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第九話 ほどけた笑顔、届かない距離

第九話 ほどけた笑顔、届かない距離


ファルコン・ダイナミクス本社ビルの地下深く。

社員用エレベーターでは辿り着けない、認証を二重に通過した先に、その空間はあった。


コンクリートの床。

衝撃吸収用の黒いパネルが壁一面を覆い、天井には無数の可動式センサーが静かに赤い光を灯している。

戦闘用ではない。

だが、力を試すための場所としては十分すぎるほど整えられていた。


「――では、開始してもよろしいでしょうか」


烏丸はタブレットを操作しながら、淡々と確認する。

スーツ姿のまま、しかし一切の無駄のない所作だった。


「はい、お願いします」


麗華は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


地下に響くのは、空調の低い音だけ。

ここには外界の時間も、学校の喧騒も届かない。


右手を前に出す。


淡い光が、指先から滲むように生まれた。


かつてのような、爆ぜる光ではない。

怒りや恐怖に引きずられて、形を持たぬまま放たれるものでもない。


「……」


麗華は光を“壊そう”とはしなかった。


ただ、そこに存在させる。


烏丸が目を細める。


「安定しています。以前よりも、出力が抑制されていますね」


光は宙に留まり、薄い膜のように広がると、ゆっくりと空間へ溶けていった。


「……怖さが、変わった気がします」


麗華は小さく言った。


「なくなったわけじゃないです。でも……」


言葉を選ぶように、視線を落とす。


「“自分だけがおかしい”って思わなくなりました」


烏丸は少し間を置いてから、静かに頷いた。


「それは、大変重要な変化です」


タブレットを閉じる。


「能力は異常ではありません。使う者の認識が歪めば、力も歪む。それだけのことです」


麗華は、困ったように笑った。


「……最近、笑ってる時間が増えたって言われました」


「良いことです」


烏丸は即答した。


「力を持つ者ほど、日常に縛られる必要があります。さもなくば、自分が何者かを見失う」


少しだけ、声の調子が柔らぐ。


「今日はここまでにしましょう。過負荷をかける必要はありません」


「え、もういいんですか?」


「はい。今は“積み重ねる”時期ですので」


麗華は頷き、汗を拭った。


――あの人に会ってからだ。


自分が、変わったのは。


胸の奥に残る、温かい感覚を抱えたまま、彼女は地下を後にした。




同じ頃。


ファルコン・ダイナミクス本社ビル、数階上。

照明を落とした執務室で、黒瀬は書類に目を通していた。


デスクの上には、整理されたファイルと、飲みかけのコーヒー。

外はすでに夜に近い。


コン、とノックの音。


「入れ」


ドアが開き、入ってきたのは紫苑だった。


「やっほ。まだ仕事してると思った」


軽い口調。

だが、その視線は一瞬、黒瀬の表情を確かめるように走る。


「何か用事でも?」


「用がなきゃ来ちゃダメ?」


紫苑は冗談めかして言いながら、勝手知ったる様子でソファに腰を下ろした。


「……忙しいなら帰るけど」


そう言いつつ、立つ気配はない。


黒瀬は小さくため息をついた。


「いいですよ。なんですか」


「相変わらずだなあ」


紫苑は笑い、指で机を軽く叩いた。


「たまにはさ、外で飲まない? 個室のいい店見つけたんだ」


「仕事が――」


「昔もそう言ってた」


被せるように言われ、黒瀬は言葉を止めた。


紫苑は視線を逸らし、どこか懐かしそうに続ける。


「責任感だけ増えて、中身は変わってない」


それは責める言い方ではなかった。

むしろ――安心しているような声だった。


「……一杯だけです」


「よし」


即答だった。



個室居酒屋は、騒がしさから切り離された静かな空間だった。

木目の壁、低い照明。

隣の声はほとんど聞こえない。


「乾杯」


「……乾杯」


グラスが軽く触れ合う。


紫苑は一口飲むと、満足そうに息を吐いた。


「やっぱここ、落ち着く」


「酒の味は普通です」


「雰囲気がいいの。大事」


紫苑は黒瀬をちらりと見る。


「ねえ」


「?」


「無理、してない?」


一瞬の沈黙。


黒瀬は視線をグラスに落とした。


「してません」


「嘘」


即答だった。


「昔からそう。大丈夫なフリが一番下手」


紫苑は笑ったが、その目は真剣だった。


「全部背負う癖、いい加減やめなよ」


「背負える立場なんでね」


「……立場ね」


紫苑はグラスを回す。


「それでも、たまには誰かに預けてもいいんだよ」


黒瀬は答えなかった。


紫苑は、それ以上踏み込まない。


代わりに、話題を変える。


「学生の頃さ、覚えてる? 夜中まで残って――」


懐かしい話が続く。

笑い声が混じる。


だが、紫苑は時折、黒瀬の瞳を見つめる。


言葉にはしない。

言えば、壊れてしまう距離だと知っているから。


それでも。


(……まだ、隣にいられる)


その事実だけで、今は十分だった。



地下で鍛える少女と、

夜に笑う男。


それぞれの場所で、少しずつ、何かが変わっていく。


静かに、確実に。

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