死で言葉を繋いだ。
会話が途切れたら、姉はすぐにでも身を投げ出すんじゃないか。そればかりが怖くて、とても怖くて。
「―そうね。雪、すごいものね。
塾は…休んじゃった」
口元にうっすらと笑みを作る。その冷たい笑いにぞっとした。
「璃子、ねぇどう思う?」形のいい唇に、微笑みを携えたまま。
両手は鉄柵を離そうとしない。寒さで張り付いてしまったように握りしめている。
「――死ぬかしら」
空っぽの目が言う。あたしはもう、黙っていられなかった。
「ここから、落ちたら―」
「やめろよ!!」
僅かに目を見開いてあたしの方を見た。嘘の微笑みすら滑り落ちる。
「変な手紙なんか書いて!そういう変なこと言って!!なんだよ、それ!!」
叫び続けてもなお、あたしは真実に触れるのが怖かった。姉の口から聞きたくなかった。
「冗談だよな……?」縋るように姉を見る。
「手紙も、ふざけてやっただけなんだろ?もうわかったからさ、家戻ろう?」
わかってる。
ふざけてこんなこと、するわけない。だけど。
「璃子」
風が、雪が、痛い。
「……戻れないわ。
もどりたくない……!」
悲痛な叫びに身がすくんだ。
次の瞬間、
風も、雪も、音も、
全てが止まった気がした。
形のいい唇が
あたしに何かを言った。
「姉ちゃんっ……――!!!」
――手をのばす
――届かない
黒髪、
スカート、
セーラー服。
人間とは思えない軽さで
堕ちていく。
嫌だ
嫌だ
いやだ…………!!
「璃子は本当にいい子。
素直で、明るくて、友達もいっぱいいて。
他人から好かれる、本当に優しい子。
でも私はちがうから。
誰も私なんか好きじゃない。必要じゃない。
私なんか、死んだほうがいい。璃子も、私なんか邪魔でしょう?ただ少し勉強できるだけの姉なんて、いないほうがいいよね。
死んだほうがいい……。
璃子もそう思ってるんでしょ??」
膝が体重を支え切れず、崩れ落ちた。
地面に触れた箇所があまりに冷たい。
頭がグラグラする。
声にならない叫びをあげた。




