第4話 自分の存在の意味とは
エレノアの部屋を出たルカは、急いで城の中にある自室に戻った。王族に気に入られた者だけが与えられる私室だが、ルカの部屋は一番質素で、廊下の煌びやかな様子とは違い、装飾も最小限の狭い部屋だ。
それでもこの部屋を与えられた時は嬉しかったものだ。私室を与えられれば、周囲から認められる存在になれるし、わざわざ城下町にある自宅に戻る必要もない。
ルカは力が抜けたようにソファに座り込むと、両手で顔を覆った。
(どうしたらいいの……)
あまりにもタイミングが悪かった。ギルバートとの婚約を知られれば、それなりに怒りを買うのは何となく分かっていた。だからずっとタイミングを見ていたのだ。それが最悪のタイミングを招いてしまうなんて思ってもみなかった。
エレノアは晶国に自分を連れて行く理由をいかにも正当だと言わんばかりに訴えていたけれど、あれは絶対に単なる意地悪だ。自分のお気に入りを奪った相手を許すような人ではない。だから自分を連れて行くと言ったのだ。
「ギルバート……」
言葉も通じない見知らぬ土地で、一生エレノアの世話をして暮らすなんて考えたくもない。
(やっと幸せになれると思っていたのに……)
このままではエレノアの言うがまま、自分は晶国に連れて行かれてしまう。
どうにかしなければと考えていると、部屋にノックの音が響いた。
「ルカ、いるかい?」
「ギルバート!?」
今一番会いたい人が来てくれて嬉しさに扉に走り寄る。顔を見せたギルバートにルカは抱きついた。
「会いたかった、ギルバート!」
「ルカ……」
「あなたの力が必要なの! 一緒に考えてちょうだい!」
「話は聞いたよ」
ギルバートの胸から顔を上げたルカは、ギルバートが悲しげな目をしているのに気付いた。
ゆっくりと腕を離し、向き合う。嫌な予感がする。
「晶国に行くんだってね」
「そう、そうなの。エレノア様が連れて行くと突然言って……。お願い。あなたからもエレノア様に頼んで。私、晶国なんて行きたくない!」
「ルカ……」
妙な表情でこちらを見つめるギルバートにルカは必至で訴える。
「エレノア様は私とあなたが結婚するのが気に入らないだけよ! ただそれだけで私を連れて行くなんて言っているのよ! お願い! 私を助けて!」
「無茶言わないでくれ」
「ギルバート……?」
ルカが手を差し出すと、ギルバートは一歩後ろに下がってしまう。二人の開いた距離が、物理的な心の距離のようで、ルカは愕然とした。
「姫様がそう言うなら、従うしかないよ」
「で、でも、あなたとの結婚が……」
「……諦めよう。僕に覆すことなんてできない」
「そんな……」
ギルバートなら助けてくれると思っていた。父親から勧められた結婚話だったけれど、一緒に過ごす内に心を通わせられたと思っていた。
ギルバートに何かあれば、自分はどんなことをしても助ける。そしてギルバートもそう思っていると信じていた。
「諦めるってなによ……、もう二度と会えないかもしれないのよ!?」
「ルカ……、これはエクール王国のためでもあるんだ。辛抱してくれ」
「信じられない……」
今まで我慢していた涙が溢れた。自分を悲観して泣いていてもしょうがないとどうにか我慢していたのに、なんの意味もなかった。
ボロボロと頬を流れる涙を拭うこともせず、ギルバートを強く見つめる。
「あなたしか頼れないのに……。こんなのってないわ……」
「すまない、ルカ……。僕には無理だ……」
それだけを言い残してギルバートは静かに部屋を出て行った。ルカは膝から崩れ落ちるようにその場にしゃがみ込むと、両手で顔を覆う。
それから日が暮れるまで泣き続けた。やっと涙が引いたのは部屋が暗くなった頃で、ぼんやりとした頭で立ち上がると、緩慢な手でランプに火を点けた。
「ルカ!」
突然バタンと激しい音と共に扉が開くと、父親が飛び込んできた。
「お父様……」
「国王陛下から話を聞いたぞ!」
満面の笑みで近付くと、無遠慮にルカの背中を叩く。ルカは父親の様子に薄々結果がどうなるか分かっていながらも、一縷の望みに縋った。
「お父様、私、晶国になんて行きたくない」
「何を言ってるんだ! 陛下直々に私に頼みに来たんだぞ。姫様からのご指名だそうじゃないか。光栄なことだ」
「お父様! 私がギルバートと婚約していることをお忘れですか!?」
「何を言ってるんだ! 陛下はお前が晶国に行く報酬として、なんと伯爵位を私に授けて下さるとまで言って下さっているんだぞ!」
目をらんらんとさせ言った父親の言葉に、ルカはただ失望した。昔からそうだった。貧乏で能力もそれほどない父親は子どもを使って出世しようと躍起だった。
早くに母親を亡くしたから、父親の役に立とうと幼い頃は必至だった。けれど大人になるにつれてそれが卑しい出世欲だと理解した。それでもそれに抗う事はできず、結局結婚相手も父親が決めた。
伯爵家との繋がりが欲しかった父親の下心は分かっていたけれど、ギルバートと幸せな家庭を築けばそれでいいと目を瞑っていた。
「伯爵位を……、私と引き換えに……」
「ギルバートのことなど忘れろ。いいか? 誠心誠意心を込めて姫様のお世話をするんだぞ。決して機嫌を損ねるんじゃない。晶国に嫁いだ後だとて、知らせは届くだろうからな。お前がへまをすれば、私にどんな罰が下されるかわからん」
「お父様……」
もはや何を言っても父親の心は変わらないだろう。最初から分かっていたことだが、父親が自分を惜しんでくれるなどあるはずがなかったのだ。
「これは国の大事だ。それに関わることができるなどそうそうないだろう。運が向いてきたな」
もはや何も言葉は出てこず、醜い笑みを浮かべる父親から目を逸らした。
「姫様とはずっと一緒にいて機嫌を取っていたんだ。これからも同じようにすればいい。それだけのこと。簡単なことだ」
(お父様は私の顔など見ていない……)
泣きはらした目も赤い顔も、何も見ていない。今父親の目の前にあるのは出世のための道具なのだろう。
「陛下にはすでに了承を伝えてあるからな、お前は黙って姫様の言う通りにしているのだぞ」
父親はそう言い付けると、足取りも軽く部屋を出て行った。
ルカは失意と疲労感に耐えかねて、またもその場に膝を突いた。