第45話 自分にできること
水晶宮に戻る頃には、ルカは呼吸が上手くできなくなっていた。いくら息を吸っても呼吸が整わない。肩で息をしていると、嵐が背中をさすってくれる。
そうして自分の宮に戻ると、藤真と菖真が走り出てきた。
ぐったりとしたままのルカを、嵐は抱き上げてそのまま翅馬を降りる。
「嵐……、歩けるわ……」
「無理はしない方がいい」
「陛下! ルカ様はどうなさったのですか!?」
「紫奇猿の毒だ。すぐに毒消しを。それほど吸ってはいないが、呼吸ができていない」
「紫奇猿が出たのですか!?」
「すぐに解毒の用意をします」
寝室に入りそっと寝台に降ろされると、ルカはふうっと息を吐いた。自分で思っている以上に疲れていたようで、勝手に目蓋が落ちてくる。
言わなくてはいけないことがあるのに、眠気が押し寄せてきて抗えない。そうしてルカは、あっという間に眠りに落ちてしまった。
◇◇◇
目を開けると、ぼんやりとした頭で視線を横に移す。すると寝台の横で椅子に座り、腕を組んだまま眠っている嵐がいた。
「嵐……」
名前を呼んでみると、いつの間にか楽になっている呼吸に気付く。
胸に手を当てて大きく息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。
「呼吸は楽になったようだな」
「嵐、そばにいてくれたの?」
「うん。治って良かった」
目を開けた嵐は、にこりと笑ってルカの頭を優しく撫でる。その手に包帯が巻かれていて、ルカはハッとした。
「怪我したの!?」
「かすり傷さ」
笑う嵐にルカは起き上がると、その手をそっと両手で包み込む。
「ごめんなさい……、私……、皆を危険な目に……」
「ルカ」
「皆は? あそこにいた人たちは大丈夫だったの?」
自分のせいであんな危険な目に合わせてしまうなんて考えてもみなかった。あれだけ紫奇猿は危険だと言われていたのに、全然分かっていなかった。
後悔してもし足りない。自分の馬鹿さ加減に嫌気がさしてくる。
「あれからもう丸一日経っているんだが、全員無事に戻ってきた。心配はいらない。それより、なぜルカはあそこに?」
「私……、エクールから魔法で親書が届いたの。エクールに味方しろって……。私、戦争を止めたくて、王太子を説得しようと……」
「それで一人で行ったのか……」
「ごめんなさい……」
絶対に説得すると決めて行ったのに、結局何もできず、ただ嵐たちに迷惑を掛けて終わってしまった。
それが情けないし、申し訳ない。
「謝らなくていい。ルカが自分で決めて行ったのなら、それでいいんだ」
「でも……、私が行ったから紫奇猿が襲ってきたのよね……」
「それは違う。ルカがここを出る頃、ちょうど俺のところに鋼から紫奇猿の動きがおかしいと報告が上がってきたんだ。たまたまルカがエクール軍に接触した時間だっただけで、ルカが引き金になった訳じゃない」
「ホント?」
「うん。また俺は見誤ってしまった。もう少しの間、紫奇猿は襲ってこないと見ていたから。俺の判断違いだな」
「そんなこと……」
眉尻を下げて苦笑する嵐に、ルカは首を弱く振る。
その顔を見て嵐は手を伸ばすと、ルカを抱きしめた。
「でも無事で良かった。紫奇猿は狂暴だが、それ以上に毒が危険なんだ。常に毒をまき散らしていて、それを吸い込んでしまうと呼吸が上手くできなくなってしまう。多く吸い込めば皮膚も爛れ、最後は呼吸がまったくできなくなり死んでしまう」
「そんな……、そんな怖ろしい……」
「紫奇猿は生半可な相手ではない。誰かを守りながら戦えるような魔物ではない」
嵐の言葉に、本当に自分は分かっていなかったのだと落ち込んでくる。
一緒に来てくれた思羅たちは、きっとそれを分かっていながらも従ってくれたのだ。
「私、何も知らないで……」
「説明していなかった俺が悪いんだ。それより、ルカの勇気には恐れ入ったよ。ルカは強い勇気も持っているんだな」
「そんな……、結局私は何もできなかった……」
「結果的には上手くいかなったかもしれないけど、ルカは自分の判断でどうにかしようとして行動を起こした。それは評価されることだよ」
嵐の言葉にルカは顔を上げる。間近の嵐の紫の瞳を見つめて、どうしてこの人はこんなに優しいのだろうと不思議に思う。
勝手な行動を取って、黒雷尾や兵士を危険に晒して、謝るだけでは絶対に許されない間違いを犯したというのに、なぜ許してくれるのだろう。
「結果は大事だけど、それまでの過程が大切なんだ。ルカは最善を尽くした。だから謝ることはない」
「嵐……」
ポンポンと頭を撫でた嵐は、そのまま額にキスを落とすと立ち上がる。
「もう少し寝ていた方がいい。俺は仕事に戻るよ」
「嵐、あの……、エクールの軍はどうなったの?」
「あれから散り散りに森に逃げ込んでしまったようだ。今兵士を出して探させている」
「そう……」
「ルカは心配せず、ゆっくり休んでな」
もう一度嵐はルカにキスをすると、寝室を出て行った。
静かになった室内で、ルカは何もできない自分が情けなくて、大きく溜め息を吐くと、ドサリと倒れ込み枕に顔を埋めた。
◇◇◇
それからまた寝て起きると、寝室には思羅と鈴が戻ってきていた。
「思羅様! 鈴!」
ガバッと起き上がって名前を呼ぶと、思羅は人の姿にふわりと変わり、寝台に歩み寄る。
「もう具合いは良さそうね。良かった、毒が残らなくて」
「思羅様! 怪我は? 怪我はありませんか!?」
