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無事にコンクール用の作品の提出を終えて、週が明けた。
十二月初旬。
上之宮高校二年一組の教室では、先月末に行われた期末テストの結果が張り出された。テストが終わってからまだ一週間しか経っていないのに、もう。先生たちが張り切って順位表をつくっている姿が目に浮かぶ。ここらでトップの成績を誇る進学校である上之宮高校では、こうして毎回テストの後に順位表が張り出されるのが恒例行事だ。
「わ〜一位はやっぱり実夏じゃん」
「本当だ。えっと……10教科で970点!? ふぁーっ、すごすぎて直視できない……」
「どんな点数だよ。こんなの超えられる気がしない」
教室後方の掲示板に張り出された順位表を囲んでいる女子たちの声を聞いて、心臓の音がドクン、ドクンッ、とどんどん激しくなるのを感じた。
表を見なくても、一番上に載っている彼女のフルネームと、その一つ下にある自分の名前が容易に想像できて、息が苦しくなる。
私は手元の個人成績表に視線を落とす。
952点。総合二位。
いいじゃない、二位だって。すごい快挙だよ。文句なしの点数だよ。甘い心の声が脳内に響く。実際、前回の中間テストから十点以上も上がっている。担任の先生も、他の教科の先生も、両親も、友達も、みんなが褒めてくれる点数だ。芽衣って天才、とこれまでの何人もの友達に言われてきた。違う。私は凡人だ。平日は八時間、休日は十三時間も勉強し続けている。私だけが、私を褒めてやれない。一年生の頃から、万年二位を取り続けている私の心は卑屈に歪んでしまっていた。
「実夏、やったじゃん」
少し離れた席で、女子の一人が実夏に声をかけているのが分かった。聞きたくないと思っても、心が勝手にその声を拾ってしまう。
「ありがとう。たいしたことないよ〜」
二年一組、同じクラスの親友の彼女は、誰も不快にさせないような柔らかな口調で答えた。見なくても分かる。実夏が、ふふっと愛らしい笑顔を浮かべて、余裕のある心で友達と会話をしていることが。見たくない。だって、完璧な彼女を今ここで見てしまったら、嫉妬に支配されて醜く歪んだ私はきっと、獰猛な獣みたいに思えてしまうから。
「芽衣、また二位だったね。おめでとう。すごいじゃん!」
実夏の方に意識がどっぷり浸かっていた私の前に、友人の綾子がやってきた。彼女とは二年生になり初めて同じクラスになってから、実夏と同じくらい仲良くしていた。
「あ、ありがとう。でも、二位だし」
「二位だってすごいよ。実夏が化け物すぎるだけ。私は、コツコツ努力してる芽衣に憧れてる。一年生の頃から、この子ずっと上位キープしてるな〜どんな子かな、って気になってたんだよ……って、この話、中間テストの時もしたね!?」
「うん。聞いた聞いた。ありがとうね」
綾子の言葉に嘘はないし、他意もない。彼女は二年生で同じクラスになった時、「私と友達になってください! ずっと憧れてたんです!」と私に握手を求めてきた。「友達になって」なんて言われた経験がなかった私はびっくりしたけれど、彼女からは全然歪んだオーラを感じなかった。純粋に自分のことを好いてくれているのだと分かって、ほっこりしたのを覚えている。
だから綾子には、テスト前にちょくちょく勉強を教えている。今回も、テスト期間に放課後の教室で、みっちり綾子と勉強をした。
「私も、芽衣のおかげで前より点数伸びたんだよ。ほら!」
そう言ってためらいもなく自分の個人成績表を見せてくる綾子。10教科で820点。総合101位。半分よりは上の順位で、運動部で時間がない綾子からしたら上出来の点数だ。前回は確か、700点台だと言っていたし。ものすごく伸びている。
「すごい。頑張ったね。えらいえらい」
