後譚、滅びの龍
竜の国を旅する半蔵とリン。
二人は食事を終え、リンはレモンを絞り入れたソーダを飲んでいた。
半蔵はと言えば「このチンタってのは酸っぱくて好かんな」
渋い顔をしながらグラスに注がれたワインをチビチビと舐めるように飲んでいた。
「日ノ下から下りの銘酒を持ってきているではないですか」
リンは荷物を指さして言ったが半蔵はまるで叱りつけるように返した。
「アホ言うな、これは大殿に捧げるんや。大殿も久しぶりに飲みたいやろ」
「うーん・・」リンはかすかに首を傾げた。
「なんや、大殿はこのチンタって酒が好きやったんか?」
「いえ、日ノ下の酒が飲みたいと言ってました」
「せやろ。これは大殿のために持ってきたんや」
「墓は、作ったんか?」
「墓?大殿のですか?」
「そうや、他に誰がおるねん」
「いえ、ありません」
「ほうか・・大殿らしいの」
なんや嬢の奴、ちぃと薄情と違うか。
半蔵はリンの顔を見たが、少しも悲しそうな様子が無い。
あないに大殿に懐いておったのに、だからもう一度竜の地に来たんやないのか。
大殿の為に持ってきた酒を飲めばええ言うし、墓が無いのは大殿の遺志やろうが、もうちぃと・・・なあ・・・。
まぁそやな、嬢は大殿の辞世の句を持ち帰った。
それは大殿の最後にリンが刀を降ろしたという事。
家族を幽世に送るいうのは・・・。
嬢は儂にはわからん辛さを乗り越えたという事か。
「嬢はどうやったんや」
半蔵が聞いた。
「どう、とは?」
「ほれ、一人で旅してきたんやろ、ここをのう」
もちろんリンは半蔵が何を聞きたいのか分かっている。
火の源の国の戦火は消し均された。
三人の武士と一人の忍者によって。
一人は石ノ家当主、義経。
一人は高田家当主、純次。
一人は義経の孫娘、巴。
そして日ノ下の忍びを束ねる大忍者、四ツ蔵の半蔵の四人によって。
義経は火の源の国が日ノ下と改められる前にこの地を去った。
それを見送ったのは半蔵ただ一人。
「大殿は大西海を渡りましたで」
半蔵がそう告げても高田も巴も驚いたりはしなかった。
かつてこの国には天子様の下に横並ぶ八つの華族があった。
それらは由緒正しき華族であり、横八華と呼ばれた。
そしてその跡継ぎを決めることは華族の最重要課題だ。
天子様に次の当主を奏上するわけだが火急であれば使いを立てて伝聞でもよい。
戦果を消し均した石ノ家はその古の横八華の最後の一華だ。
その石ノ家の次の当主が誰になるのかという事はこの国の全ての民の誰もが気にするところだ。
半蔵が一人義経を見送ったのならばそれを、義経が石ノ家の次の当主を誰に指名するかを聞いているはずだ。
それをしなければ最後の一華である石ノ家が断絶するという事になる。
だが半蔵はそういったことを一切口にせず、それに対し高田も巴もまるで気に留める様子は無かった。
「ならば名を改めねばなりませぬな」事も無げに巴が言う。
「そうですな」高田が思案顔で呟いた。
「スミ殿は何か良い名を出せるか」すでに将軍に任じられている巴が高田に聞いた。
「ふーむ。石・・石ですな・・・。石平は如何か」
「石平。ふむ、良いですね。高田家と石平家でこの日ノ下の国の平和を高く盤石にと」
「いかにも!」
「それでは私は石平家初代当主、陽下将軍と言うわけですね」
「めでたき事!」
二人とも、大殿義経が石ノ家の次の当主を誰にするかを半蔵は聞いたはずだとは問わない。
さすがやな・・。
半蔵は思う。
二人とも大殿の想いを全て分かっている。
大殿は誰よりもこの二人を知り、二人は誰よりも大殿を知っている。
大殿は石ノ家の次の当主を誰にするかなどと言ったことは一言も口にはしなかった。
義経に続き石ノ家の当主を引き継ぐ資格があるのは第一に巴、次にリンだ。
現実的に考えれば石ノ家の次の当主は当然のことながら巴だ。
義経がそれを半蔵に伝え、半蔵がそれを巴に伝え、巴が天子様に奏上すれば石ノ家は華族として存続する
だが義経はそう言ったことは一切口にしなかったし半蔵も聞かなかった。
そして巴もそれを聞きただすようなことはせず、横八華の最後の一輪、石ノ家断絶を事も無げに受け入れ名を改めようとしているのだ。
石平家。そう言った高田もまた大殿の気持ちを分かっている。
大殿はただ一人の曾孫の幸せを欲していた。
それが為されればこの国から戦火を無くすと信じていた。
この国が火ノ源と呼ばれるほどに二千年の戦火で焼き続けられることとなった発端。
八華ノ戦。
大殿はこの国が火の源と言われるようになった元凶である横八華の全てを摘むつもりだったのだ。
天子様の下に横並んでいた八輪の華。
その最後の一華を自ら取り除いたのだ。
そして、大殿がそうするであろうことを高田と巴の二人も分かっていた。
だがそうとは知らない者が一人いた。
リンだ。
リンは二人のこの態度をあまりに薄情だと受け取った。
二人は法王と将軍になれたのでもう大殿のことはどうでもよいのか?と怒り家を飛び出し大殿を追った。
それは家どころか国からもだったわけだが、高田も巴も、そして半蔵も焦るようなこともなかった。
リンは石家の末孫なのだ。
大殿の真の想いまでは分からずとも、大殿の心、高田の文、巴の愛、さらに半蔵仕込みの技を身に着けていた。
心技体のうち、心と体は若さゆえの甘さはあったが半蔵仕込みの技はまずもって一流と言えるものですでに三つ返しの秘術を身に着けていたほどだ。
リンが旅に出たと言ってもそれをも守れるほどの者は日ノ下にもそうはいないだろう。
それに高田も巴もそれぞれが、法王と将軍へと任ぜられておりリンの心配をする暇のないほどの忙しさだった。
リンが乗る船は大西海を渡り終えフェイタブルの地へと到着した。
そこは一説には黒山の獣の起源とも言われている地だった。
リンはそこで古の技を学びつつ大殿の行方を探った。
戦の無いこの地では学ぶに値する技はあまりなくどちらかと言えば大道芸のようなものばかりだったが。
リンは内陸部へと進み大殿の行方を捜し続けたが手掛かりは何もなかった。
この地の人々は背は高く体毛は胸に毛が生えているほど濃く、髪は金や赤髪が多く黒髪もいるにはいるが日ノ下の民のような艶のある黒髪を持つ者は居なかった。
顔つきも違う。鼻が高く目は庇が付いているように落ちくぼんでいる。これならば大殿の行方などすぐに知れると思ったが大殿へと続く足掛かりはまるでなかった。
これはリンが思う以上にこの地は広大だったという事と、大殿の乗る船が着いたのはリンが着いたフェイタブルの地より遥か南のカンヌンブルの地だったせいだ。この二つは悠に百里は離れていた。
さらに、大殿はカンヌンブルから南西へと進み竜人がハンターズを束ねるギルドが支配するエリアへと入ったが、リンはフェイタブルから北西に進みマシンナーズと呼ばれる人々を統治する機械都市の支配地域を進んでいた。
そうとも知らずにリンは旅を続けた。当然、大殿へと繋がる手掛かりは皆無だった。
「此の地の何もかもが珍しく……もちろん大殿のことは探してはいましたけど何も話を聞けなくて。最初は此の地は訛りがひどく言葉がうまく通じていないのだろうと必死に訛りを覚えました。それでも大殿のことを聞くことはできませんでした」
「でも会うたんやろ?」
「ええ、そうですが・・」
旅を続けるリンはある日初めて空を飛ぶ竜を見た。
それまでは車を引く牛の代わりのような鈍重な四つ足の竜や、二本足で走る竜しか見たことが無かった。
だがそれは唐突にリンの目の前に降り立った。
それは薄い橙色の鱗の覆われており大きな翼を拡げ長い脚で立ちその姿はまるで羽毛の無い鳳凰のようだったが美しいとは言い難かった。いや、身体付きは美しいのだが長い首の先に付いた頭には河原に転がる丸い岩のような大きな嘴に二枚の団扇を付けたような鶏冠が広がっていたからだ。
竜はリンには気がついていないようで、エサを探しているのだろうゆっくりと長い脚で歩き始め、時折匂いを嗅ぐように大きく丸い嘴を地面に近づけている。その姿は鳳凰というより沼地を探る鷺のようだ。
リンが和む様に微笑むとそこで竜は初めてリンに気が付いたようで、酷く驚いたように長い両足で呼び跳ね大きな羽をばたつかせていた。
その姿は必死になって威嚇しているようでリンは思わず笑ってしまった。
なんせその足だけでリンより高いのだ。地に着く足から頭まではゆうに二間はあるだろう。
そんな生き物が必死にリンを威嚇しているのだ。
「大丈夫、殺したりしないよ」リンが優しく声をかけるとキーン!!!という甲高い音が鳴り響いた。
鏑矢!?リンは咄嗟に身構えたがそれは日ノ下にはない「銃」と言う武器から放たれた弾丸だった。
少し離れた茂みから一人の男が必死そうにこちらに何か合図をしていた。
鷺のような竜はその音に耳をやられたのか直立したまま固まっている。
男が「こっちだ!」と手招いている。
リンは何事かと歩み寄ると男はリンをわきに抱え一目散に走り始めた。
どうやら敵意は無いようでリンはなされるがままにしていた。
「もう大丈夫だろう」
男はリンを降ろした。
もう少しあの竜を見て居たかったのにな、とリンが考えていると男はリンの肩に手をかけ揺さぶりながら聞いた。
「怪我はないか!?」
「は、はい」
「他には誰かいないか!?」
「いえ、私一人です」
この男がなぜそんなに焦っているのかリンには分からなかった。
「親は!?」
「えーと・・死にました」リンがそう答えると男は目に涙を溜めて頭を下げた。
「すまない、もう少し早く見つけていれば・・」
「分隊長、その女の子は?」この男の部下なのだろう、数人の兵士がやってきた。
「ナッツヘッドに襲われたようだ」
「ナッツに?他には?」
「いない、この子は一人だ」その声を聞くと男の部下たちはリンに同情した様子になった。
「しかし、その子はどうするんです?」
「放っておくわけにもいかないだろう、ロック隊長に聞いてみよう」
ロックという隊長はその名の通り筋骨隆々の岩のような体つきで目くばせやわずかに頷いたりするだけの酷く寡黙な男だったが、不思議と部下とは意思の疎通が図れているようだった。
リンはよく分からないままに機械都市の首都に行くことになった。
リンにしてみれば願ったり叶ったりと言ったところだった。見るものすべてが珍しく付き添う兵士たちは一つ一つ丁寧に説明してくれたし、人の多い街に行けば大殿の行方も聞き出せるかもしれない。
「そないに大きい竜がおるんか」
驚いた半蔵が口を挟む。
「そうですよ、しかしそれでも小さい方なのです」
「ほええ、見てみたいもんや」
「この地では嫌でも見る事になるでしょう。そうそう、人に向かってナッツヘッドの様だなどとは言ってダメですからね」
「まあ儂はこの地の訛りは分からんが、なんでや?」
「それは見れば分かります」
リンはロック隊長に連れられフェイタブルから遥か西へと進み半年ほどかけて機械都市へとたどり着いた。
そこはマシンナーズの首都、機械都市マシンナーズメタルポリス。
リンは見たこともない巨大都市に圧倒された。
道を行く人々は祭りでもあるのかというほど多く、都市を埋め尽くす家々はそのどれもが石造りで見上げるほどに高くまるで城のようだ。
「石で家を建てるなど、崩れたりはしないのですか?」
「誰が崩すんだよ」兵士は笑いながら答えた。
「いや、地震で」
「ジシン?なんだそれは」
この地では大地が揺れることは無いようだった。
右を見ても左を見ても何もかもが珍しく今にも走り出したかったが同時に大事なことも思い出した。
大殿は・・・。
これほどまでに多くの人がいるのならば一人くらいその行方を知っているはずだ、今すぐにでも聞いて回りたい。
だがロック隊長は静かに首を横に振った。
「なぜですか!?」
焦るリンに寡黙なロック隊長に代わり分隊長が答えてくれた。
「お嬢ちゃんがそのオートノって言う爺さんを探したいのは分かるけどな、お嬢ちゃんは東の大海を渡ってきたんだろ?まず総統に面通しをしないとな」
「しかし!」
「焦るなって!総統閣下に頼んだ方が早いからさ、嬢ちゃん一人で聞きまわるより閣下が一言いえばこの国中から情報を集められるからよ、その方が早いだろ」
閣下!?この地の将軍という事?
