正解のない設計図
AIが普及してから、私の学習意欲が止まらなくなった。
調べようと思えば何でも調べられる環境が整ったことで、日常のふとした疑問を流さずにいられなくなったのだ。
なぜ昔の昆虫は大きかったのか。なぜ蜘蛛は巣を作るものと作らないものがいるのか。以前なら気にも留めなかったような問いが、今では知的好奇心の種になっている。
古生代の昆虫は、現在よりもはるかに大きかったという。
その理由は大気中の酸素濃度にある。当時の地球は現在よりも酸素が豊富で、昆虫の体内に酸素を取り込む機構がより発達し、巨大化が可能だったと言われている。
現在の昆虫はその面影もないほど小さくなったが、それでも驚くべき構造を持っている。頭を潰されても体がしばらく動き続けるのは、哺乳類とは根本的に異なる神経構造を持っているからだ。脳に依存せず、体の各部位が独立して機能できる設計になっているのである。
蜘蛛もまた、驚異的な適応力を持つ生き物だ。
水中で生活できるものもいれば、砂漠に暮らすものもいる。
巣を張って獲物を待つものもいれば、巣を作らずに自ら獲物を追うものもいる。同じ蜘蛛という括りの中に、これほど多様な生存戦略が存在していることに、私はただただ圧倒される。
一方、植物は「動かない」という戦略を選んだ。一見すると不利に思えるこの選択は、しかし非常に合理的だ。
種を風に乗せ、動物に運ばせることで、自ら動かずとも子孫を広範囲に広げることができる。
エネルギーを移動ではなく、繁殖と成長に集中させる設計とも言える。
これらの生き物に共通しているのは、「正解が一つではない」ということだ。
巨大化も小型化も、動くことも動かないことも、巣を作ることも作らないことも、すべてが環境に応じた一つの答えである。
生物の歴史は、無数の試行錯誤の積み重ねであり、その結果として今日の多様性が生まれた。
AIによって知識への入口が広がった今、私が学べば学ぶほど感じるのは、世界の複雑さへの敬意だ。
正解は一つではなく、むしろ正解の数だけ世界は豊かになる。そのことを、小さな生き物たちが静かに教えてくれている気がする。




