見限られ十一年の簀を取り上げられたので簀を伏せました。お宅の紙、春の市で値がつきません
手のひらが、急に寒くなった。
勘九郎親方が、わたくしの手から漉き簀を抜き取ったのである。水を吸った竹ひごが指の腹を擦り、市松の手へ移っていく。十一年馴染ませた持ち方まで、ずいぶん軽く運ばれたものだ。
「今日はこいつに持たせる。見て覚えりゃ済む仕事だからな」
市松は、差し出された簀を刀のように掲げた。斬る相手は楮でございますか。まず水をこぼさず水船まで歩けたら、半人前の半分くらいは差し上げてもよろしくてよ。
漉き場の入口には、町から来た買い手が三人並んでいた。先頭のお方の羽織は、藍の深さだけで楮が三年ぶん。その三年ぶん漉けるお方が、わたくしの簀一枚を惜しむ勘九郎親方へ愛想よく頷くのだから、商いは奥深うございますわね。
「千鳥屋は手順が固まっておりますから。古参の勘に頼るような店じゃございません」
「そりゃ頼もしい」
買い手が笑った。勘九郎親方も歯を見せ、市松まで一拍遅れて歯を見せる。歯の枚数で紙値が上がるなら、千鳥屋は今朝だけで蔵が建つ。
わたくしは空いた右手の人差し指を水船へ入れた。爪のきわまで沈め、ひと呼吸、ふた呼吸。昨日より冷えが浅いくせに、底から返る水だけが刺す。これなら最初の二枚は簀を止める間を少し長くしなければ、乾いたときに光が散る。
「蕗、聞いているのか」
「聞いておりますわ、勘九郎親方」
「熟練に値はない。量と回数さえ守ればな」
市松が水船へ簀を突っ込んだ。勢いがよすぎて楮が片側へ寄り、買い手の足袋へ水が飛ぶ。八文の手間賃を得る前に、足袋代二十文ほど敵に回した。景気のよい初日である。
勘九郎親方は濡れた足袋を見ないことにした。見栄には便利な蓋がついている。
「どれも同じ紙だ」
その声だけは、漉き場の梁までよく届いた。
わたくしはもう一度、水へ指を入れた。冷えは先ほどと変わらない。人の値だけが、朝のうちにずいぶん下がったらしい。
* * *
三日後、勘九郎親方は手間賃の綴りを水船の脇へ持ち込んだ。濡らせば数字もふやけて増えるとお思いなのかしら。残念ながら、一枚八文の「八」は、湯へ入れても十にはならない。
「今月から漉いた枚数だけで払う。蕗も市松も一枚八文だ」
市松が口笛を吹いた。まだ厚みの揃った紙を十枚続けたこともないのに、賃だけは十一年目へ飛び級である。人の世には橋が多い。たいてい、下で支えている者には渡らせない橋だ。
「公平ってもんですよ、蕗さん。長くいるだけで銭を多く取るのは、若い者が育たねえ」
「まあ。市松さんが育つぶんには、お日さまもさぞお喜びですわね」
「だろ?」
喜ぶのはお日さまだけにしておいた。わたくしまで喜べば、紙床に積まれた失敗束が成功したと勘違いしかねない。
昼になり、わたくしは土間の隅で握り飯を開いた。朝に炊いたはずの米は寒の水よりよく冷え、中央の梅干しだけが赤い。ひと口噛むたび、歯が「これは食事か」と審議を始める。十一年勤めた者への賄いとしては、たいへん慎ましく、つまり安い。
市松の漉いた紙が、乾し板から三枚剥がれた。端の厚い一枚は巻き上がり、薄い二枚には楮の流れが斜めに走っている。あれを納めれば一束千二百文が返り、傷紙で引き取らせれば百文にもならない。
一枚の手間賃を八文で揃え、千二百文を落とす算術。これを公平と呼ぶんですのね。せめて握り飯くらい温めてから仰ってくださいまし。
「蕗、手を止めるな。枚数が足りん」
「市松さんの三枚は数へ入りますの?」
「漉いたことには違いない」
