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第35話 穏やかな朝

「おはようございます、ルカ様」


 帳の向こうで藤真(とうま)の声がして、ルカは目を開けた。

 昨日の騒動で思った以上に疲れていたのか、ぐっすりと眠ってしまったようだ。これまで夜明けと共に勝手に目が覚めていたので、寝台の中の明るさに驚いて飛び起きる。


「藤真、私寝坊した?」

「いいえ。時間通りでございます」


 帳を開けた藤真は、にこりと笑い掛ける。他の侍女が水の入ったたらいを持ってくるので、顔を洗う。

 今まで自分がその立場であったので、少し恐縮してしまうが、これがこれからずっと続くのだから、慣れていかなくてはと自然に振る舞うことにした。


「ルカ、おはよう」


 藤真に着付けをしてもらっているところに、(りん)が入ってきた。足元には思羅が黒雷尾の姿でトタトタと並んで歩いてくる。


「おはよう、鈴。おはようございます、思羅様」

「朝餉はルカの好きな梅粥よ」

「わぁ、楽しみ」


 何気ない会話を交わしながら髪も整えてもらうと、鏡の前に立った。

 昨日よりは落ち着いた雰囲気の服だが、髪飾りの宝石も、帯に下げている守護石も大きく美しいもので、自分にはもったいない代物だ。


「よくお似合いです」

「そうかな……」

「さ、身支度は整いましたし、朝餉に致しましょう」


 終始穏やかな空気の中で朝食を食べ始めると、しばらくして嵐が櫂を連れてやってきた。


「おはよう、ルカ」

「おはよう、嵐。おはようございます、櫂様」

「ああ、おはよう」


 櫂は短くそう答えると、思羅の隣に並んで座る。その様子にルカは目を細める。

 二人とも大きな身体だが、大人しく並んで座っている姿は、やはり可愛く感じる。


「なんだ、思羅はこっちにいたのか」

「王妃の守護はわたくしの役目ですもの」


 思羅の答えに嵐は「そうか」と納得するだけだったが、ルカは『王妃』という言葉になんだか気恥ずかしくなってしまった。


「ルカ?」

「あ、いえ、なんでもないわ。……そうだ。ねぇ、嵐、この子って何を食べさせたらいいか分かる? あれからずっと眠っているみたいなんだけど、大丈夫かしら」


 机の上の編み籠の中で、まだ眠っている雛鳥に目を向ける。

 嵐はルカの隣に座ると、ごそごそと襟から包みを取り出した。


「そう言うと思って持ってきた」


 包みを開けると、中には水晶の欠片がたくさん入っている。


「え? これ?」

「瑞鳥の生態についてはよく分かっていないけど、水晶を食べてたって文献にあって持ってきてみた」

「水晶を食べるの?」


 まさかと驚いて水晶に手を伸ばす。その時、瑞鳥がクルルと鳴きだした。


「あ、ほら。食べたいんじゃないか?」


 いつの間に起きたのか、雛鳥は頭をもたげてしきりに鳴いている。

 ルカは半信半疑に思いながらも、指先で小さな水晶を摘み上げると、雛鳥の嘴へと近付ける。すると、雛鳥は大きな口を開けて水晶をパクリと食べた。


「まぁ!」

「ああ、良かった。それにしても本当に綺麗な鳥だなぁ。名前は付けたのか?」

「昨日考えたんだけど、久瑠々ってどうかなって」


 鳴き声がクルルと聞こえるし、濃い青の瞳が宝石のようで考えたのだが、少し短絡的だったかなと言ってから後悔する。


「くるるか。てんてんといい、なかなか良い名前を付けるな、ルカは」

「ホント?」

「うん。響きも可愛いし、いいんじゃないか?」


 嵐の言葉に嬉しくなったルカは、笑顔で水晶を食べるクルルを見た。

 嵐と二人で朝食を食べ始めると、その穏やかな時間に嬉しさが滲む。こんな時間が持てたことがとても嬉しいが、その反面エレノアのことを考えると、素直に喜べない自分がいる。


「ねぇ、嵐。エレノア様はどうしてる?」

「部屋に閉じこもってるよ。落ち込んでいるのか、食事もあまり食べてないようだ」

「そう……」


 不可抗力とはいえ、エレノアの欲していた王妃の座を、ルカが奪ったことにかわりはない。

 あれだけ怒り狂っていたのだ、今もルカを許せずにいるに違いない。


「それで、王女の処遇なんだけど、国に帰そうと思う」

「え!?」


 思ってもみなかった発言にルカは驚き声を上げる。

 嵐はお茶を飲みながら淡々と続ける。


「人質という点で言えばルカが一人いればいい訳だし、その人質っていう盟約をやっぱり俺はやめたいんだ」

「でも反対されたんじゃ」

「あの時は撤廃することに反対されたんだ。だから代替案を出そうと思う」


 嵐の言葉にルカは考え込んだ。人質がなくなるのは良いことだと思う。けれどエレノアの処遇に関してはそう簡単ではないようにルカは感じた。


「……エレノア様も、エクール国王も怒らないかしら」

「何が?」

「エレノア様を帰国させること」

「なぜだ? 大事な娘が帰ってくるんだ。良い話じゃないか」


 まったく意味が分からないという風な嵐に、ルカは少し考えてから口を開いた。


「エレノア様が王妃になるって皆思っているのよ。それが帰ってきちゃったら、出戻りって思われちゃうかも」

「実際婚姻した訳じゃないし、王妃とすることは確約した訳じゃない。説明すれば問題ないだろ?」

「そうだけど……、エレノア様のプライドが許さないっていうか……」


 あれだけ大手を振って国を出たのに、あっという間に帰ることになるなんて、エレノアは屈辱に思うんじゃないだろうか。

 真実がどうであれ、おかしな噂が立つのは分かり切っている。それをエレノアが考えない訳がない。


「でもこのまま晶国にいさせる意味もないし、そっちの方が可哀想だろ?」

「それはまぁ、そうだけど……」

「王女は俺が送り届けるよ。そこでしっかり説明するつもりだ。それから盟約の件を五大国と相談しようと思う」

「それってすべての国王とってこと?」

「うん。で、折角だからルカも一緒に連れて行きたいんだ」

「ええ!?」


 政治的な話に自分は関わりないと思っていたルカは、驚いて声を上げる。


「いや、ルカの家族にも挨拶したいし、里帰りもしたいだろ?」

「う、うーん……」


 嵐の申し出にルカはなんと答えていいか分からず、眉間に皺を作ると返事ともつかない声を出した。


(家族に挨拶……。お父様は飛び上がって喜ぶかしら……。それともエレノア様のことで激怒するかしら……)


 権力にからきし弱い父親だが、それが他国の王だとして、効力があるのか検討もつかない。

 穏便にはまったく終わらなそうな予感しかしない。


「色々と調整に1、2ヶ月ほどはかかると思うけど、決まったら教えるから」


 嵐はそう言うと、「仕事の時間だ」と言って、櫂を連れて部屋を出て行った。

 扉の外に出て嵐を見送ったルカは大きな溜め息を吐く。


「故郷に戻るの、気が重い?」


 隣に立つ鈴にそう言われ、ルカは素直に頷く。


「私が帰って喜ぶような父じゃないわ……」

「嵐が付いてれば、きっと大丈夫よ」


 鈴の慰めるような言葉に、ルカはただ美しい庭を見つめ続けた。

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