第19話 エレノアの誤算
「あ、あの……、エレノア様」
おどおどとした様子で何かを言おうとしたルカに、エレノアは間髪を入れずに手を振り上げた。
かなり力を入れて振りぬくと、パンッと鋭い音が部屋に響く。そばにいた鈴がビクリと肩を竦める。
「……ッ……、エレノア様……、誤解です……」
弁解しようとするルカに、手の甲で反対の頬も打つ。両頬を打たれたルカは、痛みに顔を歪めた。
「でしゃばるなと言ったはずよ!!」
「誤解です……」
「赤棘の実のことも自分が取ったと告げ口したわね!?」
「ち、違います……。私は陛下に何も言っていません……」
弱々しく言うルカをエレノアは憎々しげに睨み付ける。
まさかこれほど厚かましいとは思わなかった。元々貴族だけあって、使用人としての振る舞いがなっていなかったが、厳しく躾ければどうにか自分の立場を理解すると思っていた。
けれどルカはそんな従順な性格ではないのだとやっと分かった。
「まさかあなた、妃になるつもりじゃないでしょうね!?」
「まさか!!」
「ギルバートと同じように、わたくしから陛下を奪うつもりでしょう!?」
「そんな!! 信じて下さい!! 私、妃になんてなるつもりありません!!」
ルカは膝を突いて全力で否定するが、その姿はまったく信じられない。哀れな様子を装って許してくれるのを待っている、そんな風にしか見えない。
(なんて狡猾で、醜い娘なのかしら……)
こんな娘をなぜ自分はここに連れてきてしまったのだろうか。もっと優秀な、自分に完全に服従している者はいくらでもいたはずなのに。
苛立ちが募り、エレノアはもう一度手を振り上げた。
その時、ノックもなく扉が開くと、嵐が顔を出した。
「あーっと、なんか立て込んでるようで」
「嵐! ノックもせず部屋に入ってこないで!」
「すいませんね。えーと、ルカに用があるんですが、連れて行っても?」
「……さっさと連れて行って。目障りだからしばらくわたくしの前には顔を出さないで。見苦しい」
嵐がルカの腕を取り立ち上がらせる。よろよろと部屋を出て行くルカをちらりと見たエレノアは、大きく溜め息を吐いた。
「鈴!」
「は、はい!」
「お茶を入れてきなさい」
「はい、分かりました」
そそくさと鈴が出て行くと、静まり返った部屋でエレノアはどさりと椅子に腰を落とす。
「最悪だわ……」
自分が知らない間に、いつの間にかルカと皇帝が親しくなっていたなんて信じられない。
ルカがどんなに妃の座を狙っていたとしても、あんな地味な娘を皇帝が気に入るとは思っていなかった。それなのに皇帝の態度は明らかにルカに好意があるように見えた。
(まさかわたくしのことをあることないこと陛下に言っていないでしょうね……)
卑しい者はいつだって簡単に嘘を吐く。主を陥れることも何とも思わない。
「早く陛下に会わなければ……」
きっとルカは仕事をしてうろうろしている時に皇帝に偶然会ったはず。自分から会える立場ではないし、目通りなど許されるはずはないだろうから。
それならたぶんルカと自分は、単に会っている回数が違うだけだ。自分がもっと皇帝と頻繁に会うようになれば、どう考えても自分が選ばれるだろう。
ルカと自分では比べようがないほど差があるのだから。
「浮かれた気分でいられるのも今の内だけよ……」
エレノアはそう小さく呟くと、強く手を握り締めた。