なるほど。食べられない握り飯も、握ってあれば昼餉。売れない紙も、漉いてあれば商品。では空の銭箱も、蓋さえ閉めれば大入りということでよろしいかしら。
買い手の一人が、乾いた紙を陽へかざした。首がほんの少し傾いたのを、勘九郎親方は見逃した。わたくしは見た。あの首ひとつで、藍の羽織半枚ぶんは逃げた。
「次はもう少し薄くできますか」
「できますとも。蕗、聞いたな」
「ええ。次は四分ほど簀を早く返しますわ」
「そういう勘の話じゃない。枚数を増やせと言ってるんだ」
買い手の首が、もう少し傾いた。羽織の残り半枚も逃げた。あとは裏地くらいしか残っておりませんわよ、勘九郎親方。
わたくしは冷えた握り飯を飲み込み、水船へ戻った。抗議には銭がつかない。ならば八文ぶん、きっちり漉いて差し上げよう。八文より先は、勘九郎親方が値をつけなかったのだから。
* * *
翌朝、柱に白い紙が貼られた。楮ひと桶、叩き百二十、簀を揺すること前後に五つ、左右に三つ。勘九郎親方は糊のついた刷毛を持ち、天下の秘伝でも掲げた顔をしている。
「これで間違いようがない。水船を任せる者が替わっても、千鳥屋の紙は揃う」
「さすが親方。蕗さんの頭の中まで、これ一枚ですか」
市松が柱を叩いた。貼り紙の端が浮いたが、本人の自信は浮いたまま戻ってこない。買い手たちも感心したふうに覗き込み、楮の量を読み上げた。
その朝の水は、夜半の風に冷やされていた。貼り紙に風の強さはない。いく姐さんが納めた楮は、去年より繊維がしなやかだったが、貼り紙に去年はない。ないものばかりで、たいへん簡潔な手順である。
「市松、やってみろ」
「へい。前後に五つ、左右に三つっと」
市松は口で数えながら簀を振った。三つ目から水の重さに腕を取られ、最後の一振りだけ大きくなる。紙床へ伏せられた一枚は、右の角がわずかに厚い。
「できたじゃないか」
「へえ。案外、簡単なもんですね」
「そうだ。職人が難しそうに見せていただけだ」
勘九郎親方の重ねてのご公言に、買い手が曖昧に笑った。最初の愛想笑いより、銭にして五十文ほど薄い。春まで持てばよいけれど。
わたくしは作業台で、小さな紙片を三枚切った。一枚目には屏風裏へ納める紙の厚み、二枚目には掛け軸の肌裏に使う薄さ、三枚目には次の楮では簀を返す間を詰めすぎぬことだけを書く。三軒の表具屋へ渡す言伝である。
「何を書いてる」
「次の注文の厚みでございますわ」
「柱を見ればわかる。余計なことをするな」
「では、余計なことはこれでおしまいにいたします」
紙片の四つの角を、爪の先で丸めた。表具屋は紙を扱う手で言伝を開く。角が立っていれば、指を傷つけるかもしれない。紙に罪はないし、指は商いの元手である。
三枚を納めに来た小僧へ渡すと、一軒目、二軒目、三軒目と宛先を確かめた。去る背を見送り、わたくしは柱の手順へ目を戻した。市松がもう一枚を漉き、今度は左を厚くした。
「ほら、できるじゃねえか」
「ええ。たくさんできますわね」
何が、とは申し上げなかった。春の市には、答えの方から歩いてくるでしょう。
* * *
次の朝、わたくしは誰より早く漉き場へ入った。桶を洗い、昨日の楮くずを掬い、水船の縁を布で拭く。最後に漉き簀を流水へくぐらせ、竹ひごの間へ残った繊維を指の腹で一本ずつ落とした。
簀は水を切るたび、細く鳴った。十一年聞いた音である。買い手の声より、勘九郎親方の命令より、朝一番にこれを聞く日の方が多かった。
いつもの壁際へ簀を立てかけた。上を少し左へ傾ければ倒れない。雪の朝も、腰を痛めた日も、握り飯を食べ損ねた晩も、そこへ戻してきた角度だった。
