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第17話 侍女の仕事

 赤棘(せきし)の実は指で摘むと、ピリッと痛みが走る。耐えられない痛みではないが、何度も摘んでいる内に、痛みが手首の方まで響いてくるような気がしてくる。

 それでもどうにか痛みに耐えながらハンカチいっぱいになるまで実を摘むと、エレノアは満足げに頷いた。


「そのくらいでいいわ。さ、戻りましょ」

「はい……」


 ルカはもはや肘まで走る痛みに返事をするのも億劫で、弱くそれだけ言うとさっさと歩くエレノアの後を追った。

 玲貴妃の部屋に戻ると、二人が笑顔で出迎えてくれる。


「あら、本当に摘んできたのね」

「大変だったでしょう?」

「皆痛がって摘みたがらないのに。えらいわ」


 二人はエレノアを労わるように声を掛ける。エレノアはさも自分が摘んできたかのように頷き、持っていた赤棘の実をテーブルの上に置いた。

 ルカはさすがにエレノアの態度に腹が立ったが、ここで自分が摘んだんだと言い張ったところで、エレノアの不興を買うだけだとどうにか自分に言い聞かせる。


「あなたも座りなさいな。一緒に食べましょう。とっても甘くて美味しいのよ」

「でも、口が痛くなりませんか?」

「いいえ。この実は摘み取ってしまえばその後はなんともないのよ。ほら」


 エレノアの質問に才貴妃は笑顔で実を摘み上げる。その様子にホッとしたのか、エレノアが手を出そうとした時、突然扉が開いて華露皇貴妃が入ってきた。


「あら、三人でお茶会かしら?」

「華露皇貴妃様!」


 機嫌の良さそうな声を出して近付いてくる華露皇貴妃に、三人は慌てて立ち上がる。

 華露皇貴妃はテーブルの上の赤棘の実を見つけると、目を輝かせた。


「まぁ! 赤棘の実じゃない。誰が摘んできたの?」

「わたくしです」


 ルカが華露皇貴妃の言葉を訳すと、エレノアはすかさず笑顔で答える。


「それは大変だったわね。痛かったでしょう?」


 華露皇貴妃は驚いた顔をすると、エレノアの手を取り心配そうに撫でる。今までで一番優しそうな声音と労わるような表情に、エレノアは嬉しそうに首を振る。


「これくらい当たり前のことですわ。どうぞ華露皇貴妃様もお召し上がり下さい」


 エレノアは得意げな様子で華露皇貴妃に実を薦める。華露皇貴妃は笑顔で頷き実を食べた。才貴妃も玲貴妃もそれを見てから実を口にすると、3人は相当美味しいのか嬉しそうに顔を見合わせる。

 エレノアも恐る恐る口にすると、すぐに笑顔を見せた。


「甘くて美味しい……」

「赤棘は剣雷山にしか咲かない花なの。特別な花で、実も美味しいから皆大好きなのよ」

「陛下もお好きですわよね」

「そうね」


 朗らかに会話をする3人に馴染んでいるエレノアを見て、ルカは少しだけホッとする。


(晶国の人たちは甘い食べ物が好きなのかな。クッキーも評判良かったし。これでエレノア様が皆と仲良くなれればいいけど……)


