第三十七話
決して、早口ではない。
むしろゆったりと、落ち着いた口調で話されたはずなのに、情報量の多さに処理が追いつかなかった。脳が、理解を拒んでいた。
田村の主張は、分かるようで分からない。多くの人が共感できるようで、誰にも寄り添ってない意見だった。
「って感じで、殺しちゃった」
全てを話し終え、ご満悦で微笑む。
「私は全国民のため……日本人のために、身を挺して理想を叶えてあげたの。優しいでしょ?」
彼女の自認は、“善人”。まるで、賞賛される善行をした時と変わらない誇らしげな表情にゾッとした。
船崎は、自分の浅はかさを責めた。
ほとんど全てを知った気になっていたら、調子に乗るなと横から殴られた気分だ。何も、氷山の一角さえも、毛ほども。とにかく、田村雪乃という人間についてなにひとつ知らなかった。
海よりも深い、破綻した理屈が隠されていたなんて、誰が想像できただろうか。
「全ては、男女平等。人類の理想実現のためだよ」
底が見えるようで、見えない。
浅いと思って踏み込んだ先、沼の如くぬかるんで絡みつく気持ち悪さが心をなぞった。
「でも……人を、殺すのは、良くないんじゃ」
「どうして?」
「だって現に、あなたは逮捕されて……死刑になってるんですよ」
自分の人生を犠牲にしてまでやる必要があるのか、という問いには、なぜ殺人である必要があったのかという疑問も含まれていた。
知ってか知らずか、田村は斜め上を見上げ思案する。彼女の目には、何が映っているのか。
「……別に、殺しは悪いことじゃないよ」
ぽつりと落とされたのは、開き直りでも正当化でもない、事実の羅列だ。彼女にとっての。
「あくまでも手段のひとつ。そこに善も悪もない」
「い、いや……悪いことですよ。人の命を奪うのは。許されないことです」
「どうして?」
だからあなたは死刑囚なんだ。続く予定だった船崎の声は、質問によって遮られる。
――どうして、って。
答えは、いくつも浮かんだ。法律でだめとされているから。秩序を守るために必要なことだから。悲しむ人間が生まれるから。人間としての理性や尊厳を維持するためだから。感情でも理屈でも、説明がつく。
「ここがもし戦場なら、私は英雄だよ」
しかし、どれも言葉にする前に、田村が奪い去ってしまう。
「場合によっては、許されてないだけ。限定的に、条件付きでだめって言われてるだけ。私は単にだめなことをしたから捕まったんじゃない。禁止されている場所で、禁止行為をしたから捕まったの。殺しが禁止されてない世界線なら、何も問題なかった」
めちゃくちゃだ。
殺しが禁止されていない場所なんて、この地球には存在していない。存在していいわけがない。
田村の理論は理路整然としているようで、支離滅裂。他者を思いやっているようで、利己的。まるで命を冒涜している、自分勝手な意見だ。
「殺しに使った方法だってそう。包丁自体が悪いんじゃない、使い方が悪かっただけ。殺人も、同じ。手段として使いどころを間違えちゃっただけ」
「その、間違いが……許されないことなんですよ」
「確かに。そうかも」
結果的に捕まってる時点で、そうだね。
笑う。
平然と、悪びれもせず。自分の異質さを、矛盾をあっさりと認めた。拍子抜けするほどに。
船崎は、絶句していた。言葉を失うとはまさにこのことで、開いた口が塞がらない。この人は、何を考えてるんだろう?
動機を知れば、辿り着けると信じていた。思考回路に触れれば、脳の中を覗ける気分になれる、と。
現実は、不可解な上に不快。満たされることのない知的好奇心は行き場を失い、吐き気だけが体内を蠢く。
「殺し以外に方法があったらなぁ……人を、傷付けなくて済んだかもしれない」
反省した、“素振り”なのか。はたまた、本心で後悔しているのか。
この人は悪人だ、と決めつける頭と、感情論でまだ良い人なのではと探ってしまう心がある。
「でも、結果は惨敗」
項垂れて、ため息をつく。
「良いとこまで行ったけど……あと一歩、届かなかったなぁ」
田村の目指す、数字による平等性。
理想までは、あとひとり。
船崎は、ただただこれ以上“女の通り魔”が出ないことを強く願った。あるいは、男の通り魔が増えてもいい。とにかく、田村の理想を叶えさせてはいけない。
同情していた心境は一転して、危機感に変わる。狙いを知ってしまった今、かなりまずい状況にあると知っているのもまた船崎だけなのだ。
無論、この会話は記録されている。職員の報告を経て、警察も遅かれ早かれ情報を手に入れるだろう。
そうすれば、対策してくれるに違いない。
「あなたの思い通りには、させません」
初めて。
船崎は強い怒りを宿して、田村に視線を送った。
これまでとは違う。慈愛の消えた眼差しに、敵意を向けられているというのに、田村は恍惚と目を細め頬を染め口角をつり上げた。
「いいねぇ……」
前のめりになり、ギリギリまでガラスに顔を近づける。そして、円状に等間隔で開いた小さな穴達へ、興奮の吐息と共に、
「応援してるよ」
エールを送った。
「君が望む理不尽な世界を。楽しみにしてるね。女さん?」




