第七話 残る違和感、消えた傷
第七話 残る違和感、消えた傷
病室は、妙に白かった。
消毒の匂いと、機械の低い電子音が、一定の間隔で流れている。
窓の外は昼。だが、時間の流れはここだけ少し遅い。
黒瀬悠希は、天井を見上げたまま、右手をゆっくりと動かした。
指は開く。
握れる。
力も、感覚も、ある。
「……問題ない」
独り言のように呟いて、黒瀬は自分に言い聞かせる。
それでも、右腕の奥に残る、説明しづらい感触が消えない。
“ズレている”
そう表現するしかない違和感。
骨でも、筋でもない。
もっと深いところ――まるで、身体と意識の噛み合いが一拍遅れているような。
黒瀬はそれ以上考えるのをやめた。
考える必要はない。
使えるなら、それでいい。
それが彼の選び方だった。
⸻
椿原高校は、事件当日から休校になっている。
公式には「不審者侵入による安全確認のため」。
負傷した教員および生徒に死者はいない。
だが、屋上で何が起きたかを知る者は、ほとんどいない。
知っている者は、ここにいる。
⸻
別の病室。
大葉麗華は、ベッドの上で体を起こしていた。
包帯はすでに外され、肌に残るはずだった傷は、どこにも見当たらない。
肩も。
脇腹も。
背中も。
「あれ……?」
看護師が来るたび、少し驚いた顔をする。
「本当に、もう痛みませんか?」
「はい……」
「すごい回復力です」
事実確認だった。
黒瀬はこのことについて端的に説明した
――変異体は、基礎身体能力が常人より高い。
――回復力も例外ではない。
――麗華の場合、その傾向が特に顕著。
医者にはこう言われた。
「後遺症も、傷跡も残らないでしょう」
そう言われたとき、麗華は安心よりも、戸惑いを覚えた。
(……私だけ)
あの屋上で、同じように切り裂かれた。
同じように血を流した。
それなのに。
黒瀬の右腕は、戻った。
戻ったはずなのに――彼は、何も言わない。
「……」
麗華は、シーツの上で手を握りしめた。
自分が最後に放った光。
“殺したい”と、はっきり思ってしまった感情。
そのことが、胸の奥に沈んだままだ。
⸻
夕方。
烏丸が、二人の病室をそれぞれ訪れた。
いつも通り、穏やかで、丁寧な物腰。
「お二人とも、ご無事で何よりです」
黒瀬は軽く頷き、
麗華は小さく頭を下げる。
事実確認は淡々と進む。
戦闘の流れ。
侵入者の行動。
黒い稲妻と、消失。
烏丸は、糸の話題にも、黒い影の話題にも踏み込まなかった。
今はまだ、確証がない。
「今回の件は、公式記録では“未解決”です」
「……そうですか」
黒瀬はそれ以上聞かなかった。
烏丸は、最後に麗華を見る。
「回復が早いですね」
「……はい」
「変異体として、非常に健全です」
その言葉に、麗華は少しだけ視線を伏せた。
「……でも」
烏丸は、続きを促さない。
ただ、待つ。
「私、あの時……」
言葉が詰まる。
「光を……壊すためじゃなくて……」
声が震える。
「“許せない”って思って……」
烏丸は、静かに頷いた。
「感情は、能力を増幅させます」
否定もしない。
肯定もしない。
「それが良いか悪いかは、使う人次第です」
麗華は、ゆっくり息を吐いた。
⸻
夜。
病院の廊下は静まり返っている。
黒瀬は、右手を見つめていた。
力は入る。
握れる。
殴れる。
だから問題ない。
「……気のせいだ」
そう呟いて、目を閉じる。
一方で、別の病室では、麗華が天井を見つめている。
自分の身体には、何も残っていない。
傷も、痛みも。
それなのに。
心に残ったものだけが、消えない。
(……光は)
照らすだけじゃない。
壊すだけでもない。
“どう使うか”を、問われている。
二人は、同じ夜の下で、違うものを抱えていた。
傷が残った者と。
傷が消えた者。
だが、どちらにも――
次の戦いは、確実に近づいている。
静かに。
確実に。