勘九郎親方が戸を開け、市松が後ろから欠伸を連れて入ってきた。
「何をぼさっとしてる。楮を入れろ」
「本日から、わたくしの分は漉きません」
「何?」
「勘九郎親方のお言葉どおりでございます。値のない熟練なら、ここになくてもお困りにはならないでしょう」
「勝手を言うな。十一年も置いてやったんだぞ」
「ええ。十一年、置いていただきました」
「だったら持ち場へ戻れ」
紙など簀で掬えば同じだ——勘九郎親方は昨夜まで、その一言で蕗を黙らせられると思っていた。だが、それを口にした自分には、蕗でなければならない理由がひとつも残っていなかった。
勘九郎親方の口が開き、閉じた。命令だけが行き先をなくし、市松は柱の貼り紙へ目をやった。紙は白いまま、ひと桶、百二十、五つと三つを掲げている。
「簀は置いてまいります。楮も、道具も、何ひとつ持ちません」
「当たり前だ。全部、千鳥屋のものだ」
「はい」
わたくしは壁際の簀を見た。
八文にも、千二百文にも、楮三年ぶんにもならなかった。指が覚えた水の冷えも、夜明け前に灯した油も、紙床の横で齧った梅干しの種も、ひとつも勘定へ上がってこない。
「わたくしはこの一枚を、十一年、わたくしの紙だと思うて漉いておりました」
勘九郎親方は簀へ手を伸ばしかけ、途中で腕を下ろした。市松の欠伸は、もうどこかへ消えていた。
わたくしは手拭いを畳み、作業台の端へ置いた。戸口をまたいでも、背中へ命令は飛んでこなかった。
十一年分のわたくしを、ただで置いていくほど、お人好しではございません。置いてきたのは簀だけ。勘九郎親方が値をつけなかった指は、十本ともこちらにある。
* * *
春の紙市では、千鳥屋の束だけが妙に行儀よく積まれていた。端を揃え、紐を十文字に掛け、店印を正面へ向けてある。外見に働かせすぎですわ。紙にも休みは必要でございましょうに。
三軒の表具屋が、それぞれ一枚ずつ試し台へ運んだ。糊を引き、板へ置き、刷毛で中央から外へ撫でる。濡れた紙は、乾いた束の中で隠していた癖を、たいへん正直に吐き出した。
一軒目の紙は、右端だけが先に縮んだ。表具屋は刷毛を置き、首を傾ける。
「屏風裏には使えません」
二軒目は中央が薄く、板の色が丸く透けた。表具屋は言伝の紙片を懐から出し、丸い角を親指で撫でてから、試し台と見比べた。
「頼んだ厚みではない」
三軒目は糊を含んだ途端、繊維の流れに沿って細い皺が走った。三人の手が、ほとんど一緒に紙から離れた。
「この束は、春の市では値がつきません」
勘九郎親方の頬が、売り台の白木より白くなった。返された束を受け取り、ずれた端を揃える。揃えても一枚がまた滑り、また揃える。そこだけはずいぶん熟練してきたらしい。
千二百文の束が三つ、そのまま売り台へ戻った。一枚八文へ揃えた末の三千六百文。見事な育ち方である。銭は増えず、損だけが春の陽気ですくすく伸びた。
「手順どおりだ。楮も量った。叩きも百二十、振りも五つと三つで……」
市松は自分の漉いた束から顔を逸らし、柱があるはずの方角を見た。紙市まで柱を背負ってくればよかったですわね。重さで口数くらいは減ったでしょう。
「糊が悪いんじゃないですかい」
三軒目の表具屋は返事をせず、次の売り台へ足を向けた。一軒目も続き、二軒目は小僧へ「注文先を探せ」とだけ命じた。去年まで千鳥屋の前で止まった足が、今日は揃って通り過ぎる。
「待ってくれ。次は直す。蕗を呼び戻せば——」
「蕗さんは、どちらで漉いておいでです」