 食べ物で釣るなんて短絡的だと思ったけれど、そんな簡単なことならやってみる価値はある。さすがに赤棘の実は勘弁して欲しいけれどとルカは右手をさする。

 それから4人は楽しげに赤棘の実を食べると、お茶会はお開きになった。華露皇貴妃も終始機嫌が良く、エレノアも満足げな顔で廊下に出た。

 そうして自室に戻るのかと思ったルカだったが、エレノアは部屋とは反対の方向に歩きだした。


「お部屋に戻らないのですか?」

「あの実をもっと取って陛下に差し入れするわ」

「え!?」


 前にどんどん歩いていくエレノアは嬉々として答える。


「あの華露皇貴妃があれだけ喜んだんだもの、陛下もきっと喜んで下さるわ。ずっと宴を待っていたけど、もう待てないわ。わたくしから会いに行く!」

「エレノア様!」


 さきほどの庭まで来た二人は赤棘の前で足を止める。けれど何もしないエレノアを不思議に思っていると、エレノアは苛ついた顔でこちらを睨み付けてきた。


「何をしているの!? 早く取りなさい!」

「え!? 私が取るんですか!?」

「当たり前でしょ!? わたくしに痛い思いをしろっていうの!?」

「で、でも、陛下へのプレゼントなら自分で」

「うるさい!! 早く取りなさい!!」


 エレノアの一喝に肩を竦めたルカは、仕方なくまた赤棘の実に手を伸ばした。一つ摘むとまたあの痛みが襲ってくる。

 ルカはもうこうなったら無心になるしかないと、ただただ黙々と実を摘んだ。ハンカチがいっぱいになる頃には、もはや上手く腕が動かせないほどになっていた。


「うん、このくらいでいいわ。さ、陛下の執務室に行くわよ」

「は、はい……」


 エレノアは嬉しそうにハンカチいっぱいの実を持つと、軽い足取りで歩きだす。

 ルカはその後ろを必死に追い掛けた。

 皇帝の執務室に行くと、皇帝はその前にある大きな庭にいた。


「陛下!」

「ああ、エレノア王女か。どうした、こんなところまで来て」


 皇帝は優雅に振り向くと、エレノアを見て笑顔を見せた。その麗しい姿にエレノアは目を輝かせる。


「お邪魔してごめんなさい。どうしてもこれを渡したくて」


 エレノアは頬を赤く染めてハンカチいっぱいの実を差し出す。それを見て皇帝は微かに驚きを見せた。


「これは赤棘の実? まさか取ってきたのか?」

「はい。陛下の好物だと聞いたので」

「そうか。確かにこれは余の好物だ。大変だっただろう」


 皇帝はエレノアの手を取ると、優しく撫でる。その様子にルカの胸がチクリと痛んだ。


(本当は私が取ったのに……)


 そう思う反面で、侍女として当たり前の仕事だと自分に言い聞かせる。自分の仕事の辛さを皇帝に訴えたところでどうにもならない。

 それは侍女としてやってはならないことだ。


(エレノア様の幸せをお助けしないと)


 異国で生き残るためにはエレノアの立場を確立するしかない。感情的なエレノアを理性的にサポートしないと、いつ足元をすくわれるか分かったものじゃない。

 ルカは左手で右手を掴むと、顔を歪ませぐっと堪えた。


「陛下にお会いしたくて会いにきてしまいました。また来てもよろしいでしょうか」

「そうか。忙しさにかまけて寂しい思いをさせたな。すまない」

「いいえ、そんな……」


 見つめ合う二人の甘い雰囲気にルカは一歩下がった。これ以上は通訳はいらないだろうと、自分は空気に徹する。

 こうしてエレノアは皇帝に一歩近付くことができ、その日は晶国に来てもっとも上機嫌で夜を迎えた。



◇◇◇



 月が中点を過ぎて仕事がすべて終わると、ルカは露台に出て椅子に座った。

 右腕の痛みはまったく引かず、腕全体がピリピリと痺れている。左手でゆっくりとさすってみるが、なんの変化もない。

 それでも痛くて仕方ないので、月を眺めながらさすっていると、露台の向こうに人影が見えた。

 一瞬、嵐かと思ったがそうではなかった。


「陛下!!」


 ぼんやりとした灯りの中に見えた皇帝の姿にルカは驚いて立ち上がる。皇帝はお供も付けず一人でそばに来ると、ルカの前で立ち止まった。


「ごきげん麗しゅうございます、陛下」

「ああ」

「エレノア様はすでにお休みになっておられますが」

「いい。それよりお前が気になってな」

「わ、私でございますか?」


 まさかの言葉に驚いていると、もっと驚いたことに皇帝がルカの右手を取った。


「あ、あの」

「痛いか?」

「陛下?」

「赤棘の痛みは数日引かぬ。あれほどの量を取ってはしばらく手は使い物にならん」


 皇帝はそう言うとゆっくりとルカの手を撫でた。肘までをなぞる手に、ルカは顔を真っ赤にした。


「な、なぜ分かったのです?」

「これは魔法の痛みなのだ。だからそれに触れた手には魔法の痕跡が残る」

「植物にも魔法が……」

「そうだ。あまりにも取ると、身体中が痺れて倒れてしまう。危険ゆえ普通は手では取らぬ」


(じゃあ、あれは玲貴妃様たちの意地悪だったのね……)


 優しそうなことを言っていたけれど、やっぱりあの二人もエレノアに対して敵対心を抱いているのかもしれない。


「王女の命令とはいえ大変だな」

「いえ……」


 労わりの言葉にルカは感動した。最も位の高い皇帝が、こうして侍女の気持ちを汲み取ってくれるなんて思ってもみなかった。

 皇帝は穏やかな笑みを浮かべてルカを見つめる。

 間近で見る皇帝の顔は本当に麗しく、黒曜石のような瞳は吸い込まれそうなほど美しい。それになんだかやたら甘い良い匂いがして、ルカはどぎまぎしてしまう。


「あ、あの……」

「これでは仕事に支障をきたすだろう」


 皇帝はそう言うと、人差し指と中指でルカの手の甲から肘までを撫でた。

 その途端、痛みがスーッと引いていく。


「え……、痛みが……」

「治癒の魔法だ。これでもう大丈夫だ」


 皇帝が手を離すので、ルカは右手を顔まで上げて閉じたり開いたりしてみる。そこにはもうまったく痛みはなく、いつものように指先まで動かせた。

 ルカが皇帝に笑顔を向けると、皇帝も笑顔で頷く。


「色々と仕事があるようだが、頑張るがいい」

「はい!」


 皇帝の言葉に嬉しくなって返事をすると、皇帝は「良い返事だ」と笑って去って行った。

 もう姿が見えなくなってしまった後も、ルカはしばらくぼんやりと立ち尽くした。


「こんなことってあるのね……」


 夢見心地でそう呟くと、明日もきっと良い日になると笑顔になった。

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