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不法侵入猫ちゃん

作者:

ノベルスキーというSNSのイベントでアンソロジーに参加させていただいた時の短編です。

猫にまつわる話ならなんでもOKということだったので、現代舞台のちょっと不思議なお話にしました。


 私の通う大学は二年生までは全員が東京都内にある校舎で学ぶのだが、三年生からは学科やカリキュラムによって地方キャンパスに移ることになる。

 そのキャンパスが、ちょうど、母の実家近辺だった。


 ――そんなわけで。

 私はずいぶんと久しぶりに、母の生家であるこの家に帰ってきた。


 『久しぶり』というのは、私が生まれてから中学卒業までの十四年間、この家に住んでいたから。

 中学卒業後は、父の東京転勤について行く形で東京都内の高校へ進学し、そのまま都内の大学に進学してしまったため、年末年始のような特別なイベントを除けば、実に約五年ぶりの帰還だった。

 その五年の間に祖母が亡くなり、そしてそれを追うように祖父も亡くなり――なんだかんだで最後にこの家に入ったのは、去年の祖父のお葬式の時。

 それだって、セレモニーホールに直行して泊まったうえに、大学の定期試験が近かった私は、片付けもほとんど手伝わずに東京へとんぼ返りしてしまった。

 帰りの電車で、おじいちゃんおばあちゃんごめんねと謝りながら帰ったのをよく覚えている。


 とにかくそんな不義理をした申し訳なさがあるとはいえ、せっかく大学の近くに無料で住める場所があるというのに、利用しない手はない。

 それに、家というものは人が住んでいないと傷んでしまう。キャンパスの移動に伴って私がこの家に住むこと自体は親戚中から歓迎された。

 とはいえ、田舎に建つ一軒家で、古くて広くて風通しのよい和風住宅である。

 若い女の、しかも初めての一人暮らしに向く家ではないため、両親を筆頭にずいぶんと心配された。

 けれど昔住んでいた家。

 いざとなればお隣さんや昔の友人もいるのだから、と説得して、晴れて今日から一人暮らしを開始するのだ。


「とりあえず片付けはこんなもんかな」


 運び込んだ家具の配置を決め、段ボールを荷解し、ある程度生活できそうな形を整えたところで私は改めて家の中を見回した。


「あとは細々した物の買い出しと……」


 そこで、私はぎょっとして息をのんだ。

 縁側と居間を仕切る障子に、小さな人影が映っている。

 子供だろうか。

 ……換気のために窓を開けていたので、潜り込んだのかもしれない。

 庭に面する大きな窓だし、入り込む可能性はゼロではない。

 ……その庭は通りに面しておらず、垣根を挟んでお隣の敷地だし、お隣に小さな子供は住んでいない、のだけれど。


「……」


 ごくり、と唾を飲み込んで、私は障子の方へ静かに一歩踏み出した。

 きっと、向こうに置いた荷物の形がちょうどそういうふうに見えるだけだ。そうにちがいない。

 息を殺して、障子の向こうをのぞき込んだ。そこには――。


「――なぅ」


 一匹のさび猫が、きちんとお座りしたまま私を見上げていた。


「…………猫…………」


 緊張で体中に入っていた力が一気に抜け、私は長いため息とともにその場にしゃがみ込んだ。

 猫。猫か。

 どうやら光の具合で、耳のシルエットがよく見えなかったらしい。


「うな」


 まだバクバクしている心臓を押さえている私の前で、その猫はうにゃうにゃと独り言を言いながら顔を洗った。うーん、可愛い。でも。


「君、どこかの飼い猫? ってか、どこから入ったの?」


 聞いたところで返事が返ってくるはずはないのだが。

でも、縁側の窓は全て網戸がきちんと閉まっている。それに、他の窓を開けた覚えもない。――どこかに、猫が入れるくらいの隙間があるってこと?


「にぁ!」

「ん?」


 不法侵入してきたらしき猫ちゃんは、顔を洗っていた手を下ろすと、私に向かって何事か話しかけてきた。

 そして、スッと立ち上がり身を翻して、網戸の方にトトトッと駆けていった。


「そこ、開けろってこと?」


 出たいのかな?

