第二十九話
小さな、本当に小さな手が、指を握る。
「っ……かわいい〜」
心臓にまで影響を与えた愛らしさにより、感嘆とした声が漏れる。思惑も何もない、無垢の行動が心に癒やしをもたらした。
船崎は今、沙穂の家に来ている。雪乃と約束をした、六花の写真を撮るためだ。
事情を話したところ、快く受け入れてくれたため昨年夫が購入したという一軒家に招待された。
沙穂も沙穂で、面会には行けなかったとしても、いずれは我が娘の顔を見てほしいと願っていたこともあり、船崎からの提案はむしろありがたいものであった。
「ふふ。ほっぺぷにぷに」
「分かる。ついつい、つついちゃうよね」
「あっ……すみません。無遠慮に」
「別にいいよ。あなたには、一応感謝してるから」
船崎を通して、かろうじて妹との繋がりを保てた。心残りを抱えていた沙穂にとって、どんなに救いだったか。
しばらく和やかな雰囲気で赤子を愛でるだけ愛でて、いよいよ本題に入る。
一番の目的は写真だが、船崎には他にももうひとつ。聞きたいことがあったのだ。
「沙穂さんは」
「ん?」
「雪乃さんに対して、怒りとかの感情はないんですか?」
「……どうして?」
「だって、殺人鬼の家族として、叩かれたり。不当な扱いを受けることも、あるのかなって」
実際、ネット上では雪乃のみならず、親族に対する酷いコメントも散見される。親共々、責任取って死ねと平気で打ち込んでしまう人もいる。
沙穂は視線を外し、「んー……」と思案の声を漏らす。手は、穏やかに六花のことを撫でていた。
「……償いかな」
「え?」
「雪乃を助けられなかった、罰かな?って思ってる」
あれだけ酷い事件を起こしてしまったのには、自分にも原因があると考えているようだ。
中学二年生の雪乃を守り通せていたのなら、もっとマシな未来があったのかもしれない。人を殺すこともなければ、不幸になる人を出さずに済んだかもしれない。たらればの空想を上げればキリがないが、どうしても悔やんでしまうのだ。
弱音を吐露しながら、沙穂は深く吐息する。何度だって、後悔する。責めても、責めても気分は晴れない。
「……幸い、私は結婚して名字が変わったから、あなた以外には知られてないけど」
渡辺にも、船崎からの連絡が来た後にきつく「やめてくれ」と注意したことで、それ以上の情報漏えいを防ぐことができている。いつ、バレるかは気が気じゃないが。
縁を切られたくない渡辺は、真面目に約束を守っているようで、おかげで平穏は保たれた。
ただ、母の利子と兄の啓介の元にはマスコミが押し寄せているらしい。何度か、沙穂宛てに怒りのメッセージが届いた。
利子はパート先で居づらくなり、退職。現在は年金のみで細々と暮らしている。啓介は、職場では何も問題がないが、妻との仲が悪くなり離婚寸前まで追い込まれている。
啓介が過去、妹に対して行ってきた仕打ちを知った妻がひどく軽蔑し、今では口も聞いてくれないと沙穂に泣きのメッセージが入っていた時がある。
「知らなかったんですね、奥さん……」
「まぁ、あいつ外面はいいから」
ふたりが嫌いな沙穂は、しつこい連絡に嫌気が差してブロック。今では、音信不通である。
「今さら“助けて”って……なんなの?って感じ」
「わかります。そういうの、都合よくて嫌になりますよね」
共感を示したものの、船崎の家は割と恵まれている方だと自覚があった。
父は警察官。母は音大出身のピアノ講師。年の離れた兄がいて、彼は頭の良い私立大を出て公務員になった。船崎自身も、それなりに名のある大学を卒業している。いわばエリート家系である。
親の関係も良く、愛妻家な父が母を気遣い記念日でもないのにプレゼントを買ったり、母は母で日頃の疲れを癒やそうと父の好きな料理を用意して待っていたりと、仲睦まじい光景が当たり前だった。
兄にも、よく可愛がられた。彼にとって、船崎は妹を越え実子のような存在だったんだろう。よく考えなしにおもちゃやお菓子を買い与えては、母に怒られていた。
だから、根本的に船崎は共感ができない。
親が敵の世界を、本来はリラックスできるはずの空間が気の休まらない地獄である現状を、実家を抜け出すまで続く悪夢を。経験がないから、分からないのだ。
頭では理解できても、心は動じない。可哀想な“フリ”だけできる。
「でも……血が繋がってるからね」
どれだけ嫌でも、付き合うしかない。沙穂は苦く過去を歪ませるも、割り切っていた。
「家族だから。縁は、切れないよね」
「血の繋がりは……濃いですもんね」
決して、他人にはなれない繋がりがある。感情論だけではなく、戸籍上でも、だ。
仮に家を飛び出して逃げ回っても、今の日本の制度では“絶縁”という手続きはない。完全に縁を切れる術がないのだ。
だから、DV被害者や虐待児の多くは、引っ越す際に住民票の閲覧制限を掛けることで、接触を断つ。
血は切っても切っても切れないので、他の部分で拒絶し、対処する。それ以外に、打つ手がないのだ。
「だけど、家族ですもん。最後には、分かり合えるはずですよね」
「そうかなぁ」
「そうですよ!」
だから、いつか。
沙穂と雪乃が巡り会えることを願って、船崎は写真に六花と親子ふたりの姿をおさめた。




