第42話 エクールからの手紙
次の日の朝議は、ルカも最初から参加した。エクール王国とは違い、晶国では女性の政治への関わりは普通らしく、朝議に参加している者の三割程度は女性だった。
王妃の関わりも普通らしく、ルカの申し出はあっさり許可された。
「やはりエクールは魔晶石を使って結界を破ったようですね」
「これは陛下の失態ですな」
「まさかこうも簡単に結界を破る方法を見つけるとはな」
全丞相の嫌味に嵐が肩を竦める。
「エクールに魔晶石のことを教えたのは我等も同意の上だ。仕方あるまい。陛下の“おしおき”は後で考えるにして、とにかく結界を閉じなければ」
「雪将軍の意見に賛成です。まずは結界の穴を塞ぐのが先決かと」
甲冑姿の範・雪の意見に全が頷く。
「エクール軍はすでに結界内に入ったのか?」
「いや、まだだ。先鋒隊だろう三千程度はすでに森を進軍しているが、追従がまだいる。それらも順次結界を越えているがな」
「三千か……。多いな」
櫂の報告に嵐が腕を組んで低く呟く。ルカは嵐の隣に座り、会議を見つめるしかない。
「あちらに魔晶石の使い方が知られてしまった以上、途中で塞いだとしてもまた開けられてしまう可能性があります」
「そうだな。であれば、通過するのを待つしかないか」
「全部入れてから、ということですか? そこまで待てますか?」
「待ちたくはないが、致し方ないだろう。あの辺りで直接ぶつかることなどありえん」
嵐の言葉に誰もが頷く。ルカにはまったく意味が分からない。領土内に敵軍を全部入れてしまうまで待つなんてどうかしている。結界を閉じることで足止めになるなら、その方が良いに決まっていると思うが、晶国ではそれは最善策ではないらしい。
「紫奇猿はどうだ?」
「軍と共に移動している。これからどう出るかはまだ分からない」
「そうか」
櫂の返答に嵐は一度頷く。それから範に目を移す。
「秀から連絡は来たか?」
「はい。鋼と合流しましたが、やはりエクール軍には近付けないようですな」
「やはり無理か……」
範の返答に、ルカはどうしても意味が分からず黙っていられなくなり、おずおずと手を上げた。
「あの、嵐……」
「どうした?」
「あの、なぜ秀様はエクール軍に近付けないの?」
自分だけが話に付いていけないのが恥ずかしかったが、まったく意味が分からずに聞いているなら、ここにいる意味はない。
そう思って訊ねると、嵐はくったくなく返事をしてくれた。
「紫奇猿がそばにいるからだよ。もうたぶん紫奇猿はエクール軍を狙い始めている。その中に入ってしまえばこちらが危なくなる。それは避けなければならない」
「紫奇猿はそんなに恐ろしい魔物なの? 討伐することはできないの?」
「それは……。うん。狩ることはたぶんできるだろう。だけど俺たちはそれを良しとしない。干渉しないでいられるなら、それに越したことはない」
嵐の言葉は分かるようで分からなかった。これが“共存”ということなのだろうか。
狂暴で危険な魔物であっても、生かすことを優先するなんて、エクール王国では考えられない。
「行軍はたぶん青河で一旦停止する。そこまで紫奇猿が追い掛けてこないようであれば、そこで話し合いをしたいと思っている」
「そう……」
ルカは小さく頷くと、それきりまた黙った。もうかなり晶国に馴染んだつもりになっていたが、やはり数か月程度では、この国の考え方を深く理解するのは難しいようだ。
「櫂、他の魔物たちはどうだ?」
「紫奇猿が動いていることで、他の者たちの縄張りが大きく変わっている。まさか同じ獲物を狙う者は出ないだろうが、混乱すればどうなるかは分からん」
「混乱か……。手が出せなくなる前に収拾しなければならないか……」
「陛下、右軍はすぐに出られますが」
範の言葉に嵐は返事をせず唸るように息を吐くと、腕を組んで考え込む。
「……全、親書は送ってみたか?」
「魔法で飛ばしはしてみましたが、すぐの返答はありませんな」
「そうか……」
嵐はそこで黙り込んだ。室内に沈黙が落ちる。全員が嵐を見つめる中、少しすると腕を解いて前を見た。
「よし。範は選りすぐりの20名を鋼の屋敷に送り待機させておいてくれ。俺はもう一日待って返答がなければ、青河でエクールを待ち受ける」
「陛下がお出ましになることもないのでは?」
「長居できる場所でもないからな。俺が直接話した方が事が早い」
全は多少その指示に不服そうな顔をしたが、渋々頷く。
それで朝議は終わり、ルカは部屋に戻った。
(これは私のせいじゃないのかな……)
突然エクールが侵攻してくる理由が、自分以外に考えられない。
