第二十話
幼い頃、私は妹が嫌いだった。
二歳しか年が離れていないのに、いつもいつも「お姉ちゃんなんだから」と我慢させられてばかり。
加えて、雪乃はわんぱくな女の子で問題行動や危険なことを無自覚にするタイプ。母親はよく、目が離せないと困り果てながらもそばに付き添っていた。
親を取られた気分で、腹が立った。私だって甘えたかった。つきっきりで、面倒を見てほしかった。子供の特権が許される幼子でありたかった。
「死ねよ」
小学生に入り、知恵のついた私はまだ園児だった妹に、ひたすら汚い言葉を吐いた。時にはお気に入りのおもちゃを奪ったり、本で叩いたりもした。
雪乃は鬱陶しく泣いた。母親が駆け寄ってきて、「何をしたの」と私を責める。それがまたムカついた。
「こいつが悪い。こいつが悪さした」
日頃の行いが、功を奏した。私がこう言えば、いつも真面目で言うことを聞くしっかり者のお姉ちゃんが言うんだから間違いないと、母は雪乃に怒鳴った。
雪乃はいつまでも泣いていた。彼女を慰める人間は、家の中には誰ひとりとして存在していなかった。
虐げる人間は、三人。母親、兄、姉。
「ほんとブスだな、お前。キモいんだよ。バカ。頭わる」
兄は容姿や頭の出来を嘲笑い、食事中に「食べるのが遅い」という理由だけで箸の持ち手を使って加減なく殴った。
「女の子なんだからおしとやかにしなさい!足を開いて座らない、家事も手伝う!お姉ちゃんを見習いなさい!」
母は性別のレッテルを貼り付け、自由や尊厳を無自覚に奪った。
全員が全員、違うやり方でまだ小さな雪乃をいじめていた。
「おねえちゃん!おねえちゃん、あそぼ」
それでも、雪乃は誰よりも人懐っこく走り寄ってきた。
まるで、自分が意図的に虐げられてるなんて思いもしない屈託のない笑顔が、悔しいけどかわいくて仕方がなかった。嫌でも、絆されていく感覚がした。
だから小学……中学年になり、雪乃も小学生になった頃にはだいぶ、私からのいじめは落ち着いていたと思う。純粋に、妹を愛でる気持ちで接することも増えていた。
母は飽きたのか、なんなのか。あまり雪乃に構わなくなっていた。
兄は相変わらず、容姿を貶し続けた。無能だと罵っては蹴飛ばしていた。当たりどころが悪かったのか呼吸困難に陥り、病院に運ばれることもあった。
「雪乃は、つらくない?」
「なにが?」
「いつも、ブスブス言われて」
「んー……そういうの、わかんない!」
本人は、自分がされていることを理解できていなかった。不幸中の幸いか、ただの不幸だったのかは、未だに答えを見つけられていない。
「雪乃は、かわいいよ。……かわいいよ」
何度も、言い聞かせるように伝えた。
褒めることが、私の役割になった。
しかし、それもすぐに終わる。
「かわいいね、雪乃ちゃん。かわいいよ」
再婚相手の、竜司の介入によって。
はじめは挨拶程度に家へ上がるだけだった男が、気が付けば何日も入り浸り、一年経つ頃には一緒に暮らしていた。
なんか知らないお兄さん。気さくで優しいお兄さん。浅かった認識は歳を重ねるごとに歪み、彼の正体が母の再婚相手――恋人だと分かったのは中学に上がる頃。
雪乃はまだ、小学四年生だった。
私よりも幼い彼女は、おそらく何も分かっていなかったんだろう。遊んでくれるから、なんて単純な理由で竜司おじさんによく懐いていた。
おじさんもおじさんで、雪乃を実の娘みたいに可愛がっていた。
「ほら、雪乃ちゃん。俺のこと、パパって呼んで。本当のお父さんと思って。甘えていいからね」
「?……おじさんは、パパじゃないよ?」
実の父親は、雪乃が生まれて間もなく死んでいる。母と喧嘩し、ヤケ酒に溺れた結果、胃がくっついたとかで。
だから、雪乃は本当の父親を知らない。そんな中でも、おじさんのことを父親だと認識しない知性は持っていたらしい。
「認めてもらえるように、がんばるよ」
おじさんは、良い人だったと思う。
ただ、ちょうど思春期で反抗期を迎えた私にとっては、邪魔上に良い人面した気色悪い男であり、他人が家にいることへの鬱憤から見事にグレた。
中学時代は友達と遊び回り、彼氏もできたから何日も泊まり込んで、覚えたての反抗に明け暮れたりもした。
その間、雪乃が家でどう過ごしてたかは……分からない。
たまに帰った時、ひどくみすぼらしい格好をしてたから歯磨きさせたり、お下がりの服をあげたりはしていた。
そうして、中学に上がる頃には見た目を少しは気にするようになった雪乃は、私の真似をして非行に手を染めてしまった。
先輩たちからは、よく可愛がられていた。素直で、にこやかで、かわいいから。たまに失礼な発言も目立ったけど、ご愛嬌ってことで許されてもいた。
雪乃が中学二年生になると同時に、私は中学を卒業して、高校には行かずバイトを始めた。免許取りたての原付きに跨がって、十数分のところにある工場で働いていた。
母親との馬が合わず、顔を合わせるたび喧嘩に発展するもんだから、嫌になって途中からは年上彼氏の家で半ば同棲。
けど、完全に家を離れることはできなかった。
「あんた、どこ行ってんのよ!帰ってきなさい!」
「うるせえな、ババア!」
「家にお金入れなさい!お姉ちゃんでしょ!」
「なんで渡さなきゃいけねえんだよ」
「雪乃がご飯食べられなくなってもいいの!?」
母が、卑怯者だったから。
「雪乃がかわいくないの?あんたは」
私が家にお金を入れないなら、雪乃のご飯は作らない。脅されて、しぶしぶ渡していた月に五万円の痛い出費は――
「ばばあ。金。小遣い無くなった」
「もう〜……しょうがないわね」
全て、兄に注ぎ込まれていた。
「っ……ふ、ざけんなよ」
残酷な現実を目の当たりにした時、目の前が赤く染まった。
母は、典型的な男尊女卑思考の持ち主だった。
女なんだから家事を手伝えと私には強要するくせに、兄は男だからという理由だけでだらけていても許される。おまけに、男はお金を稼ぐ生き物と言っておきながら、稼いでこなくても文句ひとつ言わず、それどころか人が稼いだお金を横流しする始末。
男にはとことん甘い、クソ女。
男至上主義なせいで、どれだけ肩身の狭い思いで過ごしてきたか。
おじさんに対しても、「夕飯のおかずは子供より必ず一品多く作れ」や「これは教育だ」と、日に日にひどくなっていくモラハラや雪乃への暴力にも、男だからってだけで従う。見てみぬフリをする。
雪乃の体は、痣だらけだった。
優しい顔をした悪魔は、初期の仮面を外し、すっかりクズ男として家のソファに鎮座していた。
児童相談所に通報したけど、無駄。あいつら、外面に騙されてそうそうに引き下がりやがった。竜司という男は、表向きは管理職で身分も比較的高い。中卒で働くクソガキな私の言葉なんて、誰も聞き入れてくれやしなかった。
「こんな家……出ていってやる!」
16の夏。
「雪乃も、行こ?ね」
大事な妹を連れて、私は腐った家族に別れを告げた。




