第三十一話
二十九件。
過去、十年のうち発生した無差別殺人――いわゆる通り魔殺人の件数だ。これには、殺人未遂や傷害事件とされたものは含まれない。
うち、男性による犯行が十五件。女性による犯行が、十四件。
十年前から去年まで、女性が起こした通り魔はゼロだった。つまりは、この十四件は田村雪乃の事件以降、一年未満に間に発生した事案である。
これが、何を意味するか。
『警察はこれを“田村現象”と名付け、対策にあたっています』
ニュース番組では、暗い顔をした女性が社会現象にまでなっていることを告げる。
看過できず活発化した警戒態勢のおかげか、一時的に発生件数は落ち着きを取り戻し、ここ二ヶ月ほどは更新されていない。男性の通り魔も、パッタリと息を潜めた。
元々、模倣犯が現れたのは田村が扇情したはじめの一ヶ月程度がピークで、その後は減少傾向にあった。
そして、激化していた男女の性差による衝突も、今では平和に戻りつつある。
ネットでは一部の人間が未だ粘着し、女叩きや男叩き、ジェンダー問題にあちこち首を突っ込んでいるが、もはや日常茶飯事の光景である。
結局は、何も変わらない。田村雪乃の影響があってもなくても、匿名性の悪意は消えてなくならないのだ。
そう考えると、船崎は虚しくもなった。
世界は、今日も平穏だ。……見せかけだけは。
男女論争も差別も分かり合えない口論の数々も、優しさのない価値観も、厳しいだけの正論も筋の通らない暴論も狭い視野も思いやりに欠けた主張も常識の押し付けも正義の仮面を被った、殴りたいだけの鉄槌も。
なくなることは、一生ない。
田村雪乃は、世界を変えられなかった。
彼女が与えたのは、一過性の炎上と一部女性の憂さ晴らしの言い訳だけ。
灯火は、儚くも朽ちた。
さらに数カ月が経ち、世間の注目も落ち着いた頃。
「判決を言い渡す」
田村雪乃の、
「主文。被告人、田村雪乃を――死刑に処する」
死が、確定した。
多くの人間は無関心。被害者遺族は歓喜と安堵に涙し、崇拝していた信者ですら当然の結果として受け止めた。
憂う者は、いなかった。
肉親であり、田村にとって唯一の良心であった沙穂も、仕方のないこと。妹のしたことは、それほどひどいものだったと同情の余地なくニュースを通して知る。
船崎も、例外なくそのひとりだ。
全てが終わった。
喪失感。それから、充足感。長い長い取材だったと、過去を振り返って肺から重たい空気を吐き出す。
――いや、まだだ。
一段落ついただけで、船崎には最後の仕事が残っている。
雪乃本人への、取材。
「――え?」
「ですから、もうしばらくは……」
しかし、予想外のことが起きた。
あれだけ世間を騒がせた殺人鬼と、会える。
となれば、面会希望が殺到することを見越して、弁護士判断の元、当面は無期限の延期。極めて限定的ではあるが、親族以外の接見禁止は継続が認められた。
先延ばしされた状態に、放心する。ようやく話ができるとばかり、期待していた船崎にとっては青天の霹靂。絶望にも近い焦燥に立ち尽くした。
「どうしよう……」
記事は、田村雪乃の証言を持って完成する。
パズルをしていて、残りひとつのピースを無くしてしまった気分で、途方に暮れる。
無期限ということは、二度と解除されない可能性もあり得る。確率は低いが、特例が認められている以上、無いとは断言できない。
このままでは、記事を出せない。そうなれば、キャリアも危うくなる。他の仕事も並行していたものの、熱を込めて入れ上げていたのは田村に関するものだけだからだ。
そんなことよりも、ここ数ヶ月ずっと心待ちにしていたせいで、失望感がすごい。
「……なんで、こんな落ち込んでるんだろ」
ふと。
自分の気持ちに、意識が向いた。
そして、絶望した。
課題解釈し、田村雪乃に「子供を殺すのは違う」とされている藤原の盲目的思想と、近しいところにいるんじゃないかと気付いてしまったからだ。
冷静になろう。
一度、離れる選択をした。それはまるで、長年連れ添った恋人――否。家族と縁を切るような苦肉の策であった。
二週間。
“たったの”と呼ぶべきか、“ようやく”とするべきか。
息抜きに国内旅行をしていた船崎の元へ、田村雪乃の弁護を担当していた弁護士から、連絡が入る。
『田村が、面会を希望しています』




