第十六話
「私は、おかしくありません」
声高々に、主張した。
担当医は、眉間のシワを濃くした。
「私の精神は正常です。たしかにちょっと、病んではいるかもしれません。躁鬱の傾向はあるでしょう。しかし、長らく診断されていた統合失調症はお門違い。いつもいつも、なぜその診断が下るんだと疑問でした」
精神鑑定のため、行われたカウンセリングの最中。
田村は、必死に自分は正常だ、何も狂ってなんかいないと訴えかけた。
どうしてか逆に、おかしく見えてしまう。
ここは、今後の判決にも影響を及ぼすかもしれない局面。大抵の犯罪者は、無罪に近付けるため精神の異常性をこれでもかと訴える。
ある者は狂人のフリをし、ある者は暗い表情であたかも心を病んでいるフリをする。自分は病気であると、暗にアピールするのが常套句だ。
「自分で判断もできるし、責任能力がないとかもないです。ほら、今までの通院してた病院の、カルテとかあるでしょ?それ見たら分かるでしょ?意志薄弱じゃないでしょ?」
開き直って健常者だと言い張る人間は、滅多にいない。少なくとも担当医にとっては、初めての経験だった。
判断に、迷う――ことはない。彼女は、明らかに正常じゃない。
簡易鑑定を終え下されたのは、生活保護の時と同じく“統合失調症疑い”。判断・責任能力の有無は本鑑定にて行われる。
家族への聞き取りも行い、過去の環境も含めて最終的な精神状態が決定される予定だ。
「医者って、ほんと信じてくんない」
自室に戻った田村は、不貞腐れて膝を丸めていた。
「ねぇ」
檻の向こう、声を掛けたところで反応はない。相変わらず、監視員には会話禁止の命が下されている。
拘置所にいるのも、残り僅か。と、信じたい。
「あなたから見て……私はおかしかった?」
最後に感想が欲しいと、乞い願う。
「私って、おかしい?」
――どう考えたって、おかしいだろ。監視員は、心の中だけで悪態をついた。
言わずとも空気感で察したんだろう。しょんぼりと落ち込み、檻を掴んでいた手をそっと離した。
「やっぱり、おかしいんだ……」
いつも、いつもだ。
どこに行っても、馴染めない。説明のつかない疎外感や、“自分は他人にとっての異物である”感覚が拭えない。
傷付いた心で、涙を流した。突然の涙に、監視員はギョッと目を見開く。
「なっ……お前、なんで泣いてるんだ」
声を、掛けてしまった。
まずい。――失態を無かったことにしようと取り繕うよりも先に、田村の口元がニンマリと弧を描いた。頬にはまだ、涙の跡が残っている。
不気味にも、無邪気にも映る気味の悪さに、背筋には冷たい汗が伝う。
「優しいね、お兄さん」
乾いた口から溢れたのは、予想外に嬉しそうな幼い声だった。
監視員の頭に、ひとつの憶測が過ぎる。
彼女は――本当に、正常なんじゃないか?
異常でもなんでもない、ただ必死にもがいているだけの女性。あるいは、少女にも見えて、言葉を詰まらせる。良心が、ズクズクと痛んだ。
人を人とも思わない殺人鬼を前に、何を絆されかけているんだ。いや、だけど……理性と感情はぶつかり合い、なんだか途端に田村が可哀想な子だと同情する気持ちが湧いた。
「なんで……人を殺した?」
今なら、答えてくれるんじゃないか。
彼女もまた、絆されているんじゃないか。俺の優しさに、人の温かさに。飢えているんじゃないか。
希望を持って手を伸ばした監視員に、田村は小さく首を傾げ、潤んだ瞳で彼を見上げた。
「なんでだと、思う?」
質問に質問を返され、届きそうだった真実は遠ざかる。
持ちうる知識で、その場で簡単に推理した。目の前の女が、なぜ多くの人間を――それも、男を標的に殺して歩いたのか。
「男が、嫌いなのか?」
「ううん」
男性嫌悪の可能性は、消える。……嘘でなければ。
「憎い相手がいた?」
「……」
沈黙は、どっちだ?
「男の方が、殺しやすかった?」
「うん」
「性別は関係あったのか?」
「うん」
「男じゃなきゃ、だめだったってことか?」
「うーん……うん」
「俺も、男だけど……今、俺を殺したいと思うか?」
彼女にとって、自分も対象かもしれない。恐れ慄くも、確認せずにはいられなかった。
返答次第で、田村は脅威にも安心材料にも変わる。重要な質問だ。
それまでほとんど即答していた田村だったが、ここに来て長く口を閉ざした。ただじっと、監視員に視線を送る。
嫌な緊張が、走る。
「今は、思わない」
糸が途切れたのは、あっさりとした回答のおかげだ。
ホッと胸を撫で下ろした監視員の中で、田村は敵ではない認識になった。なってしまった。
「でも……あの場にいたら、殺してたかも」
しかし、すぐに姿勢を正す。躊躇いなく、殺意を向けられたからだ。
「どう、して?」
なぜ殺す?——裏切られた気分で聞けば、
「あなたが男で、私が女だから」
はっきりしているようで曖昧な言葉で返す。
「人類は、平等だから」
そうして、全ての始まりである思想へ、還った。




