第4話 撃たなくていい光
第4話 撃たなくていい光
実験棟の廊下は、音を吸い込むように静かだった。
白い床、白い壁、白い天井。
影を拒むために設計された空間は、人の感情まで均してしまう。
黒瀬悠希は、その中を歩きながら、内心で苛立ちを噛み殺していた。
「……聞いてないな」
低くつぶやく。
隣を歩く風渡柴胡は、相変わらず軽い足取りだ。
「言ったら来なかったと思うけどね☆」
「……それは肯定か?」
「否定はしない☆
俺も、やりすぎだと思ってる☆」
自動ドアの向こうから、淡い振動が伝わってくる。
光が空気を押す、独特の気配。
「“保護された未成年の能力検証”」
黒瀬は書類の文言を思い出す。
「検証、ね☆」
風渡は笑わない。
「限界値を探る実験だ☆
しかも、本人が協力的なのをいいことにしてる☆」
ドアが開いた。
中央のスペースに、一人の少女が立っていた。
大葉麗華。
武器密輸の件で保護された変異体の少女。
拘束はない。
だが、彼女の立ち位置、視線の方向、距離感は、すべて管理されている。
「照明光、安定しています」
研究員の声。
麗華の手のひらから、柔らかな光が溢れていた。
触れられるが、熱はない。
透過し、影を落とさない。
「次、質量化テスト」
その言葉に、麗華は一瞬だけ視線を伏せた。
それでも、彼女は小さく頷く。
「……はい」
手のひらに力を込める。
“壊す”という目的を意識した瞬間、光は変わる。
密度を持ち、
空気を押しのけ、
質量を持った光として前方へ叩きつけられる。
防壁が低く唸った。
「出力、上昇」
「もう一段階」
その瞬間、黒瀬が前に出た。
「――やめろ」
空気が張り詰める。
「誰の判断だ」
黒瀬は語気を強める。
「黒瀬さん、彼女自身が――」
研究員は慌てて言う。
「理解している」
黒瀬は遮った。
「理解しているからこそ、止める」
隔壁が解除される。
黒瀬は迷いなく中へ入り、麗華の前に立った。
「もう十分だ」
麗華は、困ったように唇を噛む。
「でも……私がやらないと……」
「何を?」
問いは柔らかい。
「……また、誰かが、傷つくかもしれないから」
その言葉に、黒瀬は一瞬、目を細めた。
「君は、自分の力が危険だと知っている」
「はい」
「だから協力している」
「……はい」
「だがな」
黒瀬は少し腰を落とし、視線を合わせる。
「“怖い”と思いながら使う力は、君を削る」
風渡も入ってくる。
「これ以上は倫理委員会案件だね☆」
研究主任は歯噛みし、やがて首を縦に振った。
「……本日の実験は中断します」
⸻
外に出た瞬間、空気が現実の温度を持った。
麗華は小さく息を吐く。
「……すみません」
「謝る必要はない」
黒瀬の声は、はっきりと柔らかい。
「君にも考えあるんだろう?」
「……はい」
「それで十分だ」
黒瀬は笑顔を見せる。
少し歩いてから、麗華が口を開く。
「お父さんとお母さん、今、入院中で……」
「知っている」
遮らず、聞く。
「……何かあったら、どうしようって」
黒瀬は頷く。
「怖いよな」
その一言で、麗華の肩が少し落ちた。
「……はい」
「普通だ」
即答だった。
「君が弱いわけじゃない」
風渡が小さく肩をすくめる。
「というわけで☆
今日はこれ以上、白い部屋は禁止☆」
「同意だ」
黒瀬は言い切った。
「甘いものを飲みに行く」
「僕はどうする?☆」
風渡が笑顔で言う。
「留守番してて」
黒瀬が少し間を置いて言い放つ。
「黒瀬くん!?☆」
風渡が不満気に言う。
⸻
スターバックスは、夕方の喧騒に包まれていた。
黒瀬はカウンターで即決する。
「バニラフラペチーノ。二つ。グランデで」
麗華が慌てる。
「え、私……」
「今日はこれだ」
席に着くと、黒瀬は一口飲み、目を閉じた。
「……これだ」
「そんなに好きなんですか」
「ああ」
黒瀬は珍しく饒舌になった。
「甘いが雑じゃない。
ミルクとバニラの丸さだ。
冷たいが、思考を止めない」
麗華は少し笑う。
「私、友だちと来るときは、抹茶フラペチーノです」
「俺も抹茶好きだな。
でも疲れたときには、バニラだ」
黒瀬はカップを掲げる。
麗華は少し迷ってから、背筋を伸ばした。
「……改めて。大葉、麗華です」
「俺は黒瀬悠希」
穏やかに名乗る。
黒瀬は視線を麗華の手に移す。
「君の光......」
手のひらで、麗華が小さく光を動かす。
指先から指先へ、揺らぎながら浮かぶ。
「こうやって、少しなら動かせます」
「動かすだけでも、制御の練習になる。プロのバレーボール選手は上達のため、練習後もずっと家の中でボールをずっと触っていると聞いたことがある」
黒瀬は微かに目を細めた。
光は熱を持たず、影も落とさず、ただ穏やかに漂っていた。
「……まだ、怖いです」
「それでいい」
「でも……逃げないように、します」
決意ではない。宣言でもない。
それでも、確かに前を向く言葉だった。
黒瀬は微笑む。
「それで十分だ」
甘い匂いの中で、光は静かに、揺れながらそこにあった。
一方、留守番をしている風渡は、白い廊下を思い出して少し残念がる。
「俺もフラペチーノ飲みたかったな☆」
でも、スマホを握りしめ、少女の笑顔を想像しながらつぶやく。
「ま、しょうがないか☆」
光と甘味、そして少しの勇気が、今日を柔らかく包んでいた。




