第三十話
途中、帰宅した沙穂の旦那・康平により。
「っ殺人鬼に我が子の写真を渡すなんて、バカじゃないのか!?」
船崎と沙穂は、自分達の感覚が麻痺していた事実を突きつけられた。
沙穂は実の妹に喜んでほしい、我が子を見てほしい姉心だったのは、言わずもがな。船崎は、本人から直接お願いされたことの使命感と田村への共鳴が強くなっていたことによる線引きの曖昧さが原因だった。
言われてようやく、確かにとふたりは危機感を抱く。
「ごめん。康平……」
「いや、俺もごめん。つい、熱くなっちゃって……」
生まれたばかりの実子を守るべく、声を荒げてしまったことを反省し、康平は落ち込む沙穂の背中をさすった。
「そういうことなので、六花の写真は消してくれませんか」
「え。でも……約束が」
「殺人鬼との約束なんかよりも、一般市民の言うことを聞いてくださいよ。悪魔の声に耳を傾ける必要ありますか」
「そう、ですけど」
船崎の返事は歯切れが悪く、写真の削除も渋る。
悪魔の声に耳を傾けるなと言うが、悪魔は悪魔であるからこそ蠱惑的で、人間は耳を傾けてしまうのだ。心を掌握せんとする囁きに、惹かれてしまうのだ。
すでに蝕まれつつある船崎にとって、康平の主張は正しいようで正しくない。
「彼女も、人間なんですよ……?」
「は?何言ってるんですか」
庇うような発言にカッとなり、眉間のシワは濃く、不快感を示す。
「奴は、人を殺したんですよ!人が、人を殺せると思いますか」
彼の怒りは、ごもっともである。
しかし、どうしてか納得ができない。頭では理解しているのに、感情が相手の正論を拒絶する。
「殺せるから……殺人事件が、起きるんですよ?」
「っ……ほんとに、さっきからなんなんですか!」
「え?いや……私はただ、人は人を殺せるってことを」
「あなた、自分が何を言ってるか分かってますか?人殺しを、正当化するんですか?」
そんなつもりじゃ――言いかけて、押し黙る。そうかもしれない事実が、心を刺してきたからだ。
殺人を正当化するつもりなど、毛頭ない。人間としてありえない行為であるし、それ故に法律でも禁止されている。本来、人間は人間を殺すようにはできていないはずだ。そうでなければ今頃、人類は滅亡している。
なのに、なぜ田村雪乃を“ただの通り魔殺人鬼”扱いされると、もやもやするんだろう?船崎には、明らかな異変が生じていた。
違和感が、残る。
しかし、正体が掴めない。
「これだからマスコミは……記者は信用できないんです。世間と、価値観が違いすぎやしませんか」
「ちょっと、康平」
「だってそうだろ?こいつは、殺人鬼の味方をしたんだぞ!」
「だからって、感情的になりすぎ」
「大切な娘が危険に晒されかけたんだ!怒るに決まってるだろ!」
どうしてそこまで、敵意を剥き出しにするのか。
船崎には、分からなかった。
「別に……危険になんか、晒されてないじゃないですか」
「は?」
「たかだか、写真を見せるだけですよ?田村雪乃は死刑確定。万が一情状酌量が認められても、無期懲役です。六花ちゃんの顔を知ったところで外に出て会いには来れませんし、何が危険なのか分かりません。写真を見られて、他に困ることがあるんですか?」
「っ、心象が悪いんですよ!誰だって、そうでしょう」
「私は違います。沙穂さんも、違うから写真を撮らせてくれました。なので、この場においては康平さん……あなたが、少数派ですよ?」
一見、正論でまくし立てられた気分に陥り、康平は口を噤む。
相手がおとなしくなっても、船崎の口は止まらなかった。
「あたかも自分が世間かのように言ってますけど、それってあくまでも主観ですよね?康平さんの考えにしか過ぎませんよね?主語を大きくして、世間を味方につけて自分の意見を押し通そうとしてるだけじゃないですか」
突然の論破じみた口調に、たじろぐ。
「違う、俺は」
「違うなら……あなたの言葉で教えてください。なぜ、写真を見せるのがだめなんですか?」
「相手は殺人鬼だぞ!」
「殺人鬼の前に、人間です」
「殺人鬼に、人権はないんだよ!」
「あります。殺人鬼だとしても、最低限の権利は認められています。それが、日本の司法です。法律の正義です」
「っなんなん、だよ」
感情的な意見と、論理的な意見は決して混じり合えない。
どちらが正しい、正しくないという議論は、この場においては相応しくない。どちらにも正義があり、間違いではないからだ。
船崎からすれば、殺人鬼というだけで人権までをも剥奪しようとするエゴの方が恐ろしく、理解不能な主張だった。
――あれ?
前は、こんなこと考えてたかな。
「もう出ていってくれ!」
過去の自分が、どんな価値観だったか。思い返す前に荷物もろとも外へ放り出されてしまう。
いつの間にか、すっかり冷え込むようになった外気が、肌に刺さる。コートに腕を通し、放心状態で歩き出した。
その後、康平の強い希望により沙穂との関わりは途絶えた。
六花の写真はデータごと削除しろと改めてメッセージにて頼まれたが、気が乗らず無視した。ただ、後々のトラブルを避けるため現像もしなかった。そのため、パソコンとスマホにだけ入っている。
「人は、人を殺さない。か……」
そうなのかもしれない。
田村雪乃は、人じゃない。
悪魔でもない。鬼でもない。
堕天した神なのかもしれない。この世界を、秩序を正すために落とされた、神。
疲れていたからか、そんなバカげたことを真剣に考えた。




