第22話 結婚話
思羅皇后から卵を託されたエレノアは、最初はやる気に満ちて卵を持ち歩いていたりしたが、3日もするともう飽きてしまったのか、結局またルカにその世話を押し付けてきた。
「いい? ずっと肌身離さず持っているのよ。鳥の卵ってずっと温めておかないと孵化しないの。私の飼っていた南国の鳥もそうだったわ」
ルカはそう言われて卵を手渡されると、潰さないように布で包んで仕方なく懐にしまう。
仕事をする上で邪魔なことこの上ないが、歯向かうことはできない。
「割ったりしたらどうなるか分かってるでしょうね?」
「はい……」
怒られるどころの話じゃない。これでエレノアの進退が決まるというなら、ルカだってやぶさかではない。
エレノアの地位が安定すること、それがルカのこれからの人生にも関わってくるのだから、努力を惜しむつもりは無い。
(私もすっかり使用人としての考えが染みついてきたわね……)
どんなにエレノアが我がままを言っても、絶対に従っていたエクールの使用人たち。あまりにも酷い仕打ちに、見ていられない時もあった。それでも従う使用人の姿を不思議に思っていたが、自分がこの立場になって痛いほど理解した。
使用人は主の出世が一番大事なのだ。主が落ちぶれれば自分も職を失う。それだけならまだいいが、共倒れで破滅してしまうことだってあるのだ。
主がどれほど人格的に尊敬できなくても、主の出世は使用人にとって絶対的に必要なことなのだ。
ルカはそれを痛感し、とにかく今は晶国でのエレノアの立場を確立しなくてはと、ぐっと我慢するしかない。
「それにしてもいつになったら陛下はわたくしを呼んでくれるのかしら」
溜め息を吐いてエレノアが呟く。
確かにもうここに来て1ヶ月以上が過ぎた。その間、放っておかれていると言ってもいい。時たま皇帝や皇貴妃には会ったが、大臣のような国の要人が挨拶に来るでもなく、パーティーに呼ばれるでもない。
今エレノアはどんな状況なのか、立場なのかがまったく明瞭としない。
もっとしっかり調べる必要がある。そのためにはどうしたらいいのかとルカは仕事をしながら考えた。
その日の夜、露台に出ていたエレノアのところに、以前会った秀が現れた。
「秀様」
「やぁ、お嬢さん。また会ったね」
「誰?」
ルカと秀が話しているのをいぶかしく見ているエレノアが不機嫌な声を上げる。
秀はエレノアに目を向けると、優雅に腰を折って挨拶をした。
「エレノア王女には初めてお目に掛かります。右軍将軍、範・雪が息子、秀・雪と申します。以後お見知りおきを」
「あら、将軍の息子にしては雅やかな方ね」
「父とは少々性格が異なりますゆえ。私はまぁ、文官と申しますか、争い事とは無縁でして」
機嫌の良さそうなエレノアの態度に、そういえばエレノアはこういう派手なタイプが好みだったなとルカは思い出す。
「ご謙遜かしら。ここにいるということは、それなりに地位のある方なのでしょう?」
「まぁ、そうですね。そこそこ発言権はありますかね。陛下のお気に入りですし」
「へぇ……」
人当たりの良い笑顔で答える秀は、ルカに視線を向けるとにこりと笑って見せる。
その様子を見たエレノアが、一瞬目を細める。
「ルカと、知り合いなのかしら」
「ええ。少し前に会いました。この国にはあまりいないタイプの女の子なので、とても気になりますね」
「あら、そうなの」
エレノアは少し驚いたそぶりを見せると、ちらりとルカを見た。
ルカはその目に嫌な予感を覚える。
「ルカ。わたくし、あなたを故郷からこんな遠くに連れてきてしまって、苦労させていると心を痛めていたの。わたくしは妃としてずっとここで暮らしていけるけど、あなたは貴族の娘なのにずっと働き通しでしょう?」
「はぁ……」
突然エレノアは何を言い出しているのだろうかと、ルカは生返事をする。
「侍女としてずっと働かせるなんてあまりにも忍びないわ。それならこちらの国の良い殿方と結婚して幸せになったらどうかしら?」