リンは素直にそれを聞き入れ機械都市総統閣下の前に膝をついた。総統と呼ばれた男はこの国では珍しく小柄でリンより少し大きいくらい。そしてその顔は鉄の仮面に隠れていた。総統は決して顔を見せないと言う。
だがリンはこの地を統べる者を前にし、礼を込めて日ノ下からの使者として口上を述べる。
「機械都市総統閣下拝謁恐縮至極候。我、大海ノ先、東国火ノ源石家末孫リン。火ノ源二千年ノ戦火之鎮火、此度日ノ下成リ祝参奉祝芳情ス」
その場の誰もリンの言葉は分からないだろうがすべきことは正しく行わなければならない。あとから説明すればよいのだ。
その場の皆がリンの酷い訛り口上に戸惑い首を右に左にと向ける中ただ一人、総統閣下だけが大きく頷きリンに右手を向けて言った。
「長きに及ぶ火ノ源の国の戦火を鎮火せしめたこと機械都市総統として祝賀奉祝を返答す。日ノ下の使者よ口上承った楽にされよ」
リンは日ノ下の言葉を使う総統にしばし驚きながらもすぐに両拳をつき頭を下げ「恐悦至極!」と返す。
総統は傍らに立つ一人の女性に言った。
「隊長、彼女の世話を頼むぞ」
「はっ!」女性は頭を下げて答えた。
女性は総統閣下直属の親衛隊隊長で名はルー・エンゾといった。
プラチナブロンドの文字通りに宝石のように光り輝く長髪をなびかせる美しい女性だったが、その顔にはブルーハウンドと呼ばれる二足歩行の竜に襲われた時にその爪で抉られた傷跡が幾筋も残り彼女は陰でスカープラチナと呼ばれていた。
もちろんその言葉を彼女の耳に届けるほど命知らずなものはいない。
だがそれは総統直属の親衛隊長を恐れているからではないし、鞭のようにしなる刺突の細剣の達人を恐れているのでもない。
リンはエンゾ隊長の目を見て理解している。
この地には戦が無い。この地にはイクサという言葉すらないのだ。
竜と言う驚異の前では人と人とが争っていられるほどの余裕がないのだろう。
そんな地でただ一人、火ノ源の民と同じ目をしているのがエンゾ隊長だった。
それは人を殺めたことがある目。ただエンゾ隊長が火ノ源の民と違うのは人を殺めたという狂気に苦しめられていたというところだ。
狂人スカー。彼女が陰でそうあだ名されているのは現総統閣下をその地位に就けるために対立候補の一人と大勢の機械都市幹部を刺し殺したからだ。
だがルー・エンゾは不思議とリンには優しかった。
いや、これが本来の彼女なのだろう。しかし人を殺めたことに苦しんでいる。
リンはそんな彼女の世話を受けてここ機械都市で暮らすことになった。
総統閣下はリンの願いを聞き、大殿の行方を国中に捜したがリンの望む知らせはついぞ来ることは無かった。
リンも当初はそれを疑い本当に調べてくれているのかと疑念を持ったが優しいエンゾ隊長と過ごすうちにそれが真実だと理解した。
この地はリンには想像もつかないほどに広大だった。
機械都市の多くの人々が海を知らなかったほどだ。火ノ源で海を知らない者などどこにもいない。
リンはこの地での物珍しさも薄れ始め大殿の行方がまるで分らないことに意気消沈していると、それに気が付いたエンゾ隊長は慰めるかのように言った。
「オートノはギルドの下にいるのかもね」
エンゾ隊長は竜を知らぬ地から一人やってきた老人がまだ生きているとは思ってはおらず便りの無いのは良い知らせとばかりに「死んではいない」と慰めたつもりで言ったがリンには通じない。
「では、そのギルドと言う国に・・」
「待ってリン。総統閣下と言えどギルドまでは難しいの・・・」
「では私が行きます!」
「リン、落ち着いて。あなた一人では危険よ。ギルドまで一人で行けるものではないわ」
エンゾ隊長は何とかリンを留めようとする。
「私は一人でも大丈夫です!そのギルド言うのは・・」
「ねえリン、聞いて。あなたは確かにすばしっこいし、何かに襲われるほど鈍くはないのだろうけれどギルドの事はまだ知らないでしょう。機械都市とギルドはあまり仲が良くないの。あなたの国のようにその、イクサ?って言うのは無いけれど一度機械都市に足を付けたあなたがそのままギルドに行くのは危ないの」
「しかし!!」
「聞いてリン、総統も出来る限り調べてくれているわ。私もギルドの出身だから少しは伝手があるし。すぐにとはいかないけれど、少しずつ調べているからお願い、落ち着いて」
そこまで言われては一宿一飯の恩義があるリンは勝手に動くことは出来ない。
だが早く大殿に会いたい。会って日ノ下の民がどれほど天下泰平の到来を喜んでいるかを伝えたかった。
なぜ何も言わずに去ったのかを聞きたかった。
そして、一緒に帰りたかった。
大殿に将軍と成って欲しかった。
リンが機械都市に来てからすでに四年が経過していた。
何度か「東海を渡ってきた老人がギルドのハンターと一緒に旅をしている」という情報が入りもしたがそれは遥か彼方のギルドの支配下の村での目撃情報であり機械都市からでは成す術がなかった。
総統はオートノが機械都市の支配下にくれば、東洋の老人にリンの事を伝える手はずを整えてはいたがその知らせが届くことは無かった。
リンは何もできずにもどかしい日々を送っていたある日、エンゾ隊長がやってきた。
「リン。あなたのお爺さんが見つかったわ。ギルドのレンゾってハンターと四人で旅をしているらしい」
「大殿が旅をしているというのはもう何度も聞きました。そのレンゾって言う人は?」
「クソ野郎だ」エンゾ隊長は唾でも吐きそうに言い放った。
「知り合いのなのですか?」
「ああ、あのクソとは因縁があってね」エンゾ隊長は口調が変わり顔を歪ませ疵を撫でながら言った。
「で、ヤツらの行き先が分かった。レンゾとあんたのお爺さん、それに女と男が一人ずつ」
あの大殿が竜を狩って生活している。
狩人となった大殿・・・。リンにはどうにも想像がつかず思わず笑ってしまいそうだ。しかし行き先が分かった?本当に?
