第四十二話
面会の後、ふたりの世界の外側では慎重な話し合いが行われていた。
職員からの報告を受けた、平内含む関係者は揃って険しい顔をする。一介の記者と殺人鬼が、ここまで親睦を深めてしまうとは予想外の出来事だったからだ。
船崎に、悪意はない。彼女は情熱的で正義感に溢れた、良心的な女性だ。私情も絡んで庇いつつ、平内は面会停止の提案をした。
本来の目的であった動機は、すでに聞き出せている。もう会う必要もないだろうという判断は、問題なく通った。
「そういうことだから……ごめん」
「せめて、あと一回」
「だめだ」
最後に別れの挨拶をしたいと言う船崎に、平内は首を横に振る。
「もう、彼女とは関わらない方がいい」
良くも悪くも、船崎は純粋だ。人の悪意に触れてこなかったために、ぶつけられると崩れるのも脆い。
現に、理想のためなら殺人という手段も選べてしまう、欠陥のある人間にまで同情を示している。いや、恵まれていないからこそ、可哀想だと情緒が引っ張られてしまうのだ。
優しい故の、弊害。田村に染まってしまうことを危惧して、関係を断たせた。
「そっか……仕方ない、よね」
はじめの数日は落ち込んでいた船崎だったが、さらに数日経つ頃には日常生活も忙しく、次第に田村の存在は彼女の中で薄れていった。
「これからは、俺が支えになるから」
「……うん」
恋愛面でも充実したのが、気を持ち直す手助けにもなる。
めでたく平内と結ばれ、交際を始めたふたりは、初デートの日程を立てた。場所はどこにしようかと、ソファの上で穏やかに話し合う。
「んー……あの、ね」
「うん?どうした」
「成田山の、祇園祭に行きたい」
「初デートで?」
「うん」
船崎からの控えめなお願いに、すぐには了承できず渋った。考えすぎかもしれないが、成田山の祇園祭は田村が殺人を決行した場所。
未だ、彼女との繋がりを求めての提案なら、飲み込めない。
恋人としての、嫉妬もあった。自分よりもあんな犯罪者との約束が大切なのかと、脳が熱くなる。
「あそこは、田村の……」
「違うの」
断ろうとすれば、船崎は平内の太ももに手を置く。好きな人からの接触に、意識は簡単に逸れた。
「りんご飴が……どうしても、食べたくて」
祭り――屋台の出店が活発になる季節。この時期ならではの風物詩を味わいたい一心で、他意はない。頭の片隅で、田村との約束が過ぎっていたのもあるが。
無性に、ガヤガヤとした場所へ行きたくなった。
最近、船崎は孤独が怖いのだ。
誰かといないと、不安になる。心臓が浮ついた感覚に襲われて、足元から崩れ落ちそうになる。体の芯、柱を失ったような気分だった。
しかし、それでも日常は続く。生きていくほかない。
そうなった時、田村との約束――りんご飴を買うことだけが、唯一の支えとなっていた。本人に、自覚はない。
「じゃあー……行くか!りんご飴、食べるか」
「うん!たのしみ」
頼もしい胸板に寄りかかり、何年ぶりだろうと記憶をほじる。思えば、社会人になってからの数年は、まったり祭りを楽しむ余裕もなかった。
束の間の幸せを、噛み締める。
仕事の方も、かなり調子がいい。元より優れた取材力や、最近では珍しい“足で稼ぐ”古いスタイルが一定の層から受け、評価された。
「いやぁ、若い女で他にいないよ」
「男は、昔は靴底が擦り切れるまで歩き回ったもんよ」
「そのくらいの危害が、今の若者にはないからなぁ」
「情けない男が増えた中で、偉いよ。船崎ちゃん」
「顔も美人だしなぁ。よっ、美人記者」
たくさんの大人にちやほやされ、寂しさもいくばくか癒えた。誰かに褒められることが、こんなにも幸せだったなんて。
少し前の自分にとっては当たり前すぎて、感謝の気持ちすら湧いていなかった。
田村と出会い、船崎はまたひとつ成長したと、自負していた。人間性が養われた錯覚に陥っていた。
彼女の思考の深さを、自分ごとのように受け止めていた。
順風満帆な人生になると、信じてやまなかった。
新たな風を吹かせてくれた恩人であり友人の田村は、今もどこかで生きている。同じ空の下、今日も澄んだ青を見上げている。
それだけで、よかった。
望むことは他になく、田村が死刑囚であることも受け入れているつもりだった。
『昨年、世間を震撼させた通り魔殺人事件の犯人・田村雪乃の執行が決定されたと、政府は発表しました』
――え?
朝の、ニュース番組。
その日は、平内と祇園祭へ行く約束の日であった。
『短期間で執行が決定するのは異例の事態であり、政府は模倣犯含め、影響を鑑みた結果だとしています』
窓から差し込む朝日の眩しさにも負けない闇が、手の先から広がる。末端から、温度を失くしていった。
あまりにも早すぎる、別れ。
「死……」
田村雪乃が、死ぬ。
『私は、何者にもなれないんだ』
なれないまま、死ぬ。
「っ……」
いてもたってもいられず、船崎はひとり暮らしの部屋を飛び出した。出かける準備は整えていたため、焦りながらも鞄を肩に、ひたすらに走る。
勢い良く立ち上がった拍子に倒れたコップからは、コーヒーが滴り落ちる。
床に敷いた白いカーペットが、薄汚れた黒へと色を変えていた。




