SPってなんだ(後編)
真希はフォークを置いた。
「おい?どうしたんだぁ?」
朔が悪そうな目を向けてくる。
「も、もう無理です…」
パンケーキを8割ほど食べたところで完全に手が止まった。あと少しが本当に入らない。
幸いだったのは紅麗ちゃんの食べるスピードが異様に遅く、まだ店を出そうにないことだ。
「ほら、言っただろ!これだから自分のキャパを知らないやつは…」
はぁと朔はため息をついた。
「仕方ないですね、真希は。残りは私が食べますよ。」
「つるぎ、ありがとう!」
つるぎが助けてくれたおかげで残さずに済んだ。もうしばらくパンケーキとホイップクリームは食べたくない…
追加で頼んだ紅茶を飲んでいるとようやく紅麗が帰る支度を始めた。
私達も後に続いて店を出る。
紅麗は街を歩き、スクランブル交差点に差し掛かった。土曜のお昼ということもあり、かなり人が多い。巨大スクリーンには今日のニュースが流れている。
画面の中のアナウンサーがニュースを読み上げる。
「次のニュースです。俳優の葛城良治さんが…」
まずい!
真希は紅麗に駆け寄り、耳を塞ぐように頭に腕を回してもう一方の腕で身体を抱えた。そのまま人混みを駆け抜ける。
「おい!真希!」
朔とつるぎは真希の後を追った。
人の少ない公園に着いたところで真希は足を止めた。
「もうっ!放しなさいよ!」
腕の中の紅麗が暴れる。真希は紅麗を降ろした。
後を追ってきた朔とつるぎも真希の元へたどり着いた。朔が真希に詰め寄る。
「真希!蘭さんからは気づかれないようにって言われてただろ!」
「だって…!」
そりゃ、いつかは知ってしまうかもしれない。でも、あんな巨大スクリーンで、あんな人混みのなかでそれを知るのはあまりにも酷だ。そう思ったら体が動いていた。
「気づいてたわよ。」
紅麗が言った。
「え?」
「気づくにきまってるでしょ、変な3人がずっと後つけていたら!尾行下手すぎ。あんた達何なの?」
「私達は…えーと、紅麗ちゃんの味方っていうか…何だろ?」
マナンのことは言えないし、なんて説明すればいいかな…
「…まあいいわ。父親のことでも聞きに来たのかと思ったけど、そういうわけでもなさそうだし。こんなポンコツよこして天才子役の私から話を聞き出そうなんて考えるマスコミはいないでしょう。」
そう言って紅麗ちゃんはくすっと笑った。紅麗ちゃんがこんなに毒舌で自信家なんて…まあ、ファンにとってはそんな一面が見れたことも美味しいんだけど。
「誰がポンコツだって!?」
ポンコツに反応して怒る朔を放っておいて、つるぎが紅麗に尋ねる。
「父親のこと聞きに来たって、紅麗はその内容をもう知っているのですか?」
「ええ。今朝、駅のコンビニにあった週刊誌で見たわ。…まあ、あの父のことだからそんなことだろうとは思っていたけどね。」
もう知ってしまっていたか…
「私は別に何とも思ってないわ。もう2年くらい顔を合わせてないし。用が済んだならあんた達帰りなさい。私ももう帰るわ。」
そう言って紅麗ちゃんは私達に背を向けた。その背中が悲しそうに見えた。
真希は紅麗に抱きついた。
「紅麗ちゃん!」
「ちょっと!何よ!」
「何ともないはずない。悲しいでも、寂しいでも、むかつくでも、何か感情があるでしょ。紅麗ちゃんは天才子役だから上手く隠せちゃうかもしれないけど、こんな時は隠さなくていいんだよ。私達なんてただのポンコツ一般人だからほんとのこと言ったって大丈夫だよ。」
強張っていた紅麗ちゃんの体が私の腕の中でほどけていくのを感じた。