「行き先が分かったというのは?」
「ええ、それがね。総統閣下にもちろん我が親衛隊、さらにロック隊長の鉄鋼部隊。そして新鋭機械化部隊が出る事になる。リンも行く?正直に言おう、私はリンに来てほしくないけど・・」
「それは何処です?大殿たちが向かっている地と言うのは」
「シュレディークと言う地。ここは機械都市でもギルドでもない禁足地なの」厳しい顔でエンゾ隊長は言った。
「もちろん行きますよ」リンが当然だとばかりにこたえるとエンゾ隊長は再び心配そうな顔に戻った。
「リン、よく聞いて。シュレディークは禁足地、誰も近寄ってはいけない場所なの。ヤツらはそこに行こうとしているわ。なぜだか分かる?」
「竜を狩りに行くのでは?」
「そう。それはそうなの。でもその竜が・・・」エンゾ隊長は両手を顔の前で合わせ酷く難しい顔をしている。
「リンもこの地に来てもう四年だし竜の事も少しは知ったでしょう。でもここ一年、竜の行動が異常なの。先日の西への大竜行。リンも見たでしょう?地の竜も空の竜も狂ったように一緒に群れと成り移動するなんてあり得ない事なの。機械都市だけじゃない、ギルドでも同じことが起きているはず。おそらくあの大竜行の行き先がシュレディーク・・・」
「大殿たちはその群れを狩りながら移動しているという事ですか」
「そうじゃない、ヤツらも引き寄せられているのさ。ヤツらと言うかクソ野郎と女がね」エンゾ隊長の顔はまた歪んだ。
「そのシュレディークと言う地には何が待っているのですか?」
エンゾ隊長少しの間悩んでいたが意を決したように顔を上げた。
「伝説の黒龍。世界を滅ぼす龍」エンゾ隊長は自分でもおかしなことを言っていると顔を振っている。
「リンの国では二千年の戦火が消えたんだよね、それと同じようにこの地にもいつか竜がいなくなるって伝説があるんだ・・・」
「大殿は伝説ではありませんけど」頬を膨らませてリンが口を挟むとエンゾ隊長は申し訳ないと言いながら話を続ける。
「この地ではいつか全ての竜を食ってしまう龍が現れるという伝説があるの」
「よいこと・・・では、ないのですね?」
「そう、龍は全ての竜を呼び寄せ食らいつくした後に人を食い尽くす言われているの」
「大殿たちはその龍を倒しに行ったという事ですか?」
「うん、おそらくは・・・」
エンゾ隊長はそうは言っても伝説の龍などと言うものが本当にいるとは自分でも信じられないのだ。
「伝説の龍と言うものが本当にいるかどうか分からない。そういう事ですよね?なら危険というわけでもないのでは?」
もちろんリンは何が起ころうとも自分に危険が及ぶなどとはまるで思ってはいないし、何かがあれば一宿一飯の恩義を返す時だと考えている。
総統閣下とエンゾ隊長、余裕があればロック隊長も助けてあげようと思っているくらいだ。
「そうだ、仮に本当に伝説の龍と言うのがいたのなら機械都市の新鋭機械化部隊で倒すつもりだけれど、それはギルドの連中も同じ。向こうも強力な部隊を連れてレンゾ達を追っているはず。伝説の龍、そんなものがいようがいまいがシュレディークは危険なの」
「ギルドと機械都市の戦などにはならないのでしょう?」
「それは分からない」
「なぜです?」
「クソ野郎のせいさ。アイツを殺したいのはアタシだけじゃない。みんなアイツを殺したいのさ」
「その伝説の龍いうんは本当におったんか!?」
半蔵は講談師を前にした酔客のようにグラスを片手に身を乗り出してくる
「本当に、おりました」
「おるんか!」
リンは興奮しきりの半蔵が手にするグラスに琥珀色に輝く酒を注いでやる
「おお!すまんの。しかしこれは美味いわ、ばーさんいうたか?」
「バーボンと言います。唐黍から作るお酒です」
「チンタは好かんがこの酒はええな、それにこの干し肉もええ」
半蔵はごく薄くスライスしたサラミを数枚つまみ取る搾りたてのレモンジュースに塩を混ぜた即席のタレを付けてから口に運び、バーボンで流し込む。
「それはサラミです。竜の肉を、薬味と塩に漬けて干したものです」
半蔵はつい先程、生まれて初めてサラミを口にしたというのにもうこだわりを見せる始末だ。
半蔵は厚めにスライスされたサラミを生まれて初めて口にすると、バーボンを口に含みリンが絞ったレモンジュースの残りを舐めてみた。
腕を組み一つ頷くとバーテンに向かい「これはもっと薄く切るんや」と興奮気味に言う。
もちろんバーテンにはこの東洋からきた老人が何を言っているかはわからない。リンが慌てて通訳をこなす。
「サラミをもっと薄く切ってほしいそうです」
「あとそのレモン言うのもくれ、塩もたっぷりや」
バーテンは言われたとおりにサラミを極薄にスライスしレモンを絞りたっぷりの塩を用意してやった。
半蔵はレモンジュースにたっぷりの塩を溶かし入れると極薄サラミを数枚つまみ即席のタレにくぐらせてから口に入れた。
バーテンも半蔵の動きを真似して同じようにサラミをタレにくぐらせてから口にした。
「どや、うまいやろ」
バーテンは二度三度と頷きながらよく味わうと笑顔で半蔵にサムアップを向けた。
言葉が通じない事を理解した上でのジェスチャーだった。
「なんや、あかんか?」
「あれはイイね!という合図です」とリンが教えた。
まったく、日ノ下の人たちは皆、食にうるさいのだから。
高田様はもちろん、それを奉行などと揶揄する四ツ蔵様もそして母、巴様もだ。
高田様は言わずもがな。高田様の前で鍋の蓋には触れてはならぬと皆が言っている。
巴様は甘味にうるさい。御楽子には熱い濃茶、つぶあんを乗せた草団子にはやや薄めの煎茶で少しぬるめにするとよく合い、端午の節句の柏餅には狭岡の新茶を娶わせるのが最良だと言う。
そういった事をおどけて話していた四ツ蔵様も十分すぎるこだわりを見せている。
それはどちらかと言うと食と言うより酒に対するものかもしれないが。
しかしこの四ツ蔵様の変わりようと言ったら・・・。
この地へ来てからというもの四ツ蔵様はよく笑うようになった。
四ツ蔵様はサラミを塩味のレモン汁にくぐらせ、その皿をバーテンと同じくしていた。
あんなことをする四ツ蔵様は初めて見た。
四ツ蔵様は実に楽しそうに食事をし、本当に美味しそうに酒を飲むようになった。
「なんや嬢、どないした」
「いえ、四ツ蔵様がバーボンを気に入ってくれたようで嬉しいのです」
「ほうか。で?その龍は!?倒したんか?」
総統旗下、機械都市の一軍はシュレディークの地を進んでいた。
そこはかなりの高地で高い木は無く、僅かな低灌木が生えている程度。
さらに進むとそれも姿を無くし、地を覆う草すらまばらとなりさらにそれすらも無くなった。
そこは赤黒い小石が埋め尽くす大地がどこまでも広がり時折目につくのは大竜行の途中で力尽きたのだろう、竜の死骸くらいの物だった。
皆隠れて赤黒い小石をそのポケットに詰め込んでいたが進むにつれ重荷になるだけだと悟りそれを捨てていた。
それは竜の体内でに溜まる血石。純度が高まるほどに高価だ。
もう見渡す限りの大地が真紅の血石で覆われている。
はるか遠くに黒い壁が見えた。誰が言うともなくそこが目的の地なのだと皆が理解した。
空は黒い雲に覆われているのにその壁の向こうだけが血のような赤い陽が差していたからだ。
皆、進むのを躊躇していた。ここにに近づいてはならないと何かが強く警告していた。
壁の向こうに差す赤い陽の中に黒い影が降りてきた。
龍だ。
まだ遠く、はっきりとその姿を見ることは出来ないが皆理解した。
あれが黒龍だ。世界を滅ぼす龍。
あそこに大殿が!
「行きましょう!」リンが言い周りの兵士は驚いた視線を向けたが総統閣下が言う「行くぞ!急げ!」
壁はその地を囲むような円形でかなり古いものなのだろう、ところどころ崩れていた。
「登れるところを探せ!」総統が指示を出すも動きの鈍い兵士たちにエンゾとロックの両隊長が叱責すると兵士達はようやく動き始めた。
兵士たちが恐れその動きを躊躇するの仕方が無い、レンゾと言うハンターたちが戦っているのだろう壁の向こうから幾たびか龍の咆哮が聞こえてきた。
機械都市総統以下が壁に登るとたった四人の男女が見るからに恐ろしい見た目をした漆黒の龍と戦闘を繰り広げていた。
片手に剣を握る女性に、その背丈と同じくらいの大剣を振るっているのはレンゾと言うハンターだろう。もう一人の男性は銃を手にしていたがまるで役には立っていないようだ。
そして火ノ源天下三刀のうちの一振、鶴ヶ家に代々伝わっていた黒鶴を手にしている大殿がいた。クロタガスネという名の通り黒く細いが並の者には構える事すらかなわい重剣だ。
「大殿!!」思わずリンは呼ぶ。
「待て!部隊が整うまで待つのだ!」総統が逸るリンを抑えた。
伝説の世を滅ぼすという龍。それは本当にいた。
四つ足で大きな翼を持ち長い尾。そして蛇のように長い首。全て漆黒だった。
身を起こすとその高さは十丈、尾の先から頭までは丗丈はあるだろう。
だが黒鶴に切れぬものは無く、それを手にしているのは大殿なのだ。
しかし、黒龍に傷は一つもなく四人は苦戦しているようだった。
「配置完了しました!」部隊の指揮者が言った。
同時に大殿が剣魂一敵の一撃を放った。
女の持つ小剣を龍の脊髄に刺せばそれで終わりだと聞いていたのだが、それがまるで叶わない。
首でも背でも尾でもよいからレンゾ殿の大剣で鱗を砕きそこに女の剣を刺すだけで終わると聞いていたのだが龍の鱗は鋼よりも硬く岩よりも重い。レンゾ殿の厚剣は虚しく火花を散らすのみだ。
「儂に任せろ!」
剣魂一敵!!
義経は黒龍の尾に渾身の一撃を放った。
大鐘を巨石にぶつけ割ったような轟音が十里先まで叫んだ。
だが黒龍の尾は健在で義経の手にしていた刀は折れていた。
「バカな!?」
義経は驚愕し立ちどまりレンゾが叫ぶ。
「爺さん、避けろ!!」
折れた黒刀を呆然と見つめる義経に黒龍の尾が襲い掛かる。
義経はすんでのところで振られた黒龍の尾の一撃を手にした刀で防いだがその小さな身体は小石のように吹き飛び壁に叩きつけられた。
だが義経の一撃は無駄ではなかった。黒龍の尾に亀裂を入れており、その尾を振った際にひび割れた欠片が飛び散った。
「レンゾ!義経の打ったところが割れている!!」
指は潰れ腕は折れていたレンゾだが咆哮と共に黒龍に跳びかかり大剣を振り下ろすと甲殻が砕け散り肉を裂き黒龍の尾骨が露になった。だが、まだ女の小剣ではそれを貫けない。
一発の銃声が響き尾骨の繋ぎ目を裂いた。女は飛びその裂けめに剣を刺し叫ぶ「レンゾ!!」
レンゾは最早大剣を振るう事すら叶わぬその身体で厚剣を肩に担ぎ身体ごと小剣めがけて叩きつけた。
小剣が黒龍の尾の髄に達した。
一瞬、黒龍は動くを止めたが全身を振るい暴れ始めた。
レンゾはそれに吹き飛ばされたが辛うじて厚剣で防いでおり傷がいくつか増えただけで済んだ。
「レンゾ!!」女が駆け寄り二人は暴れる黒龍に目を向けた。
黒龍は身悶え激しく暴れていたが尾骨に刺さった小剣から龍殺しの毒が染み込みそれは脊髄へと入り込み、延髄へと達しついにはその脳を侵されると動きが鈍くなりついにはどうと倒れた。
「オレがやるって言ったろ?」
レンゾは口角を上げて言うがそれはただの強がりだ。
左手は潰れ右の前腕は折れているし胴鎧は潰れ肋骨が肺を刺しているのだろうレンゾは血を吐いた。
女は地に這うように横たわるレンゾの顔に自らの顔を近づけた。吐いた血を吸ってやろうと言うのではない。
そっと目を瞑る女の肩をレンゾは掴み引き倒し女に覆いかぶさった。
「レンゾ?」
女はレンゾの顔を見てそしてその背後の空に目を向けた。
数十、いや数百の矢が空を飛んできていた。
「ダメ!!」女は叫び逆にレンゾを庇おうとするがレンゾは女を押さえつけた。
「いいんだ」
最後の最後でカッコつかねえんだな。
でもまあ最後に見るのがこの女の顔ならマシってもんだろ・・。
レンゾが死を覚悟した瞬間に轟雷が叫び響いた。
二人には矢の代わりに砕け散った破片が降り注いだ。
なんだ?