表具屋の声は、勘九郎親方ではなく市の世話役へ向けられた。名を呼ばれたわたくしは、向かいの楮売りの陰から顔を出した。紙を売る当てもなく来たのは、甘い団子の屋台が出ると聞いたからである。職を離れても腹は離職してくれない。ありがたいような、迷惑なような。
「蕗!」
勘九郎親方が売り台から出ようとしたところへ、いく姐さんが楮の束を横たえた。三十年ぶんの腰が据わった置き方で、勘九郎親方の道をぴたりと塞ぐ。
「いく婆さん、ちょうどいい。次の楮を千鳥屋へ——」
「売らん」
「長い付き合いだろう」
いく姐さんはわたくしの手を取り、爪、指の腹、節の順に眺めた。水へ入れなくなって二月、細かな裂け目は塞がっている。それでも指先の硬さは残っていた。
「姐さん。うちらはあの漉き場に売ってたんじゃない。あんたの指に売ってたんだ」
紙市の世話役がこちらへ向き直った。表具屋たちの顔も動く。千鳥屋の売り台に残ったのは、返った束と、その端を揃え続ける勘九郎親方だけだった。
「蕗さん。上椿に空いた漉き場がある。講で借り受けたが、任せる者がいない」
「小さい水船だよ」と、いく姐さんが言った。
「水がよければ、広さは働きますわ」
「見てくれるかい」
「団子を一本いただいてからでしたら」
いく姐さんは頷き、二本買った。腕を見るお方は話が早い。しかも前金が甘い。これはもう、よい商いの匂いしかしませんわ。
* * *
上椿へ向かう坂の途中で、千鳥屋の前を通った。戸が開いており、水船のそばには返された束が積まれている。春の市から十日で、三軒ぶんが五軒ぶんへ育っていた。損というものは楮より繁殖が早い。
初音さんが綴りを開き、詫びに回る先を指で数えていた。一、二、三、四。勘九郎親方が横から綴りを取り上げようとすると、その指が止まった。
「俺が話せば済む。買い手は紙のことなんぞ——」
「もう、お前は水船に口を出すな」
初音さんは綴りを胸へ引き、勘九郎親方を土間の外へ押し出した。普段なら三度は取りなす人が、一度も振り返らない。勘九郎親方の踵の前で戸が閉まり、内側から閂の落ちる音がした。
わたくしは坂を上った。千鳥屋の詫び先が何軒になろうと、数える指は初音さんのものだ。わたくしの指には、これから読む水が待っている。
上椿の漉き場は、本当に小さかった。屋根は低く、水船は千鳥屋の半分。けれど北の沢から引いた水は澄み、指を入れると冷えがまっすぐ骨へ届いた。余計なぬるさがない。これはよい水だ。腹は冷えそうだが、紙は喜ぶ。腹には甘酒という優秀な別働隊がいる。
いく姐さんが楮をひと束、作業台へ置いた。
「好きに使いな」
「お代は?」
「最初の紙を見てから決める」
「まあ。わたくしより商人でいらっしゃる」
「三十年売ってる」
講の女衆が用意してくれた簀は、竹の色も新しく、まだわたくしの指の癖を知らない。水へ沈め、重みを受け、ゆっくり引き上げた。前へ返し、横へ流し、もう一度水を抱かせる。回数は数えない。指へ当たる流れが細くなるまで待ち、楮が簀の上で息を揃えたところで止めた。
一枚目を紙床へ伏せると、女衆の一人が息を吐いた。
「音がしないんだねえ」
「水に喋らせておりますの。わたくしまで喋ると、たいへん騒がしい紙になりますわ」
乾いた一枚を陽へ透かした。厚みは均しすぎず、薄いところもない。白い面を横切る雲は、ひとつもなかった。
三軒の表具屋が、上椿まで坂を上ってきた。先頭の者が紙を透かし、今度は首を傾けずに言う。
「蕗親方。次は、これより髪一本ぶん薄くお願いしたい」
親方。
その呼び名は、梅干しなら壺半分。簀を水へ戻す。値は、次の束へわたくしがつければよい。
