第三十六話
「まずさ。
人類は男女平等を目指すけど、男と女は構造上、平等にはなれない。平等にするなら、力の差があってはいけないはずだからね。これは単純な筋力だけの話ではなくて、学力や共感力、ありとあらゆる面で男女には必ず差が生じる。脳科学では男性脳・女性脳は無いとされている研究結果もあるようだけど、仮に脳自体に差がなくても環境や社会性の影響による性差は生まれる。例えば、男の子には“将来働いてお金を稼ぐ義務があるから”とたくさん勉強させたとする。男の子はどうなるか?学力が上がり、勤勉になる確率が上がるよね。逆に女の子には“将来お嫁さんになって家族を支えるのが義務だから”という教育方針で接したとする。すると、今度は女の子には愛嬌と家庭的な性格が育ち、手先の器用さが養われる。社会はこういうステレオタイプな“常識”によって作り上げられている。だから脳みそ自体に差がなくとも、一種の洗脳のような形で無意識下でカテゴライズ化され、男も女もレールに沿って育っていく。もちろん、個体差も例外も存在する。そういうのは少数派だから、社会を変えるには数が足りない。無駄とは言わないけど、ここでは無視する。これは大多数、傾向の話だから。多くの男女はそうなっていくよ、そう育つよってこと。じゃあ、社会が変われば男女の在り方も変わるのでは?と思うよね。その通り。ある程度は、変えられるだろうね。ただ、さっきも言ったように根本的に、身体的な差がある。こればっかりは、どれだけ価値観を、考え方を見直したところで変えられない。それこそ、意図的に世界中の人たち全員が性差の少ない体格差同士で付き合い、結婚し、出産したり遺伝子をいじれば可能なのかもだけど。現実的ではないよね。生存戦略的に自分とはかけ離れた人間を好きになるようにも出来ているというし、もしそれが真実なら本能には逆らえない。つまり、どれだけ理想を掲げても生物学的に私達は等しくなれないし、性差が存在してしまう故に平等にはなれない。なのに物事を単純化して一緒にしようとするから不平等が生まれ、いつまでも女はこうだ、男はああだなんて言葉が出てくる。当たり前だよ、能力が違う。こうして、平等を目指せば目指すほど不平等が生まれる仕組みが出来上がっちゃってる。そもそも、男女平等って“概念”として語られるけど、本質は実体のない神話みたいなものなんだよ。あれ、誰が言い始めたんだろうね?できもしないことを“正しい”って押し付けて、叶えられない願いのため奮起する人間から疲弊していく。例えばさ、同じ体力仕事をするにしたって、平均で男性の筋力は女性の1.5倍だったかな?まぁ数字は正確じゃなくていいんだけど、とにかく差がある。でも社会はそこを見ないふりをする。『努力すれば埋められる』って。埋まらないって。努力で骨格は変わらないのにね。努力して折れたら『甘え』。理不尽だよね。逆に、共感力は女性の方が強い傾向があるって研究もある。人間関係で気を遣いすぎて疲れるのは女の方が圧倒的に多い。なのに『女は情緒不安定』で片付けられる。一方で男は頑張っても頑張っても『気が使えない、空気読めない』と欠落品の烙印を押される。違うよ。向いてないことを押し付けられて擦り切れてるだけ。そんなんもうやってられなくて文句も出るよ。ねぇ船崎さん、これを平等って呼べる?私は呼べない。そんで隣の芝生は青いように、持ってないものは羨ましくも、恨めしくもなる。自分とは違うものを、人間は真の意味で理解できない。理解できないから、思いやれない。結果的に余裕のない人間達は自分の立場が大変なことばかり主張してしまって、あたかもそれ以外は大変じゃないかのように攻撃してしまう。女は男を楽だと罵り、男は女を楽だと笑う。そうやって意見は対立してきて、今もなお世界は平等からかけ離れたところにいる。おかしいよね?目指してるはずなのに、分かり合おう助け合おうじゃなくて潰し合ってるの。私もよく言われたよ「女のくせに」とか「女は家事をするもの」とか「女はすぐ感情的になって話しにならない」とか。最後に関しては甚だおかしいと思うけどね。だって、男が仮に感情的でない理性的な人間であるとするならば、世の中に男性犯罪者は存在しないはずじゃん。感情的じゃないはずなのに、なんでカッとなって暴力を振るうの?