「えへへ。って、二位の芽衣にすごいって言われるほどの点数じゃないんだけどねっ。でも私としては頑張ったと思うし、本当に教えてくれてありがとう」
屈託のない笑顔を浮かべる綾子が、眩しくて胸にチクリと針で刺されたような痛みが走った。遠くでは順位表なんて全然興味のなさそうな実夏が、友達と他愛ない話で談笑し始めている。やがて始業のチャイムが鳴り、通常通りの授業が始まった。
放課後、教室に誰もいなくなったのを確認して、私はひっそりと教室後方に向かう。
一位 浜崎実夏 970点
二位 天野芽衣 952点
見たくないのに嫌でも目に入ってくる実夏の圧倒的な点数。視線を横にずらし、教科ごとの順位も見てみるけれど、どれも一番上には彼女の名前がある。私は古文の点数が一番高くて99点。99点を取って、「今回は絶対に一位だ」と確信した過去の自分が愚かしい。上には上が、いるのだ。古文、浜崎実夏、100点。100点って……暗記科目ならまだしも、古文で満点……? 目を疑う光景に、実際目が眩んだ。
「芽衣、どうしたの? 部活行かないの?」
順位表の前で立ち尽くしていた無防備な私の背中に降りかかる、高く澄んだ声。
振り返るとくるりと光の差す綺麗な瞳を向ける実夏の姿があった。
「なんでもない。すぐ行く」
「うん、行こー」
踵を返して荷物を持つと、実夏とともに教室を後にした。実夏は順位表に興味がないのか、彼女があの一枚の紙の前に立っているところを見たことがなかった。
まあ、そうだよね。
どうせいつも一位だし。
見ても見なくても結果はわかっているし。
むしろ一位の人が順位表をじっと見てたら、なんか自分に酔ってるんじゃないかって疑われそうだし。
彼女の気持ちを必死に推しはかりながら、嫉妬で黒く塗りつぶされそうな自分の心に水をかける。
実夏は、そんな私の心中を知ってか知らずか、呑気な声で「今日は何書こうかなあ」とぼやいていた。
書道部の部室は一階にある和室だ。
書道部と茶道部、華道部が曜日ごとに交代で使っていて、月曜日と木曜日は書道部の日だった。週に二日だけの部活は程よく楽しくてやる気も上がる。
「今日も部屋の中さむっ! 暖房、暖房っと」
私たちより少しだけ先に部室に着いた仲間の声が、廊下まで響いていた。がらがらと引き戸を開けて中に入る。部員は二年生八人、一年生九人の十七人。部長は私で、実夏は副部長だ。
「あ、実夏と芽衣、やっほ」
「学年一位と二位のお二人さん、今日もそろってお出ましだね」
「書道部に一位と二位集まってんのすごすぎって、今日もクラスの子に言われてさあ」
今日の話題はやっぱり、期末テストの順位のことだ。県内トップ校の私たちにとって、毎回のテストの成績は人生の中で最も気になるものだと言っても過言ではない。
「実夏、本当にすごい。毎回一位取れるなんて、天才すぎっ」
「あ、もちろん芽衣も。二位おめでとう!」
「ありがとう〜」
ふふ、と教室で見せたのと同じ笑みを浮かべて花のようにふわりと笑う実夏。誰がどう見ても余裕の笑みで、胸の傷がさらに広がったような気がする。
「二人は志望大学一緒だっけ? T大?」
「T大なんて、私は無理だよ」
両手をひらひらさせて、今度は困ったように笑う実夏。だけど私は否定できなかった。だってT大はまさに私の志望大学だから。国内トップの偏差値を誇るT大に、昔から憧れがあった。だからこそ、日々何時間も勉強に励んでいるのだ。
「いやいや、実夏が無理だったら人類みんな無理だって」
けらけらと笑う書道部の友人たちが、実夏の肩をぽんぽんと軽く叩く。「芽衣、なんとか言ってよ〜」と私に助けを求めるかのような困り顔の実夏に、私は「実夏なら絶対いけるって」と口から漏らした。
そうだよ。実夏ならT大だって、海外の有名大学だって、いとも簡単に受かるだろう。私は、そんな彼女の背中を、いつになったら追い越すことができるのだろうか。