レンゾが振り向くと轟雷のような音が鳴り響いたと思われる方の壁から兵士の一団が降りてきた。
MMと染め抜かれた旗を掲げる数名の親衛隊儀仗兵を先頭に二人の男。鉄仮面を被っているのは機械都市総統だろう。その横には鋼鉄製の槍を掲げるように持つガタイの良い男。
まさかロックか?生きていたのか。
二人の後に30名ほどの兵士が続く。
レンゾからは見えなかったが兵士達の陰に親衛隊隊長エンゾもいた。
逆側の壁からも20名あまりの一団がレンゾの前にやってきた。ギルドの連中だ。先頭には竜人ヴィス、それに続いてギルドの精鋭部隊セブンウェポンズを率いている隊長はマガレか、平凡なハンターがずいぶんと出世したもんだ。
レンゾを挟んで機械都市の一団とギルドの一団が向かい合う形となった。
オレが口を出せる状況ではなさそうだな。
レンゾは二組を見て思った。
こいつらが何をしに来たのかは大体想像がつく。狙いはオレだろう。
まあオレはどうされても構いはしないがこの女は別だ。
「ストラ頼む、起こしてくれ」
レンゾは女に声をかけ何とか上体を起こし事の成り行きを見つめる。
だが満身創痍のレンゾに出来る事は少ないだろう。
「これはこれは機械都市総統閣下。このような禁足地までご足労なさるとは」
ギルドの一団を率いるヴィスが口火を切ると総統が返す。
「ギルドのヴィス殿に7ウェポンズのマガレ殿ですね。そちらこそはるばるご苦労な事で」
マガレは機械都市総統が自分の事を知っていたことに気分を良くし胸を反らせたがヴィスは違った。
「そうですな、この男は放っておくわけにもいかない者でしてな」
ヴィスは小さく鼻で笑いながらそう言ってレンゾを見下ろす。
「それがこちらとしてもこの方に用が有りましてね」
総統も鉄仮面の奥からレンゾを見下ろした。
「ほほう、ギルドの1ハンターに機械都市総統自ら用事があるとはね。それはまたどのような?」ヴィスは「ギルドの」と言うところ殊更に強調して言う。
「それは失礼ながら我が方の機密事項にて」
「機密事項であるならば仕方がないですな、それは構いませぬ。しかしここはどちらの法も及ばぬ禁足の地。しかしこの男はギルドのハンターですからな。当方に引き取らせてもらいましょうか」
「ふむ・・」総統は仮面で顔は見えないが思案気に首を傾けると傍らの儀仗兵に囁いた。
「エンゾ隊長をここへ」
「はっ!」
儀仗兵が後ろに下がるとエンゾはすぐに前に出た。
だが顔を逸らせ総統に抗議の顔を向けている。
だがヴィスはすぐに気が付く。
「エンゾか!?お主エンゾだろう?なぜここにいる!?」
エンゾは顔を歪めヴィスを睨みつけると更に疵が引きつり顔の全体が歪んだ。
「なんじゃその傷は、随分醜くなったのう!」
ヴィスが笑うながら言うとマガレは焦りヴィスを咎める。
「ヴィス様、何を言われますか。機械都市の親衛隊隊長ですぞ!」
「バカが!わからぬのか、あれは私が可愛がってやっていたギルドの小間使いルー・エンゾだお前も知っているだろう」
マガレはそう言われ改めて親衛隊隊長を見ると美しかった顔には疵が目立つが輝くようなプラチナブロンドの長髪に細身の長身、そして腰に帯びた細剣。確かにヴィス様のお気に入りのギルド職員だったエンゾだ。
エンゾ家と言えばタン・エンゾがたった一代で巨大交易都市エンゾを築き上げたがギルドに取り込まれると急速に落ちぶれてタン・エンゾの息子カード・エンゾが先代の残した膨大な遺産を米だかなんだか言う食えもしない東洋の穀物の栽培に注ぎ込み遺産の全て食いつぶしその娘であるルー・エンゾはギルドに仕える小間使いとなるまでに落ちぶれた。
そのルー・エンゾが機械都市親衛隊隊長?どういうことだ?機械都市の親衛隊隊長と言えば現総統をその地位に就かせる為に機械都市上層幹部の半数を殺したと噂される狂人だ。
それがエンゾ?エンゾが狂人スカーなのか?本当に?だがそうならそうで彼女を怒らせるのはマズいだろう。
「ヴィス様、あまり失礼な・・・」
「黙れ!」
ヴィスは思案気にエンゾを指さし次にロックを指さした。そして機械都市総統閣下にその指が向いた。
「ヴィス殿、彼女は我が親衛隊隊長であり私の腹心。そのような事はあまり言われぬようお願いしたい」
総統が一言一言を区切るようにハッキリと口にした。
「そうか!!!」ヴィスが大きな声を上げ強く総統を指さした。
その態度に驚いたマガレはまたヴィスを抑え込もうとする。
「ヴィス様、機械都市総統に対しそのような行いは・・」
「黙れ!!わからぬか!?」
「何がです?」マガレは困惑し聞いた。
「バカ者が!アレはギルドの小間使いエンゾ!向こうはネストのロックだろうが!」
マガレがヴィスが指さした男を見ると・・・。
ロック!確かにそうだ!レンゾが受けたギルドの依頼に同行した内の一人。そこで双火龍に襲われ死者二名を出しレンゾのハンターとしての評判は地に落ちた。そのときの犠牲者の一人がロックだった。ネストの凄腕ハンターの一人でブルーハウンド程度なら素手で屠ると言われたナックルロック、生きていたのか!
「今の声を聞いてわかったわ!機械都市総統閣下だと?仮面を取ってみろ!」
ヴィスが総統を指さした。
機械都市総統に仮面を取れとはさすがに穏やかではない、マガレは慌ててヴィスの肩を掴んだ。
「待ってください!そのような事は!」
ロックとエンゾがいることは分かった。だが機械都市総統にその態度はさすがに無礼が過ぎる。そうマガレは思ったがヴィスの考えは違う。
「お前は本当に鈍いな!声を聞いてわかったわ!あの男はネストのモーガンに拾われた放浪奴隷の子、ティーピーだ」
「は?はあ?」
ティーピー。マガレも勿論知っている。ギルドの近くまで流れ来た放浪奴隷の家族があと一歩のところでブルーハウンドに襲われたった一人生き残った子供。それがネストの店主モーガンに拾われたのだ。あのモーガンが子供を引き取るなど信じられなかったが子供をすくったハンターであるリヴァイに頼まれ引き取ったと言うのはギルドのハンターなら誰もが知る話だ。
あのリヴァイが人を救い誰かに託すという事はもちろん、あのモーガンがそれを引き受けるなど誰もが信じられなかったが。
その奴隷の子にティーピーと名を付けたのはレンゾだったか。
ティーピーの正確な年齢はもちろん分からないが20かそこらでギルドを出た、生きていれば30手前。機械都市総統の年齢ともそう大きな隔たりは無いが。
「いや、なぜティーピーが機械都市総統になるのですか」
「バカ!本当にお前はバカだな!ギルドの小間使い女のエンゾ、狩りから逃げギルドに戻れなくなった逃亡ハンターのロック、それに奴隷の子ティーピー!わからぬか!?」
「いえ、それがなぜ機械都市に?」
「もういいこのバカが!エンゾにロック、ティーピー!ギルドにいられなくなった者共が集まって金のにおいを嗅ぎつけてここに来たのだ!こ奴らは機械都市などではないわ!貴様!仮面を取れ!取ってみろ!その面を取って跪け!奴隷の子ティー・・・」
ヴィスが言い終わる前にエンゾの細剣がその口を貫いていた。
「あ?あぐぇ・・」ヴィスがエンゾの細剣を嚙みながら言葉を吐こうとするが怒りに震えその顔を鬼のようにゆがめたエンゾが遮る。
「三度に渡るその無礼、許さん!」
まだ自身に何が起こったのか理解が及ばぬヴィス。
「ほの、はめんを・・・」
「貴様が見るべきものは無い!」
エンゾは言い今度は細剣がヴィスの右目を貫いた。
「ぎゃあ!!」
ヴィスが激痛に身を捩るとエンゾの細剣にはその眼球が残る。
ようやく何が起きたのかの半分ほどを理解したヴィスが咄嗟に手をかざし身を防ごうとするがエンゾは構わずヴィスに残ったもう一つの眼球を刺した。
「ぐうぅ!!」
光を失ったヴィスは必死に逃げようとするがエンゾの細剣はその足の腱を断った。地面に転び激痛と恐怖に悶えるヴィスにエンゾは言う。
「どこに行く」
「あめろ!あにをふる!?」
「何を言っているのか分からん!」エンゾが地面に転ぶヴィスの背を刺した。
「ぎゃあ!マアレ!おめろ!」
舌を裂かれ喉を貫かれたヴィスの言葉はハッキリとはしないがさすがに自分に向けられていることは分かった。
「何をしている!止めろ!」マガレの口はそう言うがその身体は数歩下がっている。
「貴様が行くべきところに送ってやろう!」
エンゾはそう言って何度もヴィスの身体を刺し貫いていく。
間違いない!この女は狂人スカーだ。エンゾかどうかはどうでも良い。この女は狂人スカープラチナだ。そうと分かればとてもじゃないが前には出れない。
ヴィスは血を吐きもはやその口が何を訴えているのかも分からない。それでもエンゾはヴィスを刺し続ける。
ヴィスはもう動かない。死んだ。
それを見てようやくマガレは一歩だけ前に出た。
「ギルドの・・・高官を殺し・・たのか?バカな・・」
「彼女は機械都市親衛隊隊長ですからな、その責務を果たしたまで」
総統が言う。
「責務ですと!?ヴィス様はギルドの高官、それを殺したのですぞ!?これを如何為されるおつも・・」
バン!!
マガレの口を塞ぐかのように一発の銃声が鳴り響いた。
咄嗟に首をすくめたマガレの足元に血と肉片が散った。
「え?」
ヴィスの頭部は破裂し原型を留めてはいないかった。
「もう誰か分かりませんね」
そう言う機械都市総統の手には硝煙を上げる銃が握られていた。
銃?あの小さいのが銃なのか?片手で持てるような銃があるのか?そんなものがあるとは聞いたことが無い。
「困りましたね、ヴィス殿がいなくなってしまわれた。どうしましょうか」
いなくなってしまわれた!?こいつが本当に放浪奴隷の子ティーピーなのか?いや!どうでも良い!!今ハッキリと分かったのはこいつらは狂っているという事だ。冗談じゃないぞ!レンゾの確保?知るか!
そもそもそれを指揮していたヴィス様がいなくなってしまわれたんだからな!