「…本当は、ちょっと悲しかった。薄々、そうなんじゃないかって思ってたけど、ああやっぱり本当だったんだって。裏切られたって思っちゃう自分が悔しい。…でも、変な3人があとつけてきてるのに気づいてちょっと面白かった。貴重な休日を暗い気持ちで過ごすのはもったいないから。」
「…そうだね。」
私達の存在で少しでも気がまぎれたのならよかった。
その時、半透明な物体が視界の端に映った。
「やつだ!」
朔が叫ぶ。
「真希はやつを、つるぎは紅麗を守れ!」
朔の指示の通り、私はマナンの方に、つるぎは紅麗ちゃんの方に向かった。
つるぎは紅麗にマナンとの戦闘を見せないよう、遊具の陰に誘導した。後ろ手には斧を備えている。
「やつって?」
紅麗が尋ねる。
「んー、おばけかな?」
つるぎが答えた。
「お、おばけなんているわけないもん!」
紅麗はそっぽを向いた。
マナンと対峙する私は剣を構える。
「はぁぁー!」
マナンに切りかかると直前でかわされた。何度も試みるが毎回かわされてしまう。
マナンの動き方を見ていると一つ思うことがあった。
「なんかこのマナン、朔を狙ってない!?」
朔は私から3mほど離れたところでマナンとの戦闘を分析している。マナンは私の攻撃を避けつつもじりじりと朔に近づいているみたいだ。今はそれほど近づかないように牽制しているが、朔を守りつつ攻撃するのは難しい。つるぎも一緒に戦ってくれれば勝機はあるが、紅麗ちゃんを守る役目から外すことはできない。私1人では一撃で倒せなかったら朔が危険になると思うと渾身の技も出せない。
「僕が囮になってマナンを引き付けるからその隙を突け!」
朔が叫んだ。
「そんな!」
「今はそれが最善だろ!」
そう言って朔は私から大きく距離を取った。…やるしかないか。
マナンは朔の方に向かっていく。私は剣を構えてその後を追った。
「やぁぁー!」
そして剣を振りかぶった時、目の前に別のマナンが現れた。
「わ!」
反射的に目の前のマナンを切りつけた。一度剣を振り下ろしたことで朔の方に向かうマナンへの攻撃が遅れた。
「うわっ!」
朔の声がする。
「朔!」
急いで駆け寄ると、朔の背中にマナンが融合していた。
「朔っ…朔!」
私のせいだ…私のせいで朔が…
「どうしましたか!?」
真希の声を聞きつけて、つるぎと紅麗が駆けつけた。
つるぎも朔の異変に気付いた。
「朔…!」
朔は苦しそうに言葉をしぼりだす。
「このままじゃ…暴走してしまう…早く、僕ごとマナンを切れ…僕が自制できているうちに…早く!」
必死な様子を見て鼓動が速くなる。そんな…朔を傷つけるなんて私にはできない。それが朔の願いだとしても。
つるぎを見ると斧を持つ手が震えていた。
「たのむ…」
そう言った途端、苦しそうだった朔の表情が怒りの表情に変わった。
「許さない…僕のお父さんの計画を潰したDAMを…僕がお父さんの仇をうってやる!」
DAMの仲間を大切にしている朔がこんなこと言うはずない。マナンに心が侵され始めているんだ。
朔はどこかへ向かって歩いていこうとする。…行き先はきっとDAM本部だ。
「朔!」
真希は朔を抱きしめた。
「だめだよ、朔!戻ってきて!」
「邪魔をするな!」
朔は強引に真希の腕を振りほどいた。真希はそのまま地面に投げ出される。
つるぎは体を震わせ、その場に立ち尽くしていた。
このままでは、朔が離れて行ってしまう。真希は立ち上がり、再び朔に抱きついた。
「朔!」
「邪魔だ!放せ!」
暴れる朔を真希は必死で抑える。
「お願い、朔!聞いて!」
「うるさい、黙れ!」
朔が真希の拘束をこじ開ける。抑えきれない…!
