予感
次の話の幕開け!みたいな話です。
日曜日は、店長に言われた通り、素直にテスト勉強をすることにした。と言っても普段より2、3時間勉強を増やしただけだったが。
それなりに充実した時間を過ごして、月曜日になった。
朝食の皿を、お助け屋さんが洗いたいと名乗り出た。
前の一件があるので丁重にお断りし、今朝は皿一枚と死亡するものは出ずに済んだ。
多少不満そうな顔をしていたが気づかない振りをする。
お助け屋さんとの日常生活もなかなか慣れてきたものだと思う。
第一日目と比べたら、格段にスムーズにいっている。
なかなかに喜ばしいことだった。
「はぁ…小羽ちゃんて時々ひどいねぇ」
しょげて座布団の紐を長い指で弄んでいる。今となってはお助け屋さん専用となった、深緑色の座布団。
「すみません。お助け屋さんの手を、煩わせたくないので」
適当ではない、と言ったら嘘になる言葉を口にして、意味なく視線を彼の方へ持って行ったところ、目が合った。
部屋の中だと彼の銀色の瞳はほとんど黒に近い。
どれくらいその状態が続いたのか、正確にはわからない。
2分、3分かもしれなければ、10秒、30秒そこらでもある気がするのだ。お助け屋さんが笑いもせず、肉付きの良くないガリガリの指を私に向かって伸ばしてきた。
動きが幾分自然だったため、私は一瞬自分が何をされているのか把握しかねた。
そぅっと、長い指先が前髪に触れる。
「前髪、伸びましたねぇ。お切りになったらどうです。
それとも、暗いのがお好きかな?」気づくと意地悪そうに口元に笑みを浮かべる。
そういうことか。びっくりした。
「いえ、そういうじゃないです。たしかに伸びてきた気がしますね。今夜辺り切ろうと思います」
言うと、ぱっ、と指を離す。
帽子を深く被り直して「そろそろ時間ですね」とのっそり立ち上がる。改めてお助け屋さんの細長さを実感する。
「はい。今日も護衛、よろしくお願いします」
私も立ち上がって、スカートの襞を直す。
玄関のドアを開けると、眩しいくらいの快晴で思わず目を細める。特に何も起こらなそうな気持ちにさせ、私は昨日、お助け屋さんが言った言葉の重要性を明らかに薄めてしまっていたと、この後認めなくてはいけなくなったのだけれど、それをこの時の私が知るはずもなかった。――なかったのである。
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「あ、峰岸さんおはよ―!」
夏の陽射しににも負ける気がしない笑顔で守屋くんが教室に入ってきた。
「おはよう、守屋くん」
返す私に、守屋くんは何故か不思議そうに首を傾ける。私、何か可笑しかったのだろうか。
「…俺、何かしたっけ?峰岸さんの顔、引き攣らせるようなこと」
やや心配そうに聞く守屋くん。
その言葉の意味はすぐにはわからなかった。
なぜなら私は、顔を引き攣らせたつもりは微塵もなかったからだ。というか、むしろ――
「…………ごめん。頑張ってみたんだけど、努力が足りなかったみたい。逆に不快にさせてしまって、ごめんなさい」
「ちょ、待って待って!俺、話についてかいけてない。一体どうしたの?」 「これでも、笑ってみたつもりだった。ある人に無愛想と言われてしまったので、出来るだけニコニコしようと思った…けど、やっぱり上手くできない。ごめん」
ぽかんとする守屋くんを余所に、お助け屋さんは既に腹を押さえて笑っている。
失礼すぎると思いつつ、自分の笑顔のできなさには随分と呆れてしまった。
これでは妙な噂を流されてもおかしくない。
「はははっ、んな無理に笑う必要ないって!!別に不快にもなってないし。謝んないでよ。
それにしても、峰岸さんでもそーゆーの気にするとは思わなかった!」
思い切り笑う守屋くんの笑顔を見て、私もこういう風に笑いたかったのだと感じる。
「…一応、気にはするよ。
守屋くんのように笑ってくれたり、私、ほっとするし、嬉しいから。それに笑わないってことは、話している相手を不安にさせてしまうから」
店長の顔を思い浮かべながらの言葉だった。私がもう少し感情豊かであれば、店長にあんな顔をさせなかったのだ。
泣きそうな顔も、それを押し込めて笑う顔も。
守屋くんは少し顔を赤らめながら頭をかく。
照れ臭そうに。
「そういうふうに考えたことなかった。今だってさ、別に峰岸さんを安心させようとして笑ってるわけじゃないからね、言っとくけど」
語尾を強めて言う。
目を見ると、とても真剣であることに驚く。
「たしかに、時々愛想笑いとかして機嫌伺ったりすることもあるよ。じゃなきゃ生きてけないもん。でも、不思議だね」
ふ、と守屋くんが目を細める。
優しく微笑んだようだった。
真っ直ぐ目を見つめられて、私は身体が固まった。 「峰岸さんには俺、愛想笑いしなくていいみたいだ」
ひゅう、
空気が小さく振動して、笛の音がした。
お助け屋さんがどうやら口笛を吹いたらしい。ただ、あまり上手とは言えない響きで、ほとんど空気が吐き出されただけの音だとたが。
「へぇ……そう、なんだ…?」
何とも言えない、妙な心地。
そのモノの正体がわからないせいだ。
守屋くんは苦笑しているのかもしれなかった。
苦笑と愛想笑いは同じでは…?
いや、少し違うのだろうか。
「うん、そうだよ。だから、一緒にいるのすっげー楽!って話」
「えっと、ありがとう」
とりあえずお礼を言ってみる。「どーいたしまして」と彼は軽く言って返した。そして、たった今思い出したように
「あ!そういえばあの時!女の子のペンダント返せた日。峰岸さんちゃんと笑えてたじゃん。
覚えてない?」
そうだったか……? よく思い出せないが。
「私、笑ってた?本当に?」
「あー無自覚かぁ。峰岸さんさ、多分本当に嬉しときとか楽しいときにしか笑顔できないんじゃないかな。
だからあんま気にしなくていいと思うよ」
なるほど。本当に嬉しいとき、か。ということは、普段私が上手く笑えないのは、あまり楽しくないから、ということになるんだろうか。それはそれで、どことなく悲しい。
「うん。でも、できることはしたいから、努力はさせて。
ありがとう守屋くん。
勉強になった」
「あはは、そう?なら、よかった」
いつか、守屋くんみたいに自然に笑えたらいい。
私は憧れの目で彼を見ていた。
――今日もこんな感じに、普通に守屋くんと会話をし、授業を受け、バイトに行く。
私は教室の外で吹く風が、微かに嘲笑ったのを知らない。
知らなかった