「好きにすればいい!」
そう言って後ずさるマガレの肩に腕を回す一人の男。
「な!?誰だ!?」
マガレは言うが男はそれに答えない。
「おお、ヴィスを殺したのか、とんでもねえな」
「お前はナグロ、なぜここに!?」
肩に回された腕を振りほどきマガレが言うとナグロと呼ばれた男はマガレを突き飛ばした。
「お前らはもういい」ナグロにそう言われマガレが後ろを向くとそこには30名ほどのハンターが下卑た笑いを浮かべ立っていた。
「おお久しぶりだなあ!レンゾにルーにロックかよ。それにティーピー?マジかよ懐かしいなぁおい。ロックお前生きていたのかよ双火龍に襲われて握り潰されたんじゃなかったのかよ、お前の弟のリヴァイがよ、レンゾを殺すって喚き狂っていたんだぜ?まあリヴァイのバカも死んじまったけどな。そんでお前はマジでティーピーなの?リヴァイに銃を向けて半殺しにされたティーピー?もしそうならロックのアホになんでリヴァイが死んだか教えてやったのか?リヴァイが死んだのはお前の・・・」
「相変わらずよく喋るなナグ」エンゾが口を挟んだ。
「おお、ルーじゃねえか。そりゃあ口を開くのは飯を食うか喋るかだろ?お前ならこっちに使ってくれてもいいけどな」
そう言ってナグロは腰を振って見せた。
マガレとその部下は怯えるように身を引きそこにはナグロと30名数名のハンターが残された。見るからに粗暴で身なりも薄汚れている連中だ。
「彼らは?」
部下に耳打ちされエンゾが小さく答えた。
「気を付けろ。ギルドの黒縄部隊だ」
部下は怯え後ずさった。
ギルドの黒縄部隊。別名、ナグロの人食い部隊。部下が怯えるのも無理はない。ギルドは勢力域にある村を強大な経済力で次々に取り込んでいった。それでもその支配下に落ちるのを頑強に拒む村にはナグロ達が送り込まれた。
ナグロたち黒縄部隊がギルドから受けた命令はただ一つ。
ギルドの支配下に入るという誓約書にサインさせる。ただそれだけだ。
そしてこいつらはそれ以外に何一つ制約を受けない。村の長を、その家族を引きずり出し縄で吊るし一人一人料理していった。文字通りの意味で料理し食った。
こいつらは村の長が誓約書にサインをしようがしまいがその家族を殺し、そして食ったしサインをした誓約書の上に皿を置きそこに村の長を盛りつけた。こいつらが腰に巻いているのはその血が滲み黒く染まった縄だ。
クソ!ナグロの奴まで来ていたのか、ヴィスと交渉など時間の無駄だしマガレなら少し脅せば済む。そう思ってヴィスを殺したのは早計だったか。
「ん~豆粒爺さんは壁の中で死んでるだろ?ライフルマンはこっちで捕まえてある。じゃあレンゾ、あとはお前だけだなぁ。生きていてくれてよかったぜ、オレはお前を生きたまま連れて帰れって命令を受けたんでなぁ」
そうナグロが言いレンゾが返す。
「そうか、ついさっき死にかけたけどな」
「いやあ違うぜレンゾ、そりゃあオレはお前を殺してえけどさ、あれはヴィスの野郎だよ。あの黒龍が尻尾をちぃっと切ったくらいで死ぬはずがねえ、とどめを撃った方が良いぜってい言ったら本当に弓を放つって言うんだからよ。オレは冗談だよやめとけって言ったんだがな、このバカ本当に弓を放てって命令するんだもんな。まあでもオレもまさかお前がその女を庇うなんて思いもしなかったぜ。焦ったぜ、いやマジでな。でもよぉその女は矢を食らったくらいじゃ死なねえだろ?いや死ぬか!さすがに死ぬよな!でもよぉレンゾ、お前はなんでその女を庇った?お前本当にレンゾか?」
「違うって言ったらどうする?」
よりによって人食いナグロか。だがそれならそれでやりようはある、オレの命を差しだすまでだ。
オレと引き換えにストラの保障を取る。
ナグロ。こいつはろくでもないクソ野郎だが頭は悪い。
「ナグロ、お前について行ってやるがこの女は別だ。お前が命令されたのはオレだけだろう?この女は放っておけ」
「おいおいレンゾ、本当にらしくねえな。オレはいいから女を助けろって?お前、分かっているだろ?お前はギルドに色々聞かれてな、全部話したらその後は、これだ!」
ナグロは拡げた両手で何かを叩き切るように交互に振った。
「好きにしろ。だがこの女はダメだ」
「まあ待てよレンゾ。お前のその身体を見れば分かるぜぇ?そのなりじゃあ自分でクソも出来ねえだろ?オレにお前のケツを拭けってか?冗談じゃねえ。お前はクソでも小便でも好き勝手に垂れ流せばいいけどなギルドに着くまでお前は何回クソ垂れるつもりだ?それでな、その匂いを嗅ぐのは誰だ?そう、オレだよ。冗談じゃねえ。だから女にはお前のクソの世話をさせる。当然だろ?」
「クソは出来ないかもしれないが、これくらいはできるぜ」
レンゾはそう言って地面からひときわ大きな血石を手にし自分の頭に当てた。
「待て!待てよレンゾ。分かった、女は解放する。だがギルドまでの道中はお前の世話をさせる。その後は解放する、約束するぜ。それでいいな?しかしマジでどうしちまったんだよレンゾ。なあチョット食っていいか?一切れとは言わねえよ、暴れられねえように腕か、逃げられねえように足でもいいな。どうせお前それくらいじゃ死なねえだろ?」
ナグロとその側近たちが下卑た笑みを浮かべるとストラがナグロを睨んだ。
「おいおい冗談だよ本気にするなって、オッサンは食わねえよ。旨くねえからよ。ま、これで話はついたな。残念だぜレンゾ、お前はオレが殺してやりたかったんだけどな」
「ナグロ殿、御待ちを。レンゾ殿にはこちらにも放っては置けない事情がありますので」
機械都市総統がナグロに声をかける。
ナグロは犬がにおいを嗅ぐ様に鼻を突き出すてから答えた。
「ああ?お前ティーピーじゃねえのか?ティーピーならオレの事を知っているはずだし、オレの事を知っているなら交渉なんて出来ねえって知っているはずだよなぁ?」
マズい。
エンゾは咄嗟に総統の前に立った。総統閣下に対し無礼な振舞だという事は百も承知だ。
総統もナグロには交渉など通じないと分かっているはずだ。だがこのレンゾのクソ野郎をみすみすと明け渡したくないというわけだ。
だがナグロと黒縄部隊を相手にはそれも難しい。
黒縄部隊。こいつらは人を殺すことに特化したクソどもだ。
そしてナグロ。こいつは立派なギルドの犬になったようだがその本質は変わっていないだろう。
それはバカでクソだと言う事だ。こいつはギルドから一つの命令だけを受ける。たった一つだ。それ以外は何も考えず好きなように振るまう。
そう、ナグロは機械都市総統閣下だろうが気にせず剣を向ける。
総統はエンゾの肩に手を置き脇に下がらせようとしたがエンゾは首を振って拒否した。
ナグロはレンゾを確保したからと言って素直に帰るような奴じゃないし総統閣下もレンゾのクソを素直に明け渡すつもりはないようだ。
ここまでか・・。
エンゾは死を覚悟し命を懸けて総統閣下を下がらせることを誓う。
そのために予め伝えおいていた部下に合図を送ると部下は戸惑いの表情を浮かべるがエンゾは繰り返し合図を送る。部下は唇を嚙みエンゾの意図を汲み取った。
たとえそれが総統閣下の意志に反した事だとしても機械都市親衛隊隊長ルー・エンゾの為すべきことは総統閣下を守ることだ。
いっそのことレンゾの奴を殺すか?そうれすれば総統閣下も諦めるざるを得ないだろう。私がどのような処分を受けるかは別だが。エンゾは腰に帯びた細剣に手を伸ばす。
だがナグロはそれをも見破る。
「おいルー。お前まさかレンゾを殺そうなんて考えてないよな?オレはこいつを生きたまま連れて帰れって命令されているんだぜ。それがパーになったらオレは何をすればいい?」
クソ!
「好きにしろ」
だがそれ以上は許さん。
私が殺せるのは三人が良い所だろう、儀仗隊は役には立たない。せいぜいが総統閣下を守り急いで下がらせるまでだ、盾にはなるだろうが。
ロックはどうだろうか。私と一緒にここで命を捨ててくれるか?