その時、紅麗が朔の体に抱きついた。
「事情はっ…よく分かんないけど…要するに、こいつの体を、抑えればいいんでしょ…こう見えて私、体力には自信あるのよ…!」
「紅麗ちゃん…!」
紅麗はつるぎの方を振り返った。
「ほら!そこに突っ立ってないでっ…あんたも手伝いなさいよ…大事な仲間なんでしょ!」
「はい…!」
紅麗に声を掛けられて、つるぎはやっと動き出した。そして朔に抱きつく。
「放せっ!放せよ!」
3人の力で朔の体はがっちりと抑え込まれた。今なら朔についたマナンを引きはがせるかもしれない。
「僕は…僕はっ…お父さんの仇を…!」
「ねえ、朔。朔のお父さんってどんな人だったのかな。私は会ったことがないけど、朔やつるぎの話を聞いて、正義感の強くてカッコいい人だって思ったの。だから、自分を操られて事件を起こしたこと、すごく辛かったと思う。朔もそうでしょ!?今、お父さんのことを利用して仲間と敵対させようとしている。辛いよね。朔のお父さんのことも、朔自身のことも、私と、つるぎと、他のみんなと必ず救って見せるから!一緒に戦おう!だから戻ってきて、朔!」
朔はくしゃっと笑った。
「ああ…!必ず!」
その時、朔の体からマナンが離れた。朔にこんなひどい仕打ちをして…絶対に許さない。
真希は剣を振りかぶった。
「うぁぁぁー!」
剣はマナンを切り裂き、地面に突き刺さった。
「…目標、失敗…ごめん…パパ…」
マナンは消滅した。前は気のせいかと思ったけど、やっぱり何か言っている。ついに言葉も手に入れたのか。
マナンが離れた朔は気を失って倒れた。
「朔!」
つるぎが朔の体を受け止める。
…つるぎはかなり動揺していたな。私がしっかりしないと。
「本部に連絡してすぐに迎えを呼ぼう。」
真希は本部に電話をかけた。
出動の準備をしていたところだったため、迎えはすぐに来た。
「つるぎは朔をお願い。紅麗ちゃんも、さあ車に乗って。」
つるぎはシートの3列目に朔を寝かせた。真希と紅麗も乗り込む。
「私も乗ってよかったの?」
「もちろん。危ない目に合わせちゃったから、せめて家まで送るね。運転手さん、お願いします。」
紅麗が運転手に住所を伝え、車は発進した。
重々しい空気の中、車内には沈黙が流れていた。
しばらくしてつるぎが口を開く。
「紅麗。あなたが声をかけてくれなかったら、私は朔のために何もしてあげられませんでした。本当に、ありがとうございました。」
つるぎはぎこちなく笑った。
「別にいいのよ。身近な人に何かあったら、誰だって冷静ではいられないわ。あまり自分を責めないことね。」
紅麗は窓の景色を見て、運転手に声をかけた。
「ここでいいわ。私は降りる。」
「家まで送らなくて大丈夫ですか?」
つるぎが尋ねる。
「もしかしたら家の前にマスコミが押し寄せているかもしれないし、その人、早く運んであげたほうがいいんじゃない。」
そう言って紅麗は後ろのいる朔を見た。そして車の扉を開ける。
「来年の春、舞台に出るの。よかったら3人で観に来て。どれだけすごい女優と一緒にいたのか思い知らせてやるわ。」
紅麗は出て行った。その後ろ姿からは大女優の気品が感じられた。
車はDAM本部に向けて走り出した。
「真希…私は朔の状況を見て、動くことが出来ませんでした。朔に頼まれていたのに、いざ現実となったら、恐くて…こんな弱くて情けない自分が嫌になります。…朔も私のことを許さないでしょう…」
つるぎのすすり泣く声が車内を満たす。
真希はつるぎの肩を抱いた。
「大丈夫だよ。きっと朔も分かってくれる。朔のためにも、そんな悲しい顔してちゃだめだよ。」
つるぎは小さく頷いた。
本部に着き、朔を自室のベッドに寝かせた。
「今回の戦闘の報告は私がしておくから、つるぎは先に帰りな。」
「いえ…私は朔が目を覚ますまで側にいます。」
「そっか…じゃあ、私は行ってくるね。」
朔の手を握るつるぎを残し、真希は部屋をあとにした。
真希は杏奈のいる研究室に足を運んだ。そして今回の報告をする。
「…報告は以上です。」
「なるほど。今回の目標は朔だった可能性があると…それにマナンが言葉を発していたというのも興味深いの。パパ、と言うからには男性によってつくられたという可能性が高いじゃろう。こちらでもそれらの情報をもとに調べを進める。」
杏奈はパソコンに今回の戦闘情報を打ち込む。
「真希、報告は終わった。もう、そんなに気を張らなくてもいいんじゃぞ。」
しっかりしようって頑張っていたの、杏奈さんにはばれていたんだ。