 じゃあ開けてあげるか、と立ち上がりかけた私の目の前で――不法侵入猫ちゃんは、片手と鼻を器用に使って、上手に網戸を開けた。


「……え」

「にゃー」


 猫ちゃんは、じゃあな、とばかりにこちらをチラリと見て一声鳴き、作り出した隙間からぬるっと外へと出ていく。

 ……猫って、網戸開けられるんだ……。

 しかしそれだけでは終わらなかった。ぽかんと見守る私の前で――。

 がたがた、がたん。

 猫ちゃんはまたもや片手と鼻を器用に使って、ピタリと網戸を閉めてしまった。

 そしてもう一度「にゃあ」と鳴いて、トトトッと庭へ走っていく。


「ええ……」


 私は猫を飼ったことがないから、これが普通かどうか分からないけど、「ちゃんと閉めるなんてお利口!」を通り越してちょっと怖い。

 網戸、なにかで固定しようかな……と思いながら目で追っていると、猫ちゃんは垣根のそばに植わっている、大きなカエデの幹をするすると登り始めた。

 木の半ばまでのぼった猫ちゃんは、ちょうどいい具合に太い枝を見つけて座り、毛繕いを始める。慣れている様子なので、よく登っているのだろう。

 こうやって見ているとやはり普通の猫だ。別にそんなに警戒することなんてないじゃないか。

 ……私、なんだかんだ言っても、初めての一人暮らしに緊張しているのかも。

 とりあえず、引っ越し記念においしいものでも食べよう。

 田舎過ぎて出前アプリ非対応地域だから、買いに行かなきゃ行けないんだけど。



 私がやれやれと立ち上がった、ちょうどそのとき。

 猫ちゃんのいる枝の、斜め上の細い枝に一羽の小鳥がやってきた。

 え、これって猫ちゃんに襲われちゃわない?

 下の枝に目を向けると、案の定猫ちゃんは尻尾をピンと伸ばして、狩りの姿勢に入っていた。

 鳥が狩られるのを見るのは嫌だけど、邪魔をするのも……。

 むむむと思い悩んでいる間にも、猫ちゃんはどんどんと狙いを定めて姿勢を整えていく。

 ……うん?

 鳥が狩られるってのもあるけど、あの角度、飛びかかった後……猫ちゃんはどこに着地するの?

 木の下には、ゴツゴツした庭石が転がってるし、落ちたら、怪我では済まないんじゃ……?

 細かいことを考える前に、私は網戸を乱暴に開け、靴下のまま庭に飛び出した。

 それと同時に、猫ちゃんが木の枝を強く踏みしめて、バネのように全身を使って小鳥に飛びかかり――。


 ――そして、見事に空振り。


 びっくりして飛び立った鳥を悔しげに睨み付けた猫ちゃんは、悔しげな表情のまま落下していく。

 その小さな体を抱き留めようと駆け込んだ私の頭の少し上で、猫ちゃんは見事にくるりと身をひねり、ついでに私のおでこを踏み台にして、草地の上にぽすっと優雅に着地してみせた。


「……」


 踏まれたおでこがヒリヒリ痛む。爪が立っていたから、血が出ているかもしれない。

そういえば猫なんだから、ちゃんと自分で着地するよね。

痛みと羞恥で顔を盛大にしかめた私は、おでこをさすりながらため息を落とす。誰にも見られていないのがせめてもの救いだ。


「……ぶっ」


 誰にも、見られて……る!?

 どこかから吹き出して笑う声が聞こえた。たぶん、誠に残念なことに、聞き間違いではなさそう。その証拠に、声の出所を探して周りを見回す私をあざ笑うかのように、その笑い声はくつくつと続いている。


「~~~~~!」


 どこだ! 誰だ! 人様の庭を覗いてるのは!!


「上だよ、上」


 ちょっと高めのボーイソプラノが頭上から降ってくる。上?


花音(かのん)ちゃん久しぶり」


 上を見上げてみると、お隣の家の二階の窓から一人の少年が顔をのぞかせていた。

 ……中学生くらいだろうけど、涼やかな美少年で、すごくモテそうな見た目。


「……えっと……どなた、でしょう……」


 お隣さんは昔私が住んでいたときと変わっていないと聞いている。

 そうであれば、住んでいたのは少女のはず。

 七つ年下で、キラキラの美少女だった。

 とても私になついてくれていて、私が引っ越すときには大泣きしながら、大人になったら結婚しよう、って言って抱きついてきた、ものすごく可愛い子。

 「約束だからね」と大きな瞳を潤ませた彼女のあまりのかわいらしさに、私は寂しさ半分、デレデレ半分で指切りをしたのだ。

 見た目の雰囲気は似ているけど、兄弟だろうか。少なくとも五年前には少女――『りっちゃん』は一人っ子だった。


「どなた……?」


 少年は私の言葉に、ぽかんと口を開けたままじっと見つめてきた。


「花音ちゃん、うそ、忘れたの?……マジで?」

「え? えーっと……」

「ちょっとそこで待ってて!」


 言うが早いか、少年は窓から顔を引っ込めた。――少し遅れて階段を駆け下りる音が響く。


「……」


 忘れたのかって聞くってことは、過去に会ったことがある相手ってことだ。――状況的に、一人しか思い当たらない。


「まさか……もしかして、りっちゃん?」

「! そうだよ!」


 息を弾ませて庭に飛び出してきた少年は嬉しそうに顔を輝かせ、垣根越しに私の顔をのぞき込んでくる。ぐぬ、私より背が高い……。


「でも、……『もしかして』って何?」


少年の嬉しそうな表情は、その次の瞬間には拗ねた顔に変わっていた。頬を膨らませたその表情は、まさに、幼い日のりっちゃん――お隣の七沢(ななさわ)さんちの(りつ)ちゃん、そのものだった。