「わたくしは大丈夫。黒雷尾たちにも怪我はありません。兵士たちは多少手傷を負ったようだけど、死んだ者はいませんよ」
「良かった……」
思羅は優しく笑いながら答える。
「ずっと寝ていてお腹減ったでしょ? 藤真に朝餉を用意させてくるわ」
鈴はいつもの侍女の格好で明るい声でそう言うと、部屋を出て行く。
思羅が細い指でルカの乱れた髪を整えてくれる。近くなった美しい思羅の顔を見て、ルカは申し訳なさでいっぱいになった。
「思羅様、ごめんなさい。私のわがままで、危険な目に合わせてしまって……」
「あら、そんなこと気にしないで。ルカと行くと決めたのはわたくしなんだから」
思羅もまた嵐と同じように、ルカの失敗を怒るようなことはなかった。
いっそ叱られた方が楽なのだとルカはふと思った。怒られて謝って、それで許されればその出来事はとりあえず終わる。今までそうしてきたから、それ以外どうしたらいいのか分からないのだ。
「ルカ、この国で一番大切なことは、自分に責任を持つこと」
「自分に……責任を……」
「言動も行動も、人に指図されてするものではないの。しっかりと信念を持って行うことを、誰も咎めることはできないのよ」
「それが間違いでも?」
個人的なことならばそれでいい。でも今回自分がしてしまったことは、多数の者を巻き込んでしまった。それでも許されるというのだろうか。
「そうね。嵐や、ルカの場合は、巻き込む人数の桁が違うからね。そういう時に失敗してしまったら、臣下から“おしおき”されるのよ」
思羅は含むように楽しげに笑ってみせる。“おしおき”という言葉に、何か恐ろしいことをされるのかと考えたが、思羅の表情を見る限りそうではないらしい。
「どんなおしおきをされるの?」
「その時で色々よ。嵐はもう何度も失敗してるから、丞相とか将軍からおしおきばっかり受けてるわね」
「そ、そんなに?」
驚くルカに思羅はクスクスと笑う。
「今回のことは嵐と一緒におしおきを受ければいいわ。それで臣たちも納得する。それほど思い悩む必要はないわ」
「それで、いいのかな……」
「それよりこれからできることを考えましょう。やれることはまだあるはずよ」
思羅の言葉にルカはハッとした。
(そうよ……。ただ悔やんでいても仕方ないわ……)
「そう、そうよね。私にもまだできることがあるはずよね」
ルカはそう言うと、思羅は満足げに頷き、優しく頭を撫でてくれた。
◇◇◇
その日の夕方、ルカの元に一報が届いた。
森の中で瀕死の重体だったフランシス王太子が見つかり、水晶宮に保護されたというのだ。
ルカは居ても立っても居られなくなり、鈴と共に治療を受けている宮に向かった。
「ルカ様!」
「中に入れてもらえる!?」
「どうぞ。今、陛下も中におられます」
扉を守る兵士に声を掛けると、扉が開けられる。
急いで室内へ入ったルカは、そこにたくさんのエクールの兵士たちがいることに驚いた。
全員酷い傷を負っていて、晶国の医者が忙しく治療を施している。
「嵐」
「ルカ、来たのか」
一番奥の寝台のそばにいた嵐が振り返る。足早にそこに近付くと、寝台に横たわっているフランシスが見えた。
「殿下!!」
「ああ、やはりこの方が王太子なのか」
フランシスは身体中包帯を巻いている状態だった。エレノアに似た美しい顔も傷付いてしまったのか、血の滲む包帯に隠れてしまっている。
「酷い……、大丈夫なの?」
「重傷だが命に別状はないだろう。部下たちに必死に守られていたのだろうな……」
「他の人たちは……」
周囲を見渡しても意識がある人はいないように思える。絶望的な光景にルカは愕然とする。
「難しいが、魔法でどうにか命だけはと頑張っている。皆、紫奇猿の毒をかなり深く吸い込んでしまっているからな、なんとも言えない」
嵐が眉間に深く皺を寄せて答える。今まで見てきた中で一番深刻な表情で、ルカはそれ以上何かを言うことはできなかった。
「ルカ……シュバルツ……」
「殿下!?」
ふいに微かな声でフランシスが名前を呼んで、ルカは慌てて枕元に顔を寄せた。
包帯で覆われていない右目だけをゆっくりと開けたフランシスは、視線をさ迷わせる。
「殿下! ここです! 私はここにいます!」
ルカの声にやっとフランシスがこちらに視線を向ける。
「ま……魔物は……どこ……」
「ここは水晶宮です。もう大丈夫です。ここは安全です」
「部下……たち……は……」
「……大丈夫。皆で探しています。きっと見つかります」
ルカの言葉に、フランシスの目から涙が溢れる。
「私を守って……どんどん死んで……。ギルバートも……、アレンも……グレイグも……」
ルカはフランシスの呟きに息を飲んだ。
(ギルバート……)
森の奥に消えた、あれが最後の姿になってしまうなんて思ってもみなかった。
もう何も心にはないと思っていたけれど、フランシスの言葉を聞いて涙が溢れる。
「こんなことに……なるなんて……。やはり……戦争など……無謀だった……のだ……」
フランシスはとめどなく涙を流しながら呟くと、また目を閉じてそれきり眠ってしまったようだった。
ルカはそれを見て、ゆっくりと立ち上がり嵐を見た。
「嵐、私も治療の手伝いをしてもいい?」
「もちろんだ。でもルカも病み上がりなんだから、無理はしないでくれよ」
「分かった」
嵐の了承を得ると、ルカは涙を拭い今やれることをやろうと、心を奮い立たせた。