エレノアはエクール王国に帰る前に、いくらでも自分に怒りをぶつける機会はあったはずだ。それもせずただ静かに部屋にいたのは、言葉になんて言い表せないほどの怒りがあったからではないだろうか。
自意識過剰かもしれないけれど、そう思えてならないのだ。
「ルカ? 大丈夫?」
イスに座り一点を見つめたまま考え込んでいたルカに、鈴が優しく声を掛ける。
目の前に出されたお茶を見て、鈴の顔を見ると、ルカは顔を歪めた。
「私にできること、ないのかな……」
「ルカ、大丈夫よ。嵐に任せておけば、きっと良いようになるから」
「でも……」
「それより、ほら、クルルがお腹が空いてるみたい。水晶を食べさせてあげて?」
机の上のクルルが高い声を上げて鳴いている。その可愛い姿を見てルカは微かに笑みを浮かべた。
「そうね……」
ルカはガラスの美しい器の蓋を開けると、中から水晶を一つ取り出す。
それをクルルの嘴の先に持っていってあげると、クルルは嬉しげにパクリと水晶を食べパタパタと翼を羽ばたかせた。
◇◇◇
その日の夜――。
寝台に入ってからも眠れず、天蓋を見つめ自分はどうしたらいいのかと思い悩んでいると、コツンコツンと小さな音が聞こえてきた。
風の音かと思ったが、定期的に聞こえる音にルカは身体を起こした。天蓋の帳を開け、部屋を見渡してみても何か音を出すようなものはない。
クルルは枕元でよく眠っている。それを確認していると、またコツンと音がした。窓辺からだと気付いたルカは、靴を履くと窓に寄る。
外は真っ暗で何も見えない。恐る恐る窓を開けると、何かがヒュッと顔の横を通り過ぎた。
「なに!?」
鳥でも入り込んだのかと驚いたルカは、薄暗い部屋の中を見渡す。するとルカの周囲を白い鳥が飛び回った。
ひらひらと飛ぶ鳥はそうしてルカの目の前で止まると、淡い光を放って手紙へと変化した。
驚いたルカは、慌てて手を伸ばしその手紙を掴む。
「この紋章は……」
手紙の封に使われている蝋には、エクール王国の紋章がある。
それを見たルカの胸は、痛いくらいに早鐘を打ち出す。よろけるように歩き引き出しからナイフを取り出すと、震える手で封を切る。
そうして中の手紙を取り出した。
――ルカ・シュバルツへ。
そなたの行いは万死に値する。エレノア王女を侮辱したことは、エクール王国を侮辱したと同義であり、決して許されるものではない。
だが今回の侵攻に手を貸し協力するのならば、そなたと父親の罪を軽くしてやってもいい。
侵攻中の軍隊の指揮は王太子が取っている。王太子と合流し、晶国の軍の規模、城の弱点などを教え、我が軍に勝利をもたらせ。
署名にはエクール国王の名前が記されている。
ルカは短い文を読み終わると、その場に座り込んだ。
(やっぱり私のせいだ……)
涙が溢れてくる。エレノアの立場を考えず、わきまえなかった結果がこんな最悪な形になって返ってきた。
やはりエレノアを怒らせてはいけなかったのだ。晶国の皆に認められて嬉しくなって、本当は考えなくてはいけないことから目を背けていた。
(こんなに酷い迷惑を掛けてしまうなんて……)
異国の、身分も低い自分を王妃として受け入れようとしてくれている晶国の人たちを裏切ってしまった。
それが辛くて涙が止まらない。
「どうしたらいいの……」
エクール王国の味方になることは絶対にできない。晶国に罪はない。エレノアに対する罪は、自分一人が償えばいいことだ。
平和に暮らしている晶国に攻め込む理由なんてない。
「考えるのよ……」
どうしたらこの戦いを止めることができるのか、ルカは手紙を握り締めて朝まで考え続けた。
◇◇◇
窓の外が白み始めて、ルカは泣きはらした目をそのままにゆっくりと立ち上がる。
寝室の扉を開けると、隣の部屋にはすでに仕事を始めている藤真と菖真がいた。
「ルカ様! どうなさいました? こんな朝早くに」
「お顔が……。泣いていらしたのですか?」
「鈴と思羅様はどこ?」
驚く二人に目を合わせず、押し殺した声で訊ねる。
「お二人ならすでに庭におりますが……」
ルカはそのまま庭の扉を開ける。黒雷尾の姿でいた思羅と人の姿の鈴がこちらを向いた。
「おはよう、ルカ。今日はすごい早起きね」
「思羅様、お願いがあるの」
「ルカ?」
思羅の前に膝を突くと、まっすぐに思羅の目を見つめる。
「私をエクールの軍まで連れて行ってほしいの」
「え!?」
鈴は驚き声を上げるが、思羅は微動だにせずルカを見つめ返す。
「何をするつもり?」
「戦争を止めたいの」
「危険よ」
「どうしても行きたいの」
思羅しか頼れる人はいない。ルカはそう思い両手を握り締めて強く訴える。
「良い覚悟ね。分かった。行きましょう」
思羅は笑ってそう言うと、すっくと立ち上がった。




