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第24話 私と嵐の気持ち

 エレノアに秀との結婚を命令された次の日、どうにもすることもできずルカはいつもの仕事を鬱々とした気持ちのままこなしていた。

 夕方になり、黒雷尾の世話にも身は入らず、箒を持つ手も緩慢に動かすだけだ。


(エレノア様はたぶん秀様の家に後ろ盾になってもらいたいのよね……)


 ルカの幸せを思っているなんて言っていたけれど、そんなものは嘘に決まっている。エレノアの今一番欲しいものはエクールで持っていたような強い権力だ。

 そのための繋がりを自分の婚姻で作ろうとしているのだ。


(酷い話……)


 結局自分はまたエレノアに自分の人生を決められてしまう。ギルバートとの婚姻を破棄され、晶国に連れてこられ、今また一度しか会ったことのない人と結婚させられようとしている。


(どうしたらいいの……)


 自然に手が止まってしまうと、ルカは床を見つめたまま立ち尽くす。

 どうして自分の人生が自分で決められないのだろうか。常に誰かに指示され、決定権は自分にはない。それでもどうにか今までは自分を誤魔化し、納得させてきた。

 けれど今回は、今回だけは従いたくない。


「嵐……」


 目を閉じると、嵐の笑顔が浮かんでくる。いつも溌剌とした笑顔を向けてくれる。背が高くて目を見ようとすると見上げるようになるけれど、とても近く感じる紫の瞳。

 優しく温かい手に、今までどれだけ助けられただろう。

 悲しくなってきてしまい、ルカはその場に座り込むと、組んだ腕に顔を埋めた。

 泣いたって仕方ないのに、勝手に涙が溢れてくる。


(エレノア様には逆らえない……。私にはどうにもできない……)