「本当にりっちゃんだ……私、りっちゃんは女の子だとばかり」

「女!?」

「だ、だって可愛かったし、私のお下がりとか着てたでしょ?」

「お、お下がりは……!」


 律(らしき少年)は「着てたけど……」としょんぼり肩を落とした。

 あれは母さんがサイズが合うからって無理矢理着せてきたもので。でもスカートは拒否してたし。本当は嫌で。あっでも花音ちゃんの服がイヤってわけじゃなくて――。

 もごもごと何か言い続けているが、俯いていることもあってよく聞き取れない。

 なんにせよ、どうも私の言葉は彼のプライドを傷つけてしまったらしい。……まあ、中学生男子に可愛いとかは禁句か。


「えーと、ごめんね、りっちゃん。忘れてなんていなかったけど、私ずっと勘違いしてて……かっこいい男の子が出てきたから、小さいときのあの可愛かったりっちゃんと結びつかなくてさ」

「!……かっこいい……」


 俯いていた顔をぴょこんと上げて、律は瞳を輝かせた。

 え、なんかチョロくて可愛いな、この子……中学生男子ってこんなに可愛いもんなの?

 中学時代の同級生連中の顔を思い浮かべ、私はすぐに頭の中から彼らを追い払う。こんな可愛い生き物じゃなかった。律が特殊なのだ。


「あのさ、花音ちゃん、これからその家に住むんだよね?」

「あっ、そうだ。昨日七沢さんちに挨拶いったとき、りっちゃんいなかったもんね。またお隣さんとしてよろしくね」


 顔なじみとはいえ、挨拶は大事。

私は渾身の愛想を振り絞り、にっこりと微笑んで見せたのだが、対する律はなんとも言えない微妙な表情を返してきた。

 ……あれ、もしかして、馴れ馴れしすぎた?


「お隣さんとして……かあ」

「え、うん」


 なんで? ものすごく不満そう!


「まあ、今はそれでいいや。……ところで、(ふう)が泥だらけの足で家の中に入っていってるけど」

「ん、ふうか?……え、風って?」


 だれかの名前っぽいけど、誰? 泥だらけの足?


「花音ちゃんのじいちゃんが飼ってた猫。じいちゃんが亡くなった後はうちで預かってたんだよ。……もしかして、聞いてなかった?」

「聞いてない……」

「久しぶりに隣の窓が開いてるの見て、入り込んだみたいだね」

「あ……そっか。家にいたのがおじいちゃんじゃなくって、がっかりしたのかも」

「んー、賢い猫だから、たぶんその辺はもう分かってると思うよ。あいつ、網戸の開け閉めできるんだよ。じいちゃんが覚えさせてた」

「……あれ、やっぱり見間違いじゃなかったんだ……」

「そのうち鍵開けはじめるかもね」

「ええ……」


 鍵を開けて入ってくる猫って……。

 げんなりしながら縁側の方へ視線を戻してみれば、私が開け放したままにしていた縁側には、愛らしい(泥の)足跡が点々と残っていた。

 その足跡の先には、お行儀よくお座りをしたさび猫――風が尻尾をゆらゆら揺らしてこちらを見ていた。


「うな!」

「風、そっちの家に住むの?」


 律が呼びかけると、風は「ぅるる」と喉を鳴らし、尻尾を振った。

 それを見た律は小さく肩をすくめ、私に視線を戻した。


「……住むってさ」

「ええ⁉……わ、私、猫飼ったことないんだけど……」


 そんな一方的に決められても。

いや……でも、「無理」って言っても、勝手に網戸を開けて入ってくる猫だ。きっと気付いたら不法侵入しているに違いない。


「そうなんだ。――それなら、猫の世話で困ったことがあったら呼んでよ。……っていうか猫以外でも、困ってなくても、呼んで。絶対」


 肩を落とした私に、若干の圧を感じさせる笑顔で、律が微笑む。


「う、うん……」

「にぁ、うな」


 圧に押されてうなずいた私が見ていない隙に、風花は一人で喋りながらサッと畳の部屋へと入っていった。泥だらけの足で。


「あ……ちょ、待って、畳に上がるなら足を綺麗にしてから!」


 人間が困るのをしっかり理解している動きで畳の上を駆け回る風と、なぜかすごく上機嫌で「掃除手伝うよ」と上がり込んできた律。

 ――私の華々しい一人暮らしデビューは、このように騒々しく幕を開けたのでした――。

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