俺の名はカルト三世、久しぶりにニュースを見てメンタルダメージくらっちまったぜ
2022年 10月
とある宗教団体のもと信者がその宗教団体の解散を求めた記者会見にて。
その記者会見の最中に、その宗教団体から会見の中止を要請するファクスが届く。
元首相銃撃事件から取り上げられるようになった、いわゆる宗教2世問題。親の信仰する団体と両親に悩まされる人たち。
このニュースを見て、久しぶりにメンタルダメージをくらっちまった。
自分では克服したつもりだったが、そうでもなかったらしい。自分でも気がつかなかったトラウマスイッチを踏まれてしまった感じだ。
タイトルでも言ったが改めて、俺はカルト三世。祖父母の代から新宗教にハマってるどうしようもない一家の1人だ。
近頃は宗教2世がときに話題になり、時代が俺に追いついてきたか? とか言ってみたりする。なので、
「俺の名はカルト三世」
「ヤツはとんでもないものを盗んでいきました。あなたの良心です」
とか、
「悪魔はお前だ! じっちゃんの名にかけて!」
とか、最近はネタにしたりしてる。
■記者会見中止要求ニュース
記者会見中止を要求したファクスには、元信者に精神疾患があるため説明が虚偽の可能性があると書かれいて、そこには両親の署名が添えられていた。
つまり、カルトにハマった親が、
「ウチの子は頭がおかしい嘘つきなので、ウチの子の言うことを信じないでください。記者会見を中止してください」
と、いうことだ。
俺がこのニュースにダメージを受けたのは、俺の過去と似たところがあるからだ。
ただ、昔ならともかく今でもこんなことやってるのか、と辛くなった。
年号が令和に変わっても、まだ昭和のやり方が残っている。
■過去語り
親がカルトにハマっているというのはろくでもない話だ。しょーもないと笑ってくれ。
ウチの親がハマったのはいちおう仏教系だが、系統が仏教なだけで積み重ねた歴史も無く、勝手に教義を改変しているような底の浅い新宗教だ。
あ、新宗教とか伝統宗教の違いとかは、ウィキペディアでも見てくれ。
で、宗教2世とかカルト三世の問題というのはざっくりまとめると、
親の信仰する宗教団体が胡散臭いと感じた子が親と仲違いする。
幼い頃からカルトの教義の中で生きてきたため、世間一般の常識と馴染みにくい。
世間からはカルトの一員と見られ、社会から疎外されやすい。
こんなところだろうか。
この俺、カルト三世も親のハマってる宗教が気に入らなかった。中学生、高校生のころは反抗期もあり反発した。
その宗教の集会とか行きたくねえ、と駄々をこねたもんだ。
高校生のころ、虫の居所が悪かったのか愚母にこんなことを言った。
「毎日お経を唱えてるからって、それで自分はマトモな立派な大人だとでも? 経文の意味も分からず理解しようともせず、その意味の解らないとこが有難い? アホか? 取り敢えず、天竺まで経文を取りに行った三蔵法師一行に土下座して謝れ」
だいたいこんな感じのようなことを言ったと思う。
親からしてみれば、己の信じてるものを否定することを子供が言ったわけで、これはこの子は精神に異常を来してるとでも思ったらしい。俺は愚母に精神科医に連れていかれた。
医師の診断では、精神分裂病、または境界性人格障害。
まあ昔の診断なので。精神分裂病は今では統合失調症とか言い変えられてはいる。
この医師も愚母の知り合いでカルトの関係者。なのでこの診断結果も怪しいのだが。
俺の症状は境界性人格障害というよりは、解離性同一症に近いだろう。
自分がキチガイで無いと証明するには?
自分をキチガイだと言う奴を先にキチガイにしてしまえ。
という感じで俺は精神分裂病ということになった。
これで愚母は俺が逆らうのは精神の病のせいだと安心したようだ。だが、愚父の方は怒り心頭になる。
「我が家からキチガイが出るとは! お前はもう町の者に顔を見せるな! 我が家の恥だ!」
となり、俺はしばらく実家に軟禁されることになる。時代というのもあるが、面子とか世間体が大事という人でもあった。
ウチの子はキチガイだから、と俺は家に閉じ込められたわけだ。
俺から見ればカルトにハマり、教祖の教えの通りにしているからマトモで立派な大人だ、と自称する両親の方がキチガイなんだが。
■家族を監禁
さて、ここでちょいと歴史の話をしようか。
1900年 明治33年
精神病者監護法が成立
精神病者は、監護しなければならないと決めた法律だ。
問題のある個人は社会に迷惑をかけないように、家族が責任を持って監禁する。
監護というのはこのときにできた新しい言葉。政府は監禁法にしたかったが、マイルドな表現にしたい識者との討議から、監護という造語が造られたと言われている。
この法律ができてから座敷牢などに家族を監禁する家庭が増加。
そのためこの法律は、私宅監禁を政府が公認する法律とも呼ばれる。
精神病者監護法ができてから、家族を監禁し社会の治安を守るのが日本の習慣と根付いていくことになる。
1919年 大正8年
精神病院法が成立
当時、精神病院が不足していた。
中流以上の家庭では座敷牢などで家族を監禁する家庭が多かった。政府は精神病院を増やし私宅監禁を根絶しようと精神病院法が成立。
主務大臣は道府県知事に精神病院の設置を命じ、地方長官は患者を入院させる権限を持つようになる。
1950年 昭和25年
