第三十三話
初めて、田村雪乃と面会する日。
船崎は緊張をごまかすため、気合を入れて服装を選んだ。何かしら頭を働かせていないと、そわそわしてしまう。
自分だけが選ばれた特別感と、優越感が少し。気分が高まりすぎて、昨日は眠れなかった。
寝不足のだるさも吹き飛ぶほどの中、いよいよ手続きを経て接見室へと案内された。
白を貴重とした四角い室内で、ガラス一枚隔て、対面を待つ。
冷えた銀色のドアノブが、回る。
「……はじめまして」
現れた虚弱な女は、予想を上回る気さくさで笑いかけてくる。
「初めまして。今日は、よろしくお願いします」
「わぁ。記者っぽいね」
あくまでも親しくする素振りは見せないぞ、という心意気でメモ帳とペンを取り出したら、浅い拍手をされた。
向かい側の椅子に座った彼女は、前のめりでにこやかに船崎を見つめる。
思いもしていなかった。人を殺したというのに悪びれもしない人間が、こんなにも好意的な態度を示してくれるなんて。
居心地の悪さに肩を縮めながらも、許されている時間は長くても二十分程度。モタモタしている暇はない。
「さっそく、本題なんですが……」
「え〜?少しくらい、雑談しましょうよ。せっかく来てくれたんだし」
「いや、でも……」
「まあまあ。そんなすぐ動機話したら、ね」
チラリ、と田村は黒目の動きだけで部屋の隅にいる施設職員へ、船崎の視線を誘導させた。
ここでの会話は、当たり前のように監視・記録されている。
それと雑談の何が関係あるんだろう?と首を傾げたが、前後の発言から意図に気が付いた。
船崎が招かれたのは、真の動機を聞き出すため。今回の接見で全てを暴露させてしまったら、二度目はない。田村はあくまでも、船崎との会話を楽しみたい。義務的すぎるのは、避けたいんだろう。
加えて、心を開く過程も見せておきたい。初対面で包み隠さずペラペラ喋りすぎるのは、深い繋がりがあったのではと勘ぐられてもおかしくないからだ。
「情緒っていうか。そういうの、大事にしたいの」
「……そうですね」
無言のアイコンタクト。数秒の沈黙を経て、お互い共通認識を持つ。
「まずは、ありがとう」
「え?」
「お姉ちゃんの、赤ちゃんのこと。あれ、本当に嬉しかった。泣いちゃった」
――泣く?
血も涙もないと、信じてやまなかった人物の等身大な感想に、困惑する。まさか、自分の行動がそこまで彼女の感情に影響を与えるとは。船崎にとって、霹靂として轟く。
「それで……約束、覚えてる?」
「あ……」
おそらく、呼び出した本当の目的である、立花の写真。
察していた船崎はスマホのデータとしてしっかりと持ってきてはいるが、沙穂の旦那である康平に拒絶されたことを思い返し、渋った。
失望させるかもしれない。曇った表情へ変わる未来がありありと浮かんで、良心が痛む。
「実は――」
嘘をつくのも心苦しく、正直に起きたことを話した。
「――なんだ。そんなことかぁ」
拍子抜けするくらい傷付いた様子もなく聞き入れた田村は、ケラケラ喉を鳴らす。
「そんなん、無視すればいいじゃん」
そして、罪悪の欠片もなく吐き捨てる。
やはりどんなに普通な人間を振る舞っていても、人として大切な部分が欠落していた。
分かりきっていたはずのことに、どうしてか落胆する。
「大丈夫。バレないって。ここでの内容は、良くも悪くも非公開だからさ」
「でも……」
「あーじゃあ帰れば?帰れよ。帰れ!」
突然の大声に驚いて、固まる。職員は背を向けたまま。よほど暴れたりしない限りは、我関せずを貫く方針のようだ。
これまでの人生で、誰かに遠慮のない怒りをぶつけられることがなかった船崎は、恐怖で動けなくなってしまう。
家族はもちろん、友人も職場関係も、穏やかな人間に囲まれていたおかげだろう。学生時代は典型的な優等生で、教師にも怒られることはなく、荒々しい恋人を持つこともなかった。
何よりも、今の今まで友好的だったのに。という、ショックもあった。
「お前もう用無し!他の奴らとは違って私のこと少しは理解してるかな?と思ってたけど、とんだ期待外れだな!これだから女は……何しにきたの?無能記者がよ!」
ガン、ガンと。何度も壁を蹴る音がする。
これにはさすがの職員も振り返り、様子を見ていた。しかし、止めるまではしない。
ふたりの間には、叩いても決して割れることのないガラス板が存在する。故に、船崎が危害を加えられるようなことは起こり得ないのだが……恐怖で、足が竦んだ。
突然の豹変に、言葉も出ない。怯える船崎に対し、田村はにっこり微笑んだ。
「消えろよ。カス」
投げられる言葉は、ひどく棘のあるものだった。
「ご、ごめんなさい……」
訳も分からず、謝る。もはや、写真を見せなかった事が相当な悪行なのかと錯覚してきた。
「謝るくらいなら、写真見せてくれる?」
「え?でも」
言いかけて、黙る。ここで断ったら、またさっきみたいな攻撃性を向けられるかもしれない。
――こわい。
船崎の体は、命の危機に支配されていた。殺されることはあり得ないはずなのに、だ。
そのくらいインパクトのある出来事が目の前で繰り広げられ、気が動転していたんだろう。結果的に、スマホの画面に表示させ、見せてしまう。
「わぁ……っかわいいなぁ」
両手をつけ、張り付くようにして立花と写真越しの初対面を済ませた田村は、ご満悦のようだ。
「お姉ちゃんに似て、きっと美人になる。……ね?船崎さんも、そう思わない?」
先ほどの不機嫌から一変。今度は、上機嫌で聞いてくる。
情緒がどうにかなってしまいそうだった船崎は愛想笑いで同調し、頷く。本人は笑っているつもりだったが、その口元は可哀想なくらいに引きつっていた。
「見せてくれたから、動機について話してあげる」
「あ……ありがとう、ございます」
「ただ、全部話すには、今日はもう時間が足りないなぁ」
計画通り、進む。
また次回に持ち越された面会。船崎の胸中には、“会いたい”と“怖い”が同居していた。嬉しいはずが、変に心臓がドキドキする。もちろん、良い意味ではない。嫌な動悸だ。
その日、伝えられた動機は「男女平等のため」だけ。
しかし、それについては裁判の中でも、別件であるが把握している。ただ、メモには残しておいた。
「じゃあ、またね」
「はい……また」
こうして、第一次面会は幕を閉じる。
そして、全ての幕開けでもある。