「承りました。春の屏風でございますね」
「わかるのか」
「丸めて持ってきた下絵の幅で」
「やはり、あなたに頼みたい」
よろしい。今の一言で団子なら十二本、梅干しなら壺ひとつ。換算はやはり楽しい。楽しいので、値切る気配があればすぐ二割増しにして差し上げる。
仕事を終えると、講の女衆が火鉢のまわりへ椀を並べた。甘酒の湯気が、働いた指の間を通って頬まで上がってくる。
「蕗親方、冷めるよ」
「その呼び方をなさるなら、大盛りでお願いいたしますわ」
「親方と椀の大きさに何の関係があるんだい」
「責任が増えれば、腹も減るのでございます」
笑い声の中で、いく姐さんがわたくしの椀へもう一杓入れた。温かな甘酒は、冷えた握り飯よりずっと早く喉を通る。十一年かけて知るには、少々簡単すぎる道理だった。
* * *
半年後、雪の匂いが坂を下り始めたころ、勘九郎親方が上椿へ来た。
羽織の裾には泥が跳ね、息は坂の半分へ置いてきたらしい。漉き場の戸口へ立っても、以前のように「蕗」と呼びつける声が出てこない。わたくしは水船へ指を入れたまま、冷えが爪の下へ届くのを待った。
「……蕗」
「何でございましょう、勘九郎親方」
「千鳥屋へ戻ってくれ」
水から指を上げ、布で拭いた。今日は雪解けが混じり、流れが朝より速い。この水では楮が落ち着かない。午後の一桶はやめる。その判断を、柱へ何文字で貼ればよいのかしら。
「市松は辞めた。初音も、俺を水船へ入れない。昔からの買い手も、お前が漉くなら注文を戻すと言ってる」
「そうでございますか」
「賃は上げる。今度は枚数だけじゃなく、お前の言うことも聞く。簀も新しくする。だから——」
勘九郎親方は膝へ手を置いた。やがて背を曲げ、頭を下げた。十一年前、千鳥屋へ入れてほしいと頼んだわたくしが見たものと、ちょうど逆の形だった。
「戻ってくれ」
「どれも同じ紙だ」
勘九郎親方の頭が上がった。
「勘九郎親方が、買い手の前でそう仰いましたもの。わたくしである必要はございませんわ」
「それは……」
「本日の水は速うございます。坂が凍る前に、お帰りくださいまし」
勘九郎親方は何度か口を動かし、結局、何も持たずに戸を出た。坂を下る足音は、来たときより遅かった。わたくしは追わない。千鳥屋までの道は、そちら側だけに続いている。
水船の横には、洗ったばかりのわたくしの簀が立っていた。手に取り、陽へかざす。竹ひごの隙間から午後の光が細く差し、十一年前の壁際にはなかった景色を作る。
「蕗親方、甘酒が冷めちまうよ!」
奥から女衆の声が飛んだ。これはいけない。冷えた食事へ戻る義理など、勘九郎親方よりさらにない。
「すぐ参りますわ。わたくしの椀、いく姐さんから守っておいてくださいまし!」
「もう二杯目を飲んでるよ」
「それは姐さんのぶんでございましょう!」
仕上げておいた一枚を、入口から差す光へ透かした。雲はない。表具屋に頼まれた厚みが、端まできれいに揃っている。
わたくしは簀をいつもの位置へ立てかけた。今度のいつもは、わたくしが決めた場所だ。
奥の輪へ入ると、大きな椀から白い湯気が立っていた。両手で包めば、指の節まで温まる。
「これですわ。紙も甘酒も温度が命ですのよ。冷えた寒は十一年で人を辞めさせますの」
「甘酒を三杯飲む言い訳にしちゃ長いねえ」
「十一年ぶんでございます。まだ足りませんわ」
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
作者ページには他の短編も並んでいます。よろしければどうぞ。