精神衛生法が成立
精神病者監護法と精神病院法の廃止
精神障害者の私宅監置が禁止されるが、既に私宅監禁は社会治安を守る日本の習慣と根付いている。
個人の権利や自由よりも社会を守る方が重要であり、そのためには親が責任を持って子供を監禁する。
この辺りが欧米的な人権思想と日本の文化風習との相性の悪いところ。
社会というコミュニティを守るには私宅監禁は有効であり、これが日本が世界に誇る治安の良さを守る要因のひとつでもある。
ところが、この手法がカルトというコミュニティを守るためにも利用されるわけだ。
あと、この私宅監禁が根付いたことが日本が引きこもり先進国になった理由のひとつではないか、とか俺は考えている。
2001年の世界人口約62億。
日本の人口は約1億2000万
2001年の時点でWHOが把握している世界の精神科病床の総数、約185万床。
そのうち日本の精神科病床は約32万床。
地球上の人口の内、日本人の割合は約2%
だが、世界の精神病院入院患者の数で見ると約6分の1が日本人ということになる。
ここだけ見れば、日本って心を病む人が世界トップレベルで多い国なのな。
だがこれは遺伝的に日本人が精神障害になりやすい、ということでは無いだろう。
ただ、人を監禁するのに慣れてしまった民族性というだけだ。
本当に監禁しなければならない程に症状が悪化しているのかどうか。入院が必要な理由とはなにか。
実際に入院が必要なケースもあるだろう。
だが隔離したいから精神を病んでいるというレッテルを貼りたい、という感じで手法が逆転して利用されてしまう。
まあ、ウチのように世間体を守るため、というケースもあるか。暴れたことも人に怪我をさせたことも無いが。
ただ、こういったことはカルトのような排斥的なコミュニティと無縁の人には分かりにくいか。
治療よりも監禁して隔離という手法を続けてきたことで、日本の精神医療は進歩せず、先進国から半世紀ほど遅れることになる。
今のところ政府は精神病床数を減らそうとしているが、なかなか進まないらしい。
2022年 9月
国連の障害者権利委員会は8月に実施した日本政府への審査を踏まえ、政策の改善点について勧告を発表した。
障害児を分離した特別支援教育の中止を要請、精神科の強制入院を可能にしている法律の廃止などを求めている。
国連の勧告に対し、変わるのか、それとも変わらないのか。
■マッチ売りの少女
毒を吐くようなエッセイですまない。本来はこういったことを裏のテーマとして盛り込み、物語として送るべきなのだが。上手くできんかった。小説って難しいな。
かつてアンデルセンという童話作家がいた。
アンデルセンは一時期、『貧困層は死ぬことでしか幸せになれない』という哲学を持っていた。
『マッチ売りの少女』は貧しい者の悲劇を見てみぬ振りをする酷薄な社会を童話で風刺する物語でもある。主人公が死ぬラストは当時、批判もあった。
死んで天国に召される以外に幸せになる方法は無い。そんな境遇の中から抜け出せない人達がいる。
『少女はおばあさんに抱きかかえられながら空高く天国へ舞い上がっていきました。
そこは、もうお腹を空かせることもなく、寒さに震えることもなく、悲しいことは何一つないところでした。
大晦日の日に少女はいっぱいのマッチの燃えがらのなかでこごえ死んでしまったのです。
新年の朝、こごえ死んだ少女の姿を見た人々は、
「かわいそうに、あまりに寒かったのでマッチを擦って暖まろうとしたんだね」
と、お祈りをささげました。
しかし、少女の見た素晴らしい幻のことを知っている人は誰もいませんでした』
マッチ売りの少女は笑顔で死んでいる。
最近思うのは、死後の世界の幸せを物語る異世界転生ものというのは、現代版の『マッチ売りの少女』ではなかろうか? と。
『隣にある別世界に移るのは、ごく簡単だ。パラレル・ユニヴァースはたくさんある。精神異常の世界、犯罪の世界、身体障害の世界、死にゆく者の世界、たぶん死者の世界もその一つだろう。こちら側の世界にそっくりで、すぐ隣にあるけれど、内側にはない世界』
思春期病棟の少女たち
著者 Kaysen,Susanna
■時代の変化
記者会見中止要請のニュースを見て、かなりくらってしまった。自分でもどうしてこれほどショックなのか、と不思議な気分ではある。
だが、時代は少し変わった。
地下鉄サリン事件以降、新宗教を擁護する自称知識人はかなり減ったように思える。信仰の自由を守るのがインテリ、という空気感は世界でも唯一と言われる無差別毒ガステロ事件から変わったようだ。
ネットのニュースのコメント欄でも、記者会見を行ったもと信者に同情的なものが多かった。
社会治安を守るのも大事だが、発言の自由や個人の尊厳を守ろう、という人が増えたのだろう。
親の世間体を守る為には子供を監禁するのは当たり前、親の面子を傷つける子供はキチガイにして当然。という時代からは、少しは良い方向へとこの国は変わったらしい。
少し救われた思いがした。
■おまけ
ノマの書いたSF
『異なる世界で貴方と逢瀬を』
N4886FM
振り返って見ると、ノマのSF版マッチ売りの少女、だったのかもしれない。これを書く土台になったのなら、ノマの体験は無駄では無かったかもしれない。なんて、自分を慰めてみる。
BGM
『月曜日』
Amazarashi