杏奈が真希の顔を見る。
「ここにはわしとお主しかいない。何を言っても他には漏れんぞ。こう見て、口は堅いんだ。」
そう言って胸を叩く。見た目のことを気にしているのか…ふっと笑った拍子に抑えていた感情があふれ出した。
「朔が今日マナンに襲われたのは…私のせいなんです。朔が囮になる作戦は少しでも私の反応が遅れたら朔を危険に晒してしまうのに、私は目の前に現れたマナンに一瞬気を取られてしまった。どうして朔のことだけに集中できなかったんだろう。そもそも私が一人でもマナンを破壊できる力があればそんなことにはならなかったのに…!朔に辛い経験をさせてしまった…それにつるぎにも。苦しいっ…!」
一度言葉にするとぽろぽろと流れ落ちる涙を止められない。朔の覚悟も守るって決めたのに。
杏奈さんは私の背中をさすり、涙が止まるまでそばにいてくれた。
「見苦しいところを見せてすいませんでした…それでは、私はこれで。」
真希が研究室を出ようとすると杏奈が声をかけた。
「のう、真希。今晩はわしと一緒に泊まらないか?」
「…え?」
「いつでも研究できるように、この研究室の奥に居住スペースを作ったんじゃ。蘭には内緒でな。本部にはシャワーがあるし、奥のスペースには一通りの生活用品が揃っておる。それほど不便はないと思うぞ。どうじゃ?」
「じゃあ…お言葉に甘えて。」
正直なところ、一人になりたくなかった。
「よし!そうと決まればついてくるのじゃ!」
杏奈が迷路のような研究室をどんどん奥へ進んでいく。そして、『生物培養室』と書かれた扉の前で止まった。
「ここじゃ。」
「え…あの、『生物培養室』って書いてありますけど…」
杏奈が扉を開ける。中は無機質な実験部屋、ではなく、ピンクを基調とした可愛らしい部屋だった。
「…本当に部屋だ。」
「だからそう言っとるじゃろ。まだマナンが何者かも分からんうちにこの施設をつくったから、生物培養なんかの設備も入れておったが不要になってな。物置になっていたこの部屋をわしがすこしずつ改造したんじゃ。」
テーブルとベッドはもちろん、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器などの家電もそろっている。それに、ベッドの上に並べられたぬいぐるみ達が杏奈さんらしい。
「まずは荷物を置いてシャワーでも行って来たらどうじゃ。ほれ、着替えとタオル。」
「あ、ありがとうございます。そうします。」
本部内にあるシャワー室を利用して部屋に戻ると、中は美味しそうな匂いに満ちていた。
「お帰り、真希。さて、晩御飯じゃ。口に合えばいいが。」
そう言って杏奈が出したのは手羽元と大根の煮物だった。真希が箸を伸ばす。
「美味しい…」
「それはよかった。たくさん食べるといい。」
杏奈さんが炊飯器からご飯をよそってくれる。…なんだかほっとする。
ご飯を食べながら他愛もない話をした。
「落ち着いたか。」
食べ終わった食器を片付けた後、杏奈が言った。
「辛い時は体を綺麗にして、温かいご飯をお腹いっぱい食べたら心が元気になるって相場が決まっているんじゃ。」
元気づけようとしてくれていたんだ。
「それに今、朔の側にはつるぎがついているんだろう。ここにいれば変化があったら直ぐに知らせが来る。自宅じゃ気になって眠れんじゃろ。」
「ありがとうございます。杏奈さん。」
「よいよい。ちょうど話し相手が欲しかったところじゃ。」
杏奈は棚をごそごそと漁り、日本酒の一升瓶とジュースのペットボトル、あたりめを出した。
「真希にはジュースじゃ。あたりめは食べるか?うまいぞ。」
「じゃあ、いただきます。」
そう言って理科室で見るようなガスバーナーを取り出した。そしてあたりめを炙る。
「もともとここは実験室だから、道具は豊富なんじゃ。」
杏奈はニヤッと笑った。
炙ったあたりめをつまみにジュースを飲む。うん、なかなか美味しい。
「わしは蘭と元から知り合いでの。DAMを設立した時に研究者として呼んでもらったんじゃ。古参のわしに何か聞きたいことはないか?」
聞きたいこと、か。
「神谷総監督が初めてマナンを発見した時の事件ってどんなだったんですか?」