「は?」
「例えば秀殿とか」
「は!?」
あまりの言葉にルカは声を上げた。にこやかなエレノアの顔を見つめて、それから救いを求めるように楽しそうな笑顔を崩さない秀に目を合わせる。
「突然ですね、王女様」
「良い思い付きでしょう? 秀殿はまだ結婚はされていないのではなくて?」
「なかなかの慧眼ですね」
肩を竦めて肯定する秀に、エレノアは久しぶりに余裕のある表情で頷く。
「ルカは年上だけど妹のように可愛がっているの。そんな子が使用人のままなんてかわいそう。それなら秀殿のような立派な方に嫁いでくれればこんな幸せなことはないわ」
「ま、待って下さい! 私、結婚なんて」
「照れなくてもいいのよ、ルカ。こんな雅な方と突然結婚の話なんて驚くだろうけど、素敵な話だと思わない?」
エレノアは優しげに話し掛けてくるが、有無を言わせぬ雰囲気で、いつものようにルカの言葉など聞く耳持たない様子だ。
本当に突然何を言い出すんだとルカは一人焦っていたが、話を振られた秀はまったく驚いた様子もなくじっとルカを見つめた。
「ルカは貴族の娘なのですか?」
「そうなの。生まれは男爵の娘よ。エクールではわたくしのお友達だったけど、とても気立てが良くて優秀な子だから、わたくしと一緒に晶国に来てもらったの」
「なるほど……」
「だから秀殿の相手としても申し分ないのでは? ルカと婚姻すれば秀殿の家はエクールと強い絆ができるし、良いこと尽くめですわよ」
「エクール王家との繋がりが持てるのは、とても魅力的ですね」
二人がどんどん話を進めてしまいそうな様子に焦り、ルカは秀に訴えた。
「秀様! こ、こんな話、突然されても困りますよね?」
「ルカ、口を出さないで」
「で、でも、結婚なんて、秀様だって、好みもあるでしょうし……」
なんと言えばこの話を止められるのだと秀を見ると、意味ありげに笑みを向けられルカは困惑する。
「ほら、秀殿は乗り気なようよ」
「そ、そんな……」
エレノアの思い付きなんて秀が否定してくれればそれで終わりなのに、秀は否定してくれそうにない。
ルカは動揺してこれ以上どうしていいか分からなくなってしまう。
「ルカはあまり私との結婚を望んでいるようには見えないね」
「あら、そんなことはないわ。エクールの女性は慎み深いの。だからルカの態度は気にしないで」
「エレノア様……、私……」
「ルカ、もしかして君、他に好きな人がいるのかい?」
ふいに秀が聞いてきて、パッと頭の中に嵐の姿が浮かんだ。その瞬間ルカの顔が真っ赤に染まる。
「まさか陛下なの!?」
「ち、違います!!」
まだ勘違いしているエレノアがすかさず言ってきて、ルカは慌てて首を大きく振って否定する。
「使用人が妃になれるわけないでしょ!? もうそんな夢みたいな考えは捨てなさい!」
「だから違います!!」
「まぁまぁ、王女様。そう急に話を進めるものではありませんよ」
「お嫌なの?」
「そうではありませんが、私は当主ではないのでね。婚姻の話などは家に持って帰って父に相談しなくては」
「まぁそうね」
至極真っ当なことを言う秀に、エレノアはつまらなそうに頷く。
「良い話ではあるのでね、前向きに検討しますよ」
「そうして下さると嬉しいわ」
それでやっと話は終わった。秀が去って静かになると、ルカはなんでこんな話になってしまったんだと溜め息を吐く。
「秀殿が前向きに考えてくれているようで良かったわ」
「エレノア様……」
「あなたは黙って従いなさい」
「でも……」
「わたくしは主なのよ? 主の命令を聞くのが使用人の仕事でしょ?」
「そんな……」
「この話はもうおしまい。あとは全部わたくしが進めておくから口出ししないで」
エレノアはそうぴしゃりと言うと、部屋に入ってしまう。
取り残されたルカは、こんなにも理不尽な命令に抗うことができない自分に落ち込み、肩を落とすとその場に立ち尽くした。




