おとぎばなし・浦島太郎
こうなる、とはわかりきっていた。
やたらと正義感ばかり強い子ども二、三人の前に出ると、自分自身がどうなるか、ということは……。
案の定、これでもかとばかりに、あなたを殴ったり蹴ったりしてくるわけだ。
ただ、何の狙いもなしに痛い目に遭いにいくものがどこにいる。浦島太郎という、あの男が通りかかる時間を見計らって、ちょうど、かれの前でいたぶられてみせるのが、得策とみたからなのだ。
そら、思ったとおりに、こちらへ走ってくる。少しばかり見た目がいいものだから、女性たちは、憧れのまなざしを向ける。それにふさわしくあるように、かれ自身も己を取り繕う。だから、こうしたとき、どう振舞えばいいかも、よくわかっている。
「皆でよってたかって。いじめはよくないぞ」
妙な迫力があるだろう。子どもにとっては。どこかでいい女が自分を見ていると思えばこその立ち回りは、気障だが、印象だけはいい。子どもたちは面倒事を嫌って、散っていった。
やたらに人気のある太郎がいうことは、女たちにとって、間違いのない真実になってしまうのだから、やっかいなのだ。
確実に行われた偽善は、太陽の照りつける砂浜と同じ光量で人の目をくらます。太郎の目には、そうしたまぶしさがあった。
あなたは動けないふりをした。すると太郎があなたを少し抱え、波打ち際まで運んだ。
体の一部が海水に触れるやいなや、あなたは、神通力で本来の姿にたち戻る。
力強い腕で、太郎を波のまにまに引き込む。もがく太郎の肩を叩いて知らせる。
「心配しなさんな。息もできるし話もできる。おれは、さっきの、亀のなりをしていたやつだよ」
慌てていた太郎は、はたと我に返り、手のひらをためつすがめつ……あなたに驚きの表情を向けるのだった。
「どういうこと」
「さっきはありがとうな。おれたち海のものを助けてくれたら、竜宮城でおもてなしをする、という決まりがあってだな」
少し得意げな様子で、太郎は、そうか、と答えた。
「あれだよ。竜宮城。乙姫さまにお目通りするからね、太郎さん。失礼のないように頼むよ」
門番たちは、陸での話を他の連中からとっくに聞いていて、すんなり太郎とあなたを通してくれた。
「海の底にこんな凄いところがあるなんて」
「そうだろう。じゃあ、お目通りするので、別室で衣服を改めてくれ。後で会おう」
あなたも、外まわり用の服を、クラシカルな正装に変えた。鏡を見てつくづく思う。太郎より、自分のほうが、見た目もいいし品もある。
そんなことを考えていると、なんだか嫌になってきた。
乙姫さまの御前に行くと、うやうやしく太郎が現れた。正装した姿は結構な美男子ぶりが明らかで、居並ぶ女官たちも、ため息を押し殺している。
「よく来た太郎。近くへ参れ」
乙姫さまは、頬を赤らめて、太郎をほど近くにはべらせた。
二人の前に出された膳には、これでもかと珍味が揃えられていた。
「乙姫さま。こんなに美しいかたを太郎は知りません。思い浮かべたこともございません」
酒器も運ばれ、さしつさされつ、甘いときが、もう始まりつつあった。
あなたはうんざりしてその場を去った。よく知っていることである。乙姫さまのことなら、なんだって。
半月ほど前、浜辺の里にすこぶるいい男がいる、とうっかり誰かが漏らしたものだから、乙姫さまは関心を示してしまった。
「気立てのよいものならば、連れて参れ」
海の底まで、雷が落ちたかのような感覚だった。そして、また、あなたは……。
浜辺で様子を見ていると、すぐにわかった。妙に華やかな雰囲気のプレイボーイ。女と別れるのがうまい類の男だった。恨ませず、優しさで離れるのだと思い込ませるのだ。その現場をいくつか認めたが、あなただって感心するほどのものだ。
ただ、この浜辺の人間は、海からやってくるものを嫌い抜いていた。別の海域でとれたものしか魚は口にしなかった。それに、まるで、竜宮城の今までのいきさつを、連綿と語り継いでいる者がずっといるようでさえあった。
もう誰も、海の底へ行く者がなければいい、といわんばかりに。
