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その女、通り魔殺人鬼につき。  作者: 小坂あと


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第四十話






 鼻歌が響く。


 世界的にも有名な某長編アニメの穏やかなメロディを奏でながら、田村は本のページを捲っていた。

 彼女は、読書の時間が大好きである。

 幼い頃は身近に本がなく、あったとしても読める環境下ではなかった。そのため、手の届かない無縁の存在だったのだ。

 それが、今はどうだ。読んでも読んでも終わらない。飽き足らないくらいの書籍が、全国各地から届く。

 誰もが一度は目にしたことがある名作から、残念ながら日の出は浴びなかったものの知る人ぞ知る名作の数々。


「んー……人間って、素晴らしい」


 そのどれもに、人間の感情が濃く描かれている。

 小説だけじゃない。自己啓発のようなエッセイ本にも、嫌でも含まれてくる。何か物事を伝える時、訴えかける時に心理描写は必須らしい。


「尊い命なんだなぁ」


 平然と、呟く。


 実を言うと、田村には生きている実感が足りていない。

 今も、はっきりと強く感じるわけではないが、常にぼんやりと“誰かの体を借りている”感覚に苛まれている。自分の体が、半分自分じゃないみたいだ。

 心も、まだ正常な倫理観が育っていないのには、理由があった。

 子供が自我を持つ瞬間――“物心”は通常、二歳から四歳の間に持つとされている。その辺りで世の中の仕組みがなんとなく分かるようになり、その後は成功体験や他人との衝突や失敗も経て人間性が確立されていく。


 田村には、幼少期の記憶が無い。

 

 空白の期間が、約十五年。振り返ろうにも、真っ黒。自分の辿ってきた軌跡は、辿ろうにも暗い霧に包まれていて難しい。

 ぽっかりと空いた、中学卒業までの間。

 自分は、何者だったんだろう――考えても、答えはどこにも落ちていない。何者でもない、ただの中身のない傀儡だったからだ。


「お父さん、お母さん……」


 家族に対する感情が希薄なのも、そのためだ。


 親に愛された経験が、親を愛するという必要性が欠如している。故に、“他人”と呼ぶのだろう。

 田村の意識、いわゆる自我が発達してきたのは十八歳頃。他の人間で言うところの、三歳の頃だ。おかしな話ではあるが、田村の人生が始まったのは、本当の意味での生を授かったのは十五歳前後。遅咲きの物心が、彼女の世界を僅かに彩った。

 

 それまでの人生は、田村にとって人生ではなかった。

 

 おそらくは、解離性・離人症の類だと考えられる。本人に自覚もなければ診断の希望もなく、精神科の医師達も見抜けなかったのは彼女の口からあまり多くが語られないからだ。田村からしても、記憶がないために語ろうにも語れないのだ。

 つまり、彼女の精神年齢はまだ十三歳から十五歳程度の、同じ年代と比べたら遥かに幼いものである。実年齢の、約半分ほどしか人格が形成されていない。思春期の状態と、大差ないのである。

 そのため道徳や常識、倫理感が養われていない。本来であれば学校で教えられるところを、彼女は物心ついてすぐの、中学卒業のタイミングで否応なしに社会へ放り出されている。

 感覚的には、まだ三歳の幼児が大人に紛れて、大人と同じ精神性を求められ、生活しているようなものだ。


「みんな、頭がいいんだなぁ……」


 急激に構築せざるを得なかった、価値観。田村は働くと同時にスマホを購入しており、未知なるものは全てネットで調べていた。

 もちろん、ネット上には過激な意見もたくさんある。むしろ、当時はまだ閉鎖的で使用する人間も偏っており、今ほどまともな論争は少なく、リアルとはかけ離れた極論ばかりだった。

 しかし、判断基準を持ち合わせていない田村は、全てを鵜呑みにしてしまった。吸収してしまった。


 そうして出来上がった怪物を、人類は今日も責め立てている。


 いわば、自業自得なのだ。自らの主張が与える影響を鑑みず、好き勝手に暴論を吐く。正論だから良いだろうと、言葉で人を殴る。

 それを見た子供がネットの価値観に染まり、まだ区別のつかない頭で判断し、犯罪に走るケースだってある。

 この世は、汚い大人達が作り出している。当然、綺麗なわけがない。

 それなのに人は人を叩く。完璧主義や綺麗好きが度を超えて、完璧しか許せない潔癖に姿を変えた。自分達が何より醜いというのに、棚上げして他人ばかり浄化させようとする。

 だからといって、彼女を正当化する免罪符にはなり得ないのだが。


 田村は、うんざりしていた。


 人間は尊く美しいが、一方で目も当てられないほどの醜さも持ち合わせている。矛盾が、許せない。

 どっちかだけにしてほしい。――そうぶつくされる彼女が、誰よりも二面性を備えている。皮肉な話だ。


「船崎ちゃんは、よかったなぁ」


 真っ直ぐな、正義。


 真っ向から「あなたは間違えている」と否定してくれたのは、彼女くらいだ。半生を思い返し、喜びを噛み締める。

 心底、応援していた。あの時に投げかけた言葉は挑発でも、嫌味でもない。まごうことなき本心だ。

 彼女は、良い。清い感じがする。根拠も説明もできないが、直感的に好意を感じていた。無論、恋愛感情ではない。


「早く、会いたいなぁ」


 次の予定は、いつだろう?


 いつ、来てくれるんだろう。


 誰かを心待ちにしたのなんて、初めてだ。


「口を慎め」

「……はーい」


 独り言の多さを、怒られてしまった。わざとらしく肩を上げて、ザラついた紙質に視線を戻す。

 どこからか、雨の音が鳴り続いていた。外の季節は梅雨なのか、と把握する。そういえば、かなり暑くなってきた。体感温度の高さに、参りもした。


 もうすぐ、夏が来る。


 田村が人を殺して、一年が経とうとしていた。



 







 


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