無理だ。たった今、大事な弟が死んだと聞かされそれにティーピーが関わっていると知ったばかりだ。それらの真相を知らぬままにここで命を張る義理は無い。ロックは望んで機械都市の鉄鋼部隊隊長になったわけではない、こちらから頭を下げて隊長の任を受けてもらったのだ。
リンを見るとあの小さなオートノとか言う爺さんが叩きつけられ崩れた壁を見ている。この子は、よく分からない。少なくともこの場の助けにはならないだろうが逃げてはくれるだろう。
クソ!全てはレンゾのクソ野郎のせいなのだ。こいつが全ての元凶なんだ。
こいつが生きているからどいつもこいつもこいつを殺そうとかき回されるんだ。
もちろん私もだが。
「いやあ、面目ない・・」
ギルドと機械都市の双方が一触即発と言った場面で登場した一人の小さな老人は、野獣と猛獣の群れの間に迷い込んだ一匹のウサギのようだった。
「大殿!!」
リンが片膝を立て地に拳を付き言った。
目には涙を溜めていた。数年の時を経て探していた者にやっと会えたのだ、無理はない。
だが老人は飄々としたものでどこか恥ずかしげだった。
「お?おお!?リン殿。これはまたみっともない所を見られてしもうたわ」
この老人の酷い東洋訛りが分かるのは総統にエンゾ、リンにレンゾだけだ。ロックも多少は分かるだろうが、ギルドのネグロ以下黒縄部隊の者達はその表情で読み取るほかないだろう。
「大殿、よくぞご無事で・・・・」
「爺さん、生きてたか」
東洋から来たという不思議な爺さんと長年旅を共にして見てきたレンゾでさえもさすがに・・・と思えたほどだ。なんせ黒龍の尾の一撃を食らい数十メートル吹き飛ばされ壁が崩れるほどに叩きつけられたのだ。
だがこの年寄りは事もなげに言う。
「いやあレンゾ殿、よく倒したのう」爺さんはそう言ってもうピクリとも動かない黒龍に目を向けた。
「おいレンゾ、何だこのジジイは?」
ナグロが迷惑そうに言った。酷い訛りが理解できないせいでもあるだろう。
この場の誰もがこのみすぼらしい年寄りを一匹の非力なウサギだと思っている。もちろんリンとレンゾは別だが。
「レンゾ殿、彼らはお出迎えかの?」
年寄りに恐れる様子はまるで無い、その場にいるものはそれが無知からの彼我の差だと受け取った。ウサギには巨獣の恐ろしさは理解できないのだと。
「ギルドと、こっちは機械都市の連中だ」
「ほう、なるほど。お?それは?」
年寄りはまるで恐れる様子もなくナグロの脇に立つ一人の巨漢の男に歩み寄った。
「おう、それそれ。その鍔はそのう、な?いくらで買われたものだ?」
その男の名はライノと言う巨漢の男でその身の丈は2メートルを超え、150センチ程度の老人を見下ろしていた。左手には常人では両手でも担げないような巨大な斧を構え右手には黒く小さな板状の物を紐で括り付けていた。それが年寄りの言う「鍔」と言う物なのだろう。
「ほれ、頼むぞ」
年寄りはレンゾに通訳を頼んでいる。
「ああ、その爺さんはその男が持っている鍔をいくらで買ったか聞いている」
レンゾにはそれが買った物ではないと分かっている。
「鍔?何の鍔や」
半蔵が聞きリンが答える。
「その鍔は白銀の隼の鍔です。大殿が旅をしている途中で三越の地から逃れてきた一族の最後の生き残りという母子に出会ったのです。その母子は三越の地の酒造の者で・・・」
リンがそこまで言うと半蔵がすぐに口を挟んできた。
「三越の地の酒造てまさか!」
「そうです。神が海を渡り山を越え呑みに来ると言われる四海八山の者でした」
「ホンマか?生きとったんか!」
「ええ、しかし大殿は彼らを三越の地から去らせる事となったのは自身の戦火の為だと思い彼女に白金の隼の鍔を与えたのです」
「ほああ?天子様伝来の白銀の鍔をか。屋敷どころか城が建つわ。しかしホンマに四海八山の末裔だったんか?」
「ええ、真実です。しかし彼女も神酒四海八山の酒造の末裔、伝国の刀の鍔と知ればただでは受け取らず酒造りの奥義を記した伝書を大殿に返しました」
「いや待て神酒の伝書と白銀の鍔か・・・これは甲乙つけがたいの・・・」
すぐに値を裃を付けようとする半蔵にリンは苦笑いしつつも話を続ける。
「四海八山の一族はこの地でも酒造りを試みたようですが酒米がうまく育たず生活は苦しく一族は減りついには最後の酒米はどこかの富豪に売ってしまい、残った伝書を鍔を受け取る代わりに差し出したというわけです」
「さすが神酒の酒蔵、身は細っても施しは受けんと言うわけか」
「まあそうなのでしょう。とにかく大殿は彼女が鍔を売って生活の足しにしてくれたと思ったわけですが・・・」
「なんや?あかんかったんか?」
「それが・・・」
いくらで買ったのかと聞かれ、ライノだけでなくナグロもその他の者も大声で笑い出した。
「なんじゃ、恐れ多くも伝国の刀の鍔じゃぞ。それはこの地ではなんじゃが、金銀の施しを見れば安くはないじゃろ」
年寄りは戸惑いをレンゾにぶつけるように見たがレンゾは答えなかった。
そうじゃないんだ爺さん・・。
「おいレンゾ教えてやらねえのかよ、食っちまったって言ってやれよ」
そうナグロが言い隣のライノは嘲るように大げさに笑った。
「食った?食ったと言ったのか?どういう事じゃレンゾ殿」
年寄りは僅かに聞き取れた「食った」と言う言葉とナグロたちの様子に戸惑いまたレンゾに振り返った。
「爺さん、あの女性はこいつらに食われちまったんだよ」
「いやだからの、食ったとはどういう意味じゃ?」
意味が分からず困惑する年寄りを見てナグロが嬉しそうに言う。
「レンゾこの爺さん分かってねえみたいだからよ、ハッキリ教えてやるよ。あの女はオレ達で犯しながら食っちまったよ。こう、な?後ろから犯しながら食う肩の肉はうまかったぜ。なあ?」
「唇が旨かったぜ!」後ろから誰かが言った。
「こいつが食ったのはオレがしゃぶらせた後だけどな!」
黒縄の者どもが一斉に笑った。
「レンゾ殿、こ奴らは何を言っておるのだ・・・」
「爺さん、あの女はこいつらに殺されて食われたんだ」
「食う?人が人を食う?何を言っておるレンゾ殿」
「爺さん、こいつらそういう奴らなんだ。人を食うんだ」
人が人を食う?年寄りは信じられずレンゾを見つめるが嘘は言っていないと悟り、黒縄の者達を見てそれが真実だと悟り愕然とした。
「儂があの女人に鍔を与えたから、それが欲しくてか」
「爺さん、そうじゃない。こいつらはそれが欲しくてやったんじゃない。元々そういう奴らなんだ」
それを聞いて年寄りは動きを止めた。
ちょっとした小者の登場を楽しんでいたナグロたちはそれを見て年寄りに対する興味を失ったようだった。
「あのがき、うまそう」ナグロの傍らに立っていたライノがリンに歩み寄りその右手を伸ばしたその瞬間。
「怪者め」年寄りがそう呟くとライノの伸ばした右手はチーンと言う静かな音と共に地に落ちた。
ライノは何が起きたのかすぐには分からず自身の腕から血が噴き出すのを見てやっと腕を失ったことに気が付いた。
そして年寄りが白く輝き細く短い貧相な刀を抜いていた。
ライノがそれを見て年寄りに襲いかかろうとするがナグロがライノの肩に腕を回しそれを止めた。
「まあ待て。おい爺さん、お前がやったのか?そのナイフみたいに小さい剣でか?マジかよおもしれえジジイだな。なあレンゾこのジジイ何モンだよ」
「その爺さんは・・・」
レンゾは答えるが肝心の年寄りは地面に膝を付き切り落とされたライノの右腕に結ばれた紐を切り鍔を手にした。
「返してもらう」
年寄りは刀を分解し始めた。目釘を抜き茎を鍔に通し柄へと差し込み直し、鍔をあるべき場所に戻し刀を鞘へと納め立ち上がるとナグロを見て言った。
「あの女人に詫びよ。さすれば輪廻へと発ち返らせてやろう」
「おいレンゾ、このジジイなんて言っているんだよ」
ナグロは今にも年寄りに巨大な斧を振り下ろそうとするライノの腕を掴み抑えている。
レンゾは戸惑いながらも答える。
「お前らが食ったという女性に謝れと言っている」
「ほーう、おもしれえオレ達に頭を下げろってか?でもよ他にもゴチャゴチャと何か言っていただろ?言えよレンゾ。教えてくれ、このジジイはなんて言ったんだ?」
レンゾと爺さんは共に旅をしてきた。短くはない、6年?いや7年かだろうか。
レンゾが双火竜の狩りで二人の犠牲者を出した事でその名声が地に落ちギルドにいられなくなりそこを出た後の話だ。
そのレンゾがつまらないキャラバンのガードの仕事などをしながら旅を続けていた時だった。
レンゾはある村に着いた。爺さんはそこにいた。妙な年寄りだった。
東洋から来たという小柄な年寄りだったがキャラバンに帯同させると不思議と竜に襲われなくなると噂され近隣の村々から旅のお守りのような扱いを受けており概ね皆から好かれていた年寄りだった。
レンゾがそんな年寄りと初めて会ったのは鍛冶屋だった。
爺さんは腰に帯びた刀と言う東洋の剣を、お守りの仕事で得たわずかな報酬で研ぎに出していた。
鍛冶屋は言っていた。こんな僅かな金では割に合わないと。
年寄りの噂を聞いていたレンゾが鍛冶屋に言ってやったのだった。
使いもしない剣の研ぎ代など大したものではないだろう、あまりがめつい商売はするなと。
鍛冶屋は反論しようとしたがレンゾが少しばかり脅すと顔を歪めながらも渋々承諾した。
爺さんはそれに気を良くしレンゾに謝意を示し旅を共にすることになった。
爺さんの訛りは酷く「メシ」や「サケ」くらいの言葉をようやく覚えていた程度でレンゾがたまたま東洋の言葉を知っていたからと言う事が大きかったのだろう。
・・・・オレはなぜ東洋の言葉を知っていたのだろうか・・・。
いや、今は……。
本当に妙な爺さんだった。爺さんがいるキャラバンは竜に襲われなくなるという噂は本当だったし、竜に対し気配を消す影踏みの技は確かなものでレンゾのソレを上回っているほどだった。
剣を抜くことは少なかったが、抜けばその一撃は恐ろしく速くそして確実だった。
爺さんの剣は恐ろしく速く、そして恐ろしく重かった。
小枝のような黒い剣が信じられないほど重いのだ。
おそらく爺さんが持つ刀はその重さに違わぬ硬さを秘めていたのだろう。レンゾはあの鍛冶屋が決してがめつかったのではないと理解した。
だがそうとは知らぬ者達からは爺さんはどこまでも東洋から来た小柄で剽軽な爺さんでしかなかった。
だがレンゾはすでに理解している、あの黒龍を倒せたのはあの爺さんの一撃のおかげだ。あの一撃が岩よりも硬く鋼より重い黒龍の甲殻を砕いたから結果的にレンゾがとどめの一撃を振るえたのだ。
だがここにいる者達はそれを見てはいなかったのだろうし、それを目の当たりにしたストラでさえそうとは信じてはいないだろう。
レンゾだけが理解している。この爺さんはここにいる誰よりも強いと。
その爺さんが笑みを消し目を薄く顔を伏せている。
「……去ってほしいそうだ」
言い淀みつつもレンゾがなんとかそう返すとナグロは大声で笑う。
「なぁレンゾ!マジでこの爺さん何モンだよ?ビビってイカれちまってるのか?それともいつもこうなのか?」
「お前くらいは殺せると思うぞ」
「は?このジジイがオレの殺すって?そりゃあなぁライノの腕を斬ったのは見えなかったぜ?なんせ見てなかったからなぁ!そりゃあそうだろう?こんなネズミみたいなジジイが牙を剥くなんて思うわけねえだろ。でもまぁ言うのはタダだけどよ、なんかあるだろ?負け惜しみじゃなくてよ、もっとこうさ面白ぇこと言ってくれよ」
レンゾが言ったのは決して負け惜しみなどではない。
この爺さんはナグロを殺すだろう。その目を見れば分かる。
いつもニコニコと笑っている爺さんだった。
鍛冶屋に恨み節をぶつけられても、キャラバンの飾り物と揶揄されてもすまなそうに頭を下げながらも笑みを浮かべていた爺さんだった。
この爺さんが唯一その笑みを薄くする時と言ったらワインを口にし「酒があればの・・」と少しだけ寂しそうな顔をする時くらいだった。
その爺さんがあの東洋の女性が生きながらに食い殺されたと知り笑みを消し今にも泣きそうな表情を見せた。
今やその悲しみの顔をすら失せている。
目を薄くし視線を落とし表情が消えた。
数年の間とはいえ旅を共にしてきたレンゾには分かる、この爺さんはただ者ではない。
この爺さんの一撃はすさまじい。あの黒龍の重く硬い甲殻を割ったのだ。
爺さんが消えた思ったらその一瞬で20メートルほどを跳び、あの鍛冶屋泣かせの剣は折れたがあの黒龍の甲殻を割ったのだ。
あの剣撃ならばナグロなど真っ二つになるだろうし、そのまま黒縄の何人かは殺せるかもしれない、だがそれまでだ。
爺さんは一瞬でナグロを断つだろうが、その剣の重さゆえにその後に動きを止めざるを得ないのだろう。そして先ほど黒龍の尾の一撃を食らったように黒縄のヤツらの攻撃を食らうだろう。
四方八方からではさすがの爺さんも成す術がない。
だが爺さんはナグロを殺すだろう。そして群れの頭を失った黒縄の野獣共が何をするかは分かる。この場にいる全員を殺し食らう。
オレはもちろん、機械都市の連中も皆殺しだろう。
レンゾはストラの腕を掴み機を見て逃げるように目で強く告げた。
この女はオレを見捨てて逃げてくれるだろうか。
爺さんが顔を起こし薄い目でナグロを見た。
ナグロが爺さんの目を見た瞬間だ。ナグロは本能的にか恐怖を感じ後ろに跳ねつつ「殺せ!」とライノに命じようとした時に動いた者がいた。
エンゾ隊長だった。
エンゾが最優先するのは総統閣下ただ一人。
交渉と言うほどの物ではないがレンゾを差し出し総統に危害が及ばないよう立ちまわるつもりだった。
それでも総統閣下がレンゾにこだわるようなそぶりを見せるのならば力づくで引かせるつもりだった。
だがあの爺さんが黒縄の野獣の腕を斬ったことでそうもいかなくなった。もうこいつらはタダでは引かないだろう。だからせめてこの爺さんをこちらで殺してやったという体裁が必要だ。
この爺さんがリンの探していたオートノだという事は分かってはいるがエンゾが最優先する事は総統閣下の身の安全だけだ。それは自身の命よりも優先される。
リン、すまないな。
だがどうせこの老人は死ぬんだ、私が殺すか向こうに殺されるかの違いでしかない。
その後は部下が総統閣下を引かせるまで私がこいつらの相手をしてやる。
ロックには申し訳ないがロックも襲われればあの重槍で抵抗せざるを得ないだろう、少しは時間稼ぎになるはずだ。
老人、私の剣で死んでくれ。
リン、すまない。
エンゾが剣に手を伸ばしつつ飛ぼうとした瞬間だった。
老人がすでにこちらを見ていた。
エンゾは思わずあの時を思い出した。機械都市の上層部の幹部連中を殺した時の事を。
逃げ惑う者の背を刺し貫き、膝を付き命乞いをする者と目を合わせながら突き殺した時の事を。
だが老人の目は違った。
それは黒く深い闇だった。
エンゾは闇へと落ちて行った。
老人にライノの巨大な斧が振り下ろされた。
老人は消えていた。
その場の皆が思った。老人は死んだと。
だが妙な光景だった。斧に豪断されたはずの老人の身体が無い。それどころか肉の一片も血の一滴も無い。
そんなことがあり得るだろうか?