我慢できなくて同意なしに性欲を発散しようとするの?理性どこ行ったの?言ってること矛盾してるんだよ、男さんは。女さんも女さんだけどね。確かに女がヒステリックで感情的なのは否定しない。奴ら、すぐに考えることを放棄して叫ぶか泣くか。チンパンジーじゃねえんだから黙っとけよ。って思う時あったよ。あ。元カノの話ね。私も元カノに泣かれたことあるけど、あれは論外。すぐ泣いて、すぐ叫んで、まともに会話ができない。別に怒鳴ってないよ?普通に話してるだけだよ?論理的に、冷静にね。でも女同士でもこうなるってことは、感情の扱われ方って性別じゃなくて文化なんだろうね。“女は泣いて当然”っていう甘えを社会が許してるから、ああいうモンスターが生まれるんだよ。男も女も。要は、人間はみんな感情的なんだよ。当たり前じゃん、だって感情がある生き物なんだから。感情が爆発する基準や発散の仕方、種類が違うだけ。どっちもどっちなの。だから女さんだけ感情的って言われるのは納得いかないね。あとさ、男も女も平等って言うくせに、“責任”の大きさだけは平等にしないよね。家計は男が支えて当然、子育ては女がして当然。法律も制度も、都合がいいところだけ男女を使い分ける。あれ、詐欺だよ。“平等”って一回言っておけば、あとは全部押し付けていいみたいにしてる。私、ああいうの大嫌い。平等って言うなら、全部目に見えるもので均せばいいのにね。責任の量も、負担の量も、リスクの量も。人間、感情が入るから揉めるんだよ。そこは論理的に、合理的にいこうよ。ねぇ?で、明確な何かがあれば、誰にも言い訳できない。そこに辿り着いたってわけ。でも、どうやって?わかりやすく表せるものって?指標って?男女“対等”なら必要ないんだけどね。でも、人類が目指すのはあくまでも“平等”。仕方ないから目指すとして。視点を変えれば、なろうと思えばなれる方法がある。
それが、数字。
数字はいいよ、分かりやすい。特に犯罪件数なんかは毎年のように数えられるし、常にみんな注目するからちょうどよかった。だから、犯罪率を均等にしようって思いついたわけ。数ある犯罪の中からなぜ無差別殺人――通り魔にしたのかは、簡単そうだったから。あと、男女比率が大きく離れてたから。いつだったか、やることなくて暇すぎて調べてたの。日本国内の犯罪件数と男女比率を。それで偶然見つけちゃったんだよね。それで、ここが平等になったら、社会への影響も多いんじゃないかな?って思ったの。だって、無差別だよ?理由のある暴力沙汰ならまだ防ぎようはあるかもけど、道を歩いてていきなり刺されるんだよ?太刀打ちしようのない不意打ち。これは、女性がやるには向いてると思ったんだよね。むしろ、なんで世の女性はやらないんだろう?って不思議なくらいだった。捕まりたくない人は無理だろうけど。身を挺して何もかも捨てれちゃう人にとっては、取っつきやすい方法だよね。予想通り、私はうまくいっちゃった。ぶつかるふりして刺して回るのは、ゾクゾクしたなぁ。男を狙ったのも、あえて。身体的な差があっても女が男を殺せる事実を突き付けてやりたかった。事実、こっちは刃物を持ってるから、常日頃力を誇示している男性陣も怯んですぐには取り押さえられなかったよ。なんなら女性の方が果敢に止めてきたね。そのせいで、関係のない性別にまで傷を付けちゃった。二度目があるなら、今度は絶対に男だけを、確実に殺すのになぁ。ってなわけで女の通り魔が増えたら、世界は“女も同じだけ危険だ”って認識するはず。それこそ平等じゃない?って私は思うんだよね。これは余談だけど、多くの人間を刺すにはね、コツがあるの。こう、フラッと行く。刺そう!と思って刺すんじゃなくて、あ。刺さっちゃった、みたいな感じで包丁を前に突き出すだけ。殺意っていうのかな。それがないと、人間気付くの遅れるみたい。不思議だよね。“気”なんて見えないはずなのに、殺そうって思って突撃すると避けられちゃうんだよ。ゲーム感覚でやるといいのかも。刺さったら1ポイント!で、話を戻すと、私にとっての平等――数字での均し、犯罪件数の均一化を目指すために、やったの。それが一番の動機。どうかな?男女比率のない犯罪。これこそ、真の平等じゃない?人類はまた一歩、理想に近づいたと思わない?これで納得できたかな」