「うむ。上京していた蘭はその時、新潟に帰省していたんじゃ。あの事件があった場所は蘭お気に入りの読書スポットで、当時も本を読んでいたそうじゃ。そうしたら見たこともないものがいることに気づいた。それがマナンじゃ。マナンは同じくその場所を訪れていた女性に融合した。すると女性が豹変して暴れ始めたため、蘭はその女性に駆け寄って、なだめたそうじゃ。そうするとマナンは女性から離れ、『この物体は危険だ』と感じた蘭が持っていた金属製のしおりでメッタ刺しにして消滅させたらしい。その女性は気を失っていたが、しばらくすると意識を取り戻し、自分の足で帰っていったそうじゃ。」
杏奈はやれやれと言った様子で言った。
「全く、蘭はとんでもない奴じゃ。今、ガーディアンが使っている武器はマナン用に特殊な素材を使っておる。それでもガーディアンの素質があってこそなのに、蘭は素質も十分でない中、そんなしおりごときでマナンを倒してしまった。敵には回したくないのぅ。」
杏奈はニヒヒッと笑った。…何でだろう、神谷総監督がマナンをメッタ刺しにする場面が容易に目に浮かぶ。
「そうだったんですね。」
「聞きたいことはそれだけか?」
杏奈が真希の目をちらと見る。
「じゃあ…朔とつるぎって杏奈さんから見てどんな人ですか?」
「そうじゃのう…2人とも頑張り屋だな。入ったばかりの頃の朔は父親の仇を討とうと必死でな。それはもう痛々しいくらいだった。つるぎはそんな朔を支えようと努力していた。普段は朔の保護者のように振る舞っているが、あれでいて精神的に弱いところがあるんじゃ。真希が来てからは2人とも心が穏やかになったと思う。彼らを見ていたわしも安心したんじゃ。」
杏奈は日本酒をぐいっと飲んだ。
「お主らは3人で1つのチームとして成り立っているんじゃ。お互いを支えあっている。今はそのバランスが崩れて苦しい時かもしれない。真希にはちょっと辛抱して2人を支えてやってほしい。わしからの頼みじゃ。でも、真希が苦しくなったらいつでもわしのところへ来い。わしが真希を支えてやる。」
杏奈は立ち上がった。
「さて、そろそろ寝るかの。寝具は一つしかないんじゃ。狭いがそこは勘弁してくれ。」
歯磨きをしてベッドに入る。杏奈さんの小さいからだをすぐ近くに感じた。
「おやすみ、真希。」
「おやすみなさい、杏奈さん。」
2人は目を閉じた。
炊き立てのお米の匂いで目が覚めた。意外なほどによく眠れた。これも杏奈さんのおかげか。
「おっ!起きたか。ごはんできたぞ。」
先に起きていた杏奈が朝食の準備をしてくれていた。
「朝ごはん食べたら、朔のところに行ってくるといい。つるぎも疲れているだろうから替わってやってくれんか。」
「はい!分かりました!」
朝食を食べ終え、身支度を整えた。
「杏奈さん、一晩ありがとうございました。元気が出ました。それじゃあ、朔のところに行ってきます!」
「うむ。つるぎにここに来るように伝えてくれ。」
「分かりました!」
真希は軽い足取りで朔の元へ向かった。
なんだかずっと悪い世界を見ているようだ。強くてかっこいいお父さんとの思い出とか、つるぎや真希と過ごした日々が黒い波に飲み込まれていく。苦しくて気持ち悪い。早くこんな場所からいなくなりたいのに体が重くて動けない。
『朔…』
遠くで名前を呼ばれた気がする。僕もそっちに行きたい。こんな暗くて怖いところから早く抜け出したいんだ。
目を開けると近くに真希の姿があった。
「朔!よかった目が覚めて!今、みんなに伝えてくるね。」
そう言って真希は部屋から出て行ってしまう。
待って。行かないで。
そう言いたいのに目覚めたばかりで声が出せない。
あんなにひどいことをしておいてそんなこと言う資格もないか。
しばらくすると真希がつるぎを連れて戻ってきた。
「神谷総監督と杏奈さんにも伝えたんだけど、今は手が離せないから後で来るって。」
「そうか。」
つるぎが僕の手をぎゅっと握った。今にも泣きだしそうな顔をしている。
「朔…本当に良かったです。でも、私は朔との約束を果たすことが出来ませんでした。ごめんなさい…」
つるぎの声が震える。僕はこんなにもつるぎを追い詰めていたのか。
「悪いのは僕の方だ。頼まれても、人を傷つけるなんて普通できない。辛い思いをさせて悪かった。」
「いいえ…!もっと強くなって今度は朔を守ります。」
つるぎは強いまなざしで僕を見つめた。そして、そっと手を離す。
「真希、お前にも辛い思いをさせた。作戦を提案した僕の責任なんだ。だから自分を責めないでくれ。」
「…うん、分かった。でも、それなら朔も自分のことを責めないでほしい。辛い思いも後悔も3人で分けあって、支えあっていきたいから。」
真希は僕とつるぎの手を握った。
「…なんか真希、強くなったな。」
真希は僕を見てにこっと笑った。
「妖精のおかげかな。」