いや、おかしいという事は分かってはいる。
だがそれが起こりうるかもしれないと思ってしまうほどに老人は貧相で弱々しかった。
巨象が一匹のネズミを踏み殺したとしても誰もそれとは気が付かないように・・。
それを目前で見ていたナグロでさえそう思った。
「なんだよネズミみたいな爺さんが睨みつけてきたからちょっとばかりビビっちまったけどよ。消し飛んじまったぜ。おいレンゾ、この爺さんがオレを殺すって言ったよな?どうやって殺すんだ?」
レンゾだけは老人が殺されたとは思っていないがナグロがなぜ生きているのかも分からない。
本当に爺さんは殺されちまったのか?
それは違う。
レンゾは怯え身体を震わせている少女を見た。それはリンだった。
知り合いが無残にも殺されて恐怖しているのか?
それも違う。
黒縄の者共の後方からチーンと言う鐘の音が小さくなり同時に叫び声が聞こえた。
だがそれに気を止めた者はいなかった。
リン以外は。
「おいティーピー!こいつはオレの右腕なんだがな、その右腕の右腕が落とされちまった。どうするのが良いと思う?おっと待てよ、今更くだらねえ言い訳はすんなよお前がティーピーだってことは匂いで分かっているからな。ってちょっと待てルーのヤツがブッ倒れちまってるじゃねえか。なんだ?ビビったのか?」
機械都市総統、いやティーピーは、倒れたエンゾに部下が駆け寄り介抱しているのを見てナグロに相対し言った。
「壁から新鋭機械化部隊が狙っている」
「ああ、さっきの矢を粉砕した部隊だよな?マガジンってやつに弾を詰め込んで連射出来るようにした銃だろ?知ってるぜ!すげえよな!そんなんに狙われたらオレ達粉々になっちまうよな!でもよぉそれ出来るのか?いやな出来るとは思うぜ?出来るとは思うんだがオレ達だけを殺せるのかなぁ?お前らもミンチになっちまうんじゃねえか?アレ、そんなに精度良くねえだろ?」
ナグロがそう長高説を垂れている間にまた黒縄の部隊の後方でチーンと言う鐘の音と叫び声が上がったがやはり誰もそれには気を留めない、リン以外は。
リンは震えていた。
「私よりも後ろにお下がりください」とレンゾに向けて言った。
レンゾはストラにその言葉に従うよう伝えた。
ナグロはそれに気が付きはしたが満身創痍のレンゾが今更引きずられるように多少移動したところで意味がないことは分かっている。
そこでまた黒縄の者共の後方で「チーン」と言う鐘の小さな音と共に叫び声が響いた。
機械都市総統がそっと銃を抜いた。
「あぁ?なんだまた喧嘩か。うるさくて悪いな、うちの連中はよエサを前にすると落ち着かなくてな。でよ、お前が持っている銃な、そのちっこいやつ。すげぇなヴィスの頭が吹っ飛んじまってるよな、そんなので撃たれたらさすがにオレも死ぬよな?でもその後はどうするつもりだ?それあと一発しか撃てないんじゃないか?いやなに、ほら銃口が2つあるだろ?ソレ、2発しか撃てないんじゃないかって思うんだがどうだ?100発くらい撃てるのならオレ達を皆殺しにできるのかもしれないけどな!!」
鉄仮面を被っている機械都市総統の表情は見えないが微笑んでいるわけではないのだけは確かだろう。銃を掴んだ手が震えている。
ナグロが機械都市の部隊を左右に見渡した。
その顔は「全部は食えねえな」と言っている。
「がき!くう!」
右腕を落とされたライノがナグロの腕を振り払って跪き首を垂れる東洋の少女に左手を伸ばした。
ナグロは強くは咎めなかった。
「おいおい、まだ早えよ」
口ではそうは言うが、内心は良い見せしめになるだろうと考えてライノの身体を掴み止めることは無かった。
逃げろ!とレンゾが叫ぼうとした瞬間だった。
チーン!と小さな鐘の音が響きライノの左腕が地に落ちた。
狙撃か!?
ナグロは咄嗟に身を伏せ耳を澄ませた。
壁の上からであれば銃撃と同時に聞こえたはずだ。壁のどこかに隙間がありそこから狙撃されたのかと警戒したのだがいつまでも銃声は響いては来なかった。
そしてライノは両腕を失ってもまだその欲望を抑えられなかったようだ。
口を開き歯を剥き出しにしてリンに食らいつこうとしていた。
「待て!!」
ナグロが叫ぶが、チーン!とまた小さな鐘の音が響きくとライノの上半身は地面に叩きつけられ、その下半身はもう二歩ほど歩いてから倒れた。
ライノの身体は両腕を切り落とされ、更に胴を真っ二つに切り落とされ都合四つに切り分けられていた。
狙撃じゃねえ!斬られたのか!
一瞬、巨大な円盤状の刃物か何かを打ち込まれたのかと思ったが何一つ音がしない。いや聞こえた、小さな鐘の音が。
この音、さっき聞いた。ライノの右腕が落とされた時だ!まさか!?
「レンゾ!あの爺いか!?」
ナグロが叫びレンゾが答える前にまたどこかでチーン!と小さく響き、そして悲鳴が上がった。
「レンゾ!」ナグロは叫ぶがレンゾも少し驚いた様子で言った。
「お前だけじゃないみたいだな」
オレだけじゃない?どういうことだ?やはりあの爺いの仕業か!?
