第十二話
たむたむこと、雪乃は本当に優しく、正義感に溢れた女性だった。
友達が泣いていれば迷わずハンカチを差し出し、背中を撫で、物理的にも心理的にも寄り添う。失恋後、救われたのは彼女のおかげだ。
ただ、強いわけではなかった。どちらかというと、メンタルは脆い印象が大きい。
“誰々に嫌われたかも”や“自分は誰からも愛されていない”といった発言から、根本では自信がなく自己愛もない子なんだろうなと、ぼんやり奥に潜む孤独を感じていた。
「人間は好きだけど、苦手」
いつだか、困り顔で言っていた。
「仲良くしたいのに、うまくいかないんだよね」
「私とは、仲良いじゃん」
「ははっ……たしかに。そうだね」
お酒を含みながら頷くも、納得はしていないようだった。空返事で、虚しく笑う。
自分はこんなにも慕っているのに、本人にはまるで伝わっていないと気付きを得た瞬間だった。誰も、雪乃の心の闇を晴らすことはできないんだろう。
「雪乃……そろそろ帰るか?疲れただろ」
「うぅーん……もうちょっと」
「終電なくなっちゃうぞ」
「ふふ。逃したら、レイ君が面倒見てね」
人情深い恋人でも、きっと無理なんだ。
「相変わらず、お熱だね。ふたりは」
仲良しで羨ましいと、半ば嫉妬にも近い感情で唇を尖らせたら、雪乃は楽しそうに喉を鳴らしていた。
喧嘩をしているところを、見たことがない。人前だからだろうかと思ったものの、ふたりきりの時も喧嘩はしたことがないという。
主にレイが盲目的で、傍目から見てると雪乃には余裕がある。
「おぉ〜、たむちじゃん。来てたのかよ」
「あぁ……どうも」
「え。なになに、男連れて。彼氏?」
「……いや?友達」
それに、男性客には彼氏であることを隠す。暗黙の了解なのか、レイは不満げにするものの言い直させたりはしない。
常連の男と雪乃は、仲がいい。ノリの良さに気分を良くして奢ることがほとんどで、彼が来るとありがたく財布を鞄の奥にしまう。
酔ってくると思わせぶりにボディタッチもするから、常連客はますます奮起して財布の紐を緩くする。その隣で、レイは不貞腐れてビールを飲み干す。ここ最近、見慣れてきた光景だ。
「雪乃〜……レイさんが、可哀想だよ」
「ん?なにが」
「目の前で、他の男と遊んだら、さ。傷付くんじゃない?やめなよ、そういうひどいことするの」
「……ひどいこと、ねぇ」
ある時、見かねてやんわり注意した。もちろん、レイが不在の時を狙って。
すると雪乃は目の色を変え、眉間にシワを寄せる。
「じゃあ、付き合ってる彼がいるのに、元カノが忘れられない〜、隠れて会っちゃう〜。キスもしちゃった〜とか、散々クソみたいな内容の相談してくるお前はひどくないの?」
唐突に、言葉の刃物で胸を貫かれた。
雪乃の言っていることは、正しい。改めて突きつけられてようやく、自分も浮気紛いなことをしていた現実に絶句した。それまでは、自覚がなかった。
図星を刺されると、人は怒るという。だからだろうか、無性に腹が立って顔の温度が急上昇したのは。
「そ、そんな言い方ないんじゃない?」
「お前みたいに、自分のこと棚上げして言ってくるわりに、自分がいざ言われると被害者ぶるやつきらい。普通に無理すぎ」
「っ……今日、攻撃的すぎない?」
「あ〜、ほら。そうやって。これが攻撃?じゃあ今さっきのお前の、善人ぶったいらん助言は?攻撃じゃないの」
「私は、親切心で」
「私も、親切心だよ。特大ブーメランですよ〜、このままだと刺さっちゃいますよ〜って、教えてあげてんの」
揚げ足取りのような、挑発のような発言の連続に、悔しさから下唇を噛んだ。
「そんな人だと、思わなかった」
「……よく言われる」
最後、悲しい声だけを残して雪乃は店内から逃げるように去った。それ以降、連絡もしてなければ直接会ってもいない。関わりは、簡単に潰えた。
「――あの女は、自分勝手ですよ」
善人と悪人の差が激しいせいで、受け止める側の感情も180度変わる。同じ人間相手だというのに、尊敬と畏怖、それから恨み。全てが詰まった表情で青嶋は瞳を潤ませた。
最初の、田村に対する好感はどこへやら。話し終わった今は、重々しい空気が流れる。
「その……レイさん?とは、どうして別れたんですか」
「詳しくは知りませんけど……いつだか、お金を盗まれたとかで連絡が来てました」
「雪乃さんが、盗んだってこと?」
「はい。……いや、まぁ。結局、ヨリを戻したいレイさんの嘘というか、当てつけだったみたいですけど」
少なくとも、円満な別れではなかったようだ。
後にレイという人物は、ストーカー規制法により警察のお世話になったと知人の間で話題に上がり、その時ばかりはさすがの青嶋も田村の身を案じた。
彼氏の存在を隠したりしていたことから、おそらくは金目的で仲良くしていたんだろうと青嶋は語る。
「体の関係は、なかったみたいですけどね」
「え……?そうなんですか」
「はい。いつだか、レイさんがうなだれてましたよ。付き合って半年も経つのに、キスのひとつもしてくれないって」
「なるほど……ほんとに、お金だけって感じだったんですね」
「そのわりには、親友みたいに仲良かったですけどね。ふたりとも映画が趣味で、休日は映画館で丸一日過ごすとかしてたみたいだし」
金のためと割り切っての行動か、純粋にレイとの関係を楽しんでいたのか。当事者にしか、中身までは分からない。
情に厚いようで、非情。感情が希薄そうなのに、しっかりと怒って自分の意見は主張する。
不思議を通り越して、もはや不可解だ。
「生保なのに男に貢がせてたってニュースになったら……きっと、たむたむ叩かれますよね」
「え?……まぁ、多分。確実でしょうね」
「……そうはならないでほしいな」
憎いのに、憎みきれない相手だ、と。
青嶋の頬には、一筋の光が伝い落ちていた。