 いくら考えたってエレノアに抵抗することなどできないのだ。逃げ出すこともできず、頼れる人もいない。

 もし秀が断ってきたとしても、きっとエレノアは新たな人を探し、自分と結婚させるだろう。

 どうにか手だてを考えなくてはいけないのに、悲観する気持ちが大き過ぎて、何も思い浮かばない。

 そうして俯いたままでいると、ふいに近くにふわふわの温もりを感じた。

 ゆっくりと顔を上げてみると、そこにはいつも遠巻きにしている黒雷尾たちがルカを取り囲むように座っている。そうして一匹はルカの顔を窺うように顔を覗き込んできていた。


「こんな近くに……、みんな、心配してくれているの?」


 黒雷尾たちが労わってくれているように感じて、ふわふわの毛の温かさが余計に涙を誘う。

 ルカは両腕を広げると、みんなを抱きしめて顔を埋める。

 ずっとお世話をしてきて、ここまで触れさせてくれることはなかった。その夢が叶って嬉しいのに、笑うことができない。


「ルカ? どうしたんだ?」


 見知った声にハッとして顔を上げると、嵐が駆け寄る。

 ルカは慌てて涙を拭うと、立ち上がった。


「泣いてたのか?」

「ううん、違うわ」


 ルカは首を振って否定するが、嵐はそばにきてそっと頬に触れた。


「また王女にいじめられたのか?」


心配そうに見つめる嵐に、どう言ったらいいか困っていると、足元にてんてんがすり寄ってきた。


「てんてん。お散歩してたの?」

「ルカ」

「大丈夫。ホントに何でもないの」


 てんてんを抱き上げて微笑む。他の黒雷尾たちも寄ってくるので、順番に頭を撫でていると、嵐は小さく溜め息を吐いてそれ以上追及してこなかった。


「皆と随分仲良くなったな」

「やっとね。てんてんも大きくなったら、こんなに大きくなるのかしら」


 抱っこするてんてんはまだまだ腕の中にすっぽりと収まる大きさで可愛いが、いつかは目の前にいる子たちのように凛々しく成長するのだろうか。

 キャンキャンと高い声で鳴くてんてんに笑みを向けると、嵐がその小さな頭を撫でた。


「こいつは父親に似てるから、きっと大きくなるよ」

「そうなんだ」

「ルカ、口開けて」

「え?」

「いいから」


 唐突に言われて戸惑いながらもルカが口をおずおずと開けると、嵐が何かをポイっと放り込んだ。

 すぐに甘い味が広がってルカは目を見開く。


「甘い……。飴?」

「うん。蜂の蜜を固めただけのやつ。疲れてる時はこれが一番いいんだ」

「ありがとう。とっても美味しい……」


 嵐の優しさと口の中に溶ける甘さに、今までの重苦しい気持ちが柔らかく包まれていく気がする。


「あ、だめよ。てんてん、卵が割れちゃう」


 胸の辺りを前足でいじられて、ルカは慌てててんてんを胸から離した。そのまま床に降ろすと、懐からそっと卵を取り出す。

 包んでいた布をそっと開き、卵にひびなどがないか確認する。


「あー、良かった。大丈夫だわ」

「あれ、その卵、王女が預かったっていう卵じゃないのか?」

「うん、そう」

「なんだ、またルカに丸投げしたのか」

「少しはエレノア様も温めていたりしたんだけどね」

「しょうがないなぁ。何もかもルカにやらせてるじゃないか」


 呆れた声で言う嵐に、ルカは肩を竦めてみせる。


「エクールでは結構普通のことよ。身分の高い貴族、ましてや王女様なら何もせずに暮らすのが普通だもの」

「ええ? じゃあ仕事は? 王女ならそれなりに責任ある仕事に就くだろ?」


 嵐の驚きに、ルカもまた驚く。


「王女様に仕事なんてないわ。あるとしたら国のために良い殿方と婚姻することかな。そのために教養を磨いたりはするけど」

「なんだ。暇な人生だな」


 嵐の言い方に、確かにこの説明ではそう感じるだろうと思えた。そうして晶国ではそれは普通ではないのだと知る。


「この国は女性でも、皇后様や王女様にも仕事があるのね?」

「もちろん。15歳になれば学業も一段落するから、それ以降は何かしらの仕事をするな。王族なんて特にやることがいっぱいだからな。皆それぞれ忙しくしている」

「へぇ……」


 ルカは女性に結婚以外にも目標ややりがいがある国の在り方に感心する。エクール王国もそうであれば、こんなにも息苦しい人生にはならなかったと思う。


「その卵、ずっと懐に入れてるのか?」

「うん。温めないと孵化しないでしょ? 結構固い卵だから潰れないだろうし。こうしてると、母鳥の気分よ」


 うふふと笑ってまた卵を懐に戻す。その様子に嵐が目を細めた。


「ルカはえらいな」

「えらくなんてないわ」

「いや、本当にえらいよ。よく頑張ってる」

「そうかな……」


 真剣な顔で見つめられてそう言う嵐に、ルカは照れて下を向いてしまう。嵐だけでも自分の頑張りを認めてくれると嬉しい。皇帝から言葉を貰った時よりもずっと嬉しく感じる。

 それはきっと嵐が自分にとって特別になってしまったからだろう。


(私、嵐が好きなんだわ……)


 人生の中で初めて人を好きになった気がする。今なら分かる。ギルバートとは婚約者だから好きになったのだ。父に紹介されて、夫になる人を好きにならなければと自分に言い聞かせていた。それはきっと純粋な気持ちではない。

 けれど今、嵐のそばにいて、気持ちが溢れてくるのが分かる。嵐のそばにいたい。もっと色々なことが知りたい。たくさんおしゃべりをして、自分のことももっと知ってほしい。


(秀様と結婚なんて無理よ……)


 嵐への気持ちを自覚すると同時に、秀との婚姻に絶望を感じた。気持ちを押し殺してこのままエレノアの命令通り、秀と結婚しなければいけないのだろうか。


「嵐、私……」


 秀とのことを打ち明けようとした瞬間、なぜか嵐に抱き締められた。


「ら、嵐!?」

「ごめん、ちょっと」

「ちょ、ちょっと?」


 胸がドキドキして身体が硬直する。嵐の顔を見たいけれど、恥ずかしくて顔を上げることができない。


(ちょっとってどういうこと!?)


 嵐の言葉の意味が分からず、頭はぐるぐると意味のない言葉が巡る。

 なぜか何か言わなくてはと焦っていると、ふいに額にキスされた。

 あまりの驚きに反射的に上を向く。


「え? え?」

「そんなに驚かないでくれよ」


 頬をうっすら赤くした嵐が口を尖らせてそう言い、もう一度ギュッと抱き締めてくる。


「ルカ、好きだ」


 嵐が呟くように囁くと、ルカの目に涙が溢れた。

 嵐の言葉が嬉しいのに悲しい。涙が溢れて止まらない。

 突然泣き出したルカに気付いた嵐が驚いて腕を解いた。


「ご、ごめん。泣くほど嫌だったか?」

「違う! 違うの!」


 申し訳なさそうな声を出す嵐に、ルカは慌てて首を振る。


「嬉しい……。嵐が私を好きって言ってくれてとっても嬉しい……」

「じゃあなんで?」

「私……、秀様と結婚しなくちゃいけないかもしれないの」

「はぁ? 秀と? なんで?」


 こうなったらもうすべて話すしかないとルカはこれまでの経緯を嵐に話した。

 眉間に皺を寄せたまま静かに話を聞いていた嵐は、聞き終わると怒りを露わにした。


「本人の意思を無視して婚姻だなんて、そんな馬鹿な話があるか」

「エレノア様の命令は絶対よ。本気で私を秀様と結婚させようとしている。もし秀様が頷いてしまえば、私は……」


 ぐすぐすと鼻をすすって話すルカを、嵐が肩を撫でて慰めてくれる。


「泣くな、ルカ。心配いらない。俺がどうにかするから」

「でも、私たちの立場じゃどうにもできないわ……」

「秀と俺は幼馴染だって言っただろ? どうにか話してみるよ」

「本当?」

「本当だ。だからもう泣き止んでくれ」


 頬の涙を袖で拭ってくれる嵐に、ルカは微かに微笑む。目が合うと、嵐も笑い、ルカの頬にキスをした。


「うん。ルカはやっぱり笑顔が一番だ。少しだけ辛抱してくれ。きっと良いようになるから」


 嵐の穏やかだがはっきりとした言葉に、ルカは頷く。嵐なら信じられると思えた。


「分かった。嵐に任せる」

「よし。任された」


 少しおどけたように胸を叩く嵐にルカは笑うと、嵐はもう一度ルカを抱きしめ、それからその場をあとにした。

 残されたルカは、まだ少しドキドキしている胸に手を当てる。

 ふと視線を感じて下を向くと、なんだか心配げにこちらを見ている黒雷尾と目が合う。


「嵐を信じて待ちましょう」


 ルカは自分に言い聞かせるようにそう言うと、すり寄ってくる黒雷尾の頭を撫でた。

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