第二十四話
田村雪乃の、せいで。
「俺、最近怖くて夜道歩けねえよ」
「俺も。てか、ライブも行けねえ」
「それな。帰り遅くなるし……会場前でも、こないだ犯罪起きたじゃん。男狙ったやつ」
「怖すぎるよな」
「なんか、夜さ。暗い中歩いてる時、後ろから足音するともう無理。先に行ってくれって思う」
「わかる。立ち止まって、様子見ちゃうよな」
日本は、ほんの少し。僅かだが、変わった。
以前までは女性ならではの会話とされていた危機管理の意識の高さが、男性同士の会話にまで現れるようになった。
防犯意識が高まり、あれから連日続いていた嫌なニュースも次第に落ち着きを見せる。
様々なライブやイベントでは、会場入りする前の荷物検査が厳しく行われるようになるも、並ぶ列にて事件が発生してしまうためあまり意味はなかったようだ。
今では、列は必ず前後1メートル程度空けるよう指定された。これは、飲食店でも、どんな列でも徹底されている。
知り合い同士だとしても、距離は置かなければならない。慣れるまでは、不満の声も上がった。
「なんで俺らが犯罪者のために我慢しなきゃなんねえんだよ」
「でもさぁ、最近は冤罪もあんじゃん」
「冤罪?」
「なんか、お金欲しさに男がさ、自分で自分の体切んの。それで、そばにいた女に慰謝料とか請求するんだって」
「やっば。なんだよ、それ。勘弁しろよ、そういうことするやつのせいで、何もしてない俺たち男が割り食うんだよ…」
いつしか“通り魔”は、女性でいうところの“性犯罪”のような立ち位置になった。
通り魔的犯行も多様化してきていて、以前までは捕まる覚悟の衝突が多かったものの、数カ月経った今ではこっそり浅く刺すという嫌がらせに近いやり方も増えつつある。
ネット上で『今日はナイフを持って電車に乗ります』と宣言する女達も現れた。一種の殺害予告、そうでなくても銃刀法違反であるというのに、悪びれもしない。
それにより、男性は満員電車でも警戒しなければいけなくなった。なぜなら、満員電車は格好の餌食となってしまうからだ。
比例するように、痴漢件数は減少している。報復を恐れた男性が自粛した結果だろうか。皮肉にも、田村のおかげで痴漢に苦しむ女性は確実に減った。
「田村雪乃は……ここまで、計算していた?」
船崎は自室で、資料と向き合いながら唸った。
偶然の産物と言われればそうかもしれないし、意図的と言われても腑に落ちる。いつもいつも、曖昧でどちらともつかないのに、どちらの解釈もできるから困る。
ますます、田村雪乃という人物像がぼやけていく。
彼女が通っていた小中学校は地元の公立で、特別頭が良い学校ではない。そうでなくとも、彼女は不登校。学力は一般的か、それ以下。
頭が切れるのは、生まれ持ったものか。はたまた、外部環境による影響か。
なんにせよ、思考は深い。思慮深いと表現しても、いいかもしれない。とにかく底が見えない頭脳の持ち主である。
「家庭が違えば……」
違う意味で、世界に名を轟かせていたかもしれない。
もしかしたら、何千人に一人の逸材とか、ありえない数値のIQを誇る天才の可能性も考慮し、これも記事に入れるか?と悩んだ。いや、考えすぎか。
なんしせよ世紀の通り魔殺人鬼として、名を残す人物となり得るかもしれない。そんな人の記事を書けることを、心のどこかでどうしても光栄なことに思えてしまうのだ。
形容しがたい、カリスマ性。
船崎は意識の外側で、呑まれ始めていた。
のめり込み、記事を書き出す。まずは、見出しからだ。どうせなら大胆かつ狡猾。彼女のように、目を引くものがいい。
――その前に、会ってみたい。
あれから、田村は裁判中に暴れることなく、一変して黙秘を貫いている。被告人質問でも、ついに一言も話さなかった。
船崎は、焦っていた。周りがどんどんと彼女に関する記事を書く中、自分は誰よりたくさんの情報を持っているというのに未だに世へ出せていない。
出したいのに、出せない。良心がある故の倫理観に、悩まされていた。
そして、気付かぬ間に追い詰められていたのだろう。
相談できる人間が身近にいなかったせいも、ある。
次第に船崎の中では、独占にも近い異様な感情が芽生えるようになっていた。もちろん、恋心なんて健康的なものじゃない。
裁判の終わりは、まだまだ見えない。
すでに接見禁止の一部は解かれ、親族に限り面会が許されている。しかし、一般に向けた解禁はおそらく裁判が終わるまではない。
早く、早く実物と会って話してみたい。
もはや、有名人のライブへ行く前の高まりで、船崎の心は焦っていた。誰ひとりとして、先を越されたくない思いがあった。
自分が一番、田村雪乃を理解している自負があるからだ。
こんなにも多角的に彼女のことを知り、あらゆる角度から捉え、分析した人間は、後にも先にも私だけ。確信めいた自信に満ち溢れていた。
それを示すかのように、他人が書く雪乃についての記事は、どれも的外れなことばかり。
女叩きの道具にしたり、男女の対立を起こすための起爆剤にしたり、愚かにも田村の深さを知らず“バカ女”呼ばわりしてみたり。散々だ。あいつらには、書く資格もないとさえ。
私が書いた記事を読めば、きっと彼女も満足してくれる。
ただ、今は全てを読んでもらうには、難しい。
思い立ち、ペンを取る。レターセットに“会いたい”思いの丈と記事の一部を貼り付けて、丁寧に折っていった。
差し入れとして渡してみる。届くかどうかは、運次第だ。内容によっては、彼女の手に渡る前に破棄されてしまうから。
こうして、船崎と田村の間接的な初コンタクトへと繋がる。
一通の、手紙を通して。