「あのガキだ!あのガキを捕まえろ!」
ナグロはあの年寄りの知り合いらしい東洋の女児を人質にしようと思ったのだろう、傍らにいた部下を前に押しやるが東洋の女児に近寄るとその男もまたとチーンと言う鐘の音と共にその身体を二つに豪断され崩れ落ちた。
四つに切り分けられたライノの身体と新たに増えた二つの死体を見てレンゾが言った。
「そこから近寄らない方が良いと思うぞ、ナグロ」
レンゾは少女が下がれと言った意味を理解し、それを告げられたナグロもまた同じように理解した。
「鐘の音だ!そこに爺いがいる!殺せ!!」
そう叫んだナグロのすぐ隣でまたチーンという鐘の音が鳴り、悲鳴が響いた。
右胸を斬られ血と共に叫び声を吐いた男に周囲から剣や鎚、槍が振るわれた。
「やったか!?」ナグロは叫ぶがそこにあるのは無残にも仲間に叩きのめされた男の死骸だけだった。
そしてまた鐘の音が鳴り叫び声が響いた。
黒縄の獣たちの一部は半狂乱と成り逃げ出そうとする者もいたが無駄だった。
チーンと鳴る鐘の音と共にその身を断たれるだけだった。
「リン!エンゾ隊長が!」エンゾの部下に声をかけられリンがゆっくりと振り向くと、倒れたエンゾ隊長を部下たちが囲み傍らに機械都市総統が膝をついてエンゾの手を握っていた。
「リン!頼む!見てやってくれ!」総統までもがリンに請いた。
無駄なんだけどな。
そう思いながらもリンはエンゾに寄り首に指を当て、手でその鼻と口を塞いだ。
脈は微かで息もほぼ止まっている。
死んだばかりの肉体が辛うじて動いているに過ぎない、気が抜けているのだ。
リンにはエンゾがなぜ大殿に殺意を持って剣を向けたのかが分からない。
エンゾの真意は分からないがその結果どうなったかは分かる。
それがこれだ。
あの瞬間、大殿が幽世に渡ろうとした瞬間にエンゾが大殿に殺意を向けたのだ。エンゾの気は幽世に渡ろうとする大殿と共に引きずり込まれたのだ。
だがリンは「もう無駄です」と告げたくは無かった。
エンゾは狂人と噂された人物であったがこの地の事を何も知らないリンに色々教えてくれたし、常にリンを心配しその保護下に置きとても優しくしてくれた。
リンは見るまに青ざめて行くエンゾに寄り添う親衛隊員に鎧を脱がすように言うと、エンゾの鼻を摘まみ閉じ、顎を抑え口を合わせると息を吹き込んだ。
「リン?何を?」総統が聞いてきたがリンはそれには答えずにエンゾの肺に息を吹き込み続けた。
三回四回と息を吹き込んでから、今度は鎧を脱がされたエンゾの胸に両手を重ね当てその心臓を強く押し続ける。
真っ青だったエンゾの顔にわずかに赤みが差した。
「息と脈が止まりかけています。それを補ってやるのです」
エンゾの部下たちがリンに代わり続けようとしたが総統が鉄仮面の面体を上げ素顔をあらわにすると部下たちは驚きながら立ち上がり背を向けた。
機械都市総統閣下の顔は見てはならない。エンゾが従える親衛隊隊員がまず最初の覚えるべきルールの一つだったからだ。
総統は構わずにエンゾと口を合わせ息を吹き込んだ。
「こうか!?」
「息が漏れています、鼻をしっかり塞ぎ息が通るよう顎を上げてください」
総統自らがたかが親衛隊隊長を蘇生しようとしている。
「そうです、三回行ったら今度は心臓を押すのです」
総統は言われたままにエンゾの心臓を押した。
「それを十回、そしてまた息を吹き込むのです」
総統はリンの言うままにエンゾを蘇生させようとしている。
だが無駄なのだ。エンゾの気は幽世へと落ちてしまったのだ。
もしエンゾがあと一瞬遅れて剣に手をかけていたら。大殿が幽世に渡ってから殺意を向けていたら・・。
幸いそうはならずエンゾの身体は無事なままに気だけが幽世へと落ちた。
だが結果は同じだ、エンゾは死ぬ。いやもう死んでいるのだ。
リンは自らの言葉でそれを告げたくは無かった。
エンゾさんはいい人だったから。
だからそれを別の誰かに託そうとした。
それが総統だった。
総統はリンの教えた蘇生術を必死に繰り返している。
それを行っている間は確かにエンゾの肉体は死なないかもしれない。
だがそのうちに無駄だと分かるだろう。手を止めればエンゾの肉体はすぐに死ぬ、エンゾが自身の力で息を吸いその心臓が血を巡らせることはないのだと悟るだろう。
その時に、自分が手を止めてエンゾを見捨てる選択を取らねばならないのだ。
リンはエンゾの死を告げたくは無かった。
それを誰かに負って欲しかったのだ。
「リン!他には!?」
総統が必死に蘇生術を繰り返しているが、リンはそれが無駄だとはわかってはいてもそれを告げることはしなかった。
「呼びかけてください」
せめて・・とリンは思った。
総統はエンゾに息を吹き込みその心臓を押しながら呼びかけた。
「エンゾ!起きろ!!」
総統は蘇生術を繰り返し呼びかけ続けてはいたが、エンゾがもどることは無いのかもしれないと思い至ったのか涙を落とし呟いた。
「ルー、キミがいなくなるのなら僕も・・」
エンゾは暗い細道を歩いていた。
ここは?と思いながらも歩き続けていた。
そこは何処までも暗く、そして静かだった。
一人の老人が歩いていた。
見た覚えがあるのだが思い出せない。
老人が歩くたびにどこからともなく石が落ちてきてその足元を叩く。
エンゾが目を凝らすと老人の足元には白い小さな紙人形が群れて蠢いていた。
落ちてきた石にぶつかった紙人形はその腕や脚が千切れその動きが鈍くなり、更に落ちてきた石にぶつかると紙人形は砕け散り飛散した。
エンゾが何事かと老人に近寄るって見るとその背後にあったのは・・・。
エンゾは逃げ出した。
なんだあれは!?
なにかは分からない、だが近寄ってはいけないモノだと言う事は分かる。全身が警告している、逃げろ!と。
だが身体が、思うように動かない。
老人が近寄ってくる。
老人の周りに落ちる石に触れたら自分もあの背後に逝くのだという事だけは分かる。
イヤだ!止めろ!来るな!
だがエンゾの身体は走れず、老人は歩みを止めない。
エンゾの頭上についには石が落ちようとした瞬間に代わりに現れたのは光り輝く人の手だった。
それは言った。
「ルー」と呼んでくれた。
ルー・エンゾはその手を掴んだ。
総統が涙を落としエンゾの心臓を押し、またその口に息を吹き込もうとするとエンゾが咳き込んだ。
「ルー!?」
驚き、信じられないと言った表情でルーを見つめる総統にルーは言う。
「私が死んだらなんだって?あんたまだそんなことを言うのか!」
息を吹き返したエンゾに感極まり抱きしめようとする総統に対しエンゾは逆にその肩を押し留め立ち上がると心配そうに見上げている総統の仮面の面体を降ろした。
「ったく・・・」
エンゾは舌を打ったがその顔は複雑そのものだった。
「ルー・・」と声をかけようとする総統を制するように言葉を重ねた。
「総統閣下、私は平気です。心配無用!」
「そ、そうかエンゾ隊長」
二人はすぐに総統とその親衛隊隊長という関係に戻った。
「リン、あれがあなたが探していたオートノなのか?」
「はい」
小さな鐘の音が鳴り続け、そのたびに黒縄の者達が切られている。
恐怖が蔓延し始めており鐘の音に対抗しようとする者は最早少ない。
「レンゾ!爺いを止めろ!」
なんだこの爺いは!?なぜ姿が見えないんだ!?いや、それよりもこの剣だ。鐘の音が鳴るだけで鎧どころか盾すら両断され、斬られた音すらしない。
ふざけんな!たかが女一人食っただけだろうが!
「レンゾ!止めさせろ!!」
ナグロが叫ぶがもちろんレンゾにもどうしようもない。
これは終わらないだろう。こいつらが動きを止めるまで。
無意味だという事は分かってはいるがエンゾは総統の身を守るべくその前に立った。
これは殺戮ではない。もっと恐ろしいものだ。
これには殺意がない。
腕を斬るのは件の女性を殺したその腕に怒りをぶつけているわけではない。
脚を切るのは逃がさぬようにして憎しみを晴らそうとしているのではない。
ただ、斬っただけだ。
あの爺さんは怒りも憎しみも持たずにただ人を斬っている。
「リン、あなたのお爺さんは・・・」
「見たんか大殿の幽世の剣を」
半蔵が聞いた。
「はい、恐ろしいものでした」
「しかし、そのエンゾちゅう女子はよう戻ってこれたの。ほんまか?」
「ええ、本当に戻りました」
幽世の剣。今思い出しても身が震える。
「恐ろしかったか・・・」
半蔵が慰めるように言った。
「まあ石家の剣やからな」
「どういうことです?」
リンの問いに半蔵が語り始めた。
「古の横八華の家にはの、本来それぞれ役目と伝来の家宝があったんや。音切りの剣白銀の隼を伝える白イ家に先兵の役目。豪刀黒鶴の鶴ヶ家には北からの戎を防ぐ役目。坂ノ家にはその名の通り天子様の前に土塁を築くべく鍬が、鷹ノ家には硯や。これは鷹のように高所から全てを見渡し時に上奏し勅命を記す仕事が与えられていた為や」
「石家は?なんです?私は見たことはありませぬが」
「まあそうやろ、石家の伝来はその名の通り石、ただの石コロや。石家いうんはな・・」
半蔵はそこまで言って口にしにくそうに言葉を止めた。
「石家というのは?」
リンが先を促す。
「石家言うのはの、心を捨て天子様の為に手を汚すのが使命や。石家には捨てる心を封じるための石が伝わっとったはずや。やが大殿はその石を切って捨てたはずや、心を石に封じなければ成せないようなことは自分で最後にするとな」
そうだ、幽世の剣はまさにその通りだった。
リンは大殿がなぜ半蔵様を頼ったのか。そして半蔵様がなぜ大殿に付き従うようになったのかが少しわかった気がした。
幽世の剣。それはただ石が落ちるような人外無道の剣だった。
落石が人を狙って落ちてくるわけではないように、大殿には憎悪も憤怒もなく、憐れみも情けもなく心を封じ黒縄の者達をただ斬っていただけだった。
「レンゾ!テメエ!!爺いを止めろと言っているんだ!!」
もう黒縄部隊の残りはナグロを含めてたった四人だし、ナグロ自身も左足を深く斬られおりまともに動けるような状態ではなくなっていた。
そしてさらに鐘の音が四回なるとナグロ以外の者は肉塊となり果て、最後の一人となり膝をついたナグロの前に老人が立っていた。
「詫びよ。さすればせめて輪廻に戻してやろう」
老人の持つ刀と言う細く短い粗末な白い剣には一滴の血も付いていなかった。
「レ、レンゾ、この爺いはなんて言っている?」
「謝れと、言っている」
「それだけじゃないだろう?言えよレンゾ」
レンゾは小さく首を振りそれを見たナグロはその意味を悟った。
「そうか、だけどな・・・てめえだけは!!」
ナグロは叫び腰に帯びたナイフに手を伸ばした。
その瞬間に老人の剣がその首を飛ばしたがナグロは首を飛ばされてもなおナイフをレンゾに放った。
ナイフが飛んでくる。斬り飛ばされたナグロの首がそれを見ていた。
ナイフは正確にレンゾの胸に飛んできていた。心臓に刺されば助からないが、僅かに避ける事が出来れば助かるか?いや、それは無い。
反射的にストラがレンゾを庇おうとするが間に合いはしないだろう。レンゾはそれよりもナイフがストラに掠ることを恐れその身体を抑えた。
ナグロの事だ、ナイフには毒を塗っているだろう。
今度こそ、終わりだ。
レンゾがそう思った瞬間に銃声が響き、ナグロの投じたナイフが砕け散った。
機械都市総統が手にしていた銃がナイフを撃ち抜いたのだった。
なるほど、イーグルアイと呼ばれただけはあるな。
「それで大殿は・・・」
「はい、白銀の隼を私に授けました」
「そうかい・・・」
「それでレンゾと言うハンターが最後に大殿にありがとうと言ったのです」
「ありがとう?大殿にそう言ったんか?」
「ええ、でもあの男は本当に失礼な奴で私は大嫌いです!」
「ほうか、その男が大殿にありがとうと言ったんか・・・」
その日、四ツ蔵様は酷く酔われた。
大殿の為にと持参した下りの銘酒をその場にいた皆にふるまってしまった。
「どや・・美味いやろ?」
その場にいた他の客たちは初めて飲む酒に驚き舌鼓を打った。特にバーのマスターは今日の勘定はナシだと言うほどに酒の旨さに驚き喜んでいた。
四ツ蔵様は酔いつぶれ寝てしまわれた。
日ノ下最強の忍びが酒に酔い潰れリンはバーのマスターの手を借り何とか部屋のベッドへと四ツ蔵様を寝かせることが出来た。
四ツ蔵様の寝顔はどこか嬉し気でいびきをかいていた。
リンは四ツ蔵の寝顔に囁いた。
「大殿は言っていました。また半蔵と酒が飲みたいと」
四海八山の神酒を。