それから何日も、酒色の日々は続いた。歔欷の声。止む間は、食事。そのことが、誰にあっても明らかだった。周りの女官たちも、他の家来たちと戯れている。乙姫さまは太郎との営みに夢中で、まるでとがめる気配もない。いわば公認の乱痴気騒ぎが繰り広げられているというわけだ。ただ、あなたをのぞいては……。
そうした折、乙姫さまの部屋そば近くにいると、おい、と声をかけるものがあった。太郎である。
「どうした、太郎どの」
「声が大きい。近くに」
寄っていくと、乙姫さまのうつり香が、太郎から聞こえた。とりわけ不快だった。この香りはあなたも知るものだったから。
「おれ、どうなっちゃうの」
「一生、こうしたふうだよ。乙姫さまを満たしてやるのさ。そうすると海は落ち着いて、変な具合に時化で命を落とす者もなくなったり、豊漁になったりして、いいことずくめだな」
「そろそろ浜のあいつも待ってるし、様子を見たいんだよ」
「よしておきなさいよ。浜に、乙姫さま以上の女なんていないよ」
ひたすらにせがむ太郎を振りほどこうとしても、追いすがってくる。
「そりゃ最高だよ、乙姫さまは。今までのどの女よりいいよ。しかしね」
「おれはお前さんのためを思って止めているんですよ。陸へ行くのは、よしなさい」
「頼むよ。すぐに戻るからさ。あんたの案内がなきゃ戻れないに決まってるだろう」
「だめだ」
「おい、それはないぜ。おれはあんたを助けた恩人だっていうのに、そういう仕打ちもないだろうよ」
あなたは黙って太郎の目を見た。一見きれいなようなのに、やはり、奥底にいやらしい光がある。
「今、乙姫さまはお寝みかね」
「そりゃあ……たっぷりご満足いただいて、ぐっすりだよ」
得意そうに、太郎が笑う。
「そいつはよかった。じゃあ今すぐ向かうぜ。お目覚めの時までに戻らないとな」
「ありがとう。さすがはあんただ」
二人連れだって、竜宮城を離れていく。
「あれだけ絶倫の女っていうのは……いるところにはいるもんだね」
振り返りながら太郎がこぼした。
「一体おれのいない間、誰が乙姫さまを慰めていたんだよ。並大抵の男じゃつとまらないぜ」
あなたは横目でこの男をじっとりと見た。
「誰だろうな。あんたのこと、恨んでいるかもしれないぜ」
「ぞっとしないな」
上から光が差してくる。波打ち際は近い。
「まもなくだがな。いいのか、本当に。竜宮城へ引き返さなくていいのか。今なら、まだ間に合うぞ」
太郎は笑って、手を振った。
「いやなに、すぐだから」
ふ、と潮の匂いがきつくなった。
ここは太郎がもといた浜辺である。
「あ……なつかしい」
太郎のひとこと漏らした声が、ひどくしわがれている。
あなたの体はまだ海中に半分以上浸かったまま。元来の整った容貌から、少しも変わらない。
「恩人の太郎さんよ。おれからの贈り物だよ、ご覧」
手渡したのは、鏡である。
太郎は悲鳴をあげた。映ったそれは、まったくの老人のものだった。たちまち力が抜けていき、その場に座り込んでしまう。息をするのも一苦労といったふうである。
「だから止めたんだ。あれだけ相手をしていて、ただの人間が、元気でいられるのがおかしいんだよ。海の神通力のおかげだったのさ」
しわだらけで喘ぐ太郎のそばに、子どもたちが寄ってきた。
「海の化け物だ、やっつけろ」
この辺の人間にとって、竜宮城とは、恐るべき魔物の根城として認識されているらしかった。時々、浜から人をさらっては去っていくという話が、行き渡っているのだ。
戒めを無視して、粋がった太郎は、いまここで苦しそうに喘いでいる。波打ち際へ必死に手を伸ばすが、届かない。もう、あとわずかの命であろう。
「太郎よ。達者でな」
あなたは海へ潜っていった。
見目麗しく、浜辺で打ち据えられる亀を助けに来るような男が現れるまでは、乙姫さまはあなたのものだ。いっそこの陸の上から、そんな偽善者が一人もいなくなってしまえばいい。
青の世界をかき分けながら、乙姫さまの肌の記憶を、脳裡に蘇らせる。
火をつけられてしまった乙姫さまは、きっとあなたを必死で求めてくるに違いあるまい……。
竜宮城が見えてきた。これからおとずれるであろう、めくるめく時間。
あなたの目が、ぎらりと光った。




