第二十六話
弾ける。
淡い水色の空に浮くシャボン玉は、逆光に輝いていて眩しい。
瞼を下げ、細くなった視界で手を伸ばす。日の光に血液が透け、赤い輪郭を作り出していた。
子供の笑い声が響く。
真夏が残した暑さにも負けず、駆け回る無邪気さが目に痛い。セピア色に褪せた自分の視界とは違い、色鮮やかに染まっているんだろう。
羨ましい。
は、次第に“恨めしい”へ。
「殺してやる……」
血走った視界はぼやけ、滲む。
憎い。
子供が、憎い。
結婚している奴らが憎い。カップルが憎い。当たり前に男女で連れ添って歩いているのが憎い。仲良さそうで憎い。憎い、憎い、憎い。とにかく、憎い。
男と付き合う女のせいで、男がつけあがるんだ。あいつらさえいなければ、男は自分達の立場を自覚して、頭を垂れてつくばうしかなくなるのに。軽率に付き合うから。告白に応じるから。股を開くから。
男も女も、みんな悪い。あいつらが悪い。死ね。死ね。死ねばいい。死ねばいいんだ。
「男女、平等」
そうだ。
あの田村雪乃も、言っていた。
ここは、あの人が望む世界じゃない。
「男女は、平等であるべきなんだ」
間違いない。正しい。彼女が言うこと全て正しい。
今の世界は正しくない。歪んでいる。男も女も全員だめ。おかしい。
「私が……私が、正さないと」
――上野公園前、噴水広場。
「っ……誰か、だれか!」
「あの女を止めろ!」
「助けて……うちの子が、柚希がっ!」
刃物を振り回す女により、一帯が悲鳴に包まれた。
被害人数、十一人。
田村雪乃の通り魔殺人には及ばなかったものの、十を超える被害を出したのは、模倣犯が現れてから初めてのことだった。
しかも、今回は毛色が違う。
これまでは男性をメインに狙った事件が全てだったが、この日起きたのは――子供をターゲットにした通り魔殺人。
幸い、軽傷者が多く死人は出なかったものの、我が子を守るため庇った女性が数名。重症を負い、緊急入院している。今後、出血多量で死亡する危険性も高い。
か弱い存在への加害に、一層ネットでは爆発的な批判が繰り広げられた。
『度が過ぎてる。子供を狙うなんて最低だ!』
『これ、模倣犯なのか?なんでもかんでも田村雪乃に結びつけるのも、どうかと思うが…』
『女、いい加減にしろよ!こっちがやり返さないからっていい気になってんなよ。俺らも殺すぞ』
『これだから、まんさんは……ヒステリックも、ここまで来ると地獄だな』
『子供を刺したのは、本当に許せない。同じ女として、強く非難します』
中には、あまりにターゲット層が違いすぎて、偶然この時期に犯行に走っただけの単独犯かとも思われたが。
「頭の中で、命を下されたんです!田村雪乃様が、私の背中を押してくれたんです!」
犯人――藤原のこの発言により、田村雪乃に起因して発生した事件であることが判明した。
彼女はひどく崇拝しているようで、家宅捜査の結果、部屋からは薬物の類ではなく大量の自作グッズが発見された。プロマイド風写真から、記事の切り抜き。名言をびっしり書き出したメモ帳。
狂気的な信者が現れてしまったことに、国民の背中には戦慄が走った。今後、もっと被害が加速するのではないか、と。
『田村雪乃はここまで事を多くした責任を取るべき』
『頼むから死んでくれ。早く死刑にしてくれ』
『もう宗教じゃん。教祖様気取りかよ』
『田村を支持する女とは今後一切、縁を切るわ』
『みんな目を覚ませ。田村雪乃は拗らせただけの激ヤバ女だぞ?ちょっと顔が良いだけのクソ女だぞ?』
『そもそも、田村雪乃が行動を起こすまでお前ら男さんは下駄履かせてもらってふんぞり返ってたわけじゃん。それがなに自分達の立場が危うくなったら必死こいて叩いてんだよ』
『虐げられてきた女の気持ちを思い知ったか、ばーか』
『女さん女さんバカにするくせにネットでカタカタ打ち込むしかできないの、まじ弱男おつかれって感じ』
批判が圧倒的ではあったが、強烈な擁護派も目立った。
意見は対立し、男と女で大きな分断が起きようとしていた。ネット上に限るが、男女平等の見る影もない。
今回の一件で、男性に留まらず子供への被害も増えるんじゃないかという懸念が、主婦や家庭を持つ人間の間で広まった。
「……なにしてくれてんだよ」
だが、次の裁判。
「子供殺すとか、頭おかしいんじゃないの」
被告人質問にて行われた、本裁判とは関係のない田村の怒りにより、かろうじて被害拡大は阻止される。
子供殺しに厳しい嫌悪を見せたことで、彼女を支援する人間達は軒並み藤原を軽蔑。狙うは男のみ、という暗黙の了解が生まれた。
人を殺しておいて善人ぶるな、と憤る声も多く上がったが、結果として新たな被害を防いだために、盛り上がりきらず小さく呟く程度で終わった。
田村雪乃は、子供好きである。
記事にもなり、全国に彼女の新たな一面が拡散された。
書いたのは、船崎由美。タイミングを見計らって新聞社に持ち込んだところ、一部分のみ採用され、掲載されたのだ。
「ただ……あなた、入れ込みすぎだわ」
「え?」
「ネットの信者と、同じにならないようにね」
その際、船崎は忠告を受ける。
そして、自分の心が田村雪乃に、音も痛みもなく蝕まれていた現実を、自覚する。
気が付いた時にはもう、戻れないところまで来